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第13話

 仕事の休憩時間に来てくれたレルヒェがパン屋に戻ってからしばらく経ったころ、ヨーゼルは大聖堂の長椅子に座っていた。正面を向けば、右手に炎を宿し左手に本を持つ白い女神像を見ることができる。


 ヨーゼルが初めて来たときよりもわずかにくすんだその女神の名はセリス。この世界で最も有名で広く信仰されているセリス聖教の主神だ。


 その女神像を見つめながらヨーゼルは考え事をしていた。考え事の内容の1つはもちろん自分の過去のこと。そしてもう一つはヒビキの言葉についてだ。



『ヨーゼルよ。これからこの世界は動乱に巻き込まれる。積みあがった人類史の中で最も大きく混乱に満ちたそれは。無論、お主が住まうこのトリステンをも飲み込むだろう』



 襲撃者の癖にこちらの身を案じたかのような警告の言葉。普段なら世迷言だと無視をしたが、あれほどの力を持った人間が意味のないことを言うとは思えない。



『その時、お主は選択することになる』


『お主のしたいようにするがよい。いまのお主にはその選択肢がある』



 ヒビキの声が脳裏に響く。それを言われたときの、死神が生者に死期を伝えるかのような重い雰囲気を思い出してヨーゼルは瞬きをする。まるで自分の選択で未来が大きく変わるかのような言い方だな、とヨーゼルは思った。



「(だが、もしそうならば。俺は───)」



 突然、聖堂の左右についている扉の片側から白い祭服に身を包んだ歳を取った男が入ってきた。男はヨーゼルに気が付くと笑顔を浮かべて近付いてくる。ヨーゼルが立とうとしたのを男は制止した。



「ヨーゼル、体の調子はどうですか?」


「クラウス先生。おかげ様で絶好調です」



 ヨーゼルが力こぶを作って見せると、祭服を来た男───クラウスは満足そうに頷いた。



「それは僥倖(ぎょうこう)です。ですが、私よりもレルヒェが来てくれたことの方が効いたのではないですか?」


「……なんのことでしょう」


「あなたが何か悩んでいるのかは分かっていましたからね」



 ヨーゼルにそれだけ言うと、クラウスはセリス像の前まで行き膝をついた。深く堂に入った構えで祈りを捧げるクラウスから、今までどれほどの祈りを捧げてきたのかが想像できる。


 クラウスはこの教会の司祭だ。トリステンの街の子供たちに学問を教える役目も担っており、ヨーゼルも以前はクラウスから多くのことを習った。


 歴史、数学、化学、建築学、医学に薬学。ある程度の武術すらおさめているらしいクラウスは、正直言って田舎町であるトリステンにいるのが不思議に思えるほどの人材だ。


 どうしてクラウスのような人間がこの街にいるのかは分からないが、ヨーゼルにとってはマリー以外で唯一「先生」と呼ぶ恩師である。


 クラウスは祈りを捧げ終わるとヨーゼルの方へと向き直る。



「ヨーゼル、聖堂に何か御用ですか?」


「いえ、ここに用があるわけではなくて。先生を待っているのです。そろそろ俺の顔を見に来る時間ですから」



 聖堂は街中の人が祈りをしにくる場所であるので、教会の入口からすぐのところにある。だから、マリーとできるだけ早く話がしたかったヨーゼルはここで待つことにしたのだ。


 そういう理由でここにいることを理解したらしいクラウスは納得したように頷いた。



「では、私は日々の業務がありますのでこれにて失礼を。ヨーゼル、困ったことや聞きたいことがいつでも聞きに来てください」


「分かりました。ありがとうございます」



 今すぐにでも色々と聞きたいことはあった。だが、いま中途半端に頭の中に情報を入れると勝手に処理をし始めそうな気がしたので礼だけ言ってクラウスを見送ることにした。


 クラウスは一礼して聖堂から退出する。その後ろ姿を見送りながら待っていると誰かが教会の入口から入って来る気配を感じた。



「ヨーゼル?」



 入ってきたのはマリーだった。マリーはヨーゼルの姿を見つけると不思議そうな顔をして歩み寄って来る。



「どうしてここにいるんだ。部屋で休んでいなくていいのか?」


「ずっと部屋に居続けても退屈なだけですから。それに、そろそろ先生が来る時間ですのでここで出迎えようかなと」


「むっ……そうか」



 一瞬だけマリーの口角が上がった。なんというか分かりやすい人だな、とヨーゼルは思った。特殊な訓練を受けていない限り、人間は0.2秒の間本音を顔に出してしまうものらしい。それが本当ならばマリーは自分の言葉に喜んでくれたことになる。


 こんなに分かりやすく自分を大切に思ってくれている人が、悪意をもって隠し事をしているようにはヨーゼルは到底思えない。


 だが、事実としてマリーは何かを隠している。


 すぐにでも話を切り出そうと思ったが、いざ直接聞こうとすると自分の口が動かないことにヨーゼルは驚いた。


 何故かマリーもヨーゼルのことをジッと見つめて黙っているため、2人の間に妙な静けさが漂う。



「まあ、元気ならいいんだ。お前も元気そうだし私はもう行くとするよ」


「えっ、もうですか」



 マリーは巡回や警備の合間の時間に教会へやって来る。本来ならば休んでいるべき時間を使ってわざわざヨーゼルの顔を見に来ているのだ。


 だから、ありがたいと思う反面巡回で疲れているだろうから休めるときに休んで欲しいというのがヨーゼルの本音である。しかし、いまのマリーの発言から自分から急いで離れようとする意図を感じ取った。


 避けられている、わけではないだろうが。ヨーゼルはそのマリーの態度が気になった。



「なんだ、私がいないと寂しいのか?」


「いえ、そういうわけではありませんが」


「こういう時は嘘でも寂しいと言え。可愛げのないやつめ」



 いつも通りのマリーの軽口からは、いつも通りの覇気を感じることができなかった。そんな風に感じるのはマリーに対して不信感を持っているからなのか、ヨーゼルには判断がつかない。



「先生」



 教会から出て行こうとするマリーの背中にヨーゼルは声をかけた。マリーは足を止めて振り返った。



「どうかしたのか?」


「えっと……」



 『俺に何を隠しているのか』『俺の過去の何を知っているのか』


 


 たったそれを聞くだけなのに口が動かない。ヨーゼルは出来るだけ冷静に言葉を紡ぐ。



「───今夜、巡回が終わったあと。もしよろしければ、一緒にご飯を食べに行きませんか? 2人で」



 結局、ヨーゼルの口から出たのは言おうとしていたものとは別の言葉だった。それに、気になる相手を誘うときのような言い方になってしまってなんだか恥ずかしい。



「晩飯を? 私は別に構わんが……お前は、もう外で飲み食いしてもいいのか?」


「はい、さっきクラウス先生からももう大丈夫だと言われました」


「クラウス神父がそう言ったのであれば私に異論はない。また夜になったら迎えに来る。それまで休んでおけよ」



 ヨーゼルが頷くと「じゃあな」と言ってマリーは教会をあとにする。マリーがいなくなったあと、ヨーゼルはため息をつく。


 ヨーゼルは自分が完璧な存在だとは思っていない。もし、自分が完璧な人間ならばヒビキに傷を負わされることもなかっただろうし彼らを取り逃がすこともなかった。子供たちを危険な目に合わせることもなかっただろうし、そもそも自分が完璧な人間であれば記憶を失い雪山で倒れることだってなかったはずだ。完璧でないからトリステンに来て大切なものができた。


 それは理解している。だが、自分が質問1つするのにためらうほど憶病な人間だと思わなかった。


 自分が未熟であることを思い知りながらヨーゼルは聖堂をあとにする。マリーについた嘘を本当にするために、クラウスに外出する許可をもらいに行くのであった。

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