13 アクバル
偽装した救急車がどこかに着いた。
想像がどんどん悪い方向に向かっていたミアの心臓がまた跳ね上がる。
「降りろ。」
最後部でドアの前に座っていた少年兵が、ドアのロックを外して外へと開いた。
どこかの地下駐車場のようだった。
* * *
少年が生まれたのは異国の地である。
本当の故郷は、ほんの70年前にできたS国というS民族の国家に武力で乗っ取られた。——と父親に子どもの頃から聞かされてきた。
先祖代々住んできた土地は、ある日突然銃を持って侵略してきた者たちによって奪い取られた。
村人は追い出され、抵抗した多くの住民が殺され、家々は焼き払われた。
S国の初代大統領は、その地は二千年前神からS民族に与えられたものだと国際社会に向かって宣言した。
S民族は長く国家を持っていなかった。
先の戦争中筆舌に尽くしがたい苦難を受けたS民族は、国家を持たないということがどういうことかを骨身に刻み込まれることになった。
彼らは「国家」を欲したが、土地がない。国際社会は同情的ではあったが、土地を割譲しようという国はどこにもなかった。
やがて彼らは煮え切らない国際社会に業をにやし、武力をもって神話の地に強引な国家建設を敢行したのだった。
いい迷惑なのは、そこに住んでいたクルチナ族だった。
少年の属するクルチナ族もまた、近代的な「国家」と言える組織を持っていなかった。
ささやかな日常の中に、ある日突然、軍事力が侵入してきたのだ。
それでも理不尽な暴力に彼らは抵抗したが、何の軍事組織も持たないクルチナ族にできることといえば石を投げるくらいのことでしかなかった。
世界中に散らばった同胞の中に富豪の多いS民族とその国家は、圧倒的な軍事力をもってそれを蹴散らしていった。
クルチナ族は難民になるしかなかった。
S国の支配地が拡がっていく中、少年の家族は隣国 L国の南部に避難した。
国家を持たない悲哀をS民族によって教えられた——と見ることもできるかもしれない。
難民の自治組織はやがて、武装抵抗組織を持つようになる。
武装抵抗組織はL国南部の治安を守る民兵組織という立場を得て、L国の支援を受けながら武器の近代化も図っていくことになった。
少年の祖父は抵抗運動の中で殺された。
父親は家族を守るため、抵抗運動からは距離を置いてS国内に出稼ぎに出向いていた。
かつて自分たちの故郷を奪ったS国人に頭を下げるのは、経済力をつけて、いつかあの地を取り戻すためだ——と父親は言っていた。
そんな父親が買ってきてくれたスマホで、世界中の人々が配信する動画を見るのは少年の数少ない楽しみの1つになった。
この時、少年=アクバル、12歳。
むろん、学校になど行けてはいない。
父親と、唯一学校に通わせてもらっている長兄から、文字や計算を教えてもらっていた。
「アクバルは頭がいいな。俺がなんとか稼ぐから、アクバルも学校に行って将来は稼げる仕事に就きなさい。」
父親はそんなふうに言ってくれた。
だがその3日後、S国の空爆で父親は帰らぬ人になった。
一家は稼ぎ手を失って、一気に貧乏になった。
長兄は学校を辞めて働きに出た。
金になる仕事は、S国にしかない。
父親を殺したS国人に頭を下げ、家族のための稼ぎを持って帰ってくる。
時々叫び声をあげて壁を拳で殴っている兄を、アクバルは見ていた。
そんなアクバルが武装抵抗組織『狼の牙』に惹かれていったのは、自然な流れだったと言えるだろう。
下働きをするうちに、少しばかりの給金をもらえるようにもなった。
母は心配したが、その雀の涙ほどの給金でも一家の家計の足しにはなった。
父親が死んでからの耐えられないほどの絶望と貧困から、一時的にでもアクバルの心を救ってくれたのはNETで見つけた日本という遠い国の歌姫の動画だった。
顔も姿も映らない。
ただ黒い影だけが踊りながら歌っている。
その歌声に、アクバルは魂まで持っていかれそうな感覚すら覚えた。
遠い遠い平和な国、日本。
そこにいる天使の声を持つ歌姫。電子の世界からだけ、アクバルに届く歌声。
その歌姫の名前は、「AJU☆」——。
15歳になったアクバルは、『狼の牙』の戦闘員として正式に認められていた。
支払われる給料も以前とは比べものにならず、一家の家計を支えるほどになっていた。
しかし、母親はことあるごとにアクバルに辞めるよう言い続けている。
「お前まで死んじまったら、母さんは耐えられない。貧乏でもいいから、危険なことはやめておくれ。」
「大丈夫だよ、母さん。このところL国とS国は和解の方向に進んでるんだ。ここ数ヶ月、戦闘らしい戦闘も起きてない。うまくいけば、あの北側の土地だけでも僕たちは故郷に帰れるかもしれない。」
だが、そんなアクバルの観測は、何も知らない下っ端の希望的観測だった。
影響力の減衰を恐れた武装組織『狼の牙』の上層部は、この和平の流れを壊そうと画策していたのだ。
しかもそこに遥かに北の大国の思惑が絡んでいるなど、アクバルには知る由もないことだった。
音楽フェス襲撃の作戦を知らされた時、アクバルは絶望のどん底に叩き込まれる思いがした。
そこには‥‥!
あの人がいる。
はるばる日本からやってきた憧れの歌姫が‥‥!
アクバルは、腑が全部抜け落ちるような感覚を覚えた。
行けるものなら行きたい——と思っていた音楽フェス。(そんなお金なんか、もちろんないが)
それを襲撃することになる?
自分が‥‥?
慣れはしないが、これまでも戦いの中で人は殺してきた。
しかし‥‥。
これはまるで質が違う。
「やめてください!」などと言える立場ではない。
AJU☆のことを言ったりしたら、彼らはむしろこれ見よがしに殺害するかもしれない。『狼の牙』の中には、ただ残酷を楽しむためだけにそこにいるような戦闘員もいる。
長い鬱屈と戦闘の歴史は、そんな人間の怪物を生み育てていた。
大会本部に逃げるよう通報したりしたら‥‥。自分は間違いなく裏切り者として処刑されるだろう。
いや、自分だけでなく、見せしめに家族まで殺されるかもしれない。
どうすれば‥‥‥?