第4話
レイドとアリスと一緒に本を読んだあと、ヨーゼルは名残惜しそうに手を振る2人の顔を思い出しながら家へと戻った。
ヨーゼルとマリーの家は孤児院と同じく街の外に建てられている。ヨーゼルの家には居住スペースに隣接する形で武術道場が建てられており、2人はそこで門下生たちに武術を教えながら日々を過ごしている。
「まだやってますかね」
本当はもっと早く戻ってきて稽古に参加しようと思っていたが、ミシェルの紅茶を楽しみ子供たちと遊んだことで帰りが遅くなってしまった。
そろそろ晩御飯を作る時間帯だが、稽古はまだやっているだろうかとヨーゼルが道場の扉を開けた瞬間。
誰かが勢いよく扉から飛び出して、地面の上をゴロゴロと転がっていった。
「いってぇ……っ」
体についた土を払いながら痛がっていたので、ヨーゼルは近付いて手を差し出す。
「アルバート、大丈夫ですか?」
男───アルバートは驚いたような様子でヨーゼルの顔を見た。
「ありゃ、師範代じゃないですか。いま帰って来たんですかい?」
「ええ、予定より遅くなってしまいましたが。それよりも、すごい勢いで外に放り出されていましたけど大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。受け身ぐらいちゃーんと取れますから」
アルバートはヨーゼルの手を借りることなく立ち上がった。服についた埃を落としたアルバートは道場へと視線に向けた。
「また先生にやられたのですか?」
「ええ、また勝負を挑んで吹っ飛ばされました。相変わらず化物じみた強さですよ、ほんと。一度ぐらい勝ちたいもんです」
「ですね」
ヨーゼルとアルバートは笑い合う。アルバートはマリー道場の門下生の1人である。アルバートが初めてやって来たのは4年前。そのとき、アルバートは弟子になるためではなく道場破りとしてここへ来た。
道場の看板をかけてアルバートとマリーが戦った結果、先ほどのようにアルバートが道場の外へと飛ばされてマリーの圧勝に終わった。
負けた次の日からアルバートは、マリーの弟子になりヨーゼルの弟弟子になった。
「アルバート、大丈夫か!?」
「いつもだったらすぐに戻って来るのに……まさか死んでないでしょうね?」
「もしそうだったらどうしましょう……」
道場の中からどたどたと足音が聞こえてくる。ヨーゼルがそちらへ目を向けると、数人の男女が焦った様子で扉から顔を出した。
「アルバート。生きて、…るじゃねえか。お、師範代おかえり」
「あぁ、心配して損した。あら、いま帰ってきたのね」
「アルバートさん生きててよかったです……あ、ヨーゼルさんおかえりなさい!」
「お前ら……少しは俺の無事を喜びやがれ」
アルバートの無事を確認した数人の男女───上からニック、シーシャ、リルティという名の門下生たちは途端にアルバートに興味を失いヨーゼルを取り囲んだ。
「師範代、いま試合稽古やってたんすよ。師範代もどうっすか?」
「あ、先に誘うなんてずるいわよ。私とも一戦お願いできるかしら」
「できるなら俺も参加したいのですが、そろそろ晩御飯の準備をする時間でして……また明日にでもやりましょう」
「残念です……」
ヨーゼルの幼馴染にして門下生の1人であるリルティが残念そうに言った。開きっぱなしになっていた扉からマリーが顔を出す。
「アルバートの様子を確認してくるだけなのに戻って来るのが遅いと思ったらヨーゼルが帰って来てたのか。よく戻ったな、ヨーゼル」
「ただいま戻りました。稽古はまだやってますか?」
「いや、もう終わりにしようと思っていたところだ」
「やっぱりもう終わりの時間ですよね。それなら今から晩御飯の準備にしようと思います」
ヨーゼルがそう言うとマリーは「よろしく頼む」と答えて道場の中に戻っていく。これから稽古終わりの片づけをするのだろう。
その間に晩御飯を作ろうとヨーゼルが玄関の扉を開けると、足の踏み場もないほどの大量の食材たちを見つけてしまう。ヨーゼルにはこれほどの食材を買った記憶はない。
ヨーゼルは振り返って道場の中に戻ろうとしていたアルバートたちに声をかける。
「うちに大量の食材があるんですけど、何か知ってますか?」
その質問に答えたのは肉感的な体を持つ女の門下生───シーシャだった。
「あぁ、それ? 前に森で子供が迷子になったのを私たち全員で探し回ったことあったでしょ。あの時の子のご両親がお礼にってくれたのよ」
「なるほど、それにしても多いですね」
「そうっすね。なんで、あとで全員で手分けして持って帰ろうって話になりました」
全員で分けても多いっすよねー、という門下生の1人であるニックの言葉にヨーゼルも頷いた。
「かといって腐らせるのもどうかと思いますし……せっかくですから、いまからこの大量の食材を使って全員分の晩御飯を作りましょうかね」
「お、マジですか!?」
「はい、みなさんがよろしければですけど」
「反対する人なんていないわよ」
「みんなで晩御飯食べるなんていつぶりでしょう。すごい楽しみです!!!」
「それじゃあ私は料理が得意な連中を何人か連れてくるわ。師範代1人に全部作らせるわけにはいかないものね。アルバート、あなたも手伝いなさい」
「わーってるよ。それよりもお前ら盛り上がる前に師範に許可取らねえとダメだろうが」
ヨーゼルが思いつきで口にしたことをを発端に話が広がり、そのあとマリーの門下生たち全員によるよる宴会が始まった。門下生たちは全員が賑やかな雰囲気が好きなために自然と宴会は賑やかなものになっていった。
すさまじい盛り上がりようだったのが、全員が満足に飲める分の酒はなかったので全員が酒を1、2杯づつしか飲めなかった。もっとお酒があったらどうなっていたのだろう、と思いながら騒がしい門下生たちの中に混ざってヨーゼルも宴会を楽しんだ。
宴会を終えたあと、ヨーゼルとマリーは片付けを門下生たちに手伝わせた。片付けが終わり門下生たちを街へと返したあと2人は交代で風呂に入る。
先にマリーに風呂に入ってもらっている間、ヨーゼルは日課である日記を書いていた。
朝の稽古でマリーに負けてしまったこと。
孤児院の屋根を修理したこと。
ミシェルが淹れてくれた紅茶が美味しかったこと。
レイドとアリスに本を読み聞かせたこと。
門下生たちと宴会をしたこと。
もう一度記憶を無くした時のため、という理由で始めた日記だったが毎日書くことが尽きなかったのでヨーゼルはこの10年間日記を欠かしたことはない。
「風呂空いたぞ」
後ろから声が聞こえて振り返った。
そこには髪を濡らしたマリーが肩にタオルをかけ、酒瓶を持った姿で立っていた。マリーは持っている酒瓶をヨーゼルに見せるように自身の顔の前で振ってチャプチャプと音を鳴らす。
「この家にあるお酒は全部無くなったと思っていました」
「私もそう思っていたがまだあったようだ。どうせだから綺麗に無くしてしまおうと思ってな。早く風呂に入ってこい。風呂から出たら私と一杯付き合ってくれ」
「先ほどの宴会で飲んだでしょう?」
「たしかに飲んだが私はお前と2人で飲みたいんだ」
「分かりました。ただ、日記があと少しで書き終わるので待ってください。そのあとお風呂にいきます」
マリーは「あぁ」と返事をしてヨーゼルの日記を覗き込んだ。マリーはよく日記を見てくるので、ヨーゼルは特に何も言わずに日記を書き進めていく。
「なるほど」
「どうかしました?」
「いやなに、屋根を修理するだけなのに帰って来るのがえらく遅いなと思っていたんだ。ミシェルに紅茶をすすめられていたところまでは予想していたが、子供たちに本を読んでやっていたのか」
「えぇ、俺も久しぶりに読む本だったので楽しかったです。白銀の叙事詩っていう本なんですけど先生知ってます?」
「もちろん。私が子供のころからある本だしな」
「へぇ、あの本ってそんなに前からあるんですね」
「今ではもう売ってないからな、貴重だぞ」
マリーとそのように会話をしながらもヨーゼル日記を書いていく。
ようやく書き終わったころ、壁に取り付けられた通信機がなった。
この時間にかかってくるということは緊急性が高い要件かもしれない。前にこの時間にかかって来た時は森で子供が迷子になったが見ていないかという連絡だった。
通信機を取るために立ち上がろうとしたヨーゼルをマリーが手で制した。マリーが受話器を取る。
「はい、マリー・ドレアです」
普段よりも高い声で話すマリーにヨーゼルは思わず笑ってしまう。
昔から不思議なのだが女の人はどうして電話越しだといつもより高い声で話すのだろうか。そんなことをヨーゼルが考えていると、マリーが電話相手に礼を言って受話器を置いた。
話しているマリーの表情が真剣なものだったので、どんな内容だったのか気になった。
「どこから来た電話でした?」
「街の役所からだ。熊の足跡が私たちの家の近くで見つかったから気を付けてくれということらしい」
街の外にある2人の家や孤児院にはたまに役所からこのような連絡が入ることがある。だから、内容自体に不自然なことは何もなかったのだがヨーゼルは何故か気になった。
「足跡……どこで見つかったんですか?」
「川のそばにある……あそこだ。子供たちが度胸試しに使うあの岩のあたりで見つかったらしい」
「飛び込み岩ですか?」
「そう、飛び込み岩だ。パッと名前が出てこなかった、歳かな」
「歳って、まだ34でしょう?」
飛び込み岩とは孤児院の子供たちや街の子供たちがよく遊ぶ川に面した位置にある大きな岩のことだ。
その岩の上から川に飛び込めるのでその名がついており、結構な高さであるので子供たちの度胸試しに使われていた。
最初みんな嫌がるのだが慣れれば楽しいので暑い時期はいつも人が集まる場所だった。ヨーゼルもレルヒェに岩の上から川に突き落とされてからはハマったものだ。
懐かしい気分に浸りながらヨーゼルはあることを思い出した。
「あの岩って、孤児院の近くにありましたよね」
「そういえばそうだったな……心配か?」
「えぇ、まあ」
「そんなに心配なら連絡してみるといい」
「……そうですね。お風呂へ行く前に孤児院に連絡して子供たちの様子を聞いてみます」
そう言ってヨーゼルが立ち上がった瞬間。
紫色の炎が家の壁を突き破って二人を襲った。