12 電子空間の戦い
ソーニャは再び、電子世界でイオに会った。
その目に理知の光が戻っていることに、少し安心する。
「イオ!」
「ごめんなさい。ソーニャが戦ってるのに、のんびり泣いてたりして。」
「そんなことないよ。それはイオがまともだからよ。でも今は‥‥」
と、ソーニャはイオをS国のレーダー網の世界へと連れていく。
「守らなきゃいけない人たちがいる。」
この少女には軍事機密の壁も国家の壁も、ほぼ無いようだった。
S国の5機のステルス戦闘機はL国の対空砲火の届かない高空を飛んで、L国の国境を越えようとしていた。
そもそも、L国のレーダーシステムではS国の最新型ステルス戦闘機はちゃんと捉えられない。
2国間には圧倒的な軍事技術の差がある。
ソーニャはS国空軍の命令書までコピーして盗ってきていた。
『狼の牙』の拠点があると疑われる病院や学校や集合住宅‥‥。それら数箇所の建物を空爆する計画だった。
軍事力で圧倒的に劣る『狼の牙』側は、国際法を盾にしてS国と戦うハラだ。
一方のS国イーダ政権は、そんな土俵に乗るつもりはない。
あっさりした命令書は、民間人の巻き添えなど顧慮することさえなく『狼の牙』の力を削いでしまおうというイーダ首相の意思が感じられるようだった。
こういう挙に出られれば、対空戦力で劣るL国側はほとんど対応できないだろう。
「自分の娘がそこにいるかもしれないのに?」
「イーダ首相としてはやりたくないだろうけど、取り巻きがそれを許さないんだと思う。」
こうした世界を長く見てきているソーニャは、少し憂い顔でそう言った。
「それより問題は戦闘機だ。戦闘機から発射される空対地ミサイルは放たれたら最後、ロックオンした標的に向かって飛んでいくだけだ。コントロールできない。」
ソーニャには焦りが見える。
「しかも戦闘機はドローンなどと違って地上から電波で操縦されてるんじゃなく、人間のパイロットが操縦しているんだ。わたしじゃシステムをハッキングしてる間に発射されてしまう。」
「大丈夫です。戦闘機はミサイルほど電子通信網から孤立はしていません。」
イオはすでに細い触手をどこかに伸ばし始めている。
「前にもやったことありますから。」
「え? 前にやった? え??」
戦闘機は必ず自国の司令部との間に暗号化された通信回線を持っている。
そこからシステムに侵入してしまえば、ミサイルをロックすることも操縦不能にすることも可能だ。無害化できる。
軍事機密の暗号を破ることは容易ではないが、マシン語の数列を読んでいるイオのAI はそれをわずか1分ほどでやってのけてしまった。
イオの身体は夕暮れの街にある。
そこに突っ立ったまま、中空を睨んでいるだけだ。その隣ではウイルがノートパソコンを開き、イオの状態をモニターしている。
ソーニャの身体は『JB』の拠点にあって、パソコンの前で背中を丸めているだけだ。
一見すると誰も戦っているようには見えないが、彼らの主戦場は電子世界なのである。
イオが戦闘機のシステム構成をソーニャにも見えるようにしてくれた。
「ははは‥‥。イオが世界中の情報機関から狙われたわけだわ‥‥。」
イオはここで面白いことを思いついた。
そうだ。
戦闘機のシステムを1機1機ロックするより、いっそのこと偽の命令を出してしまえばいいじゃないか。
『攻撃中止。引き返せ。』
戦闘機の通信システムに侵入したイオは、本部から来てもいない命令を全戦闘機が受けたように偽装した。
「ここまで来て中止だと?」
「どういうことですか? 隊長。」
隊長のシーナンも不審を持った。
「本部。こちら『夜の嵐』。本当にここまで来て中止するのか?」
『情勢が変わった。攻撃は中止して帰投せよ。』
電子世界では、イオの傍らでソーニャが吹き出しそうな顔をしている。
「こんなこと、できちゃうんだ。イオってば!」
戦闘機が方向転換した。
ただし4機のみ。
「おい。何をしている、フリードリヒ?」
「俺は納得いかねぇ。目の前に『狼の牙』の幹部がいるんだ。ここで引き返したら、命懸けでその情報を送ってきた地上の諜報員に顔向けが出来ねぇ!」
あっ! とイオは慌ててミサイルシステムにロックをかけたが、間に合わなかった。
イオがシステムをロックした時にはすでに2発が発射されてしまっていた。
止められない!
解き放たれてしまった「殺意」は——。
現代戦の詳細はわからないのですが、実際には空対地ミサイルは全くコントロール不可なのではなく、地上にいる工作員がレーザーなどで標的を指し示すわずかな赤外線を感知してミサイルが自律的に軌道を修正したり、あらかじめの座標入力などで精密爆撃を行うようです。
このケースの場合は、地上に工作員がいるのかもしれませんね。