17 マイヒーロー
銃弾が侵入した頭の反対側から、血と脳漿が破裂するように飛び散った。
その飛び散った方向にタダノバはゆっくりと体を傾け、ビシャッという音と共に床に転がった。
倒れたタダノバの足の方向に、硝煙が立ちのぼる銃を構えたアクバルがいる。
絹を引き裂くような悲鳴が上がる。
「ア‥‥アクバル‥‥さん‥‥‥」
タクーマが狼狽え声でアクバルの名だけを呼んだ。
アクバルは顔の片方を引きつらせている。
「お‥‥俺は‥‥」
アクバルは、これから銃殺されるような悲壮な顔を少女に向けた。
「俺は‥‥上官を殺した。たぶん‥‥‥処刑されるだろう‥‥」
アクバルはAJU☆に伝えたいのだろう。英語で話す。
アキはどう答えていいかわからない。
ただ、今‥‥殺されそうになった自分を、この人は救ってくれた——。それだけはわかる。
「俺は‥‥! あなたの声に、あなたの歌に救われた! だからっ‥‥AJU☆さん。あなただけは守る! どんなことをしても! たとえ俺が死ぬことになっても、必ずあなたを無事に日本に帰す!」
アクバルはとうとう泣き出した。
「日本で! あなたが歌っていてくれさえすれば‥‥! 俺は、それで十分だから!」
「ア‥‥アクバルさん‥‥」
タクーマがおずおずと声をかけた。
いつもアクバルを頼りにするだけのこの少年が、自分から何かを言うのはとても珍しい。
「その人‥‥AJU☆‥‥なんですか?」
ずっと黙っていたが、この少年も英語が話せるらしい。多少たどたどしいが。
アクバルが涙をためた目でタクーマを見上げた。
「はい。」
と、アキが自分で返事をした。
ミアは思わず口を手で押さえる。
この子が? AJU☆ ?
そういえば‥‥。着ているドレスはあのシルエットそのもの。
でも‥‥。丸顔だし、鼻ぺちゃだし——。イラストとはまるでイメージが違う。(º ロ º)
タクーマがみるみる顔を赤くした。
「ぼ‥‥僕も‥‥ファンなんです! ま‥‥まさか! こんなことに巻き込んでしまうなんて‥‥!」
タクーマはアクバルとアキの前にぺたんと座って両手をついた。
「だ‥‥だいたい、タダノバは許可なく重要な人質を殺そうとしたんです! アクバルさんはそれを阻止しただけです! 僕っ‥‥僕がそう証言します! 僕は、アクバルさんにどこまでもついていきます!」
それだけを一気にまくしたてると、タクーマはまた顔を真っ赤にした。
すると‥‥‥。とミアは思った。
ここにいるのは、AJU☆本人とそのファンだけ——。
なんという幸運な空間——。
この先に命の危険さえなければ‥‥‥。
タクーマがむくりと起き上がってタダノバの死体の方に歩き出した。
その肩のところを両手でつかんで、ずるずると引きずり始める。
ああ‥‥。とアクバルはタクーマがやろうとしていることを理解した。死体を少しでも人質たちから離れた場所に持っていこうということだろう。
死体と血の臭いはキツイ。
アクバルたちは慣れているが、人質たちには耐えられない臭いだろう。
アクバルも立ち上がって、足の方を持つ。
タクーマがアクバルを見て、にこっとやや引きつった笑顔を見せた。
いちばん遠くまで持っていくのかと思ったら、タクーマは死体を崩れた入り口の方に引っぱってゆく。
「?」
タクーマはタダノバの上半身を瓦礫の上に投げ捨てるようにして手を放した。
そのあと、手近にあった大きめの瓦礫を両手で持ってふり上げると、鬼の形相になってそれをタダノバの頭に叩きつけた。
グシャッ! と音がしてタダノバの頭がつぶれる。
タクーマは肩で息をしていた。
こいつ‥‥。普段おとなしいくせに‥‥内心ではこれほどタダノバを憎んでいたのか?
アクバルは人の心の分からなさに、やや背筋が凍る思いを持った。
「アクバルさん、手伝ってください。」
タクーマは肩で息をしながらも瓦礫の山に登って、中でも大きなコンクリートの破片を持ち上げようとする。
ここにきて、ようやくアクバルもタクーマが何をしようとしているのかを理解した。
こいつは、俺を助けようとしている。
アクバルも瓦礫の山に登って、タクーマと一緒になってその瓦礫の端を持ち上げた。
瓦礫がゆらっと動く。
もう一押しすると、それはぐらりと反対側へ傾き、どん! とタダノバの頭の方に倒れた。
くしゃ。
という小さな音が聞こえた。
「これで‥‥、タダノバは攻撃に巻き込まれて死んだように見えます。」
「ああ。ありがとう、タクーマ。」
アクバルは礼を言いながら、あたりの細かい瓦礫や砂をすくい上げて死体の上にかけてゆく。血や汚物の臭いを少しでも消そうと思うのだ。
すぐにタクーマも手伝いはじめた。
こいつは‥‥普段あまりしゃべらないからそう思われてないが、頭いいんだな——。
その灰色の脳で常に沈思黙考して、なすべきことは何なのかをシミュレーションしているのかもしれない。
人質たちのもとに戻ると、アクバルは戦闘服の上着を脱いでそれ引き裂き、その切れ端で床をこすり始めた。
水もないから拭い去ることはできないが、少しでも見た目と臭いを改善させようというのだろうか。
アクバルは黙々とこすり続ける。
ガコン‥‥
というような音が、どこか遠くの方で聞こえた。
瓦礫を掘り起こしているのかもしれない。
しかし、その音ははるかに遠くから聞こえてくるような感じがした。
アクバルは黙々と床をこすり続ける。
祈るように。
まるで、自分のこれまでの罪を全て消し去ろうとでもするように。
時おり滴り落ちる涙が、拭き取るための水の代わり‥‥‥。
ただ床をこする音だけが聞こえる中で、アキが小さな声で歌を口ずさみはじめた。
初めそれはひどく場違いなように思えたが、すぐにその歌声はこの閉鎖された地下空間を満たし、どこからか新鮮な風が吹き込んでくるかのような錯覚を人々に与えた。
即興の歌詞のようだった。
メロディーもミアがこれまで聞いたことのないものだった。
暗闇の中で
光を失い
絶望の淵に立たされていたわたし
そこに現れたあなたは
小さな灯火のよう
あなたはヒーロー
あなたはわたしの希望
わたしだけのヒーロー
My hero
♪ ♪ ♪