第20話
マリーが倒れた。
ガイセルからその知らせを聞いた3人は、ガイセルの案内を断り、場所だけ聞いて建物を飛び越えながら急いでマリーの元へと向かった。
マリーの周囲には人だかりが出来ていたが、彼らはヨーゼルのことに気が付きすぐに道を開ける。ヨーゼルとマリーの関係はトリステンの人間ならば誰もが知っているのだ。
「先生!」
幸いにもその場にいた人間の中に応急処置の心得がある人間がいたらしく、マリーは安全な状態で寝かされていた。
そばについてくれていた人間の肩を叩いたヨーゼルは場所を変わってもらいマリーの脈を確認する。ヨーゼルはクラウスから医学知識を、ゴードンから一通りの応急処置のやり方を習っていた。
ゆに本職の医者には及ばなくとも、ある程度体調の診断ができる。
「師範の容態どう?」
「……脈が弱いですね。呼吸も浅いし、不規則です」
「そうっすか……おい、だれか。この人が倒れる前に何してたか分かるやついるか?」
アルバートが野次馬たちに聞くと、口々に何も見ていないという返事が返って来る。
「こんだけ人がいて誰も見てないってことはねえだろ」
「いや、本当なんだよ。みんなラジオに夢中になって、マリーのこと見てなかったと思うよ」
ラジオ、という単語を聞きヨーゼルは周囲を見渡す。
すぐに見つかった。テーブルの上にラジオが1つ。
「ここでもさっきの放送流れてたんだ……」
「そうみたいだな。師範代、とりあえず師範を教会へ運びましょう」
トリステンでは、クラウスのいる教会が診療所のような役割を担っている。アルバートの提案に頷き、ヨーゼルがマリーを運ぶためにマリーを背負おうと動き出したとき。マリーの目が薄く開いて、微かに口が動いた。
「……い、」
「先生?」
「……すまない、ライル」
マリーはそう言って、ヨーゼルに向かって手を伸ばす。マリーを背負うために顔を離していたヨーゼルの頬にはマリーの手は届かない。
ヨーゼルは代わりにマリーの手を取り握った。
マリーの手は震えていた。いつもヨーゼルやアルバートたち門下生を叩き潰す彼女とは到底思えないほど、力も弱々しい。
だが、ヨーゼルが手を握るとマリーは安心したような表情で目を瞑り呼吸が安定し始める。
「……脈も安定している」
マリーの脈を再確認したヨーゼルが、驚いたような声を出した。意識こそ戻ってはいないが、マリーの容態を見る限りただ寝ているのと変わらない。
「命の別状はもうないってこと?」
「おそらくは。万が一もありますから、クラウス先生に診てもらいましょう」
「そうっすね」
三人はマリーを揺らさないように教会へと運ぶのだった。
★★★
教会に着いたヨーゼルたちとマリーを最初に出迎えたのは、アリスとレイドだった。ヨーゼルを見て気まずそうな顔をした二人だったが、ヨーゼルがマリーを背負っていることに気が付き、ゴードンやミシェル、教会のシスターを呼びに行ってくれた。
その間にヨーゼルたちは、マリーをヨーゼルが使っている部屋へと連れて行きベットに寝かせた。
マリーを寝かせてからすぐにミシェルが、それからほんの少し遅れてゴードンとクラウスがやって来る。
「……脈も呼吸も安定している。命に別状はありませんし、今はただ眠っているだけのようです。じき目を覚ますでしょう」
クラウスの診断を聞いた全員がほっと胸をなでおろす。
「なんとも人騒がせなやつだ」
心配をしていただろうに悪態をつくゴードンに困った笑顔を浮かべたミシェルがそのまま疑問を口にする。
「それにしてもどうしてマリーは倒れたのでしょう?」
「原因は様々なものが考えられますが……マリー殿が倒れる直前に何か変わったこと様子があったりなどはしませんでしたか?
クラウスはマリーを連れて来たヨーゼル・アルバート・エルザの三人に視線を向けた。ヨーゼルたち3人は互いに顔を見合わせて肩をすくめる。
「俺たちは先生が倒れた瞬間には立ち会わなかったので、駆け付けた際に周りにいた人たちに先生が倒れたときの様子を聞いたのですが、みんなラジオに夢中になっており見ていなかった、と」
「ラジオ、というと……先ほどあったテロリストのあれか?」
あれ、と。ゴードンが指したものがあのラジオ放送であることを理解したヨーゼルは「おそらく」と頷いた。
「マリーが倒れた場所付近にラジオがあり、マリーの近くにいた人間が全員がそれを聞いていた……ということか?」
「えぇ、そういうことだと思います」
「……マリーのやつも例のラジオを聞いていた可能性が高いということだな?」
「そうだとは思いますが……それがどうかしましたか?」
「いや、ちょっとな」
ゴードンはミシェルと互いに顔を見合わたあと、2人して「どうしたものか」と言わんばかりの表情をした。どうやらこの状態では話し辛いことのようだ。
そのことを察知したアルバートが部屋の出口へと向かう。
「……師範の命に別状がないようなので、俺はもう行きますぜ。他の連中にも師範のこと伝えにゃならんことですし」
「了解です。アルバート、色々とありがとうございました」
「気にせんでください」
アルバートはその場にいる人間に一度頭を下げて、部屋の外へと出ていく。
「私も失礼いたします。もし、何かあればいつでもお呼びください」
「あ、クラウス先生」
それでは、と同じように部屋を出ようとするクラウスをヨーゼルが呼び止める。ヨーゼルはクラウスに近付き、他の人間には聞こえないほどの声量で話し始める。
「ソフィアさんはいま何をしているのですか?」
「彼女ですか? 彼女はイアン殿と一緒に例のラジオの件について話し込んでいらっしゃいます」
奇妙な手紙の件について、ヨーゼルはソフィアと話がしたいと思っていたが、ヨーゼル自身が話す前にラジオの件に注目しているとは思っていなかった。
「……エクソシストというのは、テロリストの捕縛も仕事のうちなのですか?」
「私がいたころは悪魔とそれを利用する者を追うだけだったはずですよ」
「(つまり、あのテロリストたちは悪魔と何か関わりがあるということか)」
ヒビキたち、手紙、テロリストには何らかの繋がりがあるのは明白だ。それらすべてが自分の過去とも繋がっている可能性が高いという事実に、ヨーゼルは頭が痛くなりそうだったが心を落ち着けてクラウスに礼を言う。
「引き止めてしまい申し訳ありません。母を診てくださりありがとうございました」
「お気になさらず。ヨーゼル、先ほども言いましたが何かあればいつでもお呼びください」
「……はい? もちろん頼らせてもらいます」
クラウスの言葉に妙な雰囲気を感じ取ったヨーゼルだったが、言葉そのものに不自然さは感じなかったため特に気にも止めずにクラウスを見送った。
そして、この場に残ったのはゴードンとミシェル、眠ったマリーにヨーゼル、そしてエルザだ。
ゴードンがエルザのことを見たあとヨーゼルへと視線を向ける。
「もう話してもいいのか? 昔のマリーのことだから、ヨーゼルには聞かせた方がいいと思っとるが……」
「エルザにも聞かせてあげてください。先生とも仲はいいですし、俺の婚約者ですから」
「おぉ、そうだったのか」
「昔から仲がよかったですからね。ヨーゼル、エルザ。遅くなりましたがおめでとうございます」
ゴードンとミシェルが納得したように頷き、エルザは改めてヨーゼルの口から『婚約者』だと紹介されたことに顔を赤くする。
「ありがとうございます。それで、ゴードンさんは何を知っているのですか?」
祝福とお礼もそこそこに、ヨーゼルは早速本題に入った。
「うむ……ヨーゼル。お前はマリーのやつがお前と出会う前に何をしていたのか聞いておるか?」
「先生からは武者修行の旅をしていたと聞いています」
「やはり聞いておらんのだな……ヨーゼル、マリーが武者修行のためにこの国のあちこちを巡ったのは事実だ。だが、お前と出会う直前までマリーはギドキアにおったらしい。しかも2年近い期間」
「ちょっと待ってください。俺と先生が出会ったのが10年前、それから2年前からギドキアにいたということは……先生は内戦真っ只中のギドキアに2年もいたのですか?」
ギドキアの内戦が始まったのは今から14年前。それから内戦は4年もの間続き、内戦が収束し始めたのは10年前。
ゴードンの話が本当なのであれば、マリーはギドキア内戦の中期から終戦間近までの期間をギドキアで過ごしていたことになる。
ギドキア内戦は輝晶を管理するギドキア政府とその管理体制に異を唱える反政府勢力の戦いではあったものの、実際は反政府勢力と政府に支援をしていた共和国軍との戦いだ。ゆえに共和国人であるマリーは現地の反対勢力にしたら仇敵である。見た目のいい女でもあることを加味すれば、狙われないはずがない。
そんな状況下でわざわざギドキアに居続けるなど正気の沙汰ではない。
「義勇軍として内戦鎮圧に参加していたそうだ。マリー本人がそう言っていた」
「何故、そうまでして先生はギドキアに……」
「その理由までは分からんが、この話をマリーから聞きだすきっかけになったことがあってな」
そこからはミシェルが言葉を引き継ぐ。
「ヨーゼルは知っていると思いますがうちの孤児院を卒業した子たちの中には他の街に行って働く子も多いです。ラウルとかがいい例ですね」
ヨーゼルが兄と慕うラウルは首都であるヴェールの新聞社≪ヴェール・タイムズ≫で働いている。他にもヨーゼルが知っている孤児院の子供の半数近い数が街の外へと旅立って行った。
「その子たちは近況報告として手紙を送ってくれるのです。それを読むのが私やゴードンさんの楽しみの1つなのですが……このことをはひとまず置いといて。マリーも例に漏れず、孤児院を出たあとによく手紙を送ってくれていました。ですが、ヨーゼルを連れて来る3年前ぐらいからずっと途絶えていたのです。ですから、マリーがヨーゼルを連れて来た時は本当にビックリしました。なにせ3年も音信不通だった子が、いきなり8歳ぐらいの息子を連れて帰って来たというのですから」
「というような経緯があったから、マリーに今まで何をしていたのかと聞いて、わしらはマリーがギドキアにいたことを知ったのだ」
「……先生が俺と出会う2年前からギドキアにいたのに、連絡が来なくなったのは3年前からなのですか?」
情勢が不安定であったギドキアから手紙が出せなかった、というのであればマリーの音信不通の理由に説明がつく。だが、ギドキアに入国する1年前から手紙が出せなかったというのは不自然だ。
ヨーゼルの指摘にゴードンが大きく頷いた。
「ここからは推測になるんだが……当時、マリーには付き合っていた男がおったようだ。はっきりとそう書いていたわけではないが、手紙にはそれを匂わせるようなことが書いてあった」
「その方が書き方的にどうやら共和国軍人のようで、もしかしたら……」
「ギアキアの内戦鎮圧に駆り出されたその人を追って先生もギドキアに向かってのではないか、と?」
「あくまでも憶測だがな……む、そろそろ子供たちの昼食の時間か」
話の途中で時計を確認したゴードンが思い出したかのように声を上げる。
「子供たちの様子を見ておかなきゃならなんから、わしとミシェルはそろそろこの部屋から出ていくが……ヨーゼルにエルザ。マリーのことを任してもよいか?」
「大丈夫です」
「任せてください!」
落ち着いた様子でヨーゼルが、そしてエルザがマリーを起こさない程度に元気よく返事をしたのを見て、ゴードンとミシェルは部屋の外へと出て行った。
「なんだかいろんなことがありすぎて、私ちょっと疲れちゃった」
「そうですね。俺も少し疲れました」
エルザが部屋にあった椅子を手に取る。
「座って休む?」
「そうします」
「ここに置いといたらいい?」
「それで大丈夫です」
「じゃあ私も隣に座るね」
「どうぞ」
短いやり取りののち、2人はマリーのベットの側に二つ椅子を置いて並んで座る。今日だけで色んな事があったので、ヨーゼルとエルザが話そうと思えばいくらでも話題があった。
だが、ヨーゼルの注意は目の前で眠るマリーに向いており、彼の頭の中を占領しているのは先ほどゴードンが話してくれた内容だ。
そのことを理解しているエルザはただヨーゼルの傍らで彼のことを見つめるだけだ。
教会の好意と、エルザの理解によって出来た静寂の中、ヨーゼルは思考を巡らせる。
「(ゴードンさんの話が本当ならば、色々と説明がつくことが多い)」
ゴードンとミシェルの推察が当たっていた場合、マリーがその恋人と現在一緒にいないということは内戦によって2人が破局したか、軍人の恋人が戦死したのかのどちらかだろう。
どちらにせよマリーにとって、とても辛い出来事だったに違いない。それこそ、当時の内戦を想起させるような出来事によって倒れてしまうほどには。
マリーは例のラジオ放送によって内戦当時の出来事を思い出したことによる精神的ショックで倒れたのだという予測が自然とヨーゼルの中に出来上がった。
ヨーゼルの経験則上、このような直感的な思考によって出来上がった推測は外れたことが無い。だが、それと同時にこれは偶然なのか。そんな思考が頭によぎる。
手紙が示唆していたであろうテロリストによるラジオの放送とマリーの過去が、ギドキアという国で結びついている。これが偶然というのにはあまりにも出来すぎているような気がしたのだ。
「(……先生はどこまで俺の過去に関わっている?)」
最愛の人に疑いを持ってしまいそうになる。状況的には至極当然のことだったが、ヨーゼルの心境としては今にも吐きそうなほど気持ちの悪いものだった。
「よーくん、大丈夫?」
気分の悪くなったヨーゼルの耳にエルザの声が届き、ヨーゼルの頬にエルザの手が触れる。たったそれだけで胸の中に渦巻いていたもやが消えてヨーゼルの気分が軽くなる。
そうだ、マリーに疑念があるならば本人に聞けばいい。きっとそれだけで自分の中にある疑念は解消される。ヨーゼルはとりあえず今は、楽観的に考えることにした。
そんな風に考えることが出来たのは、間違いなく隣にいる最愛の人のおかげだ。
「えぇ、もう大丈夫です」
「ほんとに?」
「本当です」
「……ならよし」
エルザはヨーゼルの肩に自分の頭を乗せた。肩に体重が加わって重くなったはずなのに、事実と反してヨーゼルは体が軽くなったように感じる。
「(……俺は、こんなときでも幸せだ)」
最愛の女性が隣にいて、最愛の母親が目の前で寝息を立てて気持ちよさそうに眠っている。これが幸せと言わずして何を幸せというのだろう。
いま自分が幸せ者だという自覚がヨーゼルにはあった。だがそれと同時に、冷静な頭は自身の置かれている状況の深刻さを正確に理解していた。
ヒビキたちの襲撃にソフィアが語った悪魔にまつわる話。そして、手紙の内容とテロリストによるラジオ放送。
これらすべてに自分の過去が関わっている。これはきっと間違いないの無いことだ。
間違いないと確信しているがゆえにヨーゼルは自分がこの街を今すぐにでも離れるべきだと理解していた。
トリステンに居続ければ居続けるほど、ヨーゼルと因縁のある何かが街にやって来て被害を及ぼす。それを避けるためにはソフィアとともに一刻も早くトリステンを離れる必要があった。
だが、それよりも前にマリーから自分の過去について知っていることを聞きだし、その後にヨーゼルがこの街を離れることを伝えなければならない。
説得はできるだろうか、と。ヨーゼルとどこか他人事のように考える。
他にも想像するだけで気分が悪くなりそうなことがいくつもある。だが、それでもやらなければならないのだ。
「エルザ」
「んー、なに?」
「俺はこの街を離れます。これはもう決まったことです」
「……うん」
「俺と一緒にいたら死ぬかもしれません。それでも俺と一緒にいてくれるのですか?」
「うん、私はよーくんのお嫁さんだもん。ずっと一緒にいるに決まってるじゃん」
「……分かりました」
「話はそれだけ?」
「それだけって。あなたの生死にかかわる大事な話だったと思いますけど……」
「頭いいのに馬鹿だなぁ、よーくんは」
それだけ言って、エルザは再びヨーゼルの肩にもたれかかった。彼女の髪が首にかかってくすぐったい。エルザの笑い声がとても心地よかった。
「(俺は、やっぱりこの人が好きだ。愛している)」
そう改めて感じたからこそ、ヨーゼルはままならない思いを胸に抱く。
本当に大切だから、愛しているから。自分とは遠い場所で、安全に過ごして欲しい。そう切に思う。
だが、エルザの決意は固いようだった。説得をするのは難しいのは今のやり取りで十分に分かった。
ゆえに、死んでもあなたのことを守る。ヨーゼルがそう心に誓うのは自然のことだった。
★★★
「(よーくん、怖い顔してたなぁ)」
エルザは横目でちらりとヨーゼルの表情を伺う。ヨーゼルの肩に頭を乗せているので、顔が見えづらいが、先ほどよりは表情が柔らかくなっているように思う。
先ほどまで険しい顔をしていた彼はきっと「全て自分がいるのが悪い」から最悪自分が犠牲になればいい……なんて考えていたのだろう。
ヨーゼルにそんな風に考えて欲しくないから、エルザは自分を人質にしてヨーゼルの側にいることにした。
もし、自分がヨーゼルにとって大切な人になれているならば、側にいることで彼は無茶をしなくなるかもしれない。仮にヨーゼルが無茶をしそうになったら体を張って止めてやればいいのだ。
……もっとも、体を張ってもヨーゼルの方が圧倒的に強ければストッパーにもなれないのだが。
「(私って無力だなぁ)」
自分を人質にするなんてずる賢い方法を取らなければ、彼を止められないという事実にエルザは無力感を覚えてしまう。理想を言えば、エルザはヨーゼルにとって『何があっても生きていたい理由』になりたかった。
そうすれば、自分が犠牲になるつもりで無茶をしなくなるだろうに。
「(もし、よーくんにとって何があっても生きたい理由になれる人がいるとしたら……)」
絶対に認めたくないが他の女性、あるいは。
目の前で眠る彼の母親だけではないのだろうか。そんな風にエルザは思うのだった。