2日目朝、教室にて。2
4話です。
「の、飲まない、よ……?」
僕が具体的に何かを提案するより先に、雲梯さんが否定の言葉を力なく口にした。
僕ももう雲梯さんに惚れ薬を飲んでもらう気はない。
「僕も雲梯さんには飲んでもらう気はないよ。僕が飲もうかとも思ったんだけど、芽亜里がダメだって」
曰く、一人が二本とも飲んでも意味がないと。確かに実験とは比較対象があってこそである。理に適ってるのかは分からないが、確かに僕が飲む意味はない。
「じゃあ芽亜里が飲めよって言ったら、あいつ、真顔で『私に惚れて欲しいのか?』とか言ってさ。勘弁してくれって」
そんなことになったらどうなるか分かったもんじゃない。
奴は雲梯さんほどお淑やかな女ではないのだ。
「そ、そうなんだ。芽亜里ちゃん可愛いのに」
それは芽亜里が僕に惚れて、懇ろな仲になるのも悪くないのでは?という意味でもある。
他でもない雲梯さんに言われるのは少しショックだ。
「確かに奴は顔はいいよ。下手なアイドルより、それは間違いない」
頭がいいことと顔がいいことは幼馴染の僕でも自信を持って言える芽亜里の長所だ。天は二物を与えずと言うが、代わりに三つ目として破天荒すぎる人格も与えられてしまっている。
僕からすれば雲梯さんの方が倍は可愛いのだが。
「でも今でさえ幼馴染の立場でこうなのに、彼氏なんかになったらどうなるか分かったもんじゃない。それに」
「それに?」
「僕は雲梯さん一筋だから」
雲梯さんの表情が固まった。いつもの優しい微笑みのまま、徐々に顔が紅潮していく。昨日も思ったけど、元の肌が白いから、よく分かる。
少しは意識してくれているのだろうか、なんて期待してしまう。
「そ、そっか。……こういう時ってなんて言えばいいのかな」
「ごめん、無神経だった。いつか応えてくれたら嬉しいけど、今は全然、気にしないで。僕も気を付ける」
「ううん、私こそごめんね。こういう時ってどうすればいいのかよく分からなくて」
あたふたと雲梯さんが手団扇で顔を冷まそうとしている。その仕草が妙に可愛いので、昨日から困らせてばっかりなのに早速止められそうにない。
本当に、気を付けなければ。
「それで、話を戻すけど」
トンと、机の上の小瓶を置き直す。チャプリと中身が揺れる。
未だに効能のよく分からない、惚れ薬である。
「僕たちが飲むっていう選択肢以外に、参考までに案とかないかな」
思案顔。整った眉が困ったようにハの字を描いた。いきなりこんな話をされても、それは悩むだろう。
「ちなみに、いつもみたいに高橋あたりに飲ませるのも考えたんだけど、モノがモノだから。惚れられた相手にも迷惑かかるかもだし」
「そっか、確かにそうだよね。うん。飲んでない方もびっくりしちゃうもんね」
うんうんと、熱を込めた様子で雲梯さんが何度も頷いてくれている。
突然のフリにも関わらず、親身に考えてくれているようだ。
「ただ問題は、これの効果もよく分かってないところなんだよね」
「え?」
「今の被験者って僕だけだけど、あんまり効果は感じられてないし」
「そんなことないと思うけどな……」
「表に出してなかっただけで、胸の内は変わってないんだよ……って、そうじゃなくて」
また雲梯さんを困らせる流れになるところだった。
「あんまり知らない人に飲んでもらうのもなんだし。人の気持ちを変えれる薬だから、案外使い所が難しいんだよね。高橋あたりに使ってどうなるか見てみたい気もするけど、相手に失礼だし」
そう、人間関係が変わる可能性があるのだ。
以前使った髪染めの薬(3時間ごとに色が変わるやつ、高橋の髪が肌色になった時は笑った)や水に浮くようになる薬(水に立つコツを掴んだ男子達の水上ドッヂが燃えたやつ)なんかはバカ騒ぎの元凶になるだけだった。
しかし惚れ薬となれば、一人と一人の間に矢印を作るものだ。
単に誰かが飲んで笑ってはい終わりになるとは考えづらい。
「……そしたら、普通に使ったらいんじゃないかな」
「普通に?」
確かに僕の使い方は普通じゃなかったかも知れない。惚れ薬なのに惚れてないし。惚れてるけど。
雲梯さんはうん、と一つ頷くと惚れ薬を手に取った。
「誰が使うと問題ないのか、じゃなくって、誰か使いたいって人のお手伝いに……とか?」
雲梯さんが小瓶と一緒に小首を傾げる。黒髪のさらりと揺れる仕草が可愛くて心のスクショを連写した。
「手伝いに?」
「うん、え、そんなに真顔になるようなこと言った……?」
雲梯さんが気遣わしげに首の角度を深める。まずい、あまりの可愛さに思わず凝視してしまっていた。
「いや、言ってないよ。全然言ってない、そっか、うん、手伝いか」
うん。
雲梯さんの言葉を咀嚼する。
目から鱗だった。
「それだ!雲梯さん流石だよ!確かにそうだ、うん!」
思わず大きい声を上げてしまい、雲梯さんがびくりと震える。
「あ、ごめん。ちょっと尊敬しちゃった」
確かにそうだ。惚れ薬なのだから、誰かの恋を応援するのに使えばいいんだ。
芽亜里の薬は最近特にぶっ飛んだ物が多かったから、どうしても処理する目線になっていた。
いやー、どうしてこんなに簡単なことに気付かなかったんだろう。
「そんなに変なこと言っちゃった?」
雲梯さんが不安げに小瓶を僕の机へ戻そうとする。思わずその手を取って、雲梯さんに薬を押し付けた。
「言ってない!むしろ普通!こんな当たり前のことに気付かないなんて、とんだバカだったよ」
「え、えぇ、ちょ、春田くん!?」
「薬は雲梯さんが持っててくれないかな。お恥ずかしながら、僕ってあんま恋バナとか混ぜてもらえなくてさ。誰に使ってもらうといいとか分かんないだよね」
「いや、あの、はるっ……!手、てぇ……!」
雲梯さんが目を回している。
その様子から、衝動のまま雲梯さんの手を握っていたことに気付いた。
「あ、ごめん!」
慌てて手を離す。相変わらず雲梯さんは赤面してて可愛い。
すべすべ。少し汗をかいているはずなのに、すべすべだった。肉の薄い小さな手なのに、柔らかかった。
「何面白いことしてんの!」
「うわっ!」「ひゃぁ!」
唐突な背後からの攻撃に声が出た。
「前野さん、おはよう!」
「おー、おはよ!」
「お、おはようございます」
二人の肩を叩いて現れたのは、前野さんだった。
やはり蝉の声が賑やかで、近くに人が来ても気付けない。教室にはちらほらと登校して来ていたクラスメイトも増えていた。前野さんは僕たちの間を抜けると、自席に鞄を置いてそのまま話に入ろうと椅子ごと後ろを向いた。
そっか、朝練を終えた前野さんがいるということはいつの間にか8時を回っていたらしい。楽しい時間というのは一瞬で過ぎるものだ。
「あれ、前野さん今日ジャージなんだ」
「あっっついから。制服で朝練してたら汗かいちゃったから着替えた」
「普通は逆じゃないのかな?」
「文化部だからどっちでもいいの!つゆも珍しく暑そうじゃん。顔真っ赤よ?」
「!そ、そう!あついね、今日!」
雲梯さんがわたわたと誤魔化そうとしているが、さっきまでの流れを知っている僕からすれば思わずニヤけてしまう。自分で自分が気持ち悪いが仕方ない。
なんなら前野さんも絶対気付いてるだろう、あのタイミングで声を掛けてきたなら聞いてないまでも見てない訳がない。
現にニヤニヤと悪戯猫のような目で僕に視線を送ってきている。
芽亜里以外の存在でこの手のイジりをされたことがないので、なんだか新鮮でむず痒かった。雲梯さんには申し訳ないけど、歯痒さが気持ちいい。
「それで、なんの話っ……て、つゆ、それ」
「これ?うん、芽亜里ちゃんの……」
前野さんがバッと僕を向く。言わんとしたいことは分かる。昨日芽亜里に渡されて、惚れ薬の存在を最初に教えたのは前野さんだった。
なので先に釘を刺しておこうじゃないか。
「雲梯さんに飲んでもらおうって訳じゃないから。それは諦めた。今は僕なんかよりずっとちゃんとしてるだろうから、預けたとこなんだ」
「?」
「あっ、春田くん、それ……」
「!?」
目まぐるしく前野さんの表情が変わる。僕を見咎めていた視線が、小瓶と真っ赤な雲梯さんを行ったり来たりし、僕を見て目を見開いたと思えば僕たちの手をまた行ったり来たり。
百面相でも出来そうである。見た目に賑やかな人だ。
「ちょっとつゆ!?表出ろや?」
言うが早いが、前野さんは雲梯さんを引っ連れて廊下に駆けていった。連れて行かれながら、ろくな抵抗をしない雲梯さんはされるがままに困ったような視線を向けてくる。しかし僕には手を振って見送ることしか出来ない。
残ったのは雲梯さんの机に置かれた茶色い小瓶と、蝉の鳴き声、僕。
そして思い出された手付かずの数学の課題である。
「前野さん大丈夫か?」
どうせ彼女もやってないだろうに。
彪太レポート:雲梯さんの手は手触りが気持ちいい。