討伐戦
アテ村近隣の森。早朝。
再び竜騎兵が大地を踏みしめる地鳴りのような音が響き渡る。
『陣形を崩すな! 差し込まれるぞ!』
鋼鉄の大盾を構えたパルチザン。その乗り手が叫ぶ。
その周囲には鋼の装甲を纏った同騎種が数体。彼らは密集して防御陣を組み、大盾を合わせて壁を作りながらゆっくりと前進していく。
前方には巨大な樹木が生い茂り、ひときわ大きな樫の木の幹に、あの赤い虫竜が組みついて威嚇音を発している。
『臆するな! こうして防御陣を組んでいれば奴らの攻撃は騎体には届かん! このまま前進して森の奥へと追い込め!』
数騎の竜騎兵が鋼鉄の壁を築き、虫竜たちをゆっくりと森の奥へと追いやっていく。
彼らだけではない。この森の各所で十の小隊が同じように虫竜に迫り、森の最深部へと追い込もうとしている。
紅竜騎士団、その百騎のうちおよそ半数を動員した大規模な殲滅作戦だった。
殲滅対象は、あの赤い虫竜。
それらはアーデによって新たに“寄生竜”と名付けられた。
*****
ユーリとアーデの模擬選から二日後。
オスタリカ領内の各地へ派遣されていた全ての騎士団員が帰還し、改めて全ての戦闘員に召集がかけられる。
もちろんユーリたち臨時戦力も同様に、城内の広間へ集まるように通達を受けた。
その広間へ向かう途中。
廊下の片隅に立っていた一人の老騎士が、ジークを呼び止めた。
「やはりお前か、ジークハルト」
道を阻むように廊下の中央に仁王立ちした老騎士は、白髪でなければ四十やそこらでも通りそうな偉丈夫で、サイラスと並んでも見劣りしない屈強な戦士に見えた。
その肩には金の刺繍で彩られた赤い飾り布。紅竜騎士団の分隊長クラスに与えられるものだ。
「久しいなオーダン。まだ生きているとは思わなかったぞ」
ジークはそう呼びかけながら微笑んだが、オーダンは表情をぴくりとも動かさず、その強面でジークを真正面から見据えたままだった。
「なぜお前がここにいる。まさか、まだ“あれ”を探し回っているのか。もうとっくに諦めてどこかで隠居しているものかと思っていたが」
旧知の仲。同行していたユーリたちにはそう見えたが、二人は昔を懐かしむような様子でもなく、オーダンに至ってはむしろ因縁めいたものを感じさせる雰囲気を漂わせていた。
「さて、どうだかね」
「諦めろ、あんなもの人間の手には負えん」
「ご忠告には感謝するが、そう決めつけるのは早計だぞオーダン」
ジークの一言に、無表情だったオーダンの眉間がぴくりと動く。
「切り札は準備してある。俺も老いたとはいえ、かつてはお前と同列に名を連ねた者だ。そうそう侮ってもらっては困るな」
相変わらず軽快な口調で話すジークだが、その目はいつもと少し違う、やや挑発的な光を宿したものになっていた。
オーダンは暫くジークと睨み合うようにして無言で立っていたが、やがてその巨体を再び廊下の脇に寄せて道を開けた。
「まぁいい、どこで野たれ死のうがお前の勝手だ」
「せっかく生き残った身だ、せいぜい長生きしようじゃないか」
そう言うとジークは軽く手を振り、オーダンの前を通り過ぎて広間へと歩き出した。
ユーリたちもその後に続く。
ユーリはすれ違いざまオーダンの顔を見たが、彼はもうそれ以上なにも言うことはなく、ただ物思いにふけるようにジークの背中を見つめていた。
その目が、ユーリにはほんの少し、寂しそうに見えた。
*****
『オーダン隊長! 上です!』
鉄壁の防御陣形を組みながら森の奥へと進軍していたオーダンの部隊に、一匹の寄生竜が奇襲をかける。
隙間なく構えられた大盾は前方からの攻撃には完璧な防御力を誇ったのだが、上方からの攻撃には無防備である。
『全騎! 対空防御!』
オーダンの号令で、彼自身の乗騎を含む四騎のパルチザンが、すぐさま盾を上向きに構えなおす。そうすることで鋼鉄の壁を屋根とし、空中からの攻撃に備えたのだ。
間一髪、大盾が鋭い剣のような尻尾の一撃を弾き返す。
しかし、寄生竜はそのままオーダンたちの一団に圧し掛かるようにして組みつく。
『くそっ! 何なんだこいつらは!』
盾の隙間から槍のように突き込まれる寄生竜の脚と尻尾をかわしながら、オーダン隊の騎士が叫ぶ。
彼らがうろたえるのも無理はない。この森で紅竜騎士団を迎え撃った寄生竜たちは、まるで人間の軍隊のように統率のとれた動きで襲いかかってきたのだ。群れとして生きる竜は決して珍しくはないが、このように群体として動くとなると話は別である。
そして、五十近くの精鋭竜騎兵が苦戦を強いられる要因がもうひとつ。
『前方に新手! 中型の石鱗竜です!』
『なんだと!』
予想外の襲撃者にオーダンが狼狽する。
それもそのはず。岩の鱗で覆われた六本足の巨大なトカゲとも言うべき姿の石鱗竜は本来、岩場や洞穴などに潜んで鉱物や動植物を喰らう竜である。生息地域はこの森から遥か離れた場所であり、しかも夜行性のため太陽が出ているうちはまず出くわすことがないはずの種だからだ。
石鱗竜はゆらりとした動きで密生する木々の間を這い、寄生竜と格闘中のオーダン隊へと迫る。
その背中には、やはり赤い外殻の寄生竜が取り付いていた。
恐らく、この有り得ない遭遇もまた、奇怪な寄生体が原因なのだろう。
まずい、退がれ――
オーダンがそう叫ぼうとした矢先、石鱗竜はその大きく裂けた口をゆっくりと開き、赤黒く光る喉の奥から、濃い霧のようなものを吐き出した始めた。
岩山の暗殺者。
緩慢な動きからは想像もできない二つ名の由来ともなった、速効性の神経毒の散布。
まともに吸い込めば小動物ならまず即死、人間でも運が悪ければ心肺機能が麻痺して死に至る猛毒だ。
すぐに退避しなければ全滅する。
しかし動こうにも、大盾に取り付いた寄生竜がなおも暴れ、それを防ぐだけで手一杯だ。
隙を見せれば一瞬で真っ二つにされるだろう。
バンカーで吹き飛ばそうにも距離が近すぎる。
万事休す――
そう思われた矢先。
後方から炸薬の爆ぜる音が響いたかと思うと、次の瞬間には大盾に張り付いていた寄生竜が黒煙を上げながら吹き飛んだ。
カノンによる砲撃。
オーダンが後ろを見ると、三騎のグラディウスと一騎のパルチザンで編成された部隊が木々の間から現れるのが見えた。
この殲滅戦に臨時兵力として投入された、ユーリたち独立遊撃部隊である。
寄生竜を引き剥がされて態勢を立て直したオーダン隊は、毒を吐き出す石鱗竜から距離を取ろうと、すぐさま盾を放棄して後退を始める。
が、動きが鈍い。
オーダンは四肢に軽く力を込めて動きを確かめてみるが、やや痺れたような感覚があり、上手く力を入れることができなかった。
どうやら石鱗竜の毒を少し吸い込んでしまったらしい。
一騎はおそらく行動不能。他の二騎もまた、動けないほどではないにせよ影響を受けているようだった。
『何してる! 早く後退しろ!』
ユーリはグラディウスの腕を操り、カノンの側面に備え付けられたコッキングレバーを引いた。出撃前に何度も繰り返し訓練した甲斐があったのか、その動きは滑らかで澱みがない。
金属同士をぶつけたような甲高い音と共に薬室内に残った空薬莢が排出され、続いてレバーを押しこむ動作で弾倉から新たな砲弾が装填される。
そして間髪入れずに第二射を石鱗竜に向かって撃ちこむ。
爆音を響かせて射出された砲弾は、微動だにせず毒を吐き出す異形の竜へと真っ直ぐに飛び行き、その赤黒くぬめる口腔内を直撃する。
噴き出すどす黒い体液。炸薬の炎で赤熱した砲弾は柔らかい肉を裂き、筋繊維を焼き千切りながら下顎の骨まで到達し、そこで止まった。
たまらずに咆哮を上げる石鱗竜は毒の噴出を止め、傷を負った口から体液を撒き散らしながら悶える。
『ちっ……どうやら毒を吸い込んじまったようだね』
脇から躍り出たカーラのパルチザンが、石鱗竜の方に向けて連装式バンカーを構え、一気にトリガー引く。
撃ち出されたバンカーの穂先は何にも当たることはなく宙を裂くだけだったが、目的は攻撃ではない。前面の排気口から噴き出した爆炎は周囲の空気を急激に熱し、膨張した空気は猛烈な勢いの熱風となって毒霧を拡散させた。
『まったく、石鱗竜とは面倒な相手が出てきたもんだよ。全騎、防塵布を装着!」
カーラの号令を受けたユーリたちは、自騎の首元に付けられた巨大な布を、呼吸器のある口元にマフラーのように巻き付ける。もともとは砂漠などで操縦席へと砂塵が入り込むのを防ぐためのものだが、空気を濾過するため、毒や煙などにも多少は効果を発揮する。乱戦になった際、爆炎で熱くなった空気を防ぐために装備してきたものだが、意外なところで役に立ったというわけだ。
とはいえ、所詮は布切れである。オーダン隊のパルチザンも同様の装備をしているようだが、対応が遅かったのか距離が近すぎたのか、あまり効果を得られなかったようだ。
オーダン隊は依然として後退を続けているものの、毒の影響で動きが緩慢な上に、行動不能に陥った一騎を牽引しながらである。悠長に待ってはいられない。
傷を負った石鱗竜はすぐさま立ち直り、逃げようとするオーダン隊へと突進を始めようとしていた。
鉱石すら易々と噛み砕くその顎に捕えられては、いくら精錬された鋼鉄製とはいえ竜騎兵の装甲などひとたまりもない。
『アーベル! あの上に乗ってるクソ虫を狙え!』
『あいよ!』
カーラの指示でアーベル騎の大型バリスタが寄生竜を狙う。
あの石鱗竜を操っているのは、取り付いている寄生竜だ。
ならば、そいつを狙えば少なくとも動きは止められるだろう。
一瞬で狙いを付けたアーベルが、即座に大型バリスタを発射する。
先ほどのカノンとは比べ物にならない爆音を発しながら、小型のバンカーと同等ほどの巨大な鉄の杭が凄まじい勢いで背中の寄生竜へと迫る。
一瞬の後、思わず耳を塞ぎそうなほどに大きな金属音が周囲に鳴り響いた。




