暁光帝、緑龍テアルから教わる。
ようやく♀主人公が活躍します。ヒロインも出ます☆
初夏の太陽がまぶしい。
雲ははるか上空で。
熱をはらんだ潮風がここまで吹いている。
心地よい。
眼下の草原は青々として風に波立つ。
高度を下げているものの、十分に速度を落としている。
おかげで地上に設えられた街道を傷つけずに飛べている。
天龍アストライアー。
金属光沢を放つ紫の鱗と大地を覆うほどの六枚の翼、とてつもなく巨大なドラゴンだ。
これほどの超巨体を食事で維持しようものなら地上の生態系が壊滅的な被害を受けていただろう。
幸いなことにそうなってはいない。
ふだんは雲のはるか上を亜音速で飛ぶ。上級の幻獣らしく、物を食べないし水も飲まない、呼吸も不要だ。
気ままな存在である。
時に大洋でクラーケンと戯れ、時に深い森で女精霊と語らい、時に砂漠で人面獅子の相手をする。
あまりに強大であるため、敵対する者がいない。人間にとっては亡国の脅威である怪物どももアストライアーの前ではおとなしい。
だから、惑星を気ままに飛んで各地の幻獣と遊んでいた。
めったに地上には降りない。
惑星の夜の側にとどまって星を観察したり、真夏の積乱雲に潜り込んで嵐を堪能したり、荒れ狂う溶岩を吐き出す噴火口に飛び込んでマグマに浸かってみたり。
自然現象そのものを楽しむことも忘れないのだ。
少し前、月まで飛んでみたら空気のない世界が広がっていた。重力が小さく、あらゆる物体が軽い。
面白かったので月面に宮殿を建ててみた。ドラゴンが遊べるような巨大なものを。
本当に気ままだ。
先日、呼ばれてダヴァノハウ大陸の緑瘴湖へ赴いた。古龍の仲間、自分と同じ、“孤高の八龍”の一頭、緑龍テアルの下へ。
そこで驚くべき話を聞かされた。
曰く、『世界を横から観る』という、かつてない、まったく新しい遊びがあるのだと。
当たり前だが、ふだん、天龍アストライアーははるかな上空から地上や海を眺めている。たまに地上へ降りたところで、雲を衝くような超巨体だ。
見下ろす。
見下ろすのだ。
たとえ、仲間のドラゴンであっても同じ目線で話すことはない。
例えば、海の怪物クラーケンは島と見まごうほどに巨大だ。それでも、自分はもっと巨大である。
だから、クラーケンが見上げる。アストライアーが見下ろす。そんな出会いになる。
だが、幻影魔法で小さくなればそんな相手を横から、対等に立場で観察できるという。
さすがは緑龍テアル。
およそ他人が思いつかないような面白い遊びを考えつく。
しかも、その神秘の技を教えてくれるという。
アストライアーは大いに感謝した。
その驚くべき魔法の名は“人化の術”という。
幻獣が人間に変化する魔法である。
この魔法を使えばドラゴンどころか、孤高の八龍であっても人間の国を訪れて、そこに紛れることができる、人間を隣人として暮らせるのだという。
驚くべきことだ。
これは何としてでも習得せねばならない。
幸いなことにアストライアーはあらゆる魔法が使える。幻影魔法も例外ではない。
またたく間に人化の術を修めてみせた。
それを見た緑龍テアルは上機嫌になり。
人間の世界で遊ぶ時に気をつけることや語るべき話を教えてくれた。
持つべきものは友達である。
こうなればすぐにでも人間に変化して『世界を横から観る』という遊びを楽しめるだろう。
何と、テアルは人間から見ても好ましい容姿も教えてくれたのだ。
有能すぎる友人にアストライアーは頭が上がらない。
いつか、この恩に報いねばならぬ。
報いねばならぬが、それはまたいつか、だ。
今はとにかく遊びたい。
幸いなことに人魚や一角獣、人語を解す幻獣と交流があったおかげでアストライアーも人間の言葉がわかる。
ドラゴンの声帯は人間のそれとは違うものの、風魔法で代用して会話もできる。
しかも、今は人化の術がある。人化してしまえばふつうに声帯で喋ることもできるだろう。
かつてない、まったく新しい遊びに胸を高鳴らせ、挨拶もそこそこにダヴァノハウ大陸を後にした。
様々な人間達がにぎやかに暮らすという、碧中海はペッリャ半島を目指したのであった。
そんなアストライアーに「あると便利だから」と金貨の詰まった袋も用意してくれた親友は本当に有能である。
これは物を売り買いする、商売に使うのだと教えられた。人間は欲しい物を造る、または金で買う。何とも面白い行動だ。
もっとも人間が持ち歩く袋は小さすぎて到底、天龍アストライアーの手には持てなかったから万能のアイテムボックスに収納した。
この特別なアイテムボックスはほぼ無限に物を収納できる、奇蹟のマジックアイテムである。収納した物体の時間を止めて劣化させずにずっとしまい込めるという優れ物だ。
これは同じ孤高の八龍の一頭、赤龍ルブルムから贈られた逸品である。
ほんとうに友情とはありがたいものだと感じ入るアストライアーだった。
そして雲を遥か下に見下ろしながら碧中海の上空を飛んで。
やがて見つけたペッリャ半島に向けて高度を下げてゆく。
「ああ、いけない、いけない…重力をカットしなきゃ」
古龍語でつぶやく。
草原の間を走る街道はもろく、ただ超音速で飛ぶだけで剥がれてしまう。しかし、天龍アストライアーの超巨体である。速度を落とせば揚力が不安定になって墜落する恐れすらあるのだ。大地に落ちても困らないが、間違いなく街道は潰れてしまうだろう。
だから、自分に掛かる重力を弱めねば。
「ん!」
重力魔法を発動させた。
かなり以前にアストライアーが開発した、重力を操作する魔法だ。局所的に重力を弱めたり強めたり、質量そのものをごまかしたり。低速で飛んだり、地上を傷つけないように空中で停止したりできる便利な魔法である。
しかも局所的な重力減少は大気の浮力で上昇気流を発生させるので、それもまた揚力の助けになって飛行が楽になる。
重宝するから不死鳥や仲間のドラゴンにも教えたらずいぶん感謝された。
やはり幻獣は助け合いである。
アストライアーは街道に沿って、その上を飛んでみた。
こうして飛ぶとまるで人間のようではないか。
人間がこの街道を引き、人間がこの街道を進み、人間が文化を創る。
か弱い魔力を嘆きながら地べたを這いずり、日々の糧を求めてけなげに生きる人間は神々から“定命の者”と呼ばれる。彼らはわずかな寿命を与えられ、老いに追われながら、それでも豊かな文化を育み、その勢いは巨人をも圧倒する。
…らしい。
神々と巨人、両方とも凄いと思えないのでどのくらい凄いのかわからないけれども。
とにかく凄いのだ。
緑龍テアルがそう言っていたのだから間違いない。
そうして飛んで。
哀れな商人の心胆を寒からしめていた頃。
ドラゴンの関心は草原に隠れた魔法障壁に向いていた。
それは南西の森林と草原の境目あたりに設えられていた。強力な幻獣を警戒してか、光魔法による隠蔽が施されて外から見えないように光が屈折している。
しかし、それは逆効果だ。天龍アストライアーの鋭敏な魔力感知に引っかかって目立つ。
あれは人間の集団が暮らしている集落に違いない。
しかも、それなりに高い魔法技術を持つ、つまり、高度の文明を築いている上級の人間が暮らす、いわゆる“文明国”であるはずだ。
「ああ、ボクは運がいい」
喜んだ。
今こそ人化する時。
未知の世界、“人間の国”へ出発だ。
「ん!」
幻影魔法を発動させる。
魔気力線で構成するべき“人化”の魔術式は理解しているが、実際に発動させるのは初めてだ。
魔力で幻を作り、それを実体化、続いてドラゴンの超巨体を形而上学的に圧縮して幻の中に重積転移させる。実体化させた幻影はあらかじめ理想の形に整えてあるから、何のためらいもない。
村落一つを余裕で包み込むほどの巨体が一瞬で消えた。
それはまばたき一回する時間もかからない。
そして、あらかじめ設定しておいた位置に、何もない空中に女の子が現れた。
金属光沢を放つ紫のロングヘアーが腰を越えて流れる、虹色にきらめく瞳、朱を差したかのように鮮やかな唇がふくよか、スッと通る鼻筋だが小さくて子供らしくあどけない。
しみ一つない純白のワンピースはほどよい丈で、裾から可愛らしい膝小僧が覗く。その上の太もももわずかに見えて、得も言われぬ艶やかさを示す。
肌はまさしく処女雪のように白く白く。
そのきめ細かさは子供、それも貴族のお嬢様もかくやという麗しさだった。
緑龍テアルをも魅了した童女の愛らしさである。
見た目だけなら社交界デビューを控えた貴族の令嬢、10歳くらいと判断されることだろう。
しかし。
童女は空を飛ばない。
瞬間的に消失した超巨体はそのまま巨大な真空を造る。
当然、周囲の大気が一斉になだれ込み。
ドバァーン!!
強烈な爆発音とともに童女アストライアーは吹き飛ばされた。
「ほんげぇー!!」
新たに得た喉と声帯は見事に機能してくれた。はしたない声を上げつつ、墜落する。
もう重力魔法は切れていたのだ。
孤高の八龍が一頭、緑龍テアルが開発した人化の術は幻獣をして人間へ完璧に変化させしむる。それは見た目だけでなく、肉体の魔術的な構造も変化させ、およそ上級の幻獣にはあり得ない魔気容量ゼロを実現するのだ。
しかし、それはつまり、魔法が使えなくなるということ。
一切の魔力を身体の外に放出させなくなるわけだから、当然、それまでに発動し、維持していた魔法も切れる。
重力魔法も例外ではない。
爆発の勢いと万有引力により物凄いスピードで落下してゆく。
「ふひぁぁぁー!」
童女は超スピードで眼下の魔力障壁ドームめがけて吹き飛んでゆき。
バリバリバリ! バリーン!!
その魔術的構造が崩壊して割れ砕け、無数のヒビが走る。
何者かが設えた、十重二十重に張り巡らされた防御結界を突き破った。
「あかちばらちー!」
童女はそのまま地上に落ちる。
そして。
ズドーン!
足から地面に落っこちた。
童女に堕ちても天龍である。空中での姿勢制御は完璧で。
頭から地面に激突することは何とか避けてみせたのだ。
「ふうぉぐっ!」
だいじょうぶだ。声帯はきちんと機能している。アストライアーの驚きをちゃんと音に変えて発声していた。
驚いたものの、それだけである。
はるか上空から墜落して傷ひとつない。
ほんとうに人間の子供だったら地上に激突した時点で間違いなく死亡していたことだろう、およそ原型も留めぬ肉塊に成り果てて。
しかし、緑龍テアルの人化はそこまで人間を再現できない。筋力や肉体の頑強さは元のまま、つまり天龍アストライアーのままなのである。
つまり童女アストライアーもまた死ぬことも傷を負うこともできないのだ。
「えぇーっとぉ…」
現在、自分は足が膝の中ほどまで埋まった状態で地面に突き刺さっている。
これは恥ずかしい。
…のかもしれない。
…ので、力ずくで地面から足を引き抜いた。
そして周囲を見渡す。
視点が低い。
いつもなら地上に降り立っても木々を見下ろしていた。
天龍アストライアーはとんでもなく巨大なのだ。大巨神や巨人はおろか、仲間の八龍ですら見下ろしてきた。
それが今、自分はオリーブの木よりも小さい。いや、モクレン未満ではないか。
間違いない。
今の自分はライオンよりも、ロバよりも小さい。もしかしたらブタよりも小さいかもしれない。
新鮮だ。
新鮮な感覚だ。
地面に落ちた衝撃で池の水面が揺れている。
面白そうだ。
近づいて水面の振動が収まるのを待つ。
覗くと、可愛らしい童女が映っていた。
泥水の水鏡ではワンピースの白まではわからないが、設定したとおりの形になっているようだ。
フリルも透け気味の布地で魅力的だ。
腕組みしてみる。
あどけない童女が精一杯の背伸びをしているように見える…か。
そのまま、紫のロングヘアーを操って両側からスカートの裾を摘まんでみる。更に右足を後ろに下げて軽く左足を曲げる。
人間の王宮で行われるという礼儀作法“カーテシー”を決めてみた。
腕組みしたままふんぞり返って決めるカーテシーは非常に独特な感じがする。
かなり面白いマナーではなかろうか。
「ユニークだね!」
アストライアーは満足だ。
「うん、誰が見ても最高に可愛らしい女の子だよ」
安心した。
ただでさえ人間は数が多い。衆目を集めないことは大いなる利点だが、大衆に埋もれてかえりみられないということになっても困る。
魔気力線を完璧に抑え込んだ、この童女タイプ人化は人間への変化が完璧な分、没個性的になりやすい欠点がある。
なので、ひどく地味になってしまうのではないかと案じていた。
だが、この可愛らしさなら問題ないだろう。
「面白い」
見下ろすのではなく水平に観る。これが『世界を横から観る』という遊びなのだ。
こうして目線をそろえてやれば一角獣や女精霊、合成獣の気持ちをよりうまく理解してやれるかもしれない。
更にうまくすれば、この場所で“定命の者”こと人間とも交流できるかもしれない。
か弱い人間は魔気容量が小さくて言葉に魔力を乗せずに喋るらしい。そこまで脆弱な生き物が高いレベルの文明を築いている事そのものが奇蹟に思える。
彼らの文化を味わえたら何と面白いことだろう…そう思うと胸が高鳴る。
なるほど、『世界を横から観る』、今までにないまったく新しい遊びだと言えよう。
「さて…」
改めて周囲を観察してみた。
荒れ地である。
草原のはずなのに草がない。防御障壁ドームに覆われた空き地である。
石だらけであちこちに一抱えもあるほどの岩が転がっている。
そして。
「あ〜あ…」
見上げれば、半透明の防御障壁が崩壊してゆく様子が見える。
アストライアーが叩き割った結界は魔術的構造が崩壊してどんどん消失していっている。
「これは…どうしたものかなぁ。ボクが割ったんだからボクが修理した方がいい…よね?」
修復してやろうと右手を挙げたが、魔力を操作できない。
「あ、そっか…」
魔法が使えなくなっている。
童女タイプ人化は完璧に魔気力線を押さえ込む。おかげで幻獣としての正体を見抜かれるおそれはなくなるが、魔法が使えなくなるのだ。
「うん、ふつうのお嬢様は魔法なんて使えない…はず。しょうがない、しょうがない」
童女はあきらめて周りを見渡した。
防御障壁に囲まれたこの空き地を設えた者を探したのだが、それらしい者は見当たらなかった。
只、粗末な掘っ立て小屋のような茅葺き屋根が点在しているだけだ。
よく観ると低い屋根しか見えない。どうやら住居の部分は地下にあるらしい。
竪穴式住居だ。
「誰もいない?」
物音がしない。生活している様子も見られない。強力な防御結界で守られた村落であろうに住民が見当たらないのだ。
「んんー、どんな住人が……」
想像してみる。
いつもなら時を遡って事象を観察する、時間魔法を用いるところだが、あいにく今は魔法がすべて使えない。
何という不自由!
だが、それがいい。
親友の緑龍テアルが言っていた。
こういう不自由も含めて『世界を横から観る』楽しみというものである、と。
まさしくそのとおり。
親友は常に正しい。
ヒロインについて容姿の描写ができなかったのが心残り。
でも、ドラマトゥルギーの定石からして無理だったのです(>_<)