第8話
男が刀を振りかぶると刀身に炎が宿る。そのまま男が流麗な動作で踊るように刀を振り抜くとヨーゼルに向かって炎の波が飛んで行った。
凄まじい速度で飛来する炎の波を、ヨーゼルは横に飛ぶことで回避。しかし、先ほどの意趣返しと言わんばかりの連撃を男は繰り出してくる。ヨーゼルの視界のほとんどを炎の波が埋め尽くした。
「(やはりできる)」
刀に合わせて飛来してくる炎波の連撃には繋ぎ目が無い。男の剣筋がそれだけ洗練されている証拠であった。しかし、ヨーゼルも達人の領域に至った超人。
炎をかわしながらヨーゼルは体の前部分を≪鋼皮功≫で防護。炎の圧が薄い箇所を見つけたヨーゼルは刀を鞘に納めた状態でそこへ向かって突っ込んだ。
いくら火力が低い箇所だといってもそれは他と比べてのこと。人の肌を容易く焼く炎をヨーゼルは鍛え上げた魔技によって無傷で突破する。
炎を抜けた先に男はいた。炎を飛ばしていたからか、男を覆う炎はいま無い。このチャンスを逃すわけもなくヨーゼルは居合を放った。しかし、剣の鋭さと狙いの正確さに反して手ごたえが全くない。
「(不味いッ!)」
男が目の前にいるにも関わらずヨーゼルは咄嗟に刀を背中へと回した。次の瞬間に感じたのは強い衝撃。ヨーゼルはわざと吹っ飛ぶことにより衝撃を殺しながら距離を取った。
「よくぞ躱した」
ヨーゼルが斬った男の姿がかき消え、先ほどまでヨーゼルがいた位置の背後に男が現れる。
「……炎による光の屈折ですか」
「その通り。蜃気楼、とわしは呼んでいる」
蜃気楼とは熱気・冷気による光の異常な屈折のため、空中や地平線近くにそこにはない遠方の物体が見える現象だ。
男はその現象を自分が生み出した炎の熱で再現することで、自分が立っている場所とは違う場所に己の虚像を作り出していたのだ。
「仕留めきれるとは思っておらんかった。しかし、完璧にかわされる上に一度でからくりを看破されるとも思っておらんかった。それにいまの居合。当たっておればわしの負けになっておったわい」
男は刀を肩でかついで心底嬉しそうに笑う。ヨーゼルは再び刀を構えて警戒を怠らない。
「相手を賞賛とするとは随分と余裕ですね。俺はあなたの腕を斬り飛ばすつもりでしたよ」
「だとしても、相手の技量を褒めるのは果たし合いにおいて礼儀というものじゃろう?」
「子供たちを巻き込んでおいて、果たし合いも何もありません。まったくずいぶんと能天気な人だ。あなたにどんな矜持があったとしても俺はそれを尊重して手段を選ぶつもりはありませんよ」
「道理じゃな。賊軍に対する扱いはいつの時代も変わらない───しかし、ヨーゼルよ」
ヨーゼルはまだ男に名乗っていない。だが、突拍子もなく男はその名を呼んだ。
「お主、本当に記憶を失っているのか?」
次の瞬間、男の体から先ほどの比ではない炎が噴き出した。その炎は闇を明るく照らし、天を穿つかの如く高く昇っていく。
「(まだ本気じゃなかったのか……しかし、これは本当に魔術なのか?)」
この世界には魔獣以外にもその身一つで超常的な現象を引き起こすことができる人間がいる。魔術を使う、魔術師と呼ばれる人間たち。
炎を自在に操る目の前の男も魔術師の部類かと思っていたが、火力が尋常ではない。人が起こす現象というより火山の噴火を思わせるほどの圧倒的な存在感。
炎が発するあまりの熱さのせいで距離を取っているというのに肌が焼けるように痛い。咄嗟に全身を≪鋼皮功≫で覆うが、今度は息苦しさを感じ始めた。平地だというのに酸素不足に陥るほどの炎。
「(魔術にはそれほど詳しくないが、間違いなく人の領域を逸脱している……今の俺より格上だ)」
戦力差は理解した。だが、ヨーゼルには一つだけこの状況を打開する方法がある。再び刀を納めて居合の構えを取る。
深く腰を落とすことで使うことのできる魔技≪天羽々斬≫。ヨーゼルが持つ最強の技だ。
「……それがお主の切り札か?」
男は不思議そうな顔でつぶやいた。それにヨーゼルは答えない。
「その沈黙が否定が肯定か。確かめてやろう───耐えて見せよ」
纏っていた炎が全て男が持つ刀に集約されていく。鈍い銀色の刀が炉に入れた鉄のように赤く光り輝いた。
男が刀を振り上げると周囲のものが灰と化し雪のように降り注いだ。
「───火響雪灰」
男が刀で空中に線を引く。数拍遅れてヨーゼルと男の間にある景色全てが、燃えるという過程を得ることなく一瞬で灰となった。
「───斬る」
ヨーゼルが刀を引き抜き目の前を切り裂く。音はない。だが、ヨーゼルとその背後以外の全てが灰となったかき消えた。2人の頭上に大量の灰の雪が降る。
ヨーゼルは居合を放った体勢から返す刀で≪渡り鳥≫を放つ。狙う先は男の両目。凄まじい速度で飛来する斬撃を男は剣で防御した。
未だに熱を残す男の刀に触れた斬撃は爆発したかのように霧散する。飛び散る斬撃と空から降り注ぐ灰、そして目を狙われたことで男は一瞬だけヨーゼルへの注意を緩めてしまう。
ヨーゼルが男の背後に降り立った。既に刀は鞘へと収まっている。
「───ッ!」
男が初めて表情を変えた。背後にヨーゼルがいることに気が付き振り向きざまに刀を振るう。2人の刀が交差する。ヨーゼルの剣がジュワリと溶けて二つに分かれた。
そして、炎の熱による灼熱地獄と薄くなった酸素濃度のせいで体にダメージが蓄積していた体から力が抜けて思わずヨーゼルは膝をつく。
「見事なり」
男はヨーゼルへと惜しみない賞賛を浴びせる。それは敗者に対する慈悲のようなものであった。
ヨーゼルは折れた刀を支えにしながらなんとか立ち上がった。灼熱地獄に薄まっていく酸素濃度。2人がいる場所は既に人間がまともに活動できる環境ではなかった。それでも、ヨーゼルは鋭い視線を男に向ける。
「避ける選択肢もあっただろうに」
男は膝をつくヨーゼルの背後には孤児院があった。既に半壊しており炎の熱で黒くなってしまっていたが、それでもなんとかその姿を保っている。
フッと笑って男はヨーゼルへと視線を向ける。
「お主、まだ20にもなっていないだろうにあれほどの技を放つとは恐れ入った。あの居合は魔技なのじゃろうが、、≪切断≫の概念を生み出す魔技とは。わしですら他に見たことが無い。炎の熱による刀の歪みが無ければわしの腕を飛ばすことも出来たじゃろうて」
「……も、う。勝ったつも、り、か」
薄い酸素濃度、そして普段通りに呼吸をしてしまえば喉が焼ける可能性すらある灼熱の中ヨーゼルはなんとかその言葉を絞り出す。
「おっと、これではお主と会話ができん」
周囲にあった炎が姿を徐々に消していき温度が元に戻っていく。体が楽になったことを感じ取ったヨーゼルは腰の鞘で男の足を力一杯叩いた。
そのまま脳天へとかち割ろうとしたが鞘も灼熱のせいで灰になりかけになっており、男の足に叩きつけた段階でポキッと折れてしまう。
次の瞬間、ヨーゼルは大きくせき込み地面へと倒れ伏した。灰まみれになったヨーゼルを男は叩かれた足を痛そうに撫でながら見下ろす。男の黒い髪が灰が降る中で風に揺れる。
「まったく。普通は呼吸できるようになったら真っ先に息を吐くものじゃぞ? というより、体が酸素を求めて勝手に呼吸をし始めるものじゃ」
ヨーゼルの口に灰が入ってしまわぬように男は周囲にあった灰を吹き飛ばす。そのおかげでヨーゼルは十分に呼吸をすることができた。
「な、んの……つ、もりで、すか?」
「ヨーゼル、勘違いをするでない。私はお主を殺そうと思っておらん。そもそも殺すなと言われておる」
「……?」
「それよりも、だ。お主やはりバレンの弟じゃな。その若さでその剣の腕、尋常ではない。努力だけではとてもではないが到達できない領域じゃ」
バレンの弟、という言葉にヨーゼルは驚いた。目の前の男はヨーゼルですら知らないヨーゼルの何かを知っている。
───お主、本当に記憶を失っているのか?
戦闘の最中、男がそう言っていたのをヨーゼルは思い出した。聞きたいことがありすぎてヨーゼルは言葉に迷う。
その間に、男は言葉を続けた。
「だからこそ、不思議に思った。お主、何故力を使わなかった? やはり記憶を無くしておるのか」