第26話
───厄介極まりない
薙刀を振るうだけで爆弾と大差ない威力の攻撃を繰り出してくるマリーをヨーゼルは睨みつける。先ほどからマリーが繰り出しているのは武術の基本たる受け流し───その極地に位置する技だ。受け流しとは相手の動きを予測して攻撃を狙った方向へとそらすものであるが、本質を突き詰めれば『力の方向を操る』ことであると表現できる。
もちろんいかに鍛錬を積み重ねたからといってありとあらゆる力を操ることなど普通はできない。しかし、マリーは得意であった受け流しに磨きをかけたことで自らの技量を魔法の領域へと至らしめた。
どんなに苛烈な攻撃だろうと、それが飛ぶ斬撃だろうと形の無い炎や大気であったとしても。マリーは薙刀一つでありとあらゆる力の方向を操ることができる。
操られた風や炎が首をもたげた大きな蛇に見えたことから、東方民族の神話に登場する伝説の怪物『ヤマタノオロチ』が名付けの由来。その魔技の名は〈大蛇〉。マリーを最強たらしめる所以であった。
世界を巡った門下生たちが揃って「最強だ」と口にする魔技を操るマリーの本当の恐ろしさをヨーゼルはいま改めて思い知らされている。
荒れ狂う風で相手を叩き潰し、分厚くせりたつ風の壁が侵入者を防ぐ。それらを突破できたとしても、あの風を生み出すに至る洗練された受け流しによって全ての攻撃が防がれる。攻防一体という言葉をこれほど体現した技をヨーゼルは他に知らない。
現在の戦況はお互いに決め手に欠けるため拮抗している……ように見えるが。ヨーゼルはこのままでは己が負けることを理解していた。
マリーの『大蛇』は見た目こそ派手なものの元を辿ればただの受け流しである。わずかな体力消費であの現象を起こしている。これも門下生たちが反則技だと叫ぶ理由の1つであった。
それに対して、ヨーゼルはマリーの攻撃を常に最高速度で回避を余儀なくされている。そうしなければマリーに捉えられてしまうからだ。動きが悟られないようにヨーゼルも工夫はしているのだが戦闘経験の差なのだろう、マリーに段々と動きを読まれ始めていた。おまけに攻撃をするたびに反撃をくらいヨーゼルの体は徐々にダメージが体に蓄積されていくのだ。
このままジリ貧が続けば自分の体力が尽きて敗北する。そう確信していたがゆえに。膠着したこの状況を打破する方法があるとすれば、とヨーゼルは腰に差した鞘を握った。
≪大蛇≫と同じく魔の領域に至ったこの居合のみだ。
★★★
魔法と魔術はよく似ている。どちらも超常的な現象を起こすものだが、明確な違いがあるのだ。まず魔法とは己の意思のみで引き起こすものである。魔法を使う存在として一番有名な例は魔獣だ。口から炎を吐き出したり遠吠え一つで風を生み出すという行為は、なんの理論も存在せずただ己の衝動を満たすために引き起こされる災害。ゆえに、魔獣は神話のように語られていたのだ。
それに対して魔術は魔法の逆を行く。炎を操り大気を支配する魔獣を恐れた人間が、彼らと同じ力を得るべく生み出した理論が魔術なのだ。マッチ程度の大きさの火を火種もない手の中で発生させるためにはどうしたらいいのか。たったその程度のことを為すために何年もかけて検証と失敗を繰り返す。そんな大岩を水滴で砕くかのような狂気じみた小さな歩みを続けることで、数学の理論のように複雑かつ無駄なく組み上げられたのが魔術という理論なのである。
現在では炎や大気だけではなく電気までも緻密な操作が可能になったことで現代の科学技術の基盤になった魔術だが、実はヨーゼルやマリーたち武術家たちが使う魔技と共通点がある。
それは、発動にプロセスが必要であるという点だ。魔術でいえば決まった単語の組み合わせによる詠唱によって炎や大気を操り、魔技は体の動かし方によって『空中を飛び回る』『遠く離れた相手に斬撃を飛ばす』といった現象を引き起こしている。
ヨーゼルが生み出した居合もそんな魔技の1つ。だが、その魔技はマリーの〈大蛇〉と同じく門下生たちから規格外と称されている。
どんなナマクラな刀だろうと、それがたとえものを斬ることができるはずもない木刀であったとしても。ヨーゼルが剣を鞘に入れたあと、特定の構えから居合を放てば───森羅万象を切り伏せる魔剣と化す。
その威力は、マリー曰く『私の防御を突破しうる』と。
ゆえにその魔技につけられた名は〈天羽々斬〉
東方人に伝わる伝説の怪物、ヤマタノオロチを斬り殺した神剣の名である。
★★★
ヨーゼルとマリーの戦いは激しさを増していく。周囲には陥没した地面となぎ倒された木々が散乱しており、2人の戦いの激しさを表していた。
そんな激闘の最中、夜闇の中をヨーゼルが疾走する。月明かりによって白い髪の毛がわずかに青く光り、ヨーゼルは木々の合間を縫うように駆け抜けてマリーの隙を伺う。その姿はまるで北の大地で吹き荒ぶ雪を孕んだ風のようであった。
そんなヨーゼルにマリーは次々と薙刀を振り下ろして風の激流を差し向ける。しかし、木だけではなく空中をも足場にして縦横無尽に動き回るヨーゼルをなかなか捉えきれない。
マリーは今日に至るまで様々な相手と戦ってきた。真正面から戦いを挑んでくる高い技量を持つ生真面目な剣士に、鋼糸を武器として使い罠を仕掛けて徹底的に正面からの衝突を避ける暗殺者。魔術師とだって戦ったことがある。
だが、ヨーゼルほど高速でかつ三次元的に動き回り攻撃を叩きこんでくる相手とマリーは出会ったことがない。厄介なことこの上ないが、マリーならば初見だろうと対応できる範囲だ。
いつも通り相手の攻撃を全て受け流して隙ができたところに致命的な攻撃を与える。そうやってマリーは今まで生き残ってきた。単純な戦術だがいままでマリーの防御を突破できる人間がいなかったがゆえに、これがマリーの必殺の戦術である。
だが、ヨーゼルにはマリーの鉄壁の防御を破る手段がある。ありとあらゆるものをその一刀のもとに切り伏せる魔剣、≪天羽々斬≫。
マリーはそれを初めて見たときのことを昨日のことのように思い出せる。
見て欲しいものがある、と。ヨーゼルに言われてマリーは飛び込み岩のある川へと向かった。マリーが到着すると、そこには前日の雨で水量が増して濁流となっていた川の中でヨーゼルが腰に鞘に入った刀を携えて立っていたのだ。
危ないから早く出ろ、というマリーの制止を無視したヨーゼルは川の中で刀を抜き放った。
そして次の瞬間、人を飲み込みかねないほどの激流が水しぶきを上げることなく縦に真っ二つに割れたのだ。ヨーゼルが放った居合の軌道を避けて水が流れていく、その光景を見て。マリーは目の前で何が起きているのかを理解して全身に突き抜けるような衝撃を覚えた。
居合で抜き放った剣に【切断】の概念を付与する───それが≪天羽々斬≫の本質。
概念を生み出す魔技は世界的に見ても稀だ。本来ならば何世代もまたぐことでようやく完成させる魔技を、一代でしかもたった10代半ばの子供が生み出したという事実にマリーは心底震えた。そのとき、マリーはいつか自分を遥かに超える使い手になると確信したものだ。
───しかし、それは今じゃない
マリーは自分にそう言い聞かせる。マリーはいまここでヨーゼルに負けるわけにはいかないのだ。行かせばしまえば死ぬかもしれない、ではなく。間違いなく死んでしまうという自分の直感にマリーは反吐が出そうになる。
それでも瞳に業火を宿してマリーは高速で動くヨーゼルに注視し続けた。
警戒すべきはあの居合。マリーの防御を確実に突破できる手段が1つだけである以上、今までの仕掛け、そしてこれからヨーゼルが行う仕掛けの全てが≪天羽々斬≫を自分にぶつけることをゴールにしているのは明白だ。
───だが、決して油断はしない!
接近して≪天羽々斬≫を繰り出そうとしてくるヨーゼルに対してマリーは≪大蛇≫で上昇気流を発生させて妨害を行った。ヨーゼルはその風の壁を≪天羽々斬≫で切り裂き流れるような動作で上段からマリーに木刀を振り下ろすが、やはり簡単に受け流されて隙ができる。
その隙をつくようにマリーが≪天羽々斬≫でヨーゼルに攻撃を加えれば、ヨーゼルはボールのように吹き飛んでいく。されど≪鋼皮功≫と卓越した身体操作によってダメージを最小限に抑えたヨーゼルは体勢を立て直したのち、再び居合の構えを取って接近する。
先ほどからヨーゼルとマリーの戦いはこれの繰り返しだった。
ヨーゼルの≪天羽々斬≫は居合である特性上、連続して繰り出すことができない。風の壁を生身で突破するのが難しい以上、ヨーゼルがマリーの元へ迫るには≪天羽々斬≫で壁を切り裂いて接近するしかないのだが≪天羽々斬≫以外の斬撃ではマリーの防御を突破不可能。
そして、マリーはヨーゼルが仕掛けてくる過去の動きを用いたブラフが戦闘中のノイズになるせいで致命的な一撃を与えることができない。
命を故意に奪わないため、ヨーゼルとマリーの得物は真剣ではない。もし、ヨーゼルの木刀が真剣であれば≪天羽々斬≫でなくとも風の壁を突破できた。そして、マリーの得物が真剣であればヨーゼルは既に血だらけだ。
現状の戦闘は膠着状態。しいていえば攻撃の度に反撃を受けているヨーゼルがいずれ体力尽きて倒れるだろう……などとはマリーは微塵も思わない。それはヨーゼルが無策でいるはずがないというある種の信頼だった。そろそろ策を考えていてもおかしくはない。もしかしたらもう既にヨーゼルの策は始まっているかもしれない。
そんな風に考えて、マリーは微塵も油断をしなかった。油断しなかったがゆえに、マリーは暗い夜闇の中で風のように疾走するヨーゼルの気配が変わったことに気が付いた。
───来る
今まで縦横無尽に動き回り隙をつくように迫って来ていたヨーゼルがマリーの真正面から真っ直ぐ向かってきた。そのことにマリーは違和感を覚えるが、ヨーゼルの木刀が鞘に入っていたため対処せざるを得ない。
先ほどまでのようにマリーが薙刀で下からすくい上げて風を発生させようとした瞬間、ヨーゼルが体勢を低くしてさらに加速した。地面を這うような低い軌道にも関わらず、この戦闘において最高速度で接近してくる。
───まさか
このままではヨーゼルは風の壁に激突してダメージを受ける。その程度ヨーゼルが分からないはずはない、とマリーは思考した。次に風の壁を≪天羽々斬≫なしで突破する手段をヨーゼルは思いついたに違いないと思考を発展さたマリーは冷静な対処を行う。
下からすくい上げるようにして大気を操ろうとしていた薙刀を柔らかい土に触れさせる。たったそれだけ。たったそれだけでマリーは大質量の土を自らの支配下に置くことができるのだ。
建物を飲み込むかのような大きな土津波が発生する。風とは違い質量を伴う攻撃がヨーゼルの視界を埋めつくす。いかに風の壁を突破できる手段を思いついたからといって大質量の土津波を生身で突破する手段があるのだろうか。そう考えてマリーはこのような行動を取った。
その考えは正しかったらしくヨーゼルは足を止め≪天羽々斬≫を放った。土津波が真っ二つに割れて空中へと霧散する。
ヨーゼルの企みを阻止したはずだ。そう考えたマリーだったがすぐに考えを改める。上空から降り注ぐ土の雨の中、ヨーゼルの表情をマリーは見た。その表情は焦りなど微塵も浮かんでいない。それどころか計画通りに進んでいると言わんばかりの余裕の表情であった。
───何を考えている?
そのように警戒したマリーの視界を何かが奪う。先ほどヨーゼルが切り裂いた土津波の土が細かい砂のようになって2人の間を降り注いだのだ。おかげでマリーはヨーゼルのことを見失ってしまう。
マリーは周囲を確認した。先ほどまでマリーが引き起こしていた風に巻き上げられていた土に加え、ヨーゼルが切り裂いた土津波が空中に霧散したことをきっかけにこの場には視界を奪うほどの濃密な土煙が漂っていたのだ。これではヨーゼルがどこから攻撃をしてくるのか見当がつかない。
───あいつッ!!!
マリーはこの状況がヨーゼルによって作り出されたことを理解し大きく舌打ちをした。何度防がれても≪天羽々斬≫の構えで接近していたのは自分に風を起こさせて地面を削り土煙を舞いやすくするため。そして、風の壁にぶつかる勢いで突進してきたのはマリーが土津波を起こすと踏んでいたから。そしてこのような土の多い場所を指定してきたのはヨーゼルだ。
防御中心の戦いをするマリーにとって方向もタイミングも分からない攻撃を警戒し続けなければならないこの状況は不利だ。それに対して攻撃側は相手に隙が出来た瞬間に攻撃するだけでいい。どちらが有利なのかは言うまでもないことであった。
土煙を晴らす、という手段がマリーにはある。だが、そのために一度薙刀を振ってしまえば必ず隙ができてしまいその隙をヨーゼルに突かれることで、敗北しないにしろ手痛いダメージを受けることになりかねない。
───よく考えられている
相手が「待ち」を選べば集中力を奪うことができ、「打って出る」を選べばその隙を突くことができる。どう転んでもヨーゼル自身にメリットしかない二択を相手に迫るこの策にマリーは内心悪態をつく。
普段の稽古であれば手放しでほめたたえただろう。さすがヨーゼルだと頭をめいっぱい撫でただろう。だが、この時だけは「なんとも性格の悪いやつだ」という文句が頭の中に浮かぶ。このまま待っていても集中力が削られるだけだ、とマリーは土煙を晴らすために薙刀を振り下ろす。
その瞬間、マリーは視界の端で土煙が不自然な動きをしたのを捉える。黒い影が煙の中を移動していた。
「そこだ───ッ!!!」
自分の行動の隙を突こうとヨーゼルが考えているのであれば、わざと隙を作ることで攻撃のタイミングだけは誘導することができる。そのように考えていたマリーは土煙の動きに反応し体を翻して薙刀の軌道変えた。
人を容易に吹き飛ばすほどの暴風が影に向かって一直線に進み捉える。中心を打ち抜かれたその影は、マリーの頭上に舞い上がり月明かりによってその姿をはっきりと映しだした。
ヨーゼルが着ていた上着の中に枝葉をつめて作られた不格好の人形、それが影の正体であった。
マリーは即座に背後を振り返る。鞘に木刀をおさめたヨーゼルがすぐそこまで迫っていた。もう少しで≪天羽々斬≫の間合いになる。だが、不意をつかれたはずのマリーはいたって冷静だった。
マリーはその場で舞のように回転して薙刀を大きく振るう。薙刀に叩かれた大気が歪み風の波がヨーゼルに襲いかかった。以前、マリーは他の相手にデコイを使った策をくらったことがあった。ゆえに、視界を悪くされた時点でヨーゼルのこの二段構えの策を看破に成功。
マリーは大技によるカウンターをヨーゼルにあびせることで勝負を終わらせに行く。これならばヨーゼルが風を突破する手段があったとしてもダメージは避けられない。
遠心力を使って先端の速度が上がった薙刀による一閃。ヨーゼルの瞳に映る空間の全てが風で歪んだ。
逃げ場はなくヨーゼルがこの状況を脱するためには≪天羽々斬≫を放つしかない。そうなれば戦闘は再び膠着状態となりヨーゼルは程なく力尽きてしまうだろう。
勝てるとマリーは確信する。だが、迫る激流に対してヨーゼルは居合の構えを解いた。驚くマリーをよそにヨーゼルは暴風から逃げるどころかむしろ風に向かって強く踏み込んだ。地面が陥没するほど踏み込むことで生まれたエネルギーがヨーゼルの体を伝播して左肩に収束する。
ヨーゼルは自身を飲み込まんとする暴風へ発勁を撃ち込んだ。次の瞬間、空間が爆発する。衝撃によって膨張した空気が今度はマリーを襲った。たまらずマリーはその場を飛びのいたがそれでも風は迫ってくる。
向かってくる風を薙刀を振るうことで別の方向に受け流した瞬間、マリーはヨーゼルがすぐそこまで近づいていることに気付いた。すでに≪天羽々斬≫の射程内。
月明かりに照らされたヨーゼルの姿がはっきりと映る。綺麗な白い髪は土で茶色く染まり顔には疲労が表れていた。それに加えて左肩が外れて力なく揺れている。
ヨーゼルはデコイが効かなかった場合を想定して自傷前提の策を考えていた。≪鋼皮功≫で左半身を覆い踏み込みのエネルギーを打撃力に変換する震脚を用いて強力な打撃を放つ。そうすることで、≪天羽々斬≫なしで風の防壁を突破する。
≪天羽々斬≫を放つしかない。そんな状況に陥ったと見せかけて自傷前提の策で打開してみせるという『視界を奪う』『デコイ』に続く三段構えの策をヨーゼルは用意していたのだ。
ヨーゼルが戦いの先の先の先まで見据えて自傷すら厭わない策を立てていたという事実にマリーは感動すら覚えた。よくぞここまで、そんな気持ちがわいてくる。
だが、マリーはヨーゼルの賞賛をしている場合ではない。ヨーゼルは見るからに満身創痍であったが右腕は無事だ。≪天羽々斬≫を放つことができる。
それに対してマリーは間合いを詰められた上に風を受け流した直後であるため、体が硬直してすぐには動けない。時間にしてみれば動けないのは一瞬のことだがヨーゼルが≪天羽々斬≫を放つのには十分すぎる。
今まで戦ってきたなかで、マリーがここまで追い詰められたことはそうない。≪大蛇≫を会得してからはただの一度もない。
本当に憎たらしいほど強くなった。誇らしい気持ちもある。自分を遥かに超えていくだろうという確信がある。
だが、やはり。
「負けるわけにはいかないんだよ」
ブクマ、評価ありがとうございます