第14話
「過度に飲み食いすることがないように」
それがクラウスの元へ外出の許可をもらいに行ったヨーゼルにかけられた言葉だった。無事許可をもらえたヨーゼルが教会の前で待っているとマリーがやって来る。
「巡回お疲れ様です。何か変わったことはありましたか?」
「いや、今日も特に異常はなかった。あの傭兵どもがもう一度姿を現したら今度こそとっ捕まえてやるんだがな」
「ハハハ、何もないことが一番ですよ……とも言ってられないか」
襲撃が起きた直後というのは良くも悪くも危機感によって人間の集中力と注意力は高まる。普段ならば見落とすような違和感をキャッチできるようになるので、襲撃者がもう一度襲撃を成功させるのは難しい。
だが、集中力と注意力がいつまでも高い状態で保たれることは無い。普段よりも集中力が高まっている分、集中力が落ちた直後はむしろ普段よりも疲れが溜まってしまうのだ。疲労をためた人間を襲うほど簡単なことは無い。
ヴェンダーとヒビキに襲われた直後である今ならばともかく一週間も経てばこの街の人間や巡回と警備を行う門下生たちの集中力は切れてしまうだろう。そのタイミングで襲われてしまってはひとたまりもない。
かといって、そうなることを避けるためにいま門下生たちを休ませてしまえばヒビキたちの襲撃に即座に対応することができない。結局、マリーたちに出来るのは歯を食いしばって巡回と警備を続けることだけだ。
まったく嫌なものだ、と。マリーとヨーゼルはため息を吐いた。
「さて、行くか」
「はい。行くのはキサラギですか?」
「お前の希望が無いならな」
★★★
キサラギ、とはヨーゼルたちがよく行く居酒屋の名前である。東方人という独自の文化を形成している民族の料理が味わえる居酒屋で、ヨーゼルとマリーは門下生たちとトリステンの街で飲むときによく行くのだ。
ヨーゼルの目的はマリーから話を聞くこと。2人で話せるならばどの店でもいいのでヨーゼルとマリーはキサラギに行くことになった。
「ヨーゼル」
2人がテーブルを挟んで向かい合った状態で座り食事と酒が運ばれてからしばらく経ってもヨーゼルはマリーに例のことを聞くことができなかった。
話題を切り出すタイミングが無かった、といえばそれまでだが。自分がマリーに対して臆病になっていることをヨーゼルは理解していた。何度も話題を切り出そうとしているヨーゼルをおかしく思ったのか、マリーが神妙な面持ちでヨーゼルの名を呼んだ。
「なんでしょうか?」
「私と会うときは……今だって元気そうに見えるが実際のところ体の具合はどうなんだ?」
「こうやって外で飲み食いできる程度には回復していますよ。もう少しすれば、俺も警備に参加できると思います」
こういう会話はスラスラとできるのに肝心なことが聞けない自分が情けなかった。
「そうか、それなら……」
ヨーゼルの答えを聞いたマリーは一度頷きかけたものの思うところがあったのか酒を一気に飲み干した。
かなりアルコール度数が高い酒を一気に飲んだ上に、マリーはここまでに既にかなりの量の酒を飲んでいる。それに加え、酒瓶を掲げて店員にさらにお代わりを頼もうとしていたのでヨーゼルは咄嗟にマリーの手を掴んだ。
「飲みすぎですよ」
「巡回で疲れてるんだ。少しぐらい見逃してくれ、頼む」
「駄目です」
「むっ、……ケチ」
悪態をつきながらも素直に酒瓶を置いたマリーにヨーゼルは思わずクスリと笑った。笑ったあと、ヨーゼルは確認のために顔を触る。やはり自分は笑っていた。どうやら自分はこんな他愛のないやり取りすら楽しいらしい。
「なあ、ヨーゼル。お前、無理をしていないか?」
無理をしているわけではなかったが、隠し事があったヨーゼルはマリーの言葉にギクリとした。
「何故、そう思ったのですか?」
「お前が教会にいる間、孤児院を見てきた……大量の灰が降り積もっていたよ。アルバートたちに聞いたが、お前とあの炎を操る男が戦った余波だったんだって?」
火響雪灰、と。ヒビキが口にした直後に放たれた技によって生まれたのが大量の灰だ。舞い上がった灰が雪のように降り注ぐ名前の通りの技だとヨーゼルの脳裏のあの時の光景がよみがえる。それと同時にいまマリーがその時のことを聞いてきたことに疑問に思った。
まさかヒビキから自分の過去の一端を聞いたことを、マリーはどこからか知ってしまったのだろうか。レルヒェ以外にヒビキとの会話について話してはいないはずだが。
「対峙しただけで分かった。今回の襲撃者───特に炎の男は人外の領域に立っている。私とやつは相性がいいから戦いになるが、お前ではまだ相手はできない。相手をするなら傭兵の方に……」
そこまで口にしてマリーは小さく舌打ちをした。
こんなことが言いたいわけではない。いまの舌打ちの意味を、ヨーゼルは理解できた。自分も言いたいことが言えていないからだ。
先生、と声をかけようとしたヨーゼルのジョッキをマリーは奪い取った。そのまま中に入っていた酒を喉に流し込む。
マリーは既にかなり飲んでいる上にそこそこ度数の高い酒を一気に飲んだことで頭がふらついているようだった。
「先生、飲みすぎです」
「ヨーゼル、今回お前があそこまでの怪我を負ったのは私のせいだ」
ヨーゼルの注意も耳に入っていないようで、マリーは独り言のように話し出す。
「……私が、あの傭兵を早々に倒して、お前の元に駆けつけていればこんなことにはならなかった。私がしっかりとしてないせいで、お前は全身に火傷を負って呼吸器も傷付いて。最悪、死ぬところだった」
子供のように目に涙を溜めたマリーは肩を震わせる。
「だいたい、お前も馬鹿者だ。ニックとシーシャから聞いたぞ。ヨーゼル、炎の男が私の方へ向かうと分かったからって全力で走ったらしいな。自分の体の容態が分からないお前じゃないだろう。炎の男が撤退したなら、無理して追おうとするんじゃない……お前がそれで死んだらどうするつもりだ」
泣いていたと思ったらマリーは突然ヨーゼルに怒り出した。そして、今度はテーブルに顔を伏せてワァーーッと叫ぶ。マリーが顔を伏せていたので音は周囲に広がっていないからいいものの、普段のマリーなら絶対にしない行動にヨーゼルは驚いた。
「先生……」
「ヨーゼル、お前はできた息子だよ。勉強もよく出来るし剣術を教えればすぐに上達する。1人であんな魔技を生み出すような才能を持ったやつを見るのはお前が初めてだ。おまけに人によく気が遣えるやつで、街に行くたびに私はお前に対する礼を言われるほどだ。昔から私を困らせないようにわがままの1つも言わずに、色々と頑張っていたのも知っている。私が不甲斐ないから頑張ってくれてるのだろうが、私は正直誇らしい。お前を息子と呼べるのが本当に幸せだ」
だからなあ、と。マリーは伏していた顔を上げた。ヨーゼルのことを直接見ることは無く、目の前にあるジョッキを見つめながら自分の思いを言葉にする。
「よーぜるぅ、あいしてるぞー。お前が死んだら私は……………」
突然マリーが押し黙ったので、急性アルコール中毒かと心配になったヨーゼルがマリーの様子を確認すると規則正しい寝息が聞こえてきた。
どうやらマリーは酔っぱらって眠ってしまったようだ。
「おっ、師範代じゃないですか!」
眠るマリーを前にどうしたものかとヨーゼルが考えていたとき、聞き覚えのある声が聞こえてきた。振り返った先にはアルバート・ニック・シーシャ・ゲイツ・リルティの5人の門下生がいた。
5人とも顔がほんのりと赤いので店をはしごしてきたのだろう。
「師範もいるじゃない……って、寝てるわね。飲みすぎたのかしら」
「師範が酒で寝ているところを見るのは初めてですな」
「ここ最近気を張ってるようだったから羽目が外れちまったんじゃね?」
「だったら少しは休めてるってことですよね。安心しました」
門下生たちは机に突っ伏すマリーを起こさないように近くで会話をし始める。
そんな彼らをヨーゼルが眺めているとアルバートが近付いてきた。
「もう教会で寝ていなくていいんですかい?」
「体自体はもうほとんど治っていますよ。昔から傷の治りは早いですから。それよりも彼らがいま話していたことですが……」
「師範の最近の様子のことですか? あいつらが話してた通りですよ。俺たちの前では常に気を張ってるようでした」
教会へやって来たマリーはいつもより剣呑な様子だったな、とヨーゼルは思い返す。巡回のせいで疲れてるせいかと思ったが、何か別に理由があるような気がした。
「口にしちゃあいませんがね、師範はあんたが傷つけられたのがよほどショックだったんでしょうよ」
ヨーゼルの心を見透かしたようにアルバートは言った。
「別にあんたの命に別状は無かったんですから、大げさだとは思いますけど。あの人は親バカですからね」
「……そうですか」
「そうですよ。あんたがいない時は、しょっちゅうあんたの自慢話をされるこっちの身になってください」
「それは……」
アルバートはいつもの軽口を打ち返してこなかったヨーゼルの様子が気になったが、特に追及することはなかった。何があったのかは分からなくとも、誰が関係していることは分かったからだ。
「(面倒なしがらみがある親子だ)」
そんな風に考えているアルバートの横で、ヨーゼルはよく分からない感情が自分の中に渦巻いているのを感じた。
「(先生が俺に何かを隠しているのは間違いない。だが───)」
愛している、と。そんなことを酔っぱらって口にする人間が、自分に悪意をもって隠し事をしたりするだろうか。
自分の中にあるマリーへの疑念と、不意に放たれた褒め言葉と愛情を示す言葉が混ざり合ってヨーゼルは酔いそうな気分であった。
そして、結局マリーが酔いつぶれてしまったのとアルバートたちがいたおかげで自分の過去のことをマリーに聞くことはできずにヨーゼルは夜を明かすことになる。
★★★
この世界で最も有名で最も多くの信者を持つセリス聖教は、世界中にその支部となる教会がある。トリステンにある教会もそのセリス聖教の教会の1つ。
そのセリス聖教の神父であるクラウスは教会に設置されている通信機でかつての上司と連絡を取っていた。
『───お前の報告書を読んだが、≪悪狼≫と≪炎王≫が悪魔を連れて来たとは正直信じがたい。トリステンにやつらが欲しがるものは何一つないはずだ……しかし、実際に来た。となれば、やつらが欲しがる何かがあるに違いない。お前は心当たりあるのではないか? クラウス』
相変わらずこちらの心の内を見透かすように話す人だ、とクラウスは思う。女性の中では低めでそれでいてかわいらしい声であるのだが、クラウスは彼女の本性を知っている。
「……1つだけ、心当たりが」
風になびく真っ白な髪を思い浮かべながら、クラウスはその名を告げる。
『ヨーゼル・ドレア、という青年が今回の件に大いに関係しているかと。彼は新雪のように真っ白な髪を持っています』
通信機越しにかつての上司が笑ったのが分かる。クラウスの脳裏に、彼女の悪魔のような三日月の笑みが浮かび上がった。