5-31 白き世界の中で
満天の夜空が見える黒い世界から、分厚い雲が覆う白銀の世界へ。
それは気付かないうちに少しづづ変化し、気づいた時には彼らの体を蝕み始めていた。
「何だよこのゲージ?」
「ってか寒くねーか」
「マジで何だってんだよ!」
経験したことのない異常気象を前に、レイの眼下では阿鼻叫喚のプレイヤー達で溢れていた。当然レイも心中では困惑の渦で満たされており、次の一手を決めきれない状況の中で、突然目の前にウィンドウが表示される。
[レイドボス戦では普段起こりえない異常気象が発生します。その中に存在する限り『環境耐性ゲージ』が減少していきますが、ゲージが尽きた場合、異常気象による影響が発生しますのでご注意ください]
それは目の前に表示する謎のゲージを説明するものであった。右から少しずつ黒から水色へと変化していくゲージは『環境耐性ゲージ』と言うもので、レイド戦限定の仕様なのだとレイは理解する。
「ようは時間制限って事?説明を見るに嬉しいものではないとは思うけど――ッ」
内容をそう噛み砕きつつ、面倒そうな内容に辟易していると、イブルが動いたのか体が大きくぶれた。
「……何するのさ」
「本懐を果たすだけだ」
どうやら後方下、【第007艦隊】の戦艦から攻撃されたようだった。発射された大砲の弾をイブルが避けたことでそのことに気が付いたレイは背後を睨みつけて低い声を出す。
「そんなことしてる場合じゃないでしょ」
「それは私が決める事だ」
「……あっそ」
だが何を言ってもイソーロから返ってくるのは頑なで曲がる事のない意志を持った一言であり、その頑固っぷりにレイは目を細める。
「まぁいいよ。仕切り直して――」
「やめなさい」
臨戦態勢となったレイを止めたのは意外にもポニーであった。先ほど見せた怒りの顔は消え去り、どこか顔面蒼白に感じる顔でじっと空を見上げている。
「何?今更協力しようなんて虫が良すぎる――」
「貴方には言ってないわ。イソーロ、ここは協力するしかないわよ」
「何?」
強気に返そうとしたレイだったが、彼女ではなくイソーロに向けての言葉だったようだ。若干気まずく恥ずかしい思いを胸に閉口すると、二人のやり取りに耳を澄ます。
「貴様等とは決別したつもりだ。今更協力など出来ん」
「しなきゃ全てを失うことになるわよ。折角造った大切な船を壊されたくないでしょ」
協調性皆無なイソーロに、それでも説得するよう言葉を投げかけるポニー。何か焦るようにちらちらと空を伺いながらも、キッドへと視線を送る。
「キッド、貴方もよ。あれはそれくらいヤバいわ」
「へぇ、そんなにか」
その言葉を聞いたキッドは興味が移ったのか、ポニーと同じように空を見上げて微かに笑う。イソーロとは違い、話を聞く素振りを見せる様子に対してポニーは安堵しつつも、改めてレイに鋭い視線を向けて警告する。
「『きょうじん』、貴方も黙って見てる事ね。もっともできる事なんてないと思うけど――」
だがその言葉は最後まで綴られることはない。レイを――正確にはその背後で起きる現象を目にして、ポニーは間抜けにも口を大きく開けたまま固まってしまう。
「ん?一体何――」
つられるようにレイも背後を振り返り――そして、同じように口を大きく開けて硬直する。
その視界に映るのは天から海に向けて生える、一本の白い柱。それはどうやら雲で出来ているらしく、計り知れないほどに太く巨大であった。
だが、それで終わりではない。柱はまるで彫刻のように次第に削られ、欠けていき、何か目的を持つように形を成していく。そうして30秒ほどかけて、彼女たちの前に白銀の巨人――【ヨトゥン】が顕現する。
「す、すご……」
『はぁ~、デカいですねぇ』
そのスケールのデカさにレイは思わず唾を飲み込み、その背後からはどこか気の抜けるようなイブルの感想が聴こえてくる。と同時に、【ヨトゥン】の体がレイへと向く。
「ね、ねぇ。気のせいじゃなければ、私達のこと見てない?」
『えぇ、ばっちり目が合ってやすね。頭無いですけど』
「だよね、そんな気がするよねぇぇぇ!?」
それに気が付いた時には既に【ヨトゥン】の右腕が振り上げられていた。それを察知したイブルがいきなりギアを上げてその場を離れれば、一拍おいて巨大な腕が通り過ぎる。
目標を失ったその腕は、それでも止まることなく勢いよく海面に叩きつけられ、真下にいた海賊船をいくつか巻き込みながら巨大な水柱を発生させた。
「テメェ等、ぼーっとすんな!止まってるとただの的だぞ!」
「せ、船長、それが!」
その光景に不味いと感じたのか、キッドはすぐさま他の船員に指示を飛ばす。だが、返ってきたのは取り乱した様子の情けない声。
「あぁ?どうしたんだよ!」
「海が凍って動けないんですよ!」
「はぁ!?嘘だろ!?」
その理由を問い正せば、とても信じられない言葉が返ってくる。だが慌てて海に目を向ければ、彼の言葉に偽りがない事をこれ以上なく証明していた。
「おい、どうすんだ!」
「私が聞きたいわよ!」
焦った様子でキッドが尋ねるも、ポニーからは同じように怒声しか返ってこない。彼女自身、目の前のレイドモンスターについて多少情報は持っているものの、所詮は目撃情報程度であり、対処法など知る由もない。
そのため必死でこの場を乗り切るための案を絞り出そうとするポニーだったが、レイドボスはそれを待つほど優しい存在ではないようだった。
「おいおい、今度は何だってんだ」
「あれは……弓?」
右腕を引いた【ヨトゥン】が、今度は左手を上へとあげると、空を覆う雲がその手に収束していき、やがて一本の大弓を形成する。巨体と同等程度の大きさをした白銀の弓に気を取られていると、その反対の手にはいつの間にかそのサイズに見合った矢が握られており、【ヨトゥン】は容赦なく矢をつがえると、弦を引いて空へと放つ。
分厚い雲を割りながら空へと放たれた煌めく矢。一瞬の静寂の後、プレイヤー達を滅ぼさんと無数の氷が飛来する。
「これは……雹か!チィ、ヤバい奴は船内に隠れろ!当たれば痛いじゃ済まねぇぞ!」
それは全長20センチ程の巨大な氷の礫。まるで隕石のように降り注いでくる様子はこれ以上ない絶望感を与える。
当然その威力も驚異的であり、周囲にいたプレイヤーが触れただけでポリゴンに変えられていく姿を見て、キッドは舌打ちを零した。
「ちょ、イブル!避けなくていいんだって!」
『え!?何ですかい!?すいやせん、それどころじゃないんでさァ!』
訪れた危機は上空にいるレイも例外ではない。彼女としてはここでデスルーラするのは大歓迎なのだが、イブルが聞く耳を持たないため、それに振り回される形で空を駆け回る。
「キッド、イソーロ!このままじゃ全滅よ!イチかバチか最大火力をぶつけるしかないわ!」
「みたいだな……」
次々と船が沈む中、ポニーは改めてキッドとイソーロに呼びかける。
「ふんっ、貴様の言う事など――」
「そんなこと言ってる場合じゃねぇつってんだよこの耄碌ジジイ!」
「んなっ!?」
それでも態度を変えないイソーロに、遂にポニーが激怒する。声を荒げ厳しく睨む視線に、イソーロはたじろいで言葉を詰まらせる。
「うし、決まり!合図は!」
「一分後!こっちのスキルにあわせて欲しいわ!イソーロもいいわね!?」
「くっ、総員用意!」
ようやく話の纏まった『海賊連合』の面々は慌ただしく船員へと指示を飛ばし始める。
ポニーは【さえずる鳥籠】を解除して新しい音楽――アップテンポの激しい音楽を奏で――。
キッドは精神を統一し、レイに浴びせたよりも強大な空気をかき集め――。
イソーロは椅子に腰を下ろしながらも、声を張り上げ――。
「これ以上奪われてたまるものですか……!貴方達、行くわよ!【絶叫する獅子の咆哮】!」
「テメェ等もきばれよ!【大気砲】!」
「一斉掃射!打ち方始めー!」
――そして『海賊連合』による最大火力が白銀の巨人に向けて放たれる。
ライオンの形を成した音波が、凝縮された空気の塊が、島を一つ更地に変えてしまう程の爆撃が――全てが必殺であり、当たれば確実に無事では済まない最強の攻撃達。それが【ヨトゥン】に殺到し、余すことなくその巨体に叩きつけられる。――だが。
「……おいおい」
「こんなの勝てる訳ない……」
爆炎が晴れ、再び顔を出したのは先ほどと全く変わらない【ヨトゥン】の姿。かろうじて表示されているHPゲージは3割ほど削れているものの、目立った外傷はなく、怯んだ様子もない異次元な耐久力に、ポニーは膝をつき、キッドは呆然と立ちすくむ。
「これがレイドボス――ウッ!?」
その光景を上空から眺めていたレイも、その圧倒的な強さに一度体を大きく震わせる。だがそれは恐怖から来るものではなかった。
[『環境耐性ゲージ』が0になりました。これより【極凍】が発動します]
「ゲージが……。体が動かな……い……」
『ご、ご主人!?』
表示されたウィンドウと水色に染まったゲージを見て、レイは制限時間が来たことを悟る。
手足が凍りつき自由が利かなくなっていく中、イブルの心配そうな声に言葉を返す余裕もなく、レイは目を瞑る。
――数刻後、白い雲は過ぎ去った世界では再び何の変哲もない、穏やかな夜の海が現れる。ただし、そこには船員のいない船が凍りついたまま、寂しく波に揺られていた。
[TOPIC]
SKILL【絶叫する獅子の咆哮】
魂の叫びは百獣の王となりて仇敵を打ち滅ぼす。その感情は怒りか、悲しみか。
CT:3000sec
効果①:無属性の単発ダメージ(参加プレイヤーの<知識>の合計 * 1)
取得条件:職業【指揮者】Lv30にて取得
発動条件:スキル発動後、職業【歌い手】を持つプレイヤー20名が1分静止状態
※静止状態が解除された場合、スキルを解除




