第17話
「エクソシスト……?」
聞きなれない言葉にヨーゼルは聞き返す。
「知らなくとも無理はないさ。大っぴらに公表している部署ではないからな───信仰による人類の救済をうたうセリス聖教に人殺し専門の部署があるなど、知られてよいことなど何一つない」
少女の聖職者らしからぬ物言いと物騒な言葉に、ヨーゼルは心の中で警戒度を上げる。もう少し話を聞かないと分からないが明らかにヨーゼルの知っている普通の聖職者ではない。
どうしてこんな人と一緒にいるんだ、と。この部屋の外にいるエルザへと心の中で苦笑いをした。
「ふむ……どうやら信用されていないようだな」
ヨーゼルの内心を見透かしたように少女は言った。少女は無感情な声でそう言ったが、淡々とつぶやく姿が面白かったのか、脇に立っていた大男とクラウスがクスリと笑う。
「それは仕方ないことかと。ヨーゼルが知っている聖職者像とソフィア殿はあまりにも違いすぎますから」
「クラウス、ヨーゼルが知っている聖教の人間などお前ぐらいなものだろう? お前と比べられたら私でなくとも見劣りするだろうさ」
「おや、そうですかな? 少なくともこの街には私などよりもはるかに立派な方がいらっしゃいましたよ? 彼も元ではありますが法国で神父をなさっていたそうです」
「ほう、お前にそこまで言わせる奴がいるのか。会ってみたいものだな」
楽し気に話すクラウスと少女を見て、ヨーゼルは目を丸くした。
「お二人は、お知り合いなのですか?」
「ええ、貴方には話したことが無かったと思いますが、実は私はトリステンに来る前に法国にいたの
ですよ。その法国時代の上司が彼女なのです」
「ということは、クラウス先生もエクソシスト機関にいたのですか?」
ヨーゼルの質問にクラウスは深く頷いた。
「(なるほど、通りで)」
田舎町の教会の神父には似つかわしくないほどの深い知識と知性。そして、品の漂う立ち居振る舞い。クラウスという人間のことを昔から不思議に思っていたが、その過去を知りヨーゼルは少しだけ納得した。
「(ということは、本当に存在しているのか)」
正直なことを言えばエクソシスト機関なるものが実在しているのかどうか。少女の言葉だけでは確証を得ることはできなかった。そんな時に自分のよく知っている人物からの存在の承認。
少女がこちらに対して嘘をついている可能性が低くなったのはヨーゼルにとって良いことであった。もっとも、クラウスもグルで嘘をついている可能性もあるが。
「ハハハ、相変わらずクラウス殿とソフィア殿は仲がよろしいようで」
少女の車椅子を押していた大男が笑いながら、車椅子をヨーゼルの前まで押し進める。目の前まで来た大男の大きさにヨーゼルは圧倒されそうになった。
熊のような大きな体格に光を反射する綺麗なスキンヘッド。見た目は厳ついが柔らかい笑顔を浮かべた大男はヨーゼルへとお辞儀をした。
「自己紹介が遅れてしまい申し訳ありません。私の名前は、イアン・マスティフ。階級は司祭です。どうぞ、気軽にイアンとお呼びください。この車椅子に乗った方は、ソフィア・セナトロヴァ。階級は司教です」
そう言って、大男───イアンはヨーゼルへと手を差し出して来た。握手をするためにその手を握ったときヨーゼルは驚いてイアンのことを見上げた。武道に精通した者は相手の歩く姿を見るだけで武道の経験の有無を把握し握手をするだけでその力量を理解する。
「(この人、本当に神官か?)」
武術家であるヨーゼルがイアンと握手をして感じ取ったのはその体が地面と同化していると感じるほどの力強い体幹だった。見た目から鍛えられているのは分かっていたが、鍛え方が一流の武芸者となんら遜色がない。
人殺し専門の機関、と言っていたが。本当のことなのかもしれない。
「(それにしても、この人が司教……たしかにクラウス先生はかつての上司と言っていたが)」
ヨーゼルは不思議に思いながらソフィアのことを見た。見た目は自分とそれほど変わらないように見えていたが、クラウスの話を聞いた後ではやはり疑問が浮かんだ。
クラウスがトリステンにやって来たのは8年ほど前のことだ。ソフィアがクラウスの上司だったのが、それよりも前だということになるので、十代前半、下手をすると十代に入る前の年齢でクラウスの上司になっていたことになる。
「(先生のように見た目が若い人なのかもしれない)」
そう自分で納得しながらソフィアが差し出して来た手を取って握手をした。車椅子に乗っているので分かっていたがソフィアの握力はとても弱いものだった。
「私のこともソフィアでいい。親しいものはソフィーと呼ぶこともあるから、そちらでも構わない」
「では……ソフィアさん、と呼ばせていただきます」
「好きにすればいい。こちらも勝手にヨーゼルと呼ばせてもらう」
ヨーゼルは頷いた。
「お二人が法国のとある機関に所属しているは理解しました。それで、そんな方々が私に対してどのようなご用があっていらっしゃったのでしょうか?」
「さっきも言った通り、お前が戦った魔獣とそれを従える者たちを狩り取るのが我々の役目でな。≪悪狼≫と≪炎王≫と遭遇した君にぜひ話が聞きたかったのさ」
カグヅチ、という言葉に首をひねったものの自分の質問が正しく伝わっていないことを理解したヨーゼルは、ふてぶてしいとも言える態度で口を開く。
「なるほど。それについては了解しました。しかし、私はそういうことをお答えしていただきたくて質問をしたわけではないのです。シスター・ソフィア」
シスター、とは本来助教や司祭の女性聖職者につける敬称だ。司教、というそれらよりも高位の階級に使うものではない。
そのことを知らない人間が間違って司教に対してシスターと呼んでしまうことは当然あるし、セリス聖教の高位神官たちは言葉に囚われず相手からの敬意を感じ取ることができる人格者たちで構成されている。
だが、ヨーゼルは無知ではない。法国で活動していたことがあるほどの実力の持ち主であるクラウスをして、勉学において非常に優秀と評価するヨーゼルがそんなことを知らないはずもない。
ゆえに、これはヨーゼルが行う挑発。もしくは、警告なようなものであった。
「この部屋に入って最初にソフィアさんが、私にエクソシスト機関について話してくださったときにわざわざ『お前が戦った魔獣や、それを従える者を狩り取る』とおっしゃったので、私が交戦した魔獣や傭兵たちの話が聞きたいのだなというのは理解しました───ですが、それでは俺だけがここに呼ばれる理由が分からない」
仮にここに呼ばれたのがヴェンダーやヒビキと交戦したことが理由なのであれば、アルバートたちや特にマリーがが呼ばれていなければおかしい。ヴェンダーと一番長く戦っていたのはマリーなのだから。
───その時、お主は選択することになる。
───この街に残り自体の行く末を見守るのか、それとも立ち上がるのか。
ヒビキの言葉が頭に響く。彼の言葉を信じるわけではなかったが、何かを選ばなければならない時が近付いているのをヨーゼルはたしかに感じていた。
「彼らが魔獣を引き連れこの街に来たのは、俺が理由なのでしょう? あなた方がここへ来たのも、俺に何かがあるからだ。腹を割って話しましょう、ソフィアさん。遠まわしに話すのも隠し事をするのも無しで、話しましょう」
ヨーゼルの言葉にソフィアは顔をキョトンさせて見た目相応な表情で二回瞬きをした。そして、フッと小さく笑って脇に立つイアンとクラウスを交互に見たのち視線を戻す。
彼女の銀色の髪が揺れる。
「そこまで分かってるなら話が早い。お前にヴァナルカンドらの話を聞きに来たのも嘘ではないが、お前の言う通り我々はお前に用があって来た」
「俺が話せることがあるなら何なりと。その代わり、俺も聞きたいことがあれば聞いてもよろしいでしょうか?」
「ものによる。あぁ、エルザのことなら大抵のことは話してやるぞ?」
二ヤリとからかうような笑みを浮かべたので、ヨーゼルも険しい表情を崩す。
「まあ、エルザのことは……本人から聞きますよ」
「そうする方がいい。あいつも、お前と話したいようだしな……それで、お前は何を知っている? 知っていること次第でこちらが聞くことも大きく変わる」
ソフィアの言葉にヨーゼルは肩をすくめる。
「それがですね……俺は自分が何を知っているのか何を知らないのかも分からないのです」
「嘘じゃなさそうだな。ということは、一から説明してやる必要があるのか。イアン、お前に任せる」
ソフィアの指示にクラウスは眉をひそめるが、指示を受けたイアンはさも当然かのように頷いた。
「ヨーゼル殿、私たちは現在とある組織を追っています。その組織の規模はそれほど大きくありませんが、我々セリス聖教にとって。そして、この世界にとって大きな害を与えることになる可能性がある。放置しておくのはあまりに危険な存在です」
イアンから語られる話は、大衆小説のあらすじのようで現実味が無い。だが、何故か嘘ではないという確信がヨーゼルの中にあった。
「その危険な存在というのが私たちを襲った連中である、と?」
「その通り。彼らは魔獣を人工的に作る方法を開発し、魔獣を手なずける術を身に着けている。それだけではなく、彼ら自身も人の枠を超えた実力者ばかり」
イアンの言葉に、ヨーゼルは業火を操る男の姿を思い出す。自分の実力が世界の頂に到達するほど、高いものであると自惚れたつもりはない。
だが、刀を一振りするだけで広範囲の物体を灰にできる人間がそういるはずもない。マリーと戦っていたヴェンダーも明らかに人間の枠を飛び越えた怪物であった。
あのような人間たちが他にもいて、人の体を炭にする炎を吐き人の肌を切り裂く風を操る魔獣を操っている。その脅威度は言うまでもなかった。
「そんな彼らが、口は悪いですが何も目ぼしいものがないはずのトリステンに現れた。そのことがとても不可解でした───ですが、我々の同胞たるクラウスの助けもあり彼らがこの街に現れたのは貴方がこの街にいたからではないか。そのような予測を立てることができました」
「なるほど……」
そのような予測を立てることができるだけの情報をソフィアたちは持っている。それはヨーゼルにとってとても都合のいい話だった。あまりにも都合がよすぎて、何かに誘導されているのではないかと疑いを持ちそうになるほどに。
そんなヨーゼルの内心をよそに、ソフィアがイアンに礼を言って、ヨーゼルのことを車椅子から見上げた。そのときに揺れる彼女の銀色の髪が、ヨーゼルの目に焼き付いて離れない。
「とまあ、このようなわけがあってお前に話を聞きに来たわけだ。単刀直入に聞くぞ、お前はヴァナルカンドやカグヅチとどのような関係がある?」
「申し訳ありませんが、俺が覚えている限りでは彼らに会ったのはあの夜が初めてです。具体的にどのような関係があるのかは私にも分りません」
「覚えている限り……そのように表現したのはお前の記憶喪失が理由か?」
「……エルザから聞いたのですか?」
「ここへ来る前にな。安心しろ、無理やり聞き出したわけではない」
無理やり聞き出したわけではないということは、エルザが自分から話したということだ。ヨーゼルはエルザのことを信頼しているゆえに、彼女の判断に疑問や口を挟むつもりはない。むしろ、彼女が自分の記憶喪失について話さなければならない状況に置かれていることを心配してしまう。
「それで、お前はやつらに狙われる心当たりはないのか?」
「……私が彼らに会ったのはあの夜が初めてでしたが、どうやら彼ら自身は私のことを知っていたようです。曰く、私の兄から聞いたのだとか」
部屋の外で息を飲んだ音がヨーゼルの耳に届く。部屋の音は扉で見張りをしている彼女に届くぐらいには漏れるものらしい。
「それは初めて聞いたな……記憶を取り戻したのか?」
「いえ、ヒビキが私にそう言ったのです。無論、彼が適当な嘘をついている可能性はありますが私と交戦した直後にそのような嘘をつく意味は無いでしょうから───」
「待て、ヒビキというのは誰のことだ?」
てっきりヒビキのことを知っていると思っていたヨーゼルは、2人の反応に驚いた。驚いたのはヨーゼルだけではなかったようで、イアンとソフィアは互いに顔を見合わせていた。
「ヒビキはヒビキですが……ご存じありませんか?」
「いや、知らんな。しかし、話の文脈的にカグヅチのことを言っているのか?」
「そうですよ。彼から直接教えてもらいました」
「やつから名乗ったということは、やはりやつらにとってお前が他とは違う特別な存在であることの裏付けになるかもしれん。面白い話が聞けたな」
そう言って振り返ったソフィアにイアンは深く頷いた。
「では、こちらからも質問をしてもよろしいでしょうか?」
ソフィアは頷く。
「ヒビキ……カグヅチは私に力があると言っていました。何故力を使わないのか、とも」
ヨーゼルの発言にイアンとクラウスが表情を硬くする。ソフィアだけは表情を変えずにヨーゼルに続きを促すように視線を動かす。
「私はカグヅチが言っていた力に心当たりはありません。ですが、ソフィアさんとイアン神父は私を目的にいらしたとおっしゃいました。もしかして、私の中にある力とやらについてご存じではないのでしょうか?」
ヨーゼルは自分の価値が分からない。何故ヒビキやヴェンダーのような実力者だけではなくソフィアやイアンのような人間までもが自分目当てにトリステンに来たのか。さっぱり分からない。
だが、分かることが一つだけ。
「もし、私の存在によってこの街が脅威にさらされるようなのであればすぐにでもこの街を離れなければなりません。何か知っていることがあれば、どうか教えていただきたい」
ヨーゼルにとってこの街の人間やそこに住まう人々はかけがえのない大切なものである。ゆえに、このヨーゼルの懇願は当然であったし、この街を離れることにも躊躇いはなかった。
その躊躇いの無さと、20代にもなってもいないのにそれほどの覚悟を決めているヨーゼルにイアンとクラウスは感心したように息を吐く。そして、ヨーゼルの運命が過酷なものになることを悟ったクラウスはヨーゼルに向けそうになった憐れみの目を隠そうとして目を瞑った。
「私からお前に一つ、提案ができる」
ヨーゼルが覚悟を見せたことで生まれた静寂を切り裂くように、ソフィアが人差し指を立てながら笑った。
「ヨーゼル、私と来い。そうすれば、お前がいま口にした全てをかなえてやる」