第5話:紳士C:自称大手IT企業勤務
三番手に動いたのは、グレーのスーツに身を包んだ中年男だった。
髪はジェルで固めてあるが、どこか時間の経過を隠しきれない。
だが本人はまだまだ“イケてる”と信じている様子で、赤ワインのグラスを片手にカウンターへと歩み寄ってきた。
「いやぁ、まさかこんなところで、こんな華やかな方々にお会いできるとは。私は某大手IT企業に勤めておりましてね――」
――来た。
自己紹介と同時に“某大手”を名乗るタイプ。
私はカウンター越しにグラスを拭きながら、心の中で小さく首を振った。こういう人種は、社名が最大の武器であり、同時にそれ以上のカードを持っていない。
亜紀が視線を上げた。
笑顔は柔らかいが、その奥に鋭さがのぞいている。
「某大手……? 失礼ですが、それって“GAFAMの一角”とか、あるいは“シリコンバレーのユニコーン企業”とか、そういうものですか?」
男の眉がぴくりと動いた。
「いや、その……まあ国内でも有数の――」
「“Domestic”ですよね」
亜紀は赤いリップを軽く噛んで、グラスのステムを指で回した。
「でも……国内大手ITって、不思議なんです。DXって言っても、やっている事は従来の業務プロセスを踏襲したままクラウド化しているだけ。カスタマイズに膨大な工数を費やした挙げ句にメンテナンスコストも上昇してROIが悪化。そういうのを“イノベーション”とか“トランスフォーメーション”って言っちゃうのは、ちょっと恥ずかしくないですか?」
男の表情が一気に曇る。
「い、いや、我々は十分に技術力が――」
亜紀は、さらに微笑みを深めた。
「ええ、もちろんです。技術者の方々は優秀でしょう。でも“会社の看板”で口説こうとするなら、それは看板に甘えている証拠。……少なくとも、私たちは名刺では口説けませんよ」
ワイングラスの縁が、カランと音を立てる。
男はその音に救いを求めるように一口含み、苦笑を浮かべて元の席へと退散していった。
玲奈が横目で亜紀を見て、くすりと笑う。
「……ズバリ“Domestic”って刺しましたね」
亜紀は肩を竦め、ネグローニを軽く揺らした。
「だって、世界を口にする人ほど、結局は“Domestic”なんだもの」
玲奈が頷く。
「そういう意味では、直也のAIデータセンタープランは“Domestic”を起点として世界を狙いに行ける説得力とロマンのレベルが違いますよね」
私はカウンター越しに、心の中で小さく頷いた。
――この二人にとって、ナンパはもはやビジネスゲームの延長戦。
相手のロジックを崩すことを、楽しんでいるのだ。