魔導は焦げる匂いがする ~「錬金聖女」の称号を剥奪され婚約破棄されたので、私は前世の電気技師として工房を開きます。なお炎上した宮廷魔導炉の修理依頼は受け付けません~
「錬金聖女の称号を剥奪する。お前の作った魔導炉は欠陥品だ!」
宮廷大聖堂の高い天井に、王太子アルヴィンの声が反響した。
ステンドグラスから差し込む色とりどりの光の中、集まった貴族たちの視線が、一斉に私——フィリア・アルデンフェルトに突き刺さる。
私はそのど真ん中に立たされていた。
婚約者から、衆人環視で断罪される公爵令嬢として。
(……ああ、この匂い)
鼻先をかすめる、あの独特の匂い。焦げた絶縁材と、加熱した魔石特有の刺激臭。
前世で嫌というほど嗅いだ、回路が焼けた匂いだ。
国家式典の最中、王宮中枢の魔導炉が『焦げた匂い』を放ちながら停止した。式典は台無し。責任者は魔導炉の設計者である、この私。
「よくも国家の恥をさらしてくれたな! お前の技術など、しょせんこの程度だったということだ!」
アルヴィンが唾を飛ばして喚く。金髪碧眼の美貌が、今は醜く歪んでいた。
私は静かに息を吸い、焦げた匂いの成分を分析する。
(過電流。……絶縁も保護回路も入れてない、素人設計だ)
断言できた。
あの魔導炉が停止した理由も、焦げた匂いを出した理由も、すべて。
私は前世、日本の半導体・電源設計エンジニアだった。月200時間残業の末に過労死し、この世界に転生した——文字通りの元社畜だ。
この世界の『魔導』の正体を、私だけが知っている。
魔石動力とは、電源。魔導回路とは、電気回路。
つまり『魔導』は、工学だ。
だからこそ、焦げた匂いひとつで、何が起きたか手に取るようにわかる。
だが——誰も、私の説明など聞く気はないのだ。
「……過電流です。絶縁も保護回路も入れていない、素人設計。焦げた匂いだけで分かりますよ、殿下。あの炉が止まった理由も、全部」
「見苦しい言い訳だな! 責任を他者になすりつける気か?」
やはり、聞く気はない。
私は小さく息を吐いた。
*
アルヴィンの隣で、栗色の巻き毛を揺らして微笑む少女がいた。
男爵令嬢ミレーユ・カルネアード。
「殿下、ご安心ください。私が新しい魔導炉を設計しましたわ」
大きな瞳を潤ませ、彼女は勝ち誇るように胸を張る。
「フィリア様の設計、無駄な部品が多すぎたんです。だから私、効率化して差し上げたんですのよ? あんな役立たずの魔石、取り外して正解でしたわ」
——役立たずの魔石。
その一言で、私は事の全容を完全に理解した。
(ああ。あなた、私の保護回路を外したのね)
私が独自に組み込んでいた、ヒューズ相当の魔石。
過負荷がかかったとき、真っ先に焼き切れて本体を守る——安価な、けれど心臓部そのものの部品。
それを『無駄』と切り捨て、『効率化』の名のもとに取り払った。
だから炉は焦げた匂いを出しながら止まったのだ。
あれは故障ではない。保護回路が身を挺して、大爆発を防いだ証だ。
「保護回路? ふふ、あんな安っぽい魔石、飾りにもなりませんわ。効率だけを追い求めた、私の傑作ですのよ」
私は、ぽつりと呟いた。
「そう。……止まってくれて、よかったのに」
止まってくれたから、あの場で誰も死ななかったのに。
「何をぶつぶつと。何か言い訳はあるか、フィリア!」
私は顔を上げ、静かに答えた。
「……いいえ。わかりました。婚約破棄、承諾いたします」
喚くつもりはない。
理解できない相手に説明することほど、無駄なことはないと、前世の私はもう知っている。
「な……あっさりと。もっと縋りつくかと思ったが、貴様も存外あきらめが良いな」
「理解できない相手に説明することほど、無駄なことはない。それだけのことです」
*
ざわめく大聖堂を、私は一歩ずつ歩いて出口へ向かう。
背中に、勝利に酔ったミレーユのくすくす笑いと、貴族たちの憐れみと侮蔑が入り混じった視線が刺さる。
公爵令嬢としての人生が、たった今、終わった。
でも——不思議と、清々しかった。
(前世は月200時間残業で過労死。今世は無実の罪で婚約破棄。……私、報われない星の下に生まれてるな)
自分でも呆れるほど淡々とした思考。
銀灰色の髪を一つに結び直し、袖をまくった腕を組む。
扉の前で、私は足を止めた。
振り返らないまま、けれど全員に聞こえるよう、はっきりと告げる。
「ひとつだけ、忠告しておきます」
大聖堂が静まり返る。
「焦げた匂いがしたら、それは部品が身を挺して、爆発を防いだ証拠ですよ。……匂いすらしなくなったら、そのときは——もう、守るものが何もないということです」
「何を訳のわからんことを! 負け惜しみもそこまでくると哀れだな」
アルヴィンが吐き捨てる。
「うふふ。技術者気取りの捨て台詞ですわね。せいぜい辺境で錆びついていらしてくださいな」
ミレーユが小馬鹿にしたように鼻で笑った。
いいだろう。
わからないなら、わからないままでいい。
「ええ。わからないなら、わからないままでいい。そのツケは、いずれこの国全体が払うことになる。……では、失礼します」
一礼して、私は大聖堂を後にした。
宮廷のために生きた令嬢フィリアは、ここで死んだ。
これからは——私を必要とする人のために作る、ただの技師として生きる。
*
辺境の街、フォルストハイム。
公爵家を出奔した私は、街外れの空き店舗を借り、小さな魔導工房を開いた。
看板には、ただ一言。『アルデンフェルト魔導工房』。
「先生! この魔導ランプ、また売り切れちゃいました!」
住み込みの見習い、レナ・ホルトが目を輝かせて駆け込んでくる。
孤児院育ちの十六歳、手先が器用でよく喋る、太陽みたいな子だ。
「三日で全部? ……作るペース、上げないと追いつかないわね」
私が作るのは、『安全に壊れる魔導具』。
過負荷がかかると、安価な部品だけが真っ先に焼き切れ、本体と使用者を守る設計。
前世で叩き込まれた、当たり前の思想だ。
「でも先生、最初はみんな怖がってたのに。『焦げた匂いがする欠陥品だ』って言ってたのに」
「ええ。だから、こう説明したの」
私はランプを一つ手に取り、レナに向き直る。
「——焦げた匂いは、失敗の匂いじゃない。あなたの代わりに、部品が死んでくれた匂い。命を守った、匂いなの」
レナが、ぱっと顔を輝かせた。
「それ! それをあたし、街中に言いふらしてます! 『アルデンフェルトのランプは絶対に爆発しない』って!」
事実、私の工房の魔導ランプと魔導コンロは、爆発事故ゼロ。
他工房の粗悪品が年に何件も家を焼く中、その安全性は口コミで爆発的に広がり、庶民の生活必需品になりつつあった。
「……宮廷に認められなくてもいい。ここには、私の作るものを本当に必要としてくれる人がいる。それで十分よ」
宮廷の称号は、いらない。
ここには、私を必要としてくれる人たちがいる。
それだけで、十分だった。
*
その日、工房の扉が勢いよく開いた。
入り口の枠に、頭がぶつかりそうな巨躯。
身長190センチ超え、黒髪に琥珀色の鋭い瞳、頬には竜との死闘で刻まれた傷跡。
黙って立っているだけで、魔物すら怯みそうな威圧感。
辺境伯騎士団長にして竜討伐の英雄、ガレン・ヴォルフリート。
そんな彼が——気まずそうに、少し縮こまって、左腕を差し出した。
「……また、焦げた」
魔導義手。竜との戦いで失った左腕の代わり。
そこから、うっすらと焦げた匂いが漂っている。
「はいはい」
私は工具を手に取り、慣れた手つきで義手のカバーを開ける。
「今日は何をしたんですか。またオイル差しすぎました?」
「……いや。剣の素振りを、二百回」
「駆動系に負荷かけすぎです。保護の魔石が焼き切れてますよ。ほら、この焦げた小石が身代わりです」
焦げた小さな魔石をつまみ上げて見せる。
ガレンは、ばつが悪そうに視線を逸らした。国宝級の英雄が、である。
「はいはい、保護回路が働いたんですよ。生きててよかったですね」
「……すまん」
耳が、赤い。
戦場では冷徹無敵と名高いこの男は、なぜか私の前でだけ口下手な甘えん坊になる。
「お前の作るものは」
義手を直す私の手元を見つめながら、ガレンがぽつりと言った。
「人を、殺さない。だから……信用できる」
その一言に、私は少しだけ手を止めた。
——この世界で初めて、私の思想を、心から理解してくれた人。
「……はい。ありがとうございます」
工房の隅で、レナが「うわ〜っ……!」と両手で顔を覆ってニヤニヤしていた。
「ご、ごめんなさい、あたし何も見てませんっ!」
……見なかったことにした。
*
半年後。
王国中を、不穏な噂が駆け巡りはじめた。
「聞きました、先生? 王都の魔導炉が、突然爆発したって……」
レナが青ざめた顔で、街に貼られた号外を持ってくる。
私は記事に目を通し、静かに息を吐いた。
「……ミレーユの、保護回路なし高効率魔導炉。宮廷が国家標準にしたやつね」
あの断罪の後、宮廷はそれを国家標準として王国中に導入した。
効率が良く、見栄えも数字も素晴らしい——そう称賛されて。
そして今、各地で連鎖的に大爆発が起きている。
「現場の人が言ってたんです。『焦げた匂いすら、しなかった』って。前触れもなく、いきなりドカンって……」
「……でしょうね。保護機構がないのだから、警告を出す部品もない。過負荷が限界を超えた瞬間、何の前触れもなく本体そのものが吹き飛ぶ」
焦げた匂いは、猶予だったのだ。
『今すぐ止めろ』という、部品からの最後の警告。
それを『無駄』と切り捨てた結果が、これだ。
「あたし、思い出しました。先生が宮廷を追い出されるとき言った言葉。『匂いすらしなくなったら、もう守るものが何もない』……あれ、これのことだったんですね」
「ええ。焦げた匂いは、猶予だったの。『今すぐ止めろ』という、部品からの最後の警告。それを『無駄』と切り捨てた結果が、これよ」
そのとき、工房の扉が激しく叩かれた。
息を切らせた、宮廷の使者だった。
「フィリア・アルデンフェルト様! 火急の用件です! 王宮の中枢魔導炉が——炎上寸前なのです!」
*
王宮の大広間は、混乱の坩堝だった。
遠くで鳴り響く警鐘。焦げくさい煙——いや、これは違う。
もっと危険な、限界直前の魔石が発する高周波の唸り。
中枢魔導炉が、今にも臨界を迎えようとしている。
その前で、私はかつての婚約者と対峙していた。
「フィリア! 頼む、直してくれ! お前ならできるだろう!?」
アルヴィンが、駆け寄ってくる。
半年前の傲慢さはどこにもない。青ざめ、汗まみれで、みっともなく取り乱していた。
「このままでは王宮が、王都が吹き飛ぶ! 何でもする、金でも地位でも、婚約者の座でも——!」
彼は、私の足元に膝をついた。
王太子が、衆人環視で。
かつて私を断罪したのと、まったく同じ場所で。
その後ろで、ミレーユが真っ青な顔で震えている。もう、あざとい笑みを浮かべる余裕もない。
私は、跪くアルヴィンを静かに見下ろした。
怒鳴りはしない。
喚きもしない。
ただ、淡々と告げる。
「修理依頼は、受け付けません」
「なっ……!? この期に及んで、なぜだ!」
「だってあれは、私の設計じゃない。あの炉に、私はもう責任を持てません」
大広間が、しんと静まり返った。
「あれを『欠陥品』と呼んで、私から称号を剥奪したのは——あなた方でしょう?」
「そ、それは……っ」
*
私は、震えるミレーユへ視線を向けた。
「ミレーユ様。あなたが『無駄な部品』と言って取り外した、あの小さな保護回路。過負荷がかかったとき、真っ先に焼き切れて、焦げた匂いを出して爆発を防いでいた。……あれが、心臓部です」
「そ、そんなの、ただの安っぽい魔石じゃない……!」
「ええ。安いです。でも、それでいいんです」
私は一歩踏み出す。
「安い部品が身代わりに死ぬから、高価な本体も、使う人の命も守られる。焦げた匂いは『まだ間に合う』という警告だった。それを効率化の名のもとに取り払った瞬間——警告を出す仕組みごと、消えたんです」
集まった貴族たちが、ざわめきはじめる。
技術を知らない彼らにも、因果が繋がっていく。
「ち、違うわ……私はただ、効率を……数字を良くしただけで……」
「だから各地の爆発は、焦げた匂いすらしない。前触れなく、いきなり吹き飛ぶ。……匂いがしないのは、もう守るものが何もないからです」
半年前、私が去り際に残した言葉。
あれが今、完璧に証明された。
そのとき、貴族たちの間から、白髪交じりの厳格な男が進み出た。
ドラン公爵——私の父だ。
厳格な顔に、抑えきれない誇りを滲ませて。
「有能だったのは……宮廷が追放した『欠陥設計者』のフィリアで。無能だったのは、称号を与え、剥奪した宮廷そのものだった。——そういうことですな、殿下」
アルヴィンは、言葉を失っていた。
「そんな……私が、私の選んだ聖女が、間違うはずが……」
ミレーユは、へなへなとその場に崩れ落ちる。
「い、いや……いやよ、私は悪くない……私はただ……」
『効率化』の名のもとに、彼女が撒き散らした危険の総量が——今、技術的因果として、逃げ場なく突きつけられた。
私は、静かに告げる。
「私は喚いていません。ただ、事実を並べただけです。……それだけで、もう十分でしょう?」
私は喚いていない。
ただ、事実を並べただけだ。
それだけで、断罪は完成していた。
そして——炉の臨界は、辺境から急行した私の弟子と父の手配した技師団が、私の指示のもとで保護回路を緊急増設し、間一髪で食い止めた。
焦げた匂いを、ひとつ残して。
それは、王宮が久しぶりに嗅いだ、『命が守られた匂い』だった。
*
その後の顛末は、あっけないほど早かった。
ミレーユは、『効率化』の名で全国に危険を撒いた元凶として失脚。男爵家からも見放された。
アルヴィンは、事実確認もせず有能な技師を断罪し、無能な設計を国家標準にした責任を問われ、廃嫡の危機に瀕している。
「私が選んだ聖女が、間違うはずがない」——そう言い張った根拠なき自信の代償は、あまりに大きかった。
そして私は。
父の政治的な地ならしと、辺境伯の要請により、国家規模の安全規格を制定する立場に迎えられた。
「フィリア・アルデンフェルト。辺境伯領お抱えの、主席魔導技師として迎えたい」
かつて私を追い出した宮廷ではなく、私を必要としてくれる場所から、正式に。
「先生! すごいです! 主席魔導技師ですって! 先生を追い出した宮廷、ざまぁみろですよ!」
レナが工房で飛び跳ねる。
「あの王太子とミレーユの顔! あたし、一生忘れません!」
「……ふふ。まあ、爆発が起きなくなるなら、それが一番よ。復讐には、興味がないの」
私は淡々と答える。
ただ——理不尽に奪われたものが、正しく戻ってきた。
それだけで、前世からの重たい何かが、少しだけ軽くなった気がした。
「宮廷の称号なんて、いらない。私が欲しかったのは、私の作るものを『信用できる』と言ってくれる人たち。……それは、もうここにあるから」
*
夜。工房の作業台で、私はガレンの義手をメンテナンスしていた。
「主席魔導技師、だそうだな」
ガレンが、ぽつりと言う。琥珀色の瞳が、ランプの灯りに揺れていた。
「ええ。忙しくなりそうです」
「……工房は、辞めるのか」
その声が、ほんの少し寂しげに聞こえたのは、気のせいだろうか。
強面の英雄が、義手を差し出したまま、じっと私の返事を待っている。
「まさか」
私は、焼き切れた保護の魔石を、新しいものに交換する。
「あなたの義手、誰がメンテすると思ってるんですか。私がいなくなったら、また二百回素振りして焦がすでしょう」
「……む」
ガレンの耳が、また赤くなった。
工房の隅で、レナが「はーい、両想い〜! ごちそうさまでーす!」と囃し立てる。
「レナ。工具箱、片付けなさい」
私は工具箱の蓋で、その頭を軽く小突いた。
そういう賑やかさも、悪くない。
カチリ、と義手のカバーを閉じる。
「……はい、直りました。生きててよかったですね」
「……ああ。生きてて、よかった」
ガレンが、めずらしく——ほんの少し、微笑んだ気がした。
窓の外を見上げる。王都の方角。
あの国の魔導網は、まだ保護回路なき欠陥だらけ。
焦げた匂いすらしない、突然爆発する炉が、いくつも眠っている。
私は、まくった袖を直し、ぽつりと呟いた。
「さて。……次は、この国の魔導網、全部作り直しましょうか」
焦げた匂いのしない世界を作るのではない。
焦げた匂いが、ちゃんと『警告』として機能する——本当に安全な世界を。
「せ、先生、それって国家事業ですよね!? どれだけ大変か——」
「大丈夫。安全マージンを取らない設計は、罪だもの」
過労死した前世では、間に合わなかった。
でも今世は、まだ間に合う。
私は静かに笑った。
これは、焦げた匂いのしない世界を作る、元社畜令嬢の物語。
——まだ、始まったばかりだ。




