第27話
評価、ブクマいつもありがとうございます
───ようやくここまで追い詰めた。
ヨーゼルは加速していく戦闘の中、過熱していく頭で悪態をつく。常に全開で戦闘を続けて持てる技術の全てを使い左肩を捨てた上でようやくだった。満身創痍で食い下がるのが精一杯だった。
だが、それでも初めてヨーゼルはマリーとの戦いで手ごたえを感じている。千を優に超える手合わせの果てがいまなのだ。己に返って来た暴風を受け流したマリーはいま身動きが取ることができない。
彼女の得物を切り捨てることができれば、ヨーゼルの勝ちが決まるだろう。
───終わらせる
必要のない思考を追い出して、ヨーゼルは集中する。左肩が外れていようとも鞘を支えることができる。力なく垂れ下がっている左手で鞘を持ち、右手で柄を握って体を沈める。
そうすることで世界から色が消え次第に世界は停滞していく。モノクロになった世界で舞い散る木の葉までもが空中で停止。
ヨーゼルが≪天羽々斬≫を放つときに見る不思議な景色だ。
この停滞した灰色の世界で動けるのは、ただ一人。
白銀が世界を塗りつぶし全てを切り裂く。
───斬る
ヨーゼルが≪天羽々斬≫を放つその瞬間、ヨーゼルは自分を何かの影が覆っていることに気が付いた。視線をわずかに上げると、自分の脳天目掛けて大木が落下している光景をヨーゼルは目にする。このままでは≪天羽々斬≫を放つ前に、ヨーゼルは大木に頭をつぶされてしまうだろう。
ヨーゼルは最小限の回避を行いそのまま≪天羽々斬≫を放とうとしたが、その刹那に足元の土が不自然に動く。たったそれだけで今まで全力で動き続けたヨーゼルの膝がカクンと崩れた。
マリーの足元から自分の足元まで伸びる盛りあがった土を見て、これがマリーの妨害であることをヨーゼルは確信する。
マリーは薙刀を使わなくても≪大蛇≫の術理を応用することである程度物体を操ることができるのだ。いつもなら簡単に対応して見せたのだが、疲労がたまったいまのヨーゼルの体では対処できない。
ヨーゼルは移動による回避が困難だと悟り≪鋼皮功≫で防ぐことを考えたが、いまの状態で大木の衝撃に耐えられるとは思えない。必然的にこの危機を脱するには≪天羽々斬≫を放つしかなかった。
ヨーゼルが木刀を振り抜くと、大木に薄い線が走り真っ二つに切り裂かれる。その次の瞬間から世界は色を取り戻し木の葉は地面へとヒラヒラと落下。分かたれた大木がヨーゼルの後ろに音を立てて着地した。
そしてさらにヨーゼルが木刀を振り抜いた直後、腰に差した鞘が割れて地面に落ちる。マリーの攻撃を何度も受けた上に何度も≪天羽々斬≫を放ったせいだった。これでヨーゼルがマリーの防御を破る手段が無くなった。さらにヨーゼルの不運は続く。
ヨーゼルは蓄積した疲労と風を無理やり突破したダメージで立つことができくなったのだ。膝をついたヨーゼルは持っていた木刀をマリーに弾き飛ばれる。遠くの方で木刀が地面へと突き刺さり、ヨーゼルの首には薙刀がピタリと据えられた。
マリーの毅然とした表情を見て、ヨーゼルは何が起きたのか理解した。マリーは自分に襲いかかる風を受け流しただけかと思っていたがそれだけに留まらず、自分を襲った暴風を利用して周囲に倒れている大木の1つをヨーゼルに放り投げたのだ。
それも大木を避けられないように土による妨害を行った上で。
竜巻という風の災害によって頑丈な家が吹き飛ぶ事例もある。その災害を引き起こし精密に操るマリーの≪大蛇≫であれば大木を狙った場所へ飛ばすぐらいわけはない。
首に薙刀を突き付けられた状態でヨーゼルはマリーを見上げる。強力無比な魔技に、相手の思惑を察知し常に一歩先の手を打ち続ける戦闘センスと膨大な経験値。
どれを取ってもマリーはヨーゼルの上をいく存在だった。
「終わりだ、ヨーゼル。お前は誇っていい。≪大蛇≫を身に着けた私がここまで苦戦した相手は初めてだ。本当に強くなったな」
「……何を言っているのですか。俺はまだ負けていません」
賞賛を口にしたマリーにヨーゼルは咆える。ヨーゼルの言葉にマリーは苛立ったように手に持った薙刀に力を込めた。
「何を言っている? この状況で、勝者は自分だと言い張るつもりか」
「いいえ。ですが、俺は負けてもいません。勝敗は未だ決まっていないと言っているのです」
まだ戦う意思がある、と。ヨーゼルはマリーを見上げてそんなことを口にする。普段ならばマリーはその威勢のよさに気分をよくしただろう。
だが、いまは違う。ヨーゼルをいま行かせてしまえば、二度と会えなくなるという予感がマリーにはあった。
その証拠に。未だにヨーゼルはその威勢のよさと裏腹にマリーの死んだ恋人とよく似た瞳をしているのだ。そのことにマリーは苛立ち声を荒らげる。
「何故そんなにこだわる!? ギドキアの連中や魔獣の件は本来軍の仕事だ!!! それに、私やアルバートたちがいるんだぞ。どうしてお前が一人で行く必要はあるんだ!!!」
「昔から決めていたことです。この街の人たち、そして何より先生にとって、俺の存在が害になったとき、あなたの元から去ると」
ヨーゼルの言葉を聞き、日記に書いてあったことを思い出す。マリーは奥歯を噛みしめた。ずっと抑えていた感情が隠しきれなくなっていく。
「やはり、お前も私の元から消えるつもりだったのだな?」
「……先生?」
マリーの様子がおかしいことに、ヨーゼルはすぐに気付いた。マリーに呼びかけるも、聞きたくないと言わんばかりに首を横に振る。
「いい、答えなくていい。だが、何故だ? ここにいてくれさえすれば、私がお前を守ってやれると言っているのに何故なんだ。どうして私を信じてくれない? 私はそんなに頼りないか? どうして、どいつもこいつも私の元から消えていくんだ!? 何が足りなかったんだ……教えてくれ!!! 私はお前に何もしてやれてなかったのか!!!!!」
マリーが最初に失ったのはライルという軍人の恋人。その次はライルと出来た赤子。そして、結婚する直前まで行ったパトリック。
愛する者がマリーの目の前から3回もいなくなった。それらは言うなれば、運が悪かった。もしくは世界が残酷であっただけに過ぎない。
だが、マリーはそう考えなかった。世界に死にたくなるような残酷な仕打ちをされ続けた彼女は、それでも世界を残酷であると受け入れることはできなかった。
もし仮にただ世界が残酷であるだけならば、自分やこの世界に住まう多くの人がたったそれだけの理由で理不尽な仕打ちをされるのに納得がいかなかったのだ。
だから、このような仕打ちをされるのはきっと何か原因があるはずでその原因は自分以外にあるわけがないとマリーは考えた。
そのように考えなければ、マリーはヨーゼルに会う前に死んでいた。そしてなによりこの世界が残酷であれば自分がヨーゼルと出会えたはずがない。
そのことこそがマリーがこの考え方が正しいと信じる一番の理由だった。
「先生」
「……すまない、取り乱した。それで、勝負はまだついていない、だったか? 気を失いでもすれば、負けを認めてくれるのか?」
マリーはそう言って、薙刀を天に突き刺すようにかかげる。すると、薙刀の刃先がその空間を巻き込むように歪んでいく。まるで濃密な大気がまとわりついているようだった。
「いま降参するなら、まだ間に合うぞ?」
「……」
いったん白旗を上げておき後日隙をついてこの街を出るという手をヨーゼルは思いついた。だが、そんなことをすればマリーがどうなってしまうのか分からない。
ヨーゼルにそう思わせるほど、いまのマリーの様子はおかしかった。今までにも感情を露にすることはあった。
酒を飲んで泣き出すこともあった。だが、まるで目の前の現実を受け入れることができない子供のように喚くことは今まで一度もなかった。婚約者がいなくなった時でさえ、表面には感情を出さず冷静に振舞っていたのに。
ヨーゼルは何があっても街を出る。だが、それはマリーに危害が及ばないようにするためだ。間違っても傷つけるためではない。
───俺はこの人を置いてここを離れるべきなのか
ヨーゼルは逡巡するも答えは出なかった。ゆえにマリーの問いに対して沈黙するしかなかった。
沈黙を降参の意思なしと判断したマリーはため息をつく。
「ならば、今夜はひとまず眠っていろ。そのあとはエルザと一緒に頭を冷やせ」
このまま素直に負けたとしてマリーが抱えている何かを解消できるのだろうか。ヨーゼルはマリーの顔を見上げる。
ただ怒りに満ちた顔ではない。どうしようもない感情を必死に押し殺して平然と振舞おうとしているのが、ヨーゼルには分かった。
自分がこの街を出るため。そんな理由で決闘をすることになったことをヨーゼルはこのとき忘れていた。
だが、このまま負けるわけないはいかないことは分かっていた。負ければ最後、この人は何かを一生抱え込むことになる。そんな予感がしたからだ。
だが、いまヨーゼルの体は動くことができない。気を抜けばすぐにでも倒れこんでしまいそうなほど疲弊している。
何かないか、と思考を必死で回転させるヨーゼルに打てる手はない。ただ世界は無慈悲であった。マリーが濃密な大気を纏った薙刀を振り下ろす瞬間、
───汝は切望されし我らが神なのだから
ヨーゼルはあの一文を思い出した。
★★★
マリーが濃密な大気を纏った薙刀を地面に叩きつける。大気の爆弾が地面に触れたことで半径2メートルほどのクレーターを作り上げ、周囲に再び土煙が舞った。諦め悪く頑固なヨーゼルが『鋼皮功』を使って防御することを考えて威力を強めにしたとはいえ、マリーはヨーゼルが死なない程度には手加減をしている。
そう、本気で撃ち込んでないゆえにマリーは得物を振り下ろす直前にヨーゼルの姿をはっきりと捉える余裕があった。
余裕があったゆえに確かに見た。
ヨーゼルから白い粒子が溢れ出すのを。
舞い上がっていた土煙が晴れる。マリーが薙刀を振り下ろしたあとにヨーゼルの姿はいない。あの状態でいまの攻撃を回避できるのかとマリーは周囲を見渡した。
そして、先ほどヨーゼルの手から弾き飛ばした木刀がなくなっていることに気が付く。まだ戦闘は終わっていないと認識したマリーはすぐに周囲を警戒した。
すぐに森全体が異様な雰囲気につつまれていることにマリーは気付いた。戦闘中だというのに風がそよぐ音や枝が触れ合う音がはっきりと聞こえる。周囲の木々が月明かりに照らされて怪しく光っていた。
この不気味な森の様子にマリーには覚えがあった。
なんだったか、と思い出すために思考を割いたとき。不意に肝を冷たい手で掴まれたような感覚を覚える。後ろから何かが迫る気配を感じて≪大蛇≫で生み出した暴風を放つ。
それと同時に即座に振り返るが何もいない。放った攻撃に手ごたえもなかった。
マリーがさらに警戒心を強めたとき、頭上から降り注ぐ月明かりが弱まった。上にいると理解したマリーが咄嗟に身を翻した直後、マリーがいた地点に木刀を振り下ろした体勢でヨーゼルが降りたつ。
マリーは着地後の硬直を狙って風を放とうとするが、それよりも早くヨーゼルが間合いを詰めてくる。
ヨーゼルは振り下ろした木刀を流水の如き美しい所作で切り上げた。その斬撃は風を切り裂き草木が舞う。ヨーゼルの予想外のスピードと鋭い斬撃にマリーは強引に薙刀の軌道を変えることで対応した。
だが、強引に軌道を変えたせいかマリーは木刀を受け流しきれずこの戦闘始まって初の鍔迫り合いが起きた。
至近距離でマリーとヨーゼルは見つめ合う。得物を通して伝わるヨーゼルの力は先ほどまで肩が外れ疲労困憊だった人間のものとは思えない。そして、先ほどの着地から切り上げの一連の動き。
戦闘中盤といういちばん集中が高いかつ体力が残っていた時よりも素早く鋭いものだった。
肩に関しては自分で戻したのだろうが、他は火事場の馬鹿力などでは説明できない現象だ。探りを入れるつもりでマリーは口を開く。
「さっきよりも速いじゃないか。手を抜いていたのか?」
「……」
ヨーゼルは何も答えない。代わりに向けて来たのは光を失った無機質な瞳。
───こいつ意識がないのか
ヨーゼルの様子を不可解に思ったマリーだったが、ヨーゼルは押し込める力をより一層強めてくる。そのせいでマリーにも余裕がなくなってきた。単純な筋力勝負をすればヨーゼルに軍配が上がる。といっても、先ほどまでの疲労状態であれば力関係は逆転するはずなのだが。
ヨーゼルの押し込みに合わせてマリーは一度強く地面を踏みんだ。すると、ヨーゼルの足元の土が不自然に動いてヨーゼルの足を滑らせることに成功。
急な変化に対して少し体勢が崩れる程度で立て直したヨーゼルだったが。立て直す間のほんの少しの時間でマリーは体勢を立て直し反撃すら行えるのだ。
マリーは足元を薙刀でなぞり再び土津波を発生させる。先ほど土津波を突破した時とは違い、ヨーゼルの体は負傷し鞘もない。風とは違い質量のあるものを発勁で吹き飛ばすことは難しく居合で津波を斬ることもできないはず。
マリーの予想は正しくヨーゼルは何もできぬまま土津波に飲み込まれた。大量の土砂が地面に叩きつけられ凄まじい地響きを響かせる。さすがのヨーゼルも今の攻撃で沈んだか、とマリーは考えた。
生き埋めになっているだろうから早めに助け出してやらなければ。そう考えて薙刀の構えを解こうとしたとき、マリーは森が未だざわめているのに気付く。
先ほどよりも強くはっきりと感じる森の異様な雰囲気。
それは一月ほど前、魔獣が現れた日の夜。魔獣と対峙した時に感じた気配とよく似ていた。
───白い風が吹き荒れる
マリーの体を貫くように一陣の風が吹き荒ぶ。咄嗟に構えた薙刀でマリーは防御の体勢を取るも、衝撃が体を突き抜ける。あまりの衝撃に目を瞑りそうになる本能を鉄の意志で抑え込み目を見開く。
白い粒子を身に纏ったヨーゼルが自分に木刀を振り下ろしたのを、マリーは確かに見た。
防御した刹那、薙刀で斬り返すもヨーゼルの姿がかき消える。反撃を受ける前に凄まじい速度でマリーの攻撃範囲から離脱したのだ。
ここ一番の危機が去ったことを悟ったマリーは一度大きな息を吐く。
真正面からやってきた今の攻撃、マリーは全く捉えるきることができなかった。目に見えない物体で攻撃されたわけじゃない。今の攻撃はヨーゼルの木刀によるものだった。
ゆえに驚愕する。
この事実が確かならヨーゼルは人間の目に全く映らない速度で疾走していることになる。だが、それが事実ならば先ほどの土津波も単純に異常な速度でかわしたのだとマリーは納得することができた。
鞘が無事だったならば今の一撃で勝負が決まっていたかもしれない、とマリーは冷や汗をかく。
先ほどまでのヨーゼルとは違うと認識しマリーは意識を切り替える。人間ではなく化物を相手取る気概で薙刀を構えた。
マリーがヨーゼルを拾ってから10年の月日の間、修行を重ねたことでマリーの技量は≪大蛇≫という神業をいとも簡単に操るほどになった。だが、この10年の間にそれと反比例するようにマリーの中で劣化していったものがある。
それは、命のかかった戦いにおける勘だ。圧倒的な強さを手に入れたマリーはこの10年、本気の勝負というのをしてこなかった。
それはヨーゼルという息子ができたことで自ら危険な場所に乗り込まなくなったがゆえ。そして、単純に圧倒的強さのせいで勝負に対して真に本気でなくても勝ってしまえることが大きな原因だった。
そんなブランクを抱えた上でもなお達人の領域にいるヨーゼルを圧倒していたのは、やはりマリーが圧倒的な強さを有していたからに他ならない。
だが、そんなマリーの錆びついた戦いの勘がヨーゼルという強敵の影響で呼び覚まされつつあった。マリーの集中力が深くなっていく。暗い水の中をひたすら潜っていくような感覚とともにマリーが知覚できる範囲が広がっていく。
それは、目に見えない攻撃を受け流すためにマリーがかつて会得した知覚能力。半径10メートル以内であれば揺れ動く木の葉の一枚一枚を感知することができる。全盛期であれば20メートル以上の範囲を知覚できていたそれはやはり未だに劣化していた。
だが、それによってマリーは周囲の木々、地面の凹凸、ヨーゼルの位置と動きの完璧な把握が可能になる。背後からの強襲を見切りマリーは動きを合わせてヨーゼルの攻撃を受け流した。受け流したとき白い粒子が舞う。
やはりヨーゼルの体から白い粒子が生み出されていたのだとマリーは確信する。
そこからヨーゼルの乱打が始まった。高速で叩きこまれる木刀をマリーは冷静に返していくが、ヨーゼルの切り返しが速すぎて反撃ができない。反撃ができないどころか、ヨーゼルが切り返しを重ねるたびに防御までも困難になっていく。
ヨーゼルの速度が底なしに上がっていくのだ。おまけに攻撃の威力も増し始めた。ヨーゼルの身体がさらに白く輝く。光に呼応するように、技が冴えわたる。
たまらずマリーは後方へ飛ぶことで距離を取った。それに合わせるように、ヨーゼルは間合いを詰めて追撃を試みる。このままヨーゼルの攻撃を受け続ければ、いずれ防御を食い破られるとマリーは判断してヨーゼルとの間に風の防壁を作り上げる。
鞘を失ったヨーゼルはもう風を斬ることはできない。あの居合は、いくつかの段階を経ることで始めて全てを切り裂く魔剣になるのだが、その最初の段階として鞘に剣が収まってなければならないのだ。
ゆえにヨーゼルに風の壁を突破する手段は無い、というマリーの思考を嘲笑うように。マリーの知覚能力が埒外の速度で背後に回るヨーゼルを感知する。
咄嗟に背後に向かって暴風を叩きつけるが、捉えることができない。空中を駆けるヨーゼルが上空からマリーへ強襲をしかける。
それも感知していたマリーは上に薙刀を振ろうとするが、顔を上げた時にはヨーゼルは上にはいない。既に地面に降り立ち、片手突きの構えを取っていた。
地面が陥没するほどの強い踏み込みで放たれた突きは、白い粒子を纏い夜闇の中で閃光のように瞬く。
その突きはマリーの胴体を捉えたと思われたがマリーは咄嗟に薙刀の柄の部分を差し込んで防いでみせる。防御こそ間に合ったが、マリーはその威力に耐えられず大きく吹き飛ばされる。
吹き飛ばされている間もマリーは警戒を解くことなくヨーゼルの動きを注視し続けた。
先ほどの攻防。マリーはその知覚能力でヨーゼルの動きを全て把握していた。だというのにあまりにも速すぎてヨーゼルの攻撃に反応できなかったのだ。
マリーは地面へ着地してすぐに辺りを見渡す。周囲は先ほどよりも木々が多く月の光を遮るせいで暗い。普通なら十分な視覚を得ることができないため、走れば石や木の根に足元を取られかねない場所だ。
しかし、マリーの感知能力ならば夜目が利かなくとも日の当たる場所と変わらず戦闘が続けられる。
夜闇の中で光を放ちながらヨーゼルが高速で接近してくるのを見てマリーは舌打ちをする。人間の身体が光り輝くなんて明らかに異常な現象だ。だが、そのことに思考を割いて勝てるほど余裕のある相手ではない。
守ってばかりでは勝てないと判断してマリーは近付かれる前に大気を操って攻撃した。だが、ヨーゼルの速度に風が追いつかない。逃げ場を無くすように風を放っても木々を上手く使ってかわされる。
木々を、空を足場にしてヨーゼルは多角的に攻めてくる。上下左右からとめどなく加えられる攻撃はまさにマリーを閉じ込める鳥籠のようであった。この戦闘の序盤にヨーゼルが使いマリーが破った戦法だが、速度が上がったせいでマリーでも対応しきれない代物になっていた。
感知能力と鍛え上げられた受け流しによってなんとかヨーゼルの攻撃をいなせているが。ヨーゼルの速度はなおも上がっていく。それに食らいつくようにマリーも集中を深めていった。
静寂が支配するはずの夜の森で乾いた音が鳴り響く。二人の得物がぶつかり合って生み出された音だ。時間が経つたびに音の間隔は短くなっていき、音が苛烈なものに変わっていく。
それはマリーがヨーゼルの木刀を受け流せなくなってきている証拠であった。
いつまでも続くかと思われるような勝負であっても、終わりはいつも唐突である。
ヨーゼルが薙刀をかち上げてマリーの胴が空く。守るものが無くなったマリーに木刀を打ち込もうとするヨーゼルの裏をかくように。
マリーは身体を半回転させて刃先を後方へ回し、槍の薙ぎ払いの要領でヨーゼルに長柄を打ち込んだ。
だが、マリー渾身の攻撃はヨーゼルの身体をすり抜ける。
集中が最高潮に達したマリーは驚愕に心を支配されることなく冷静に知覚した。
木刀を打ち込む瞬間を狙い、絶対に躱せないタイミングで放ったカウンターだったが。それをヨーゼルは凄まじい反射と速度で打ち込みかけた木刀を戻してマリーの後ろに回り込んだのだ。
無防備な背中がヨーゼルにさらされた。マリーを守るものはもうない。
───よくぞここまで
ヨーゼルがマリーの背中に木刀を振り下ろす、その瞬間。
マリーの身体が旋回する。ヨーゼルが振り下ろした木刀がその身に到達するよりも早く、マリーは一つ回転して薙刀が空中に大きな円を描いた。
僅かな静寂が満ちたのち、大気が笛のような甲高い音を響かせる。
刹那、マリーを中心に空間が爆発したような衝撃と竜巻のような風の渦が広がっていった。地面は土ごとめくり上がり、周囲の木々は太い幹ごと音を立てて真横に折れて上空へ舞っていく。
天変地異としか言いようがない災害にヨーゼルは飲み込まれてその姿はかき消えた。
◆◆◆
あるところに一人の女の子がいました。血こそ繋がっていませんでしたが、女の子には家族がたくさんいました。いつも怒った顔をしているお父さんといつも笑顔のお母さん。そして、たくさんの兄弟・姉妹たち。その中で、女の子は誰よりもやんちゃな子でした。身体を動かすのが大好きだけど、勉強が大嫌いで、男の子ともよくケンカをします。だからかお父さんにはいつも怒られていましたが、とても楽しい日々を過ごしていました。月日が経ち、女の子は旅をしてみたいと思うようになりました。すぐに家族のもとを離れて旅に出ます。途中でケンカが強くなる方法を身に着けたり、悪いやつらを捕まえてお金をもらったり、時には死んでしまいそうになったこともありました。でも、女の子は旅が楽しくて旅が大好きでした。
ある時、女の子はとある男の子と出会いました。その男の子は国の兵隊さんでした。女の子は、優しくて不器用な男の子が大好きになりました。だから、大好きだった旅を辞めて大好きな男の子と一緒に過ごすことにしました。男の子と一緒にいる時間はとても楽しくて幸せでした。男の子も女の子のことが大好きでした。ですが、男の子は他の国へ戦争に行くことになりました。兵隊として戦うためです。それを聞いたとき、女の子はとてもショックを受けましたが、泣きませんでした。泣けば男の子が困ってしまうことが分かっていたからです。男の子は戦争へ行くのが怖くて仕方ありませんでした。でも、女の子に心配をかけたくなかったので、怖いとは言いませんでした。男の子は女の子と帰ってきたら結婚する約束をしました。女の子は嬉しかったのですが、それよりも男の子のことが心配でした。
男の子は死にました。男の子と仲がよかった兵隊さんが教えてくれました。それを聞いた次の日、女の子は身体から血を流しました。また一人、小さな子供が死んでしまいました。一度に二人も大切な人を亡くした女の子は、男の子がいた街を離れました。街を離れたあと、女の子はまず男の子が死んだ国へ行きました。その国はひどい有様で、女の子は何度も襲われました。幸いにも女の子はケンカが強かったので全部返り討ちにします。
女の子は一年近くその国にいましたが、男の子を見つけることはできませんでした。一年かけて、女の子はようやく男の子が死んだことを理解しました。だから女の子はまた旅に出ることにしました。男の子が死んだ国は南にあったせいで暑かったので、女の子は北へ向かうことにしました。どうせなら一番雪が降る時期に行こうと思い冬に北へ行きました。そこで、女の子は二人の兄弟と出会うことになります。その出会いは、女の子にとって人生で一番幸せな出会いだったのです。
───
女の子───英雄の母、マリー・ドレアが出会った2人の名はバレンとヨーゼル。
2人は後の世にて。
紫黒の魔王、白銀の英雄と呼ばれる二人。
これは白銀の叙事詩、またの名をヨーゼル叙事詩。その前日譚。そして、英雄の母マリーが英雄に出会うまでの物語だ。