表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/14

食い違い

 鑑識の報告が上がってきたのは、現場に入って三十分ほど経ったころだった。


 担当者が律のところに来て、手元のタブレットを見せながら説明した。残滓の量と分布から、異能の発動回数がある程度特定できるという。今回の現場では、三箇所に残滓が集中していた。それぞれの位置と量から、発動の方向と順序が推測できる。一番多く残滓が積もっている場所が、最初に異能を使った地点だろうとのことだった。


 律は担当者の説明を手帳に書き留めながら、頭の中で情報を整理した。三箇所。発動回数は少なくとも三回。方向は倉庫の中央から外壁に向かって。つまり、犯人は倉庫の中央付近に立って、外壁に向かって異能を使った。逃走経路は正面扉か、あるいは外壁の割れた窓か。


「これだけ情報があれば、犯人像を絞れます」


 律は手帳から顔を上げて言った。担当者ではなく、少し離れたところに立っている男に向かって。「発動位置から身長の推定もできるかもしれません。三件の現場データを重ねれば、行動パターンも見えてくる。早急に過去二件の残滓データと照合して」


「焦るな」


 男が言った。担当者の方を向いたまま、律の方を向かずに。短い言葉だった。それだけだった。


 律は手帳を持ったまま、男を見た。


「焦っているわけではありません。情報が揃ってきたから、次の手を打つべきだと言っているんです」


「同じことだ」


「違います。情報に基づいて動くことと、焦って動くことは違います」


 男はそこで初めて律の方を向いた。眠そうな目が、律を見た。何か言うのかと思ったが、何も言わなかった。また担当者の方を向いた。


 律は息を吸って、続けた。


「三件も起きているんですよ。一件目から二件目まで二日、二件目から三件目まで三日です。間隔が変わっている。次がいつ起きるかわからない。早く動かないと」


「焦って動いて、何かいいことあったか」


 男が言った。律の方を向かないまま。低い声で、静かに。


 律は言葉に詰まった。


 焦って動いて、何かいいことあったか。それは律に向けた言葉なのか。それとも、誰か別の誰かに向けた言葉なのか。律にはわからなかった。ただ、言葉が胸のあたりで引っかかった。反論しようとして、うまく言葉が出なかった。


 男はそれ以上何も言わなかった。担当者に短く何かを告げて、倉庫の外に向かって歩き出した。律はその背中を見ていた。追いかけようとして、やめた。今追いかけても、また同じような会話になるだけだという気がした。


 律は手帳に視線を落とした。


 書き留めた情報が並んでいる。発動回数、発動位置、方向、推定される逃走経路。これだけあれば、次の手が打てるはずだ。そう思っていた。でも男は焦るなと言った。焦って動いて何かいいことあったかと言った。


 律にはその言葉の意味がわからなかった。


 車に戻ったのは、それから十五分後だった。


 鑑識の担当者との確認をすべて終えて、必要なデータを共有してもらって、現場を後にした。男はすでに助手席に座っていた。目を閉じていた。律は運転席に乗り込んで、エンジンをかけた。


 車が動き出した。


 律は運転しながら、口を開いた。黙っていられなかった。頭の中で情報が渦を巻いていて、整理するには声に出す必要があった。


「今回の現場で、いくつかわかったことがあります。残滓の分布から、犯人は倉庫の中央付近から異能を発動させていた。発動回数は少なくとも三回。外壁に向けて段階的に火を当てていったと考えられます。一件目、二件目も同じパターンだとすれば、犯人には一定の手順がある。衝動的な犯行ではなく、計画的な可能性が高い」


 男は目を閉じたまま、何も言わなかった。


「計画的であれば、次の犯行場所も何らかの基準で選んでいるはずです。一件目と二件目は渋谷区、三件目は港区。この移動に意味があるのか、それとも単純に都合のいい場所を選んでいるだけなのか。もし前者であれば、次の犯行場所が予測できる可能性があります」


 男は目を閉じたまま、何も言わなかった。


「異能の種類については、鑑識の見立て通り火を操る系統で間違いないと思います。ただ、残滓の量が少なかった。強力な異能ではないかもしれない。あるいは、意図的に出力を抑えているのか。いずれにしても、異能の強さに関係なく、三件とも死傷者を出していない。これは偶然ではないと思います」


 信号で止まった。律は助手席をちらりと見た。目を閉じたまま、変わらない姿勢でいた。


「聞いていますか」


「聞いてる」


 また同じ答えだった。律は視線を前に戻した。信号が青になって、車が動き出す。


「では、意見は」


「……まだない」


 律は息を吐いた。まだない。それだけだった。これだけ情報を並べて、考察を話して、まだない。どうして意見が出ないのか。何が足りないというのか。


「なぜですか」


「なぜって」


「これだけ情報が揃っているのに、なぜ意見が出ないんですか。愉快犯の可能性が高いと先ほど同意していましたよね。であれば、次の手を考えるべきではないですか。容疑者の絞り込みとか、次の犯行場所の予測とか」


「同意した覚えはない」


 律は一瞬、返答に詰まった。


「そうかもな、と言っていたじゃないですか」


「そうかもな、と言った。同意とは違う」


 律はハンドルを握ったまま、前を向いていた。そうかもな、と同意は違う。言われてみれば、確かに違う。でも、あの言い方は同意しているように聞こえた。少なくとも、律にはそう聞こえた。


「では、愉快犯ではないと思っているんですか」


「わからない、と言ってる」


「わからないから動かない、ということですか」


「わからないのに動いたら、間違える」


 律は何も言えなかった。


 間違えたら、どうなるのか。その言葉の続きを、男は言わなかった。でも、何か続きがある気がした。間違えたら、誰かが傷つく。間違えたら、取り返しがつかなくなる。そういう経験が、この男の中にあるのかもしれない。


 律にはわからなかった。


 車内に沈黙が戻った。律は運転しながら、頭の中で今日一日を振り返っていた。配属初日。現場に出た。能力を見た。話を聞いた。でも、何も前に進んだ気がしなかった。


 男はまた目を閉じていた。


 律の不満は、言葉にならないまま、胸の中に積み上がっていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ