第25話
今回ちょっと長めです
レイドには好きな人がいる。といっても、憧れとか目標とか。そういう種類の好きな人だ。
自分にとって兄のような存在であるヨーゼル・ドレア。勉強ができてとても強い。レイドの憧れはそんな人間だった。
孤児院に引き取られたあと、ゴードンとミシェル以外でレイドが一番最初に会った大人がヨーゼルだ。厳密には当時のヨーゼルはまだ未成年であったが、レイドにとって背も高く落ち着いた物腰のヨーゼルは十分に大人に見えた。
ヨーゼルは出会ったころからよく自分を気にかけてくれていた。ヨーゼルはみんなに対して優しいけど、自分に対してはもっと優しい。そんな気がしていた。アリスという女の子に対しても自分と同じぐらい優しく接していたと思うけど。
ともかく、かっこよくて強くてそれでいて優しい。そんな人と一緒にいて心地いいと感じるのは普通だ。だって、優しいんだもん。ヨーゼルに対するレイドの感情を言葉に表すならこういう風であった。
だからだろう。レイドはいつしかヨーゼルのことを無意識に完璧な存在だと思い始めていた。ヨーゼルも1人の人間であると気が付けたのはヨーゼルが自分たちを守るために戦って傷ついてからだ。
ヨーゼルの傷は幸いにも浅かった。しかし、ヨーゼルが寝泊まりしていた教会の部屋にアリスと一緒にこっそりと忍び込むとヨーゼルはぐったりとしていた。
それまでに孤児院で一緒に昼寝をすることはあったけど、そんな疲労困憊のヨーゼルをレイドは見たことはなかった。
ヨーゼルのいる部屋から出た後、アリスと色々話した。主にヨーゼルのことであったが、1つだけレイドはは一生忘れることのできない言葉をアリスは口にしたのだ。
「ヨーゼルって、すごく強いけど。誰がヨーゼルのこと守ってあげるんだろう」
そのアリスの疑問に答えることができなかった。物語では主人公は弱い人を助ける。それが英雄譚だったら助けた相手と恋に落ちて幸せな未来にたどり着くだろう。
だが、ヨーゼルは強くても生きた人間なのだ。落ち込むことはあるだろうし、自分よりも強い人間と戦わなければならないこともある。
そんな時、だれがヨーゼルの傍にいるのだろう。少なくとも自分のような守られてばかりの人間ではないことはレイドにも分かった。
強くなろう。ヨーゼルの役に立てるぐらいに。そんなことを思ったレイドが隣を見れば、アリスも同じような決意を持っているのが分かった。
そんな決意を持てた二人はすぐにでもヨーゼルに会いたくなった。自分たちが強くなるから貴方はもう大丈夫だ。優しいヨーゼルにそう言いたかった。
だが、そんな決意を口にすることはおろか話しかけることもできなくなった。マリーを教会に運び込んだその日からヨーゼルに暖かさが消えて凍らせた刃のような雰囲気が漂うになったからだ。
★★★
約束の日になった。決闘の時刻は夜。現在、星がばらまかれた夜空にポツンと青白い月が浮かんでいる。
決闘場所はトリステンの街から少し離れた森の中にある開けた場所だ。ヨーゼルとマリーの戦闘の余波がトリステンの街や街道に及ばないように、ヨーゼルからマリーに間違っても人が来ないような場所を提案した。
決闘の時刻が近づいているのでヨーゼルは決闘場所へと向かわなければならない。だが、その前に話すことがありヨーゼルはトリステンの入り口でアルバート・エルザの二人と話していた。
「事前に話した通り、二人は俺と先生の決闘を見届けるようお願いします」
古くから決闘には決闘者がそれぞれ一人ずつ立会人を用意することが必要とされている。当人たちだけでは決闘後に『そんな約束をした覚えがない』と言えてしまうからだ。
もっともマリーもヨーゼルも約束を反故にするつもりは毛頭なかったが、礼儀的なものを疎かにするつもりもない。そこでマリーはアルバート、ヨーゼルはエルザを立会人に選んだのだ。
「もちろん。俺たちは安全なところからお二人の戦うところを見学させてもらいますよ」
「ヨーゼル、頑張って」
いつも通り軽い調子のアルバートに対して、エルザは普段の快活さを見せない。だが、エルザに卑屈さは無くヨーゼルの選択を尊重する覚悟のようなものが見えていた。
「では、行ってきます」
ヨーゼルは二人に背を向けて歩き出す。服装は普段通りの軽装。だが、腰には鞘に入った木刀が差されている。
これからヨーゼルは決闘に向かうのだ。
街の入り口を離れてすぐにヨーゼルは≪空土≫で空を舞う。空中を踏むたびに上昇していくヨーゼルは上空から森の中にある開けた一角と、その中心にいる赤い髪の女性を視界に入れる。
もう一度空中を蹴ったヨーゼルは加速をして木々が生い茂る森の上を一気に突っ切っていく。ヨーゼルの接近に気が付いたマリーが視線を上げたことで二人の目が合う。
互いが最愛の相手。されど今日は雌雄を決する決闘相手。
ヨーゼルが地面に着地する。遥か上空から着地したのにも関わらず砂ぼこりの一つも上がらない。ヨーゼルの体術が卓越している証だった。
「お待たせしました」
「それほど待っていないから気にするな」
ひとことふたこと言葉を交わして、2人の間に耳が痛くなるほどの静寂が訪れる。風に揺れて葉っぱがこすれる音だけが聞こえてた。
周りを木々に囲まれたこの場所から空を見上げると葉っぱに覆われた夜空にポッカリと穴が空いているように見える。その穴の中で爛爛と輝く青白い月が奇麗だった。
「ヨーゼル、準備はいいか」
マリーが口を開いた。腰に差してある木刀の柄に一度だけ触れて、ヨーゼルは夜空を見上げていた瞳をマリーへと向ける。
月の青白い光だけが光源のこの世界でマリーの髪が炎のように赤を帯びていた。そのように見えたのは、マリーから尋常ならざる闘気が漏れ出しているからだとヨーゼルはすぐさま理解する。
「───」
ヨーゼルは無言で左手を鞘に右手を木刀の柄に添えて腰を落とす。
準備は出来た。その意思表示であった。
「───良し」
今更二人にそれ以上の言葉はいらない。既に話し合いで済む段階はとうの昔に終わったのだ。
マリーは背負っていた薙刀を両手に持つ。彼女が斜めに振り上げる。たったそれだけで薙刀の周囲の空気が歪んで光が屈折した。マリーが最も得意とする魔技≪大蛇≫による空間波状攻撃の予備動作だ。
その状態で放たれる風切り音すら消えた流麗かつ高速の一閃。大気を歪ませる一撃は、薙刀の間合いの外にいるヨーゼルの元へ空気の波による波状攻撃を可能とした。
「───斬る」
ヨーゼルは視界いっぱいに広がる大気の歪んだ情景に居合の構えから抜き放つ一刀で線を引く。たったそれだけでヨーゼルの目の前の空間がナイフを差し込んだ果物のように切れ込みが入る。
次の瞬間、ヨーゼルの横を嵐のような暴風が駆け抜けていった。子供が砂場の砂を蹴とばすような気軽さでヨーゼルの背後にあった木々が吹き飛んでいく。
達人である二人の戦闘の規模はまさしく天災と呼ぶに相応しい。互いの得物はどちらも真剣ではなくとも、一度でもまともに当たれば致命傷になり得る威力。
命をかける。
二人が放った最初の一手はそんな覚悟を示していた。
★★★
「始まったな」
ヨーゼルを見送ってからほどなくして轟音がトリステンへと届いた。空を飛んでいったヨーゼルが豆粒に見えるぐらいトリステンから離れた場所で戦っているのにも関わらず聞こえてくる戦闘音にアルバートは思わず笑う。
このままではいずれ音に気が付いた住民がここへ集まってくるだろう。その時に二人のもとへ誰も行かせないのが自分の役目ではあるが、さてどう説明したものか。
「やっぱ素直に親子喧嘩ですって言うべきか?」
「……私だったら二人が稽古中だっていうよ。そもそも喧嘩してるわけじゃないし」
「あれで喧嘩じゃないってんなら何が喧嘩になるんだよ。ほれ見ろ、大木が宙を舞ってるぞ?」
「二人はお互いのこと大事に思ってるんだから喧嘩じゃないんだよ。言い合ったりすることもあるけど、あれは喧嘩じゃなくてすれ違い」
「……そんな違うもんかね」
肩を竦めるアルバートは二人が戦っている方角を見ながら「そう言えば」と続けた。
「エルザ、お前ずいぶんと落ち着いてるじゃねえか。昨日まではいかにも『私、二人が戦うところ見たくありません』みたいな感じだったくせに」
「……うるさいなぁ、もう」
図星だったために言い返すこともできずエルザはそっぽを向いた。
ヨーゼルとマリーのどちらも大切な人であるエルザにとって、二人が戦って決着をつけるなんてことは今でも反対だ。だが、それ以上の解決案を出せない自分がとやかく言えることではないとエルザは納得もしていた。
「(今のよーくんは抜身の剣みたいだ)」
おさまる鞘がないむき出しの剣。触れるものを傷つつけて、地面に落ちればそのまま深々と突き刺さってしまうような切れ味を持った剣。決死の覚悟を決めたヨーゼルはまさしくそんな存在だ。
そんなヨーゼルに対して何ができるのか。エルザが思いついたのはヨーゼルの鞘になることであった。どんなことがあってもヨーゼルの傍にいて彼が抱える孤独や激情の全てをその身で受け止める。
本当の意味でヨーゼルの婚約者として相応しい人間になること。それがエルザがこの三日間で悩んで出した結論だった。
その結論が出てしまえばヨーゼルとマリーの戦いの結果がどうなってもエルザの目的は達成できる。どちらが勝ってもエルザはヨーゼルの隣に居ることができればいいのだから。
でも、やっぱりよくを言えば。決闘が終わったあとも二人が仲良くいて欲しいとエルザは思ってしまう。
そのために自分ができることは何だろうか。今のエルザは二人の勝敗よりもそのことばかりを考えてしまうのだった。
★★★
「───ハッ!!!」
マリーが鋭く叫んだあと、ヨーゼルの視界から薙刀の先端が消える。ヨーゼルの目にすら映らない速度でマリーは薙刀で空中に十の字を描いたのだ。そして、薙刀によって描かれた十字を中心に空間が歪む。圧縮された大気がヨーゼルの元へと殺到した。
ヨーゼルは咄嗟に後ろに飛ぶと立っていた地面が十字型に陥没して草木が舞う。地面から足が離れたヨーゼルに向けて今が好機とばかりにマリーは大気の塊を射出した。逃げ場のない空中でヨーゼルに攻撃が迫る。だが、ヨーゼルにとって空中も地面も同じ足場だ。
ヨーゼルは体に染みついた魔技≪空土≫によって空中を闊歩する。空中を蹴ることで加速したヨーゼルはマリーの攻撃を回避したのち、そのときの加速を保持したままマリーへと接近した。
薙刀を振り抜いた直後の硬直をヨーゼルは狙っていた。どんな人間でも攻撃の直後は筋肉が固まる。だが、その程度の隙をついてくる人間をマリーは10年以上も前に散々相手をしてきたのだ。
マリーは迫りくるヨーゼルの前で薙刀で地面をなぞった。
「───ッ!!!」
地面が爆発したのと同時。マリーとヨーゼルの間を隔てるように分厚い大気の壁が出現した。上向きに流れる暴風によって城壁のごとき防御力を誇る大気の壁にぶつかれば、激流に飲み込まれて体が傷付きただ壁にぶつかるよりも悲惨な末路を辿るだろう。
そのことを理解したヨーゼルは大気の壁にぶつかる直前に再度空中を蹴ることで衝突を防ぐ。しかし、地面に転がっていた石たちが暴風によって削られ巻き上げられて、刃物のような鋭利さをともない弓矢に等しい速度でヨーゼルの体へと飛来した。
───やるな
ヨーゼルの体にその鋭利な石たちが突き刺さる直前、その速度を急激に減じさせポトリと地面へと落下した。ヨーゼルが何をしたのか理解したマリーは感心して思わず声を漏らす。
ヨーゼルが行ったのは≪鋼皮功≫と呼ばれる魔技の応用。ヒビキの炎波を突破したその技は、体内の魔力を操り素肌の上に薄い膜を作る技である。鋼皮功は極めれば鋼鉄よりも硬い膜を作ることが出来ることからその名がついているのだ。
多くの流派で基本的な魔技とされている≪鋼皮功≫だが、基本であるゆえに極めるのが難しい。実際、全身を鋼鉄で覆うことが出来れば無敵といっても過言ではないが、実際は手に気功を集中させて刃物を受け止めることができれば一人前と言われるのが現実だ。
だが、ヨーゼルは高速で飛来する鋭利な物体を薄く広がった膜で停止させてみせた。弓矢のごとき速度で飛来する鋭利な石は投げつけられたナイフと威力は変わらないか下手をすれば上をいく。手に鋼皮功を集中させたのならまだしも薄い膜で全てを受け止めるなんて芸当マリーにも出来ない。
ゆえに鋼皮功という魔技においては、自分の上を行くヨーゼルの熟練度にマリーは心底感心した。
───技のキレは文句なしの達人、判断力も一級品
これほどの技量を携えているのにも関わらずヨーゼルは襲撃者に歯が立たなかったという。それほどの手練れがヨーゼルを狙っている事実が、より一層『ヨーゼルをトリステンから出してはいけない』というマリーの想いを強くする。
「───来い」
攻撃を防いだ後も疾走するヨーゼルは暗い森の中に瞬く閃光のようであった。単純な速力ならマリーはヨーゼルに勝てない。ゆえにヨーゼルを追いかけるわけにもいかず、自然とマリーの戦略は防御中心になる……しかし、≪大蛇≫を扱うマリーには速力の差など関係ない。
マリーは高速で動くヨーゼルの動きを捉えて次々に遠距離の攻撃を繰り出す。マリーが最も得意とする魔技≪大蛇≫を使えば、軽く薙刀を振るうだけで≪渡り鳥≫以上の高速・高威力の空気弾を放つことができるのだ。
ゆえに、マリーの攻撃範囲は近接戦のそれではない。薙刀を持ちながら銃以上の間合いを持つ、それがマリーの強さを支える要因の一つであった。
そのことを十分に理解しているヨーゼルのこの戦いにおける戦略はいかにマリーに近付くかである。しかし、互いに本気での試合は初めてといえども1000を優に超える数の戦いをしているので互いの手の内など熟知している。
そんな状態で負け続けたヨーゼルがいま勝ちを拾うには、予想外の手を繰り出すほかない。
───来るッ
空気弾による下段攻撃をヨーゼルは大きく飛ぶことでかわす。空中に躍り出たヨーゼルは右手右足を後ろに下げて木刀の切っ先をマリーへと向けた。それは鋭い踏み込みによって相手へと高速で接近し刺し倒す片手一本付きの構え。自身の得意技である突きの構えをヨーゼルは空中で完成させた。
一呼吸後には≪空土≫で空中を蹴ることで超高速の突きを放つことができるだろう。
だが、マリーはその構えを見て疑問に思った。いまマリーとヨーゼルの間には距離がある。確かにヨーゼルの突きであれば一瞬で自分の懐へ飛び込むことが出来るだろう。ヨーゼルが一気に決着をつけようという魂胆であるのならばその技を選択した意味を理解できる。
だが、マリーが知る限りヨーゼルはいつも相手の隙を作った後にとどめとしてこの突き技を放っていた。どれだけ早い攻撃だろうと軌道が単純であれば回避することは容易い。それを理解しているからこそヨーゼルは片手一本突きを勝負を決めるときのみに使っていたのだ。
この状況でなおかつ自分相手にただの鋭い突きが通じるはずがないことをヨーゼルならば理解しているはずだ、とマリーは思考を巡らせる。
───何か魂胆があるな
ヨーゼルという男は賢い。10年ともに暮らしてきてマリーはそのことをよく理解していた。ゆえにマリーは警戒する。ヨーゼルに主導権を渡さないためにマリーが薙刀を振って風の激流を造り出そうとした瞬間、マリーの脳内で警告音が鳴り響く。
突如として、ヨーゼルはその場から動かずに虚空に向けて突きを繰り出したのだ。当然、木刀の切っ先はマリーのもとは届かないどころか薙刀に触れることすらない。だが、ヨーゼルの木刀の切っ先から目にも止まらぬ高速の斬撃が飛び出し一直線にマリーへと迫る。
警戒をしていたマリーは咄嗟に薙刀の軌道を変えて飛んで来る斬撃を受け流した。後方へと飛んで行った斬撃が大木に穴を開けたのを確認する暇などマリーには無い。いまのたった数瞬の攻防の間にヨーゼルが姿を消してしまったのだ。
───どこへ行った?
周囲の気配を探ったと同時。背中に氷柱が突き刺さったような感覚を覚えてマリーは振り返る。そこには木刀を鞘に納めたヨーゼルがすぐそばまで迫って来ていた。綺麗な白い髪が閃光のように瞬く。
───不味い
マリーの心に焦りが浮かぶ。だが、百戦錬磨のマリーはそれでも冷静だった。薙刀を下からすくい上げるにかち上げて大気を操作。大量の土煙とともにそそり立つ暴風の壁が顕現する。しかし、その分厚い大気の風がヨーゼルとマリーを隔てたのも束の間。壁が空間ごと斜めに切り裂かれて霧散する。
大気の壁を切り伏せたヨーゼルが居合を放った体勢で現れた。そのまま流れるように美しい動作で上段に構えたヨーゼルはマリーの脳天目掛けて木刀振り下ろすも、体勢を立て直したマリーによって綺麗に受け流されてしまう。
あまりにも完璧に受け流されたヨーゼルに隙が生まれる。その隙をマリーが見逃すわけもなく〈空土〉で逃げられる前にヨーゼルの腹に大気の塊をぶつけて上空へ吹っ飛ばした。
周囲の木々よりも高い位置まで飛ばされたヨーゼルは、大木をへし折る衝撃を腹に受けたにも関わらず大したダメージもなさげに体勢を立て直す。
おそらく〈鋼皮功〉と卓越した体捌きでダメージを軽減したのだろう、と考えてマリーは苦々しく呟く。
「───これほどか」
★★★
空中での追撃を恐れて、ヨーゼルは〈空土〉で不規則に空中を飛び回りかつ木々を盾にしながら地面へと降り立つ。腹に受けたダメージは大したことないが、ヨーゼルは先ほどの攻防でマリーにろくにダメージを与えられなかったことにため息をつく。
片手一本突きから飛び出した斬撃。あれは斬撃を飛ばす魔技≪渡り鳥≫を応用したものだった。普通は縦や斜め、または横に剣を振るうなどしていわゆる線で剣の間合い外の相手に攻撃をする技だ。それをヨーゼルは突きで〈渡り鳥〉を使用することで点の攻撃に変えただけではなく副次的な効果で特段の速度と貫通力を付与することに成功していた。
通常よりも遥かに難易度が高くまた狙いがぶれやすい突きの斬撃───飛影と名付けたこの技をヨーゼルは実践で使えるレベルにまで仕上げていた。
そんな代物をヨーゼルはいま初見でマリーに繰り出したのだ。ゆえに通じた。されど、その初見殺し染みた代物をマリーに当たり前のように対応されてしまったのだ。その上、マリーはその場から一度も動いていない。体の向きを入れ替えるときにのみ足を動かすために出来た、マリーの足元に描かれた綺麗な円がその証拠。それほどの実力差があるということを表していた。
ヨーゼルが少しでもその場に止まっていると息をつく間もなくマリーから不可視の攻撃が飛んで来る。木々を使いながら攻撃をかわし木刀を鞘に入れて接近するも、地面を抉るような風の壁に邪魔されてその切っ先は決してマリーの体に届かない。
鼻先をかすめる暴風に足を止められたヨーゼルは空を駆けた。周囲の木々と空中を足場にすることで可能となる三次元機動を用いて、ヨーゼルはマリーに揺さぶりをかけ続ける。正面、背後、頭上とありとあらゆる方向から高速で攻撃が叩きこまれる鳥籠の中で、されどマリーは全ての攻撃を足を動かすことなく受け流していく。
高速の攻防の中、ヨーゼルはマリーの真正面で飛翔する。マリーの遥か上空で月を背後にヨーゼルは空中で上段に構えた。綺麗な上段斬りが夜闇を裂くように虚空に線を引く。そして次にヨーゼルは
斜めに剣を、さらに次は真一文字の横なぎを、と。繋ぎ目のない滑らかな連撃を虚空へと放ち続ける。
ヨーゼルの一刀が放たれる度に、夜空に光が瞬いた。
いくつもの剣撃の型を用意しそれを組み合わせ続けることで無限の連撃を放つ。かつて門下生の一人から教わった連撃の極意。それと〈渡り鳥〉を組み合わせたことでヨーゼルが生み出した、遠距離から絶え間ない飛ぶ斬撃を繰り出し続ける魔技〈渡り鳥〉の派生技───千鳥。
瞬きの間に五つ、一呼吸の間に十の斬撃を飛ばすヨーゼルの〈千鳥〉に対して、マリーは風の壁を作るのではなく薙刀で応戦する。壁が迫って来ると見間違うほどの濃密な斬撃の嵐をマリーは薙刀一つで全てを受け流す。それどころかマリーはヨーゼルが放った斬撃を薙刀で全て跳ね返してみせた。
自分が放った攻撃を跳ね返されたヨーゼルは、眼前に斬撃が迫っているのにも関わらず。最後にマリーへ向けて特大の〈渡り鳥〉を放つ。それを最後にヨーゼルは跳ね返された斬撃の嵐に飲み込まれた。
しかし、ヨーゼルから放たれた最後の斬撃はマリーの目元へと向かって飛翔する。どんな生物でも目に飛んで来た攻撃に対しては本能的に無理な回避運動を余儀なくされてしまうものだ。
しかし、
「馬鹿、それは一度見ている」
マリーは百戦錬磨の女傑。一度見た技をまんまと喰らうほど間抜けではない。即座に斬撃を叩き落として自分の死角に回り込んだであろうヨーゼルに大気の激流をぶつけるため振りかぶる。
しかし、ヨーゼルは真正面にいたのだ。猫のように低い姿勢を保ち居合の構えですぐそばにまで迫っている。
「───ッ」
自分の読みが外れたことにマリーはいくらか驚く。だが、読み違えを起こしたとしてもマリーの頭は冷静だ。
ヨーゼルの服は端々がスッパリと切れているものの体に傷を負っている様子はない。おそらく≪鋼皮功≫で跳ね返された斬撃による負傷ダメージを最小限にした状態で突っ込んできたのだろうとマリーは思考を駆け巡らせる。
ヨーゼルが鞘の中に納めた木刀を抜き放つ直前、マリーは空中へ飛んだ。そして、薙刀を地面に叩きつける勢いで下へ振り下ろすと凄まじい下降気流が発生。ヨーゼルが吹き飛ばされて強制的にマリーとの間に距離ができた。
マリーはヨーゼルが着地しようとした瞬間を狙って大気の爆弾を放つ。だが、ヨーゼルは素晴らしい速度と緩急でマリーの攻撃を交わしながら接近と攻撃を試みる。
───先ほどのあれは読みが外れたわけではない
相手の目を≪渡り鳥≫で狙い自分から視線が外させて相手の死角から奇襲する。この技を一度マリーはヨーゼルに見せられている。
これは初見殺しとして非常に効果的な技だが、初見殺しと言うのはやればやるほど効果が薄まっていく。それは技の出来が悪いからではなく、むしろ初見殺しはくらった人間の記憶に強く残るから二回目以降は即座に反応されてしまうのだ。
マリーも同じである。ヨーゼルの初見殺しの出来がよかったからこそ体が反応できてしまった。そういう無意識の反応をヨーゼルは逆手に取ろうとしていることをマリーは理解する。
「……厄介な」
マリーとヨーゼルの試合は1000を超える。その過程でヨーゼルはマリーを倒すために様々な策を講じた。それは格上であるマリーを勝つために当然のことだった。
結局はマリーはヨーゼルの策を全て封殺してきたが、印象に残っている策がいま思い出せるだけでもかなりある。そして、いまマリーが思い出せないだけで同じ策を講じられたら咄嗟に体が反応してしまうこともあるだろう。
ヨーゼルはおそらく自分が講じた策の全てを覚えている。ゆえに、今までの試合でマリーの頭と体に植え付けられたヨーゼルの策の記憶すべてがこの決闘の布石になる。それは今まで格上ゆえにヨーゼルに対して策を講じてこなかったマリーにはないヨーゼルだけのアドバンテージだ。
ヨーゼルという人間が積み上げた剣術の歴史が、今回のマリーの決闘相手。
青年ヨーゼルが木刀を振り上げる姿がかつての幼いヨーゼルの姿と重なる。
先生と。無邪気な顔で木刀を握るヨーゼルの姿。最初は木刀の重さに振り回されていた幼い子供だった。
それが、
───ずいぶんと恐ろしくなったものだ
ブクマ、評価ありがとうございます。