9 人質
ほどなく上に登る階段があって、どこかのビルの機械室のようなところに出た。
空気は澄んでいて、砂埃の匂いはしない。
代わりに油の臭いがした。
先導していた少年兵が鉄の扉を開けると、また、後ろについていた少年兵が小さく言った。
「もう大丈夫です。」
やはりアキに話しかけているようだ。
どうやら、ミアの推測は当たっているらしかった。
こいつらはアキを首相の娘だと勘違いしているようだ。
ドアの外に出ると、そこは病院だった。
救急車のサイレンの音がひっきりなしに聞こえ、大勢の人が血相を変えて走り回っていた。
遠くてはっきりはしないが、ストレッチャーで運ばれてゆくのは‥‥あれは血だらけの子どもではないか?
「外へ出ろ。別の場所に移動する。」
ミアたちが外に連れ出されると、そこに1台の救急車が待っていた。
ふり返ると、病院の向こう側に巨大な黒煙が上がっているのが見えた。普通の火事ではない。
男たちの怒号が飛び交っている。
やはり外国語(たぶんL国語)でミアには意味がわからないが、ただひとつ「ミサイル」という単語だけが聞き取れた。
あ‥‥。やったんだ‥‥。
あのクソ親父!
人質に犠牲が出てもいい。
強硬な姿勢を見せなければ、政権を支える極右勢力が離れる。
その力学は、ミアでもわかる。わかりたくはないが、門前の小僧として政治の内部を見せられてきたミアだからわかってしまう。
ミアの顔が歪む。
あのクソ親父は、人質の安全より自分の政権のことしか考えていないんだ。
実の娘が人質の中にいるのが、わかっていながら‥‥。
そして。
もうひとつ。
戦慄すべき可能性がミアに突きつけられた。
こいつらは、撃ち込まれたミサイルの代償としてミアを処刑するかもしれない。被害の大きさにもよるだろうが——。
その「ミア」にアキが間違えられている——とするなら‥‥。
間違えられたままなら、‥‥とミアは思ってしまった。
自分の命は助かるかもしれない‥‥。
しかしそれは、アキがミアの代わりに無惨に殺されるということ‥‥。そんなこと‥‥!
だからといって、自ら名乗り出るほどの勇気はミアにはなかった。
べ‥‥別に‥‥。
ここで初めて会って、名前を知ったというだけの少女。
そんな子のために、自ら命を捨ててまで名乗る必要なんて‥‥ないじゃない?
全ては運命の神様のいたずら‥‥‥
そこまで考えて、ミアは吐き気を催した。
それはアキという少女を見殺しにして、自分が生き延びようということ‥‥。それを、消極的であれ選択しようとしているということ‥‥だ。
なんて醜いやつだ。わたしは‥‥。
クソ親父と何も変わらないじゃないか‥‥。
「ふり向くな。乗れ。」
少年兵が銃でミアを小突いた。
ミアは、びくっとして前を見る。
救急車はバックドアが開けられて、ミアを除いた人質がすでに全員押し込まれていた。
そして、その車の中身は救急車ではなかった。ストレッチャーも応急処置の医療機器も何もなく、中はがらんどうだ。
窓にはカーテンの内側に金網も取り付けられている。
偽装した護送車のようだった。
最後になったミアをその中に押し込むと、英語を話す少年兵はドアを閉めて鍵をかけた。
ドアの前に、どっかと腰を下ろして銃を抱える。
そのしぐさは、十分に兵士のそれだった。
ただ‥‥。
ミアの違和感は、その少年兵の目だ。
やはりどこか不安げな色をたたえて、アキを見ている。
なんだろう?
もしかして‥‥、すでに殺せとの命令を受けているのだろうか?
それで、彼女に対してだけ、これほどに親切に‥‥?
この車は、これから処刑場へ向かうのかもしれない。
そう思ったらミアは背中に冷たい汗が流れ、口の中がカラカラに乾いてきた。
何人かを同時に殺すかもしれない。
「ミア・イーダ」だけをカメラの前で処刑するのかもしれない。
アキは‥‥‥
「違う。わたしが、ミア・イーダです。」
そう言いそうになる言葉を、喉の奥で押しとどめる。
それは、自分に対する死刑宣告だ。
ミアはアキの方を見ることができなくなり、顔を伏せたまま小さく震え始めた。
止まれ。
震え、止まれ!
目立っちゃいけない。
この中に、少女は2人。
戦術としても、同時に殺すことはないはず‥‥。
ごめん‥‥
ごめんなさい、アキ‥‥。
わたし‥‥
勇気のないクソ女だ‥‥。