第3話:紳士A:自称大手家電メーカー勤務
奥のテーブルから、白いポロシャツ姿の男が立ち上がった。ゴルフ帰りらしい日焼けの腕に、やたらと派手なブランドロゴが入っている。ジョッキを片手に、ゆらゆらとカウンターに近づいてきた。
「お嬢さんたち、浴衣がよく似合っていますね」
――来た。
私はカウンター越しにグラスを拭きながら、心の中で小さく溜息をつく。こういう男はたいてい、挨拶代わりに“お嬢さん”を口にするのだ。
しかし、亜紀はすぐさま微笑みを浮かべた。いや、微笑みに見えて、その実、目の奥が冷えている。
「“お嬢さん”……?」
小首を傾げ、グラスの縁を指でなぞりながら、亜紀はふわりと切り返す。
「それ、もう呼びかけがズレてますね。女性の年齢を見誤ると、その時点でビジネスなら契約飛びますよ?」
一瞬、店内の空気が止まった。
次いで、男の顔がみるみる赤くなる。
「い、いや……そういう意味じゃなくて――」
「ええ、分かってます。お褒めいただいたのはありがたいですけど、“Fräulein”はドイツではもう死語ですし、そんな言葉でくくられるほど、私たち若くはありませんから」
亜紀の声音はあくまで柔らかい。しかし、その柔らかさが逆に刃のように鋭い。
男はしどろもどろになり、結局ジョッキを握り直して元の席へと引き返していった。
背中越しに、玲奈がグラスを口元に運びながら小声で呟く。
「……開始一分で“Deal Break”、残念でしたね」
私はバーテンダーとして、口元を隠して笑いを堪えた。
――今晩、この二人を相手にナンパを仕掛けるのは無謀だ。Dealしないだろう。