第二話 テイム
カナの言う通り川沿いに出た僕らはそのまま上流に向けて歩き出した。
カナの足取りはしっかりしたモノで樹海に入ってからずっと迷った素振りを一切見ていない。
これだけ広大な森の地形を把握していることに驚きが隠せない。
が、それ以上にまだ一度も魔物と遭遇していないことが信じられない。
僕一人で此処に来たときは魔物と連戦し続けていたというのにカナの場合は魔物の位置を把握しているのか詳しいことは分からないけど、魔物から避ける技術があると言うことだ。
けど、別段それを誇った様子も無いカナを見たところ、カナ達のクラン『ルプスレギナ』の面々なら普通に出来る事でカナ達にとっては大した事じゃ無いのだろうと感じた。
しかし、末恐ろしい話である。
カナはまだ15過ぎた位の歳で冒険者の中でも新参者の括りに入る。
だと言うのにこれだけ手慣れた探索が出来ると言うことは相当な努力をしてきたのだろう。
勿論、大前提に才能は有るものと仮定するけど、こういった細かい技術は努力無しでは獲得出来ない筈だ。
当然、僕も出来ない。
「ウォルトー!置いてくよー」
カナが幾ばくか離れた距離から僕を呼ぶ。
結構な斜面をすいすいと登って行くカナを見下ろしながら、ウォルトは必死に後を追う。
同世代の女の子に体力で負けて恥ずかしくないのかと思うかも知れないが一つ聞いてほしい。
これは当然の結果なのだ。いや、寧ろ僕は他の冒険者より頑張っている方だ。
もしこれがそこらの低ランク冒険者なら街を出た時点で置いてかれるだろう。
それだけカナは移動速度が速い。
そして、その理由は簡単だ。
彼女は『能力保持者』だからだ。
カナの能力は簡潔明快で所謂、身体能力強化の類いだ。
人間離れした膂力に跳躍力、無尽蔵に近いスタミナ。
冒険者なら誰もが欲しがる『能力』に違いない。
この能力により本来なら負けるはずもない幼い少女に負けた熟練の冒険者達は隔絶した才能の差に心をへし折られ冒険者を辞めていった者も数多くいる。
だからだろうか、彼女は羨望と嫉妬に二つの入り雑じった視線を常に向けられ続けてきた。
それは凡人からしたら分からない苦悩なのだろう。
だから、彼女が『ルプスレギナ』に入ったのを聞いたときは正直安心した。
ルプスレギナには『能力保持者』が何人もおり、同じ苦労や辛さを知っている。それに実力が拮抗した人間がいないと人は成長しないものだ。
大きな夢を持つ少女には最適なクランだと思う。
僕には全く向かないクランだけど。
意識高い人といると疲れちゃうし。
現に今、疲れたし。
いや、まあ僕からお願いしたことだけどさ。
「はぁはぁっ……疲れた」
漸く追い付いて膝に手を当て息を吐くウォルトを嬉しそうに見るカナ。
人の疲れた様を見て喜ぶとはなんて鬼畜。
「ふふ、ウォルトもうへばっちゃったのー?」
「体力お化けの君と一緒にしないでくれ……僕は真っ当な人間なんだぞ」
「大丈夫大丈夫!ウォルトならまだまだ行けるよ!はい、休憩終わり」
何の根拠があって言っているのか分からないが、それだけ言うとウォルトの返事を聞く間も無く、カナは風の如く速さで駆け抜けていってしまう。
「え、ちょっ、待って」
この女、容赦ない。
僕は切らした息を必死に正常に戻そうと深呼吸して、そしてまたカナを追いかけて走り始めた。
こういうところは前からずっと変わらないんだけど、『ルプスレギナ』の面々はこれについていけてるのだろうか?
というか彼女に集団行動の大切さを教えてやってよ。
規律に厳しいんじゃないの?
――――
―――
――
―
あれからだいぶ走った。
まあ、だいぶ走ったと思う。
もうすぐ着くというのは何だったのかと小言を一つは漏らしたいくらい走った。
僕は死んだ魚の目でカナを見つめる。
カナは散歩中の犬のように爛々と目を輝かし此方を見てくる。
「カナ」
「ん、何?」
対称的な二人の目が交差した時、僕は意を決して訪ねた。
「迷子になってないよね?」
迷子になってない?そう訪ねた僕は続けざまに言葉を並べる。
「なんかさっきから似たような場所ぐるぐるしてる気がするけど」
その僕の問いにカナは目をすっと剃らし。
「……気のせい。気のせいのはず」
とだけ呟いた。
その答えに僕は絶句しただろう。
いやだってこの反応はどう見たってあれでしょ?迷子でしょ?
あの自信満々の足取りは何だったの?内心で誉めてた僕に謝って欲しいものだよ。
てか、今までの徒労は何だったの?
必死に走った僕の努力は?
確かに努力は無駄に終わることが多いけど、こんなのってあんまりだよ!
僕が得られたのは疲労と虚しさと危機的状況の三つだけなの?
いや、落ち着こう。
カナは気のせいと行っているのだから僕の勘違いの可能性が高い。はずだ。
「後、どれくらいで着きそう?そろそろ、疲れて来ちゃった」
「……10分位かな」
「よし、言ったなカナ?10分だね?」
念を押す僕にカナが怯みながらも。
「う、うん」
そうしてまたカナの先導に従い進み始めた僕ら二人。
辺りをキョロキョロするカナから目を背けながら僕は後に続く。
いやもう分かりきってるけど、現実を直視するにはまだ僕の体力と精神が回復していないと駄目だ。
そして、二時間が経過した。
黙々と歩く二人の内の一人。先頭を歩いていたカナが歩みを止め、此方に振り返る。
「ごめん、迷った」
「うん、知ってる」
沈黙が生まれる。
カナは申し訳なさそうに俯いている。
いや、反省したし謝ったから許すけどさ。これどうしよう。
既に日が沈みはじめている。
元々、日帰りの計画だったのだから夜営の持ち物はほぼ無い。
これは一旦この樹海から出ないと不味いだろう。
「カナ、ここから森を抜けられる場所分かる?」
「び、微妙かなぁ」
「……」
「ごめん、分からない」
ウォルトが疑わしそうな目を向けるとカナは正直に答えた。
「分かった許す。……なら、早々に夜営の準備をした方がいいか。比較的に安全な場所を探そう」
手でカナを呼び今度は僕が先導して移動し始めるのだった。
そうして僕が見つけたのは崖に挟まれた岩場であった。
この岩場を見たカナは。
「ここ、私が連れてこようと思ってた場所に似てる」
と言った。
「この場所が分かるって事?」
「たぶん。けど、違うかも。前と違う?でもそんなはずは……」
カナは今の状況に動揺している。
恐らく彼女にとっても今の事態は予想外なのだろう。
一流の冒険者である彼女は普通は迷わない。つまり普通ではない事態ということだ。
さて、どうしようか。
カナの言葉を信じるならカナに任せて場所を確認した方が言いかもしれない。
しかし、どっちにしろ戻るのは夜道になる可能性が高い。
それならここで大人しく夜が明けるのを待つべきだろう。
「夜が明けてから確認しよう」
僕はそう決めた。
因みに決め手は疲れたからだ。
もう今日は動きたくない。
一メートル位の石に腰を掛け、道具を広げる。
と言っても夜営の予定は無かったので大したモノは持っていない。
ランタンに火を灯し、風避け用の布を広げる。
地面の砂利を払い、軽食用に持ってきたパンと干した肉を取り出す。
カナも流石に申し訳なさを覚えているのだろう。
いそいそと夜営の準備をしていく。
カナは女性なだけあって夜営用の道具を幾つかきちんと持っていた。
「取り敢えず、先に僕が寝ていい?」
体力的にも僕の方が疲労しているのは間違いないだろう。
夜番を先にすると下手すると寝落ちしかけない。
「いいよ」
「じゃ、お言葉に甘えて」
カナが警戒してくれるのなら安心して眠れる。
僕は疲れた身体を寝かし、眠りに着いた。
夜の真っ只中、僕は目を覚ましたもののそのまま地面に寝転がっていた。
明日無事に外に出られる保証もないのだからギリギリまで寝ておきたいのだ。
と思ったのだが、カナはいつまで経っても僕を起こそうとしてこない。
仕方ないので身体を起こすと普段のカナには無い優しさをみせてくる。
「起きたんだ…寝てていいよ」
凄い有難い言葉で、直ぐ様また地面に寝転がりたい衝動に駈られる。
でも。
「いや、そういうの要らないから」
この事態を引き起こした事に責任を感じていたのだろう。
けど、その贖罪を僕は受け入れない。
だって、僕らの関係にそんなめんどくさい贖罪だなんだってのは不要だ。
「だって私のせいだし」
「だろうね。けど、僕だって今日寝坊したけど、カナは許してくれた。だから僕だってカナが何かミスったとしても許すさ。そしたらそれで話は終わり。簡単でしょ?」
「失敗ってそう割りきっちゃ駄目だと思うんだけど」
「確かに人それぞれかも。まあ、だからこそさ僕との間に生じた問題は僕が許したら贖罪とかそういうのいらないよ。何だかんだで長い付き合いなんだから」
「長いって私達まだ三年位の付き合いでしょ」
「僕からしたら長いさ」
そう長いのだ。
記憶の無い僕にとってはこの三年しかないのだから。
だけど、それを理解出来ないカナは変な奴を見るような目で僕を見てくる。
そして、大きく溜め息を吐いた後。
「はぁ………そ、じゃあもう遠慮しないから。私疲れたから寝る」
「流石、そうでなきゃカナじゃないよね」
切換の速さってのは冒険者にとって大切な能力だ。
武器が壊れたり、魔物が突然襲ってきたり、仲間が死んだときに取り乱して動きを間違えればそれは死に直結する。
その点、カナはやはり優秀だ。
僕なんてかっこいい事を言ったは良いもの、眠くてしょうがないのだ。
カナが寝息を立てたらこっそりもう一眠りしようかなぁって考えた程だ。
「よしっと」
眠気で寝てしまいそうなのを防ぐために身体を起こし少しぶらつく事にした。
岩場から離れ、夜の森を少し見回る。
森は不気味な程静かで虫の羽音や風で揺れる草木の音だけが響く。
目を閉じて自然が奏でる音だけを聞いていると静かでゆったりとした時間が流れているように感じられ、心地好い。
ふらーっと意識が遠退くのを感じてはっとする。
「いかんいかん、眠気を飛ばそうと思ってたのにっ。はあ、戻るか」
余り離れる訳にも行かないのでカナが眠る岩場に足を戻した。
そもそも夜番が夜営地から離れるなんて本来してはいけない事でこれがバレたらカナに怒鳴られるのは違いない。
そうして岩場に戻った僕はふと、有ることに気が付いた。
「あれ?これって?」
そして、翌朝。
カナは起きるなり大声で叫んだ。
「何これっ!?何でっ!?」
その驚いた反応は当然の事だと思う。
僕だって朝起きてこの状況になっていたら戸惑っていただろう。
カナが指差す先、つまり僕の座っている下。
底には石のような生物は鈍く首を降りながら草木を食べていた。
「石竜テイムしちゃった」