2 プラチナホステージ
その一報が首相府に入ったのは、事件の1時間後であった。
「ミアが?」
首相のアクド・イーダの顔は真っ青になり、それから真っ赤になった。
「情報機関は何をやっていた? なんの情報も上がってきていなかったぞ?」
テロリストは一瞬にしてこの国の政府の威信に深い傷を与えていった。
亡くなった方々に深い哀悼の意を表する。
テロリストはもちろん、その飼い主であるL国の責任も強く追求する。
人質を無事返さなければ深刻な事態を招くだろう。
事件直後、イーダ政権は直ちに反応して最初の首相声明を発表した。
このところ支持率の落ちていたイーダ政権にとって、この事態に対する甘い対応は選択肢にはなかった。
同時に、支持率回復のチャンスでもある。
「特殊部隊を派遣しろ! 国境を超えて追え! 人質を奪還する! 正規軍にも24時間以内に侵攻準備を整えるよう伝えろ!」
人質の1〜2割の生命はコラテラルダメージだ。
最大同盟国のA国にも通知して支援を求める。
そこまで手を打った直後だった。
娘のミアが人質になったという情報が飛び込んできたのは——。
護衛は死体で発見された。
なんということだ!
娘を、無事に救出するには‥‥穏やかな交渉が最も安全な道だろうが‥‥。場合によっては、屈辱的な妥協も‥‥。
しかし、首相としての判断より父親としての感情を優先させれば‥‥ただでさえ支持率の落ちている政権はもたない。いや、それ以前にクーデターが起きるだろう。
弱腰は、テロリストを増長もさせる。
感情とは別に、首相としてのイーダの理性は厳しい現実を認識していた。
‥‥最悪の場合‥‥‥。
ひとり娘を国境近くになんか行かせるべきではなかった。
初めて私に無心をしてきた娘かわいさに判断が狂った。このところ、この地域の和平の動きが加速していたことに油断していた。
「他のファンの席をいくつも独占したくないから。」
という娘の言葉で、護衛を1人に絞ったことも後悔される。
殺された人数より、誘拐された人数の方が多い。『狼の牙』はその人質を武器にして我々の報復攻撃を抑止するつもりなのだろう。
かつてはL国の民兵組織であった『狼の牙』は、我が国との融和政策を進める現政権のもとで急速にその存在感も勢力も弱めていた。
それを覆そうという試みだったかもしれない。
‥‥‥‥
あるいは、軍事力に劣るL国が、融和と見せかけて交渉のカードを狙っていた可能性も‥‥。
それにしても‥‥よりによってミアが‥‥。
ヤツらは、ミアが私の娘=最高級の人質だと気づいただろうか?
行かせるんじゃなかった。
あんな所に‥‥。
雪解けと地域の平和のために——愛と平和のメッセージとして、あえて国境に近い町で音楽フェスを開催する。
それが主催者の主張だった。
このところの和解ムードに水を差したくなくて、政府もそれを黙認した。
それが、仇になった。
L国人など信用すべきではなかった。
世界中から集まった音楽ファンの中に、テロリストが紛れ込んでいたとは——。我が国の情報機関は何をしていたのだ。この件が終わったら、長官には必ず責任をとらせてやる。
もしも‥‥娘にもしものことがあったら、死刑にしてやる!
それにしても、もし‥‥「AJU☆」とかいうミュージシャンが来なければ、行くなと言えば娘も行かなかっただろう。
娘にもしものことがあったら‥‥、こいつも無事には帰さないぞ。
* * *
ミアは冷たいコンクリートの床を頬に感じて目を覚ました。
そこは窓ひとつない、狭いコンクリートの部屋だった。
その狭い部屋に20人くらいの人が押し込められ、座り込んだり寝そべったりしていた。
全員が音楽フェスの来場者らしい。
ミアのすぐそばに同じくらいの年恰好の少女が横になっていて、彼女はまだ意識を取り戻していないようだった。
部屋の入り口のドアは格子の入った窓がついた鉄製の頑丈そうなもので、出入り口はそれしかなかった。
その窓からこちらを覗き込んでいる顔がある。
会場を襲ったテロリストの一味だろうが、その顔はまだあどけなさが残っており、少年兵のようだった。
ミアが違和感を抱いたのは、その少年の表情だった。
冷たいテロリストの目ではなく、ひどく心配そうな、今にも泣き出しそうな目をしている。
その視線の先に、あの意識を失ったままの少女の姿があった。




