第6話 「少女A」
少女は目覚めた。
いつものように無の時間を数秒ほど過ごし、じわじわと意識が明瞭になってくるのを心地よく感じた。
そしてやけに朦朧とした頭で、自分が今まで何をしていたのか思い出そうとしたが、何も浮かんではこなかった。
体を起こそうとしても、上手く起き上がらなかった。
不思議に思いもう一度試してもだめだった。
体が重い。
周囲の様子を確認しようとしたが、そもそも首が動かず、視覚的な情報は何も得られなかった。
ただ、体の前面が少しヒンヤリするのを感じた。
仰向けになっているらしい。
⋯⋯なんだろう?
ぼんやりとした疑問が浮かんだ。
また、体全体がジンジンと痛む。
少女は、やっと思考を巡らせ始めた。
ここは⋯
私は⋯
どのくらい眠っていたのか、少女自身も分かっていない。
しかし、この体の重さから、相当な時間が経過していることが分かる。
1時間か、2時間か、具体的には分からないが、一生で味わったことないほどの重さだと思った。
そうしてボンヤリしていると、急に不安と恐怖が体を支配した。
ガタガタガタガタ
同時に強い混乱も生じた。
少女の頭の中は、思考も、感情も、まるで濁流のように激しく絡み合っていた。
ここは⋯?
どこ⋯?
なにが⋯
未だ体は動かない。
こんなときの対処法なんて知るはずもなかった。
だからその聡明な頭は、とにかく心を落ち着かすことに専念し始めた。
⋯⋯
それからしばらく時間がたった。
どれくらいかは分からない。
時間を確認しようにも視界は閉ざされている。
もしかしたら寝ていたのかもしれない。
自分が起きていたのかどうかすら分からなかった。
ただ、以前に比べると心は落ち着いている。
当然平常な状態ではないが、それでも改善はした。
少しの混乱と、少しの不安感だけが残った。
少女は再び体を動かそうと頑張った。
まずは両手を持ち上げて⋯
しかし、上手く指令が届かない。
ピクリともしない。
そして聡明な少女は思いついた。
まずは指先から動かそう。
「どんなことでも、はじめは小さな一步から始めるんだぞ」というのは父の言葉だった。
即座に実践する。
指の先、第一関節の先に全力で力を入れた、
ピクッ
少女の指の先は、なんとか持ち上がった。
それはあまりに小さな動きであり、あまりに小さな一步ではあったが、強い光明を少女に与えた。
それから指全体、手、腕、頭、体と、細かく細かく動かしていき、上体を起こすことに成功した。
そしてぐるっと上半身を回し、ついには座ることもできた。
少女は「これが二足歩行を始めた赤ちゃんの気持ちなのだろうか?」と素晴らしい発見を得ると同時に、大きな喜びを感じた。
しかし問題はこれからだ。
まず足を動かし、立ち上がるのはいい。
だがそこからどうする?
世界は真っ暗闇。
一瞬光が見えたが、それは自分の頭の中の話だ。
考えたところで何も結論は出ない、と合理的に判断した少女は、なんとか立ち上がり、とりあえず壁を探すことにした。
ゆっくりと片足を踏み出す。
1歩、2歩、3歩⋯
定期的に深呼吸すると、心の平静を保つことができた。
そして、ちょうど6歩目を踏み出したとき、フッと体が浮くのを感じた。
ガン!!
鈍い音が響き、硬いものが少女の肩にぶつかった。
一瞬何が起こったのか分からなかったが、瞬時に自分が落下したのだと理解した。
激しい痛みに強く悶えた。
ただ、そこまでの高さはなかったらしく、なんとか少女は起き上がった。
それに、こんなところで諦めるわけにはいかない、と強く思った。
それからまた数歩歩き、少女の手が壁を捉えた。
その壁を常に手で触りつつ、横に横にと移動した。
どうやら湾曲しているらしく、この部屋は円形なのだと推測できた。
また数歩移動すると、壁が途切れている地点にたどり着いた。
出口だ。
少女は念の為、時間をかけてもう1周し、この部屋にはその出口しか存在しないことを突き止めた。
一瞬足が躊躇したのを押し殺し、その出口に向かって強く前進した。
壁を伝いつつまた少し進むと、足が階段を捉えたのに気づいた。
少女はゆっくりと足を下ろし、1段1段踏みしめた。
その階段は異様に長かった。
先程の部屋と同じように壁が湾曲していたのを考えると、どうやら螺旋階段のようだった。
恐らく何時間も経過した。
少女の足取りが牛のように遅かったのを考えても、それでも長い階段だった。
ぐーとお腹が鳴った。
ようやっと段のないところまでたどり着き、少し進むと、前より明るくなっていることに気づいた。
もの凄い明るいわけではないが、何があるのかはなんとなく分かるくらいだ。
どうやらそこは長い廊下になっており、ところどころに火が点いている。
なんだこれはと不思議に思ったが、人がいる可能性に気づいた。
そうして一瞬嬉しくなったが、その人物は恐らく悪人だろうと思い至った。
なぜなら自分を誘拐した犯人に違いないからだ。
そしてまた足がすくむのを押し殺し、強く、強く、無理矢理にでも強く、1步を踏み出した。
そのとき、
「ーーー・ーーー・ーーーー!!!」
ドタドタという足音と、何やら理由のわからない大声が聞こえ、数人の男が迫ってくるのが見えた。
だが、再び強い混乱に支配された少女の体は、石のように固まったまま動かなかった。
必死に動けと叫んだが、体は決してついてこなかった。
何度も何度も叫んだが、決してついてこなかった。
涙すら、流れなかった。
⋯⋯
微かな混乱とともに目が覚めた。
体は重くないし、痛くなかった。
むしろ良好なくらいだった。
再び指先から動かしてみると、いつも通りの動きを見せた。
そして、体が上下に揺れていることに気づいた。
なんだか硬い感触が背中と股の間にある。
不思議に思い目を開くと、素晴らしく晴れた青空が目に入った。
同時にガツンと目が痛むのを感じた。
しばらく強い光を目にしてなかったからだ。
さらに自分は宙に浮いているのではないかと錯覚した。
いや、何かに乗っている。
どうやら移動しているらしい。
それは茶色い姿をしていた。
そう思い、少女はその物体の頭から背中まで見渡すと、
「ギョアアアアアアアアアアア」
と雄叫びを上げた。
と当時に、なんとかこの状況から脱しようと後ろを振り向いた。
だがさらなる驚きが少女を襲った。
しかし、それは声には出なかった。
声に出ぬほど、圧倒的な驚嘆を少女に与えた。
その瞬間の光景を、私は決して忘れない。
それは山のように巨大な大岩と、
天を貫くほどの、白銀の城の姿だった。