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第31話

 冬の季節、吹雪のせいでろくに前が見えないボレア山脈で少年が1人で歩いていることにマリーは気が付いた。


 なぜこんなところに子供1人が歩いている。


 そう疑問に思ったマリーは少し遠い場所にいるその子の元へと急いで向かった。


 深い雪に足が取られて思うように前に進めない。マリーがもたついているあいだに少年はどんどん離れていく。



「───待つんだ少年!!!」



 少年はそのまま吹雪の中へと消えていきそうだったから、マリーは叫んだ。そうすると、少年はマリーへ振り返り足を止めた。


 少年に近付いた時にマリーは驚いた。少年は雪山にいる人間とは思えないほどに軽装だったのだ。服はボロボロでよく見たら靴も履いていない。そして、そんな服装でこんな雪山の中をこの少年は背中にさらに小さい子供を背負って歩いていたのだ。


 何故こんなところに、という質問よりも先にマリーは少年の手を取って走り出した。2人をこのままにしておけば死にかねない。近くに吹雪が入ってこない洞穴があるのを思い出して、マリーは急いでそこに向かう。


 幸いにもすぐに洞窟を見つけることができた。少年を中に入れて初めてマリーは二人の姿をしっかりと視認する。


 少年は綺麗な銀色の髪を、背負われた子供は新雪のように綺麗な白色の髪色をしていた。2人とも顔立ちは驚くほど整っている上によく似ている。


 マリーが少年を床に座らせると少年は背負っていた子供を自分の腕の中にしっかりと抱いて座った。


 マリーは少年の肩を叩きしっかりと目を合わせた。



「少年、意識はあるか? 話すことはできるか?」


「……はい、話せます。意識も、あります」


「よし、しっかりと受け答えするぐらいには意識ははっきりとあるようだな」



 改めて2人の服装を見る。とてもじゃないが、雪山の中を移動できる服装ではない。こんな服装で雪山にいれば次第に体温は下がっていき、意識が保てなくなって最終的には死に至る。


 それ以外にも手足が凍傷にかかっている可能性だってある。すぐにでも少年の体を見たかったが、それよりも先に確認するべきことがあった。



「君が抱えている子供は、弟か?」



 顔が似ていたのでもしやと思い聞くと少年は頷いた。



「その子をほんの少しのあいだ私に預けて欲しい。容態がどうなのか確認したいんだ」


「はい、分かりました」



 少年は抱いていた子供を私にゆっくりと渡す。子供は意識が無いらしく肩を叩いても目を覚ますことは無かった。雪山で寝ると死んでしまう、という話は有名だ。


 だから私は急いで呼吸と脈を確認した。幸いにも子供は呼吸も脈も正常で体温もしっかりとあったが、逆にそれが異常だった。


 この二人がいるのは、険しい極寒の山脈だ。しかも、彼らの服装はボロボロの服に裸足。正常な人間の体ならまず異常をきたしているはずだ。



「しかも、これは……」



 だというのに、白い髪の子供の体は正常なばかりか霜焼けになっている箇所すらなかった。子供にかかった雪を払いながらその手足に触れても、子供特有の柔らかく暖かい感触があるだけ。



「……少年、足を触ってもいいか?」


「大丈夫です」



 私は許可をもらい今度は少年の体を見た。しかし、やはり少年の手足もまったくの健康体。この場においては異常なほどきれいな体をしていた。



「君たち2人の体を軽く見たが異常はなさそうだ」



 そう言いながら私は少年に弟を返す。少年は「ありがとうございます」と口にした。その唇も赤く彼が健康体であることが伺える。


 正直に言えば、この二人のことが怪しく見えて仕方がなかった。この雪山でまったく異常のない体に加えてこんな場所にたった二人でいる不気味さ。2人の容姿がいいこともあって、東方人に伝わっている妖怪の雪女を彷彿とさせる。

 


「少年、ここで会ったのも何かの縁だ。君と弟くんの名前を教えてもらえないか?」



 だが、それはそれとして。子供2人を放っておくわけにもいかない。幸運なことに2人の体には異常が無く、少年に至っては会話ができるぐらいはっきりと意識がある。万が一のことを考えて吹雪が晴れたあとにふもとの街の病院に連れて行こう、と考えながら少年に2人のことを聞くことにした。



「僕の名前はバレン、弟の名前はヨーゼルです」


「バレンにヨーゼルか。私の名前は……マリーだ。よろしく」



 バレンは「よろしくお願いします」とペコリを頭を下げた。バレンの中で眠るヨーゼルはまだ起きない。



「バレン、いきなりで悪いがどうしてこんなところにいたんだ? そんなボロボロの服に裸足でボレア山脈にいるなんて普通じゃないだろう」


「……僕たちは共和国へ行くためにボレア山脈にいました。こんな服を着ているのは、こんな服しかなかったからです」


「こんな服しかない……? いや、それよりも共和国へ行くためとはどういうことだ?」


「僕たちはここよりも北のライヤ連盟で生まれ育ちました。だけど、いまライヤ連盟はひどい状況なので共和国へ亡命するためにこのボレア山脈を越えようとしていたんです」


「ボレア山脈を越えるだと……? 君と弟の2人でか!?」



 バレンが頷いたのを見て、私は頭を抱えた。この時期のボレア山脈を子供2人で抜けようとするなど自殺行為だ。だが、それでも彼はここ───国境を越えて共和国の領土へとやって来れている。すべてはあの異常なまでに寒さに強い体のおかげなのだろう。


 彼らがここまでやって来れた理由に納得したが、ライヤ連盟がひどい状況になっているというバレンの言葉に私は首を傾げた。


 あまり新聞を見る方ではないが、共和国でそんなニュースを聞いたことがない。1年以上も共和国にいなかったから知らないだけなのかも、と私は納得することにした。



「それで、君たちは共和国に来てどうする気だ。行く宛てはないのだろう?」



 2人の両親について気になりはしたが敢えて聞かないことにした。ここに2人でいること自体が答えだからだ。



「行く宛てはありません。ですが……マリーさん?」


「どうした?」


「弟を少し抱いていてもらえませんか? ずっとここまで背負ってきたからか腕が疲れてしまって……」



 バレンはライヤ連盟から峠を越えてここまで子供とはいえ人間一人を背負ってここまで来たのだ。いくら寒さに強くても疲れて当然だろう。


 私が了承するとバレンは再び私にヨーゼルを手渡す。ヨーゼルはその小さな体に見合った重さで片手で持てそうなぐらい軽かった。


 私は背負っていたバッグを下ろして、ヨーゼルを抱いてバレンの横に座る。いくら寒さに強いと言っても体を寄せ合っていた方がこの子たちも温まるだろう。



「かわいいな」



 私の腕の中でぐっすり眠るヨーゼルを見てつい心の声が漏れる。柔らかそうな肌だったので、指でつつくと餅のような弾力感があった。何回かつつくとくすぐったそうにヨーゼルが身をよじる。そのヨーゼルの様子を見たバレンがフッと笑った。


 ずっと冷たい表情していたバレンは、笑うと年相応の幼さが見える。その顔が、気持ちよさそうに眠るヨーゼルとそっくりだった。



「バレン、君は笑うとヨーゼルと顔がそっくりになるんだな」


「そうなのですか? たしかに俺もヨーゼルもどちらかと言えば母親似ですからよく似ているかもしれません」


「ほほう、母親似か。とても美人な人なのだな、君たちの顔を見て想像ができる」



 それにしても、このヨーゼルという子は不思議な子だ。肌は雪のように白く綺麗で、髪の色はそれに輪をかけて美しい白色だった。外から差し込む僅かな光に反射して、ヨーゼルの髪色は白銀色に輝いていた。


 そう、まるで……



「エーデみたいだ」


「白銀の叙事詩の……ですか?」


「お、よく知ってるな。まあ、君たちの祖先をモチーフにした話らしいから当然か」


「はい、読んでいると僕やヨーゼルが主人公になったような気がしてとても好きでした。共和国でも、白銀の叙事詩は有名なのですか?」



 バレンはヨーゼルのことになると口数が多くなるらしい。弟思いのやつなんだな、と微笑ましい気持ちになる。



「どうだろう。私が育った孤児院に置いてあったが……もしかしたらあまり有名じゃないかもしれん」


「孤児院、ですか?」


「なんだ、興味あるのか……って。興味を持って当然か」



 バレンは頷いた。

 

 この2人はこれから身寄りのない共和国で生きていくのだ。身寄りのない子供が生きていけるほどこの世界は未だ優しくはない。


 どこかの孤児院に頼るというのは、この子たちが生きていく上でかなり現実的な方法だろう。



「マリーさんが暮らしていた孤児院というのは、どんなところですか?」


「いいところだったよ。もう何年も顔を見せていないが、きっと今でも口うるさいジジイと怒ったら怖いのが、私の知らない子供たちと一緒に毎日賑やかに過ごしているだろうさ」



 懐かしいな、とバレンに孤児院のことを話しながら思う。最後にゴードンとミシェルの顔を見たのは5年以上前、最後に手紙を送ったのは2年も前だ。


 しかし、腹が痛むせいで未だに帰る気にはならなかった。



「ヨーゼルを、そこへ連れて行っていただくことはできませんか?」



 ふと、バレンはそんなことを呟いた。外の吹雪が急に強くなる。



「お前の弟を、私が育った孤児院へ?」


「そうです」


「……お前はどうするんだ?」


「俺はヨーゼルと一緒にいることはできません。俺にはやるべきことがあります」


「妙なことを言い出すじゃないか。ライヤ連盟からはるばる山を越えてこの国に来たと言うのに、弟を置いて行ってまでやるべきことがあるのか?」


「はい、命を賭してでもやらなけれならないことが。それに弟を巻き込むわけにはいきません」



 そう言って、バレンは立ち上がった。洞穴の入口に見える吹雪をバックにしてこちらを見下ろすバレンは、神話をモチーフにした絵画のように美しく奇妙な雰囲気を纏っていた。


 バレンが、ぐっすりと眠るヨーゼルを指さす。



「ヨーゼルは賢いやつです。信用のできない人の腕の中でそのように眠ることはありません。マリーさん、だから俺はあなたに弟を託したい。あなたならきっとヨーゼルを大切にしてくれるでしょう。それに───」



 どんなにひどい吹雪であろうと太陽の光を遮ることはできない。洞穴の中をわずかに照らす光が逆光となってバレンの表情を影で隠した。バレンの二つの瞳だけが、影のなかで爛爛(らんらん)と輝いていた。


 一瞬、目の前にいるのがバレンではない得体の知れない何かのような気がした。



「あなたにも、ヨーゼルが必要なのでしょう。あなたは何かに(すが)らなければ生きていけないのだから」


「おい、バレン!?」



 バレンは私に背を向けて、そのまま外へ向かって歩き出す。私は追いかけるためにヨーゼルを地面に寝かせて立ち上がろうとした。


 しかし、そんな時ヨーゼルが私にしがみついてきたのだ。ギュウッと力いっぱいしがみついてくるが、所詮は子供。振りほどくことぐらい簡単にできただろう。


 だが、私にはそんな簡単なことができなかった。



 置いていかないで



 そう主張する行動に私は戸惑いを覚えるとともに心のどこかで喜びを感じていた。頼られたことが嬉しかった。



「やはり、あなたにはヨーゼルが必要なようだ」



 ハッとなって入口の方を見た。外に出る直前で振り返ったバレンと目が合う。白い雪と風にたなびく彼の銀髪が混ざり合って、空気に溶けていくように見えた。


 本当に綺麗な光景だった。



「マリーさん、ヨーゼルをお願いします」



 その言葉の直後、洞穴内に強い吹雪が入り込んできて私は目を閉じた。ヨーゼルを守るように身をかがめて体に密着させる。こんな雪山のなかだというのに、ヨーゼルの体は温かかった。


 吹雪が止んで私は顔を上げる。既にバレンはいなくなっていた。わずかに入り込んだ雪だけが洞窟内に残っていた。


 外は未だに猛吹雪だ。こんな中をバレンは出て行ったのだろうか。もし、そうなのだとしたら私は妖怪や幽霊の類に出会ったのかもしれない。そう感じるほど不思議なやつだった。


 だが、私の腕の中にいる温かい小さな命がバレンが実在していたことを告げている。


 外の吹雪は先ほどよりもひどくいまバレンを追いかければ、私はこの雪山で遭難してしまうだろう。ヨーゼルは、本当に置いてかれてしまったのだ。


 ヨーゼルは未だに私にしがみついている。兄に置いて行かれてしまったこの子には、私に頼らざるを得ないのだ。


 気の毒な話だ、と思うと同時。やはり私の心には喜びがあった。


 この子には私しかいないのだ。


 そんな気持ちが私の胸を満たしたのだ。


★★★



 賑やかな送別会から2日後、ヨーゼルとエルザは見送りに来たマリーとともにトリステンの駅で始発の列車を待っていた。他の者たちはいない。宴会が続いてろくに時間が取れなかった3人に気を利かせたのだ。


 ヨーゼルが物思いにはせるような目で駅のホームをぐるっと眺める。



「懐かしいですね。もう10年前ですか、先生と一緒にこの街に来たのは」


「……そうだな。月並みな言葉だが、あっというまだったよ。あんなに小さかった子供が……婚約者ができる年齢になったのだからな」



 ジロリ、と。マリーの視線はヨーゼルとエルザに向けられる。


 実は送別会直後にヨーゼルとエルザは婚約していることをマリーに伝えていた。全くの初耳だったマリーは驚いたものの、その関係に納得もできた。


 ただ一つ、マリーにとってヨーゼルだけではなくエルザも子供同然なのに長い間婚約関係を隠していたことがマリーには不服だったのだ。


 マリーの視線にエルザは申し訳なさそうな顔をする。



「私が街を出たときはまだ正式に婚約してなったんです……」


「あぁ、分かってる。ヨーゼルより強くなったら婚約者になるつもりだったんだろう? もう聞いたから別に気にしてない。からかって悪かったな」



 ハハハ、と笑うマリーの背中をエルザがペシぺシと不服そうに叩く。



「すまんすまん。代わりと言っては何だがこれをやろう」



 そう言って、エルザは手に持っていた紙袋の中から2つの冊子を取り出した。その冊子はそこそこ熱く、濃く明るい赤色をしていた。


 受け取ったヨーゼルが中を確認する。



「先生、これは?」


「手帳だ。大事に使え、私の手作りだ」


「え、いいんですか! やったーーー!!!」



 喜ぶエルザを横目にヨーゼルは日記とマリーを見比べる。冊子の赤色とマリーの燃えるような赤い髪。どおりで冊子の色に既視感があるわけだ、とヨーゼルは納得した。



「大事に使わせていただきますね」


「おう、日記にでも使えばいい。ページが無くなるたびに追加の手帳を取りに帰ってきてもいいんだぞ?」


「ページに限りがあるので大事なことだけ書き留めるようにします。毎日の日記には別のものを使いますよ」



 ヨーゼルは一度記憶を失っている。ゆえに、もう一度記憶が無くなっても問題が無いように日記をつけているのだ。


 旅に出たあとであっても続けるつもりだが、そんなことをしていればマリーからもらった手帳にすぐに書き込めなくなってしまう。



「むっ……それなら、バレンに会ったときに伝えたいことでもまとめておけ。今までこんな風にすごしてきたとか、お前のここがむかつくとか。色んな思いをつづったそれをやつの顔面に叩きつけてやれ。お前にはその権利があるだろう」


「素直に読んでくれるといいですけど」



 ヨーゼルは笑った。


 宴会のあと、ヨーゼルとエルザはマリーから話を聞いた。ヨーゼルが病院で目を覚ます前にあった出来事について。


 雪山で出会ったこと。

 バレンとヨーゼルはライン連盟からやってきたこと。

 バレンがやることがあると言っていたこと。


 これらの話から今もバレンが生きているのは間違いないことだった。そして、バレンが生きているならヒビキの話が信ぴょう性を持つようになり、ギドキア解放戦線と名乗るテロ組織がヨーゼルと関係があることにも真実味が帯びてくる。


 そして、



「しかし、結局のところあれは何だったか分からずじまいか」



 マリーが苦い顔で呟く。


 あれ、とはヨーゼルがマリーとの戦いで見せた力のことだ。ヨーゼルの身体能力を向上させ、木刀を失ったヨーゼルに再び白い刃を握らせた力。


 その妙な力がヨーゼルとヒビキたち・テロ組織を繋げている。そう思わせるほどの奇妙さが「あれ」にはあった。



「私が直接見れたらよかったんですけどね……」



 エルザが申し訳なさそうにつぶやく。

 

 ソフィアの元にいたエルザなら何かわかるかもと思ったが、あの戦いから離れた位置にいたエルザは白い粒子を見ることができなかった。加えて、あれ以来意識しても粒子が出ることが無かったためエルザに未だに粒子を見せることができないでいる。



『なぜ力を使わなかった?』



 ヒビキの言葉が蘇る。彼が言っていた力とはこのことかもしれない。この力がある限り、トリステンに災いを招き続ける。そして、この力がある限りバレンを追うことができる。


 ヨーゼルにとって、その力は希望とであり絶望にもなり得るものだった。



「それもこの旅の途中で調べることにしますよ……そろそろですね」



 ヨーゼルがそう口にするとマリーは寂しそうな表情をした。先ほどまで意識しないようにしていた別れを意識しなければいけないときが来たのだ。


 別れを意識したのはヨーゼルとエルザも同じだった。



「……とうとうだな」


「そうですね」


「……あぁ、ダメだ! やっぱり覚悟してても寂しいものだな」



 マリーが弱弱しく口にするとエルザがパッと両腕を広げてマリーに抱き着いた。



「師範! 絶対に顔見せに来ますからね!!!」


「……ありがとう。ヨーゼルのこと頼んだぞ」


「もちろんです!!!」



 二人が熱い抱擁を交わしている間に、遠くの方から列車の汽笛が聞こえてくる。これ以上マリーの時間を自分に使わせるわけにはいかない、とエルザは腕の力を緩めて距離を取った。


 次にマリーはヨーゼルのことをジッと見つめる。



「そう言えば、お前が大きくなってからこういうことをしたことはなかったな」


「……そうですね」


「ほら、来い」



 マリーが両腕を広げる。それに対して、ヨーゼルはなんとなく気恥ずかしさを覚えて素直に抱き着きに行けない。



「なんだ恥ずかしがってるのか」


「自然な流れでするのではなく、待ち構えられているところに自分から行くというのは恥ずかしいです」


「もう、こんなときにそんなこと言ってどうするのっ……なんでびくともしないの?」



 マリーとハグをさせるため、エルザは話しているヨーゼルの背中を押したのだが……ヨーゼルの体幹が強いせいでびくともしなかった。



「すみません、つい癖で」


「えぇ……? 仕方ないなぁ」



 エルザは考え方を変えて、今度はヨーゼルの背中から思いっきり抱きついた。それを見てマリーはエルザの意図を理解する。


 そして、ヨーゼルを逃がさないように正面から抱きしめた。前と後ろの両方から抱きしめられたヨーゼルは最初は妙な顔をしたが、あきらめたように正面にいたマリーを抱きしめる。




「……うむ、なかなかいい具合だ。もう少しやっておけばよかった」


「ですね~」


「……恥ずかしいので俺はちょっと勘弁ですね」


「つれないことを言うなよ」


「人がいないところなら別にいいですよ。今は……ほら」



 ヨーゼルが2人へ見るように促した視線の先に列車が見えた。列車の先頭部のガラスは、朝日が反射していて車掌の顔は見えない。だが、駅のホームに3人の男女が前後からハグをしている様子を見たら奇妙に思うことだろう。



「仕方ないやつめ」



 離れる前にマリーは1度強く抱きしめる。マリーが離れるのを見て同じようにエルザもヨーゼルから離れる。


 そのタイミングで列車がホームに到着した。降りる人間は誰もいない。ちょうど列車の扉が三人の前にやって来た。


 三人だけのホーム、ヨーゼルは静かに息をのんだ。



「先生。俺は自分にまつわる過去のすべてを明らかにし、ここへ再び帰ってきます───」



 万感の思いを込めて、ヨーゼルは再び誓いを立てた。そして、隣にいたエルザに視線を向ける。



「───この人と共に」


「……私もヨーゼルさんと共にここへ戻ってきます」



 ヨーゼルとエルザは、マリーにとって愛弟子。2人の門出が嬉しいことに違いはなかったが、それでも寂しさはある。


 だが、二人にとって母であるマリーはそれを笑顔で送り出すのだ。



「あぁ、私もお前たちと再び会うことを楽しみにしている。旅はよいものだ、お前たちを必ず強くしてくれるだろう」



★★★


 ヨーゼル・ドレア───通称、白銀の英雄はその数奇な人生とそれを仲間とともに打破した実在の英雄として後の世でも多大な影響を与え人気を博す。


 彼の物語は、ヨーゼル叙事詩または白銀の叙事詩という名で知られている。


 これは、その序章であり始まりの物語。


 紫国の魔王と呼ばれた兄バレンとの壮絶な戦いの幕開け。

 

 彼はその剣で、世界を斬り結ぶ。

長くなりましたが、これで第一章は完となります。これから第二章に続きますが、いったんご愛読ありがとうございました。

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