第9話
「……バレンの弟とは。どういうことですか?」
息を整えたヨーゼルはなんとかその言葉を絞り出す。もっと聞きたいことがあった。
「なるほど。本当に記憶を無くしているようじゃな」
「俺の質問に答えてください。俺がバレンの弟とはどういうことですか。あなたは何を知っている?」
男は形のいい眉を少し歪ませてため息をついた。
「お主は記憶を無くしているようだから覚えていないじゃろうが、お主にはバレンという名の兄がおる。私の友人だ。今日は彼に代わり……ではないな。個人的にお主に用があってここに来た」
「……何故今さら兄の友人が俺を訪ねてきたのです?」
「何故兄が生きているのか、とは聞かないのじゃな?」
「兄かどうかは分かりませんでしたが、俺のことをよく知っている人間が生きているとは思っていましたから」
男は納得したように頷く。
「いまわしがここに来たのはお主に警告をするためよ」
「ここまで痛めつけておいて何を今さら」
「それについてはすまなかった。お主が思ったよりも強くてな、つい熱くなってしまったのじゃ。それに、多少わしのことを印象付けておかなくてはせっかくの警告も世迷言だと思われてしまう可能性もあった」
そう言って、男はヨーゼルに柔らかい目を向けた。どうして敵対者である男が自分に警告を送りそのような目を向けて来るのか、ヨーゼルには分からなかった。
「ヨーゼルよ。これからこの世界は動乱に巻き込まれる。積みあがった人類史の中で最も大きく混乱に満ちたそれは。無論、お主が住まうこのトリステンをも飲み込むじゃろう」
冗談、だとは思えなかった。そう思うほど男が口にする言葉には重みがあった。
「その時、お主は選択することになる。この街に残り自体の行く末を見守るのか、それとも立ち上がるのか。この世界に価値あるものは何一つない。お主のしたいようにするがよい。いまのお主にはその選択肢がある」
「……あなたは、いったい」
ヨーゼルは地面に倒れたままこちらの顔を覗いてくる男の顔を見上げる。男の背後に見えた月がいつもより大きいように感じた。
「私の名はヒビキ。無名の侍よ」
「そうですか……まだ聞きたいことがあるのですが質問しても?」
「悪いがもう時間じゃ。わしの目的も済んだがゆえ、ヴェンダーめと合流して撤退しようと思ったが……」
森から戦闘の余波らしき音がしたのを聞いたヒビキと名乗った男は、感心したように呟く。
「まだ戦っておるようだな。やや好戦的すぎる男だが、実力は折り紙付き。ヨーゼル、お主の母君も相当の腕前らしい」
「俺としては先生相手にここまでやれる人間がいるとは思いませんでした。あなたのような強者がいることも。世界は広いですね」
「まったく。やつは横槍を入れられるのは嫌うだろうが、この際仕方がない。助太刀にしゃれこむとするかの」
「させませんよ」
ヨーゼルは立ち上がった。その場を立ち去ろうとしていたヒビキは振り返る。
「ヨーゼル、休んでおけ。その体で無理に動けばのちのち響くぞ」
「気遣いはけっこう。俺には誓いがありますので」
「……血も繋がらぬ母親がそれほど大事か」
「大事ですよ。俺にとって、あの人の命は俺のものよりも遥かに重い」
体は致命的な傷は無いものの満足に動けないほどに傷付いてる。刀は途中で折れておりろくに武器の機能を果たすことはできない。それでも、ヨーゼルは男への闘志を絶やさない。
「……あとはヴェンダーを回収するだけだと思っていたのだがな。お主のような目を持つ人間はしぶとくて骨が折れる。ヴェンダーには自分で何とかしてもらうしかないかのう」
「仲間の心配よりご自分のことを心配をなされてはどうでしょう。俺は何が何でもあなたを捕えますよ。まだまだ聞きたいことは山ほどある」
ヨーゼルが刀を素早く振り上げる。それが≪渡り鳥≫を放つ前の予備動作であることを、ヒビキはこの短い戦闘の間で既に看破していた。
飛ぶ斬撃である≪渡り鳥≫ならば、折れかけの刀で放ったとしてもそれなりのダメージを与えることができる。
ヒビキはヨーゼルが刀を振り下ろすのに合わせて横に飛ぼうとした。だが、そんなヒビキを横から挟む形で2人の人間が突如として現れる。
現れたのは道場の門下生───ニックとシーシャだった。2人は息を合わせて左右からヒビキを挟み込むようにそれぞれの得物を振るう。
ヨーゼルの≪渡り鳥≫に意識を割いていたヒビキは突然の奇襲にそれでも対応する。左から迫るニックの刀を己の刀で弾き、右から迫るシーシャの薙刀を拳で横から叩いてかわす。
そうやって危機を脱したヒビキだったが、眼前にはヨーゼルの≪渡り鳥≫が迫っていた。白い閃光がヒビキを飲み込み周囲に積もっていた灰が巻き上げられた。
「師範代、無事ですかい?」
残った体力を振り絞って渾身の一撃を放ったことでぐらついたヨーゼルの体をアルバートが支える。
「まだ立てるぐらには……それより、何故あなたたちが?」
「あんた、ゴードンの爺さんたちを逃がしたでしょう。あの人らが街に着くなり俺たちにあんたと師範代を助けるように頼んできたので、俺、ニック、シーシャ、リルティ、ゲイツが出張ることになりました。リルティとゲイツは師範の援護に。他の連中は万が一のために街に残ってます」
男に対して攻撃を加えたニックとシーシャもヨーゼルの元へとやって来る。
「相変わらず師範代は慕われてますね。子供たちが自分のことなんかどうでもいいって感じで師範代を助けるように泣きついてきましたよ」
「事情は理解しました。ニック、シーシャ、手助け感謝します。あなたたちの奇襲のおかげで相手に一撃を加えることができました。また隠形が上手くなりましたね」
「あなたに褒められると嬉しいわね。でも、あなたは私たちがいたことに気が付いていたでしょ? じゃないと、あんなに力を溜めて大きく刀を振らないわ」
シーシャの指摘にヨーゼルはクスリと笑う。アルバートが巻き上げられた灰を見ながらヨーゼルに問う。
「それで、あんたをそこまでボロボロにしたやつは軽く隙をついた程度で倒れてくれるんですかね」
「倒れてはくれないでしょうね。ですから警戒を……不味い。シーシャ、灰を払ってください!」
何故、などとシーシャは聞き返さない。ヨーゼルの一声に呼応して薙刀を大きく振った。シーシャを中心として小規模の竜巻が発生し空中に舞っていた灰が払われていく。
視界が良好になったこの場所を見渡すもヒビキは既にいない。
───ヴェンダーには自分でなんとかしてもらうおうかのう
「(くそっ、俺は馬鹿か!)」
あのセリフでヒビキの注意が自分に向いていると油断した。ヒビキには自分と戦う意思があると勘違いした。
ヒビキからすれば、傷だらけの自分など放っておいてすぐにでも傭兵の加勢に向かえばいいだけのことなのに。
ヨーゼルは自分の無能さに腹が立ちながらもアルバートたちに叫ぶ。
「───先生の元へ向かいます!」