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第29話

 トリステンの繁華街、その一角。


 その街一番大きな店に明かりが灯っていた。普段ならばこの時間帯の店内はとても賑やかなものだ。しかし、今は少しだけ違う。店内にいる全員がグラスを持ち、壇上に立つ人間を静かに見つめていた。そんな風に注目を集めている人間は白い髪をわずかにゆらして視線を上げる。



「本日は、みなさんのご好意でこのような場を設けていただきました」



 今日はヨーゼルの送別会だ。送別会にはアルマークたち門下生だけでなく、ヨーゼルと子供時代を一緒に過ごした幼馴染や孤児院の子供たちなど、多くの人間が参加している。全員が、ヨーゼルの言葉に耳を傾けていた。



「トリステンに来て10年、大切な友人や仲間、そして恩人ができました。彼らのおかげで、この街は俺にとって故郷となりました」



 ヨーゼルは壇上からみんなを見渡した。初めて出会ったときとはみな顔つきが違う。それは顔の変化が分かるほど長い時間をここで過ごしたという証拠。ヨーゼル、誰にも気付かれないように口角を上げる。



「俺は2日後、この街を発ちます。世界をまわり、腕をみがき、見聞を広げて、ここへ戻ってきます」



 こんな口上を述べるつもりはなかった。本当はここへ戻ってくる気などなかった。戻って来られるとも思ってなかった。確かにヨーゼルは死を覚悟していたのだ。



『生きてくれ』



 だが、あの夜。マリーの言葉を聞き、気付けば『戻ってくる』と口にしてしていた。それを撤回するつもりはない。ヨーゼルは、大切な人間のもとへ帰ることを決めたのだ。ちらりとヨーゼルはマリーを見やった。


 向けられた視線の意味が分からず、マリーは首を傾げた。少し視線をずらすとマリーの隣にいたエルザがニコリと笑って手を振る。



「それでは乾杯……といきたいところですが。俺はこういったことが苦手なので。アルバート」



 ヨーゼルの名指しを受けたアルバートに視線が集まる。突然のことに驚いたアルバートだったが、ヨーゼルの顔を見て、「仕方がねえな」と壇上に上がった。ヨーゼルの横に立ったアルバートは一度咳払いをする。二ヤリ、と口角を上げて店内に響き渡るように大きな声で言った。



「では、白いひな鳥の巣立ちを祝して、乾杯!!!」


「「「乾杯!!!」」」



 全員での乾杯の後、ヨーゼルはアルバートともにレルヒェと門下生たちの元へ向かう。今日の送別会は彼らが中心になって企画してくれたものだ。ヨーゼルは二人に真っ先に礼が言いたかった。


 ヨーゼルが近付いてくることに気付いたレルヒェが両手を広げる。



「ヨーゼル、かっこよかったわよ~」



 ヨーゼルとレルヒェは強くハグをした。初めて会ったときにも二人はハグをしたが、その時はレルヒェの顔はヨーゼルの頭よりも上にあったのだ。それが今はレルヒェがヨーゼルの胸に顔をうずめている。



「さすが私の弟ね。誇らしい。最高よ」


「ありがとうございます」


「ついでだけど、アルバートの口上も悪くなかったわ。白いひな鳥なんてヨーゼルにピッタリだもの」



 この白くて綺麗な髪はやっぱり外せないわよね、と。レルヒェは体を離してヨーゼルの白い髪を撫でた。



「そりゃほんとか? 師範代が気を悪くしてないかと思って言った後にヒヤヒヤしてたんだけどな」



 緊張してました、と。頭に手を当ててわざとらしい仕草をするアルバートにヨーゼルは笑ってしまう。



「そんなことでヨーゼルは怒ったりしないわよ。そもそも、この子が怒ったところなんて私は一度も見たことないわ」


「それは、俺の分まで怒ってくれる人がいましたから」


「どういう意味?」


「さあ、どういうことでしょう?」



 ヨーゼルがニコリと笑って首を傾げるとレルヒェが少し不満げな様子でジト目を向ける。その二人のやり取りにアルバートが口を挟んだ。



「あんたがいっつも怒ってたから自分が怒る必要がなかったって意味じゃないですかね」


「……は?」


「おぉ、怖い怖い」



 いつの間にか二人は仲良くなっていたらしい。睨めつけてくるレルヒェをどこ吹く風でやり過ごすアルバートという構造にヨーゼルが笑っていると。後ろから肩を組まれた。



「よっす、師範代。楽しんでるかー?」


「ええ、みなさんのお陰で楽しい門出に…って、もう酔ってるんですか?」



 後ろからニックの声とともに酒の匂いを感じて、ヨーゼルは顔をしかめる。振り返ると、ニック以外にもシーシャ・ゲイツ・リルティを含めた門下生たちがいた。顔こそ赤くなっていないがそれぞれが持っているグラスの中身が乾杯した時のものとは色が違う。



「それ、何杯目ですか?」


「俺は5ですね」


「私は4」


「……9です」


「飲みすぎでしょう。お酒もう無くなってませんか?」


「そこは問題ないですよ。樽4つ分用意してますから」

 

「飲む量が問題です。樽1つでこの店内全員……あなたたちがいなければ十分酔える量なんですよ?」


「まあまあ、師範代も飲みましょうって」



 そう言われて、ヨーゼルは差し出されたグラスを受け取る。色は門下生たちが持っているものと違って無色透明。差し出した門下生のニヤついた顔が気になるが、さすがに毒は入っていないだろう。



 そう考えて、ヨーゼルは口をつけ一気にあおる。にやけ面ですすめてくるので変な味でもするのかと思っていたが。予想に反して雑味のないスッキリとした味だ。ただ、少しだけ舌が痺れる。



「これ舌が少し痺れるんですけど、なんて銘柄の……どうしました?」



 酒の名前を聞いてみようと思って、ヨーゼルが顔を上げると。青い顔をした門下生たちが急いで水を持ってきた。



「師範代、早く水飲んでください!」


「え? はい」


「ちょっと! 一気に飲んじゃったわよ!」


「吐かせた方がいいんじゃねえか?」


「これ不味いですよ。ヨーゼルさん、吐きましょう。ほら口をあけて」


「え、急になんですか? 俺はぜんぜんなんともないですけど」


「……ほんとに?」


「ええ、少し舌が痺れる程度です。なので、みなさん俺の口の中に指を突っ込もうとしないでください。たぶん吐く必要はないです」



 ヨーゼルは自分を羽交い締めにする門下生の腕を振りほどき、自分の口に指を入れようとする門下生の手を降ろさせる。



「俺はどんな酒を飲まされたんですか?」


 

 ヨーゼルがそう聞くと、1人の門下生が酒瓶を持ってきた。そのラベルには『SPIRYTUS』と書かれている。



「スピリタス? 聞いたことない飲み物ですね」


「連盟産の酒です。師範代が北の出身って聞いたんで、今回取り寄せてみました」


「なるほど。最近情勢がマシになったとはいえ、珍しいものをありがとうございます。しかし、変わったお酒ですね。こんなにスッキリとした味は初めてです」


「度数が96もあるのよ。ほとんどアルコールだから雑味なんてあるわけないじゃない」


「……はい?」


「だから、そんなに一気に飲んだら舌が痺れる程度ですむわけないんですけど……師範代、本当に大丈夫ですか?」



 珍しく門下生たちが心配げな視線を向けてくる。事態の重大さに気付いたヨーゼルは黙り込んだ。



「……ちょっと気持ち悪いかもしれません」


「師範代、いますぐ吐いてください。誰か、師範代を押さえろ」


「いや、そこまでしなくても大丈夫です」


「でも、これで気分悪くなったらせっかくの宴が台無しじゃないですか」


「誰のせいだと思っているんですか」


「いや、軽いイタズラのつもりだったんですよ。師範代が一気に飲むとは思わなくて」


「師範代、失礼します。苦しいと思いますけど、我慢してくださいね」


「だから大丈夫です。それに、これぐらい自分でできます」



 送別会だというのに、悲しげな様子を一切見せずに騒ぎ立てる門下生たちを見たレルヒェが嬉しそうに笑う。


 

「あんたたちはいつも楽しそうね」

 

「そうですか?」



 押さえつけようとしてくる門下生たちを振り払ったヨーゼルがレルヒェの声に反応する。



「そうよ、最近は見てなかったけどね」



 そう言ってレルヒェがヨーゼルにちらりと視線を向ける。トリステンの人間たちには夜にあったマリーとヨーゼルとの決闘は、これから旅立つヨーゼルに対するマリーなりの最終稽古だと説明された。


 もちろん、トリステンの住民がそれだけで納得するわけはなかったが理由を聞くほど野暮ではなかった。それに、ここ最近のヨーゼルとマリーの様子を知っている人間からすれば二人の間に何かがあったことなどすぐに分かる。ヨーゼルに姉と慕われるレルヒェならばなおさらだ。



「やっぱり気が付いていましたか?」


「まあね。詳しいことは知らないけど、マリーとちょっと喧嘩しちゃったんでしょ?」


「はい、心配かけてしまい申し訳ない」


「謝らなくていいわよ。むしろ私の方こそごめんなさい。あんたの力になってやれなくて。私ができるのはせいぜいあんたの門出を賑やかにすることぐらいよ」



 悔しさを滲ませた声音でレルヒェはそんなことを言った。ヨーゼルは首を横に振る。



「十分すぎるほど力になってもらいました」


「うそ」


「本当です」


「いつよ」


「初めて出会った日から今日まで」



 思いがけない言葉にレルヒェはキョトンとした顔をヨーゼルに向ける。



「俺が先生と孤児院にたどり着いたときにあなたがずぶ濡れの俺を抱きしめてくれたこと。ずっと覚えています」



 雨で冷たくなった体に子供の高い体温はとても暖かく感じられた。


 それだけではない。自分はここにいていいのだ、と。レルヒェからの抱擁にはそう思わせてくれるだけの力があった。



「なんと声をかけてくれたのかも覚えていますよ」



 そう言って、ヨーゼルが人をからかうような笑みを浮かべるとレルヒェは「あー」と唸るような声を出した。



「『あなた私の妹になりなさい!』でしたっけ?」


「……仕方ないじゃない。あんなに綺麗な子が男だとは思わなかったのよ」


「俺がお風呂に入った後もまだ疑ってて女の子用の着替えも持ってきてくれましたよね?」


「もう、忘れて」



 本人にとってはよほど恥ずかしい出来事だったのか、レルヒェはそっぽを向いて口を尖らせる。それを見たヨーゼルはさらに笑みを深めた。



「でも、あの日から今日まで俺は何度もあなたに助けてもらいました。一人だった俺を色んなところに連れて回ってくれたり、俺が自分のルーツを知る手助けをしてくれたり」


「……迷惑じゃなかった? ほら、私あんたを岩の上から川に突き落したりしたでしょ。それに、あれだってほとんどラウルとヨーゼルがやって私役に立ててなかったし」



 いつになく否定的なレルヒェを見て、ヨーゼルは何か納得したように笑う。そのことに不思議に思ったレルヒェがヨーゼルの顔を覗き込んだ。



「なによ」


「いえ、レルヒェと先生は昔から似ているなと思っていたのですが……何故なのか分かりました」


「そうなの?」



 それを聞いたレルヒェが、意外だと言わんばかりの顔をヨーゼルに向ける。



「どこが似てるのよ」


「自己評価が低いところです」



 レルヒェは何か言い返そうと思ったが、先ほどの自分自身へ向けた否定的な言葉を思い出して口をつぐむ。そして、ふと。あることに気付き首を傾げた。



「似てるって……マリーはそんなネガティブな人じゃないでしょ」


「やっぱりそう見えますか? ですが、先生は自分のことを弱い人間だと思っていたらしく、弱いことを知られるのをすごく恐れていたみたいで……身の回りの不幸は自分の弱さが原因だ、そんな風にも考えていたようです」


「へー、あの人がねえ……」


「他にも、母親として力になれていたか不安だったと言ってました……先生も、あなたも。俺がどれだけ救われたのかを知らない」



 飲み比べを始めた門下生たち、楽しそうに昔話を始める幼馴染たち、壁際でゆっくりと酒をあおるマリーとこちらに笑顔を向けるエルザ、孤児院のみんな。ヨーゼルはパーティーを楽しむ人々を見渡した後、レルヒェに柔らかい笑みを向けた。



「さっき、あなたは俺が怒ったところを見たことがないと言ってましたね」


「そうね、泣いたところも見たことない」


「あれはアルバートの言う通りです。あなたがよく怒りよく泣いていたので、俺が言うべきことがなかった」


「感情的な女で悪かったわね」


「いえ、あなたは感情的な人ではなかった」


「それこそ嘘よ、だって───」


「あなたは誰よりも優しい人でした」



 不意な言葉にレルヒェの口が動きを止める。ヨーゼルは顔を前に向けた。暖色の明かりが照らす店内でヨーゼルは自分の心が満たされていくのを感じる。



「レルヒェ、あなたは周りから気の強い人間だとよく言われていましたね。ですが、実際のあなたは誰よりも優しい人だ。あなたは悲しいことや腹が立つことがあっても、表に出したりしなかった。顔にハッキリ出るほど怒り悲しむのは、いつだって人のためでした……そんな人といつも一緒にいたので、俺が怒る必要も泣く必要もなかった」



 嫌なことがあっても、レルヒェがかわりに怒り泣いてくれた。ヨーゼルはそのことが本当に嬉しかった。



「あの日、孤児院で俺を出迎えてくれたのがあなたでよかった。あなたの弟でいれたこと、本当に幸せでした」


「……私も、あんたのお姉ちゃんでいられてよかった」



 震える声を聞こえヨーゼルは前に向けていた顔をレルヒェに向けた。涙を溜めたレルヒェと目が合う。レルヒェが恥ずかしそうにそっぽを向きつぶやく。



「……笑顔で送り出してやろうと思ったのになぁ」



 目を赤く腫らしたレルヒェが、不服そうに頬を膨らませる。それを見たヨーゼルはいたずらっぽく笑った。



「でも、おかげで俺は泣かずにすみました」


「……なんか嫌な役の立ち方ね。もっと姉らしいことをしてやりたかった」


「十分すぎます。これ以上何かしてもらったら、一生かかっても返せる気がしません」



 嘘偽りのない言葉に、レルヒェは笑った。我ながらできのいい弟だと思う。こんな子に、姉と呼んでもらえるのが本当に嬉しかった。



「ヨーゼル」



 レルヒェの瞳に真っ直ぐ見つめられて、ヨーゼルは居住まいを正した。



「あんたとエルザが旅先で何を見てくるのか、私には分からない。もしかしたら楽しいことだらけかもしれないけど、きっと違うよね?」


「……はい」



 ヨーゼルはちらりとマリーと話しているエルザを見た。これから行く旅は彼女が見てきた光景以上のものを見ることになるのだろう。楽しいばかりではない。それは間違いのないことだった。



「なら生きて帰ってきて。出来立てのパンを用意しておくわ」



 その願いにヨーゼルは首を縦に振る。



「かならず帰ってきます」

 


 答えを聞いたレルヒェは満足げに頷く。そして、少し離れた位置からヨーゼルを見つめる二つの影に気付いて笑顔を浮かべた。



「さて、もう少し話したかったけど。このあとでも時間はあるし、私はこれぐらいにしておくわ」



 レルヒェはヨーゼルに後ろを見るように促す。そこにはレイドとアリスが立っていた。ヨーゼルが振り向くと2人は緊張した面持ちでヨーゼルに近付いてくる。



「私にとってあんたはいつまでも大事な弟だけど、あの子たちにとっては大好きなお兄ちゃんよ。旅に出る前に兄らしいことをしてあげて」

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