碧中海の戦争。歴史が語るエレーウォン大陸の人間は如何に?
すみません。ちょっと投稿期間が空いてしまいましたね。
今回はまた歴史小説でして(^_^;)
暁光帝の出番はありません(>_<)
この主人公、よく欠席するわ〜
さて、瓦礫街リュッダが“港湾都市リュッダ”として黎明期を迎えていた頃の物語です。
獣人と半魚人がヒトに対して挑んできました。
碧中海の覇権を巡って大戦争が始まる!!
……ような物語の最初のシーンです。
お楽しみに〜
キャラクター紹介&世界観はこちら〜>https://ncode.syosetu.com/n2816go/
『戦は竜を呼ぶ』
残念ながら、これはうわさ話や伝説のたぐいではなく、事実である。
また、比較的とは言え、今現在、世界が平和な理由の1つでもある。
エレーウォン大陸の国々は幻獣に対する備えもあって強力な軍隊を持つ例が多い。そして、軍隊が強いと国威が高まり、国民の気分もよくなる。為政者の野望、民族意識の高揚、そして宗教指導者の扇動があって、国家精神は否が応でも燃え上がるというもの。
『俺達は強い! 俺達は優れている!』、と。
これが『俺は強い! 俺は優れている!』だと非難されるわけだが、‘達’が付くだけでずいぶんと変わるものだ。この‘達’という言葉、政治的修辞法と言ってしまえばそれまでだが、大衆を煽る言葉としては秀逸である。ついでに言えば、『強い』と『優れている』は等しくないのだが、この意図的な誤用もまた大衆をよく騙す。
それでも、国を脅かす強敵を自国の軍隊が叩きのめして人々を守れば、そんな批判も吹っ飛んでしまう。
実際、領土問題の解決を図ったり、国民を守ったり、外国で危機に陥った自国民を救出したり、軍隊の出番はたくさんある。
軍隊は必ずしも幻獣に対抗するためにあるわけではない。
味方が人間なら敵も人間、そんな不幸もあり得るのだ。
人間は幻獣に対抗して手を取り合うべき、そんな綺麗事を並べても仕方ない。実際、国民を拉致したり、商人を襲ったり、国土を狙って越境して来たり、そんな人間ども、すなわち“敵”が存在するのだから。
そこで、不埒な輩が襲ってきた時、やはりこちらも暴力で反撃しなければならない。そして、強力な軍隊が敵を撃退して味方を救ってくれれば国威が高揚し、為政者への支持も上がるというもの。これは洋の東西を問わず、万国共通の真理である。
ところが、味方が強力ならば敵もまた強力な徒党を組んで襲ってくるもの。これもまた万国共通の真理である。
そこで幻獣を捨て置いて、人間と人間が集団で殺し合う、“戦争”が起きてしまうのだ。
結局、世の為政者が支持される最大の理由は国民を守ってくれるからであり、そんな強力な軍隊を率いる者こそがもっとも支持されるのである。
けれども、戦争が起きて人間同士がやかましく争っているとしばしばドラゴンが飛んで来てしまう。
それが『戦は竜を呼ぶ』と言われる所以だ。
もっとも、ドラゴンに限らない。不死鳥が飛んで来ることもあれば、巨鳳凰が飛んで来ることもある。時には妖巨人が走って来ることもあるらしい。トロールの場合は到着した頃には戦争が終わっているのでどうでもいいが。
どうやら、剣戟の音や鬨の声、雄叫びに反応して強力な幻獣がやって来るらしい。
やって来るドラゴンの反応は様々だ。
上空を旋回して戦争を眺めるだけだったり、低空を飛んで気まぐれにブレスを吹きかけたり、果ては地上に舞い降りて将軍とお喋りに興じたり。
これが非常に厄介なのである。
戦いは強い方が勝つ。
これこそが国王も将軍も平民も、すべての人間が抱く戦争の大前提となる命題だ。敵が弱そうで味方が強そうだから戦争を始めるのだ。
わかりやすく言えば、“勝つ見込み”である。
ところが、そこにドラゴンが介入してしまうとそんな見込みがひっくり返されてしまう。
容易に戦況が変わってしまうのだ。それも偶然の要素が非常に多い。
たまたま、低空を飛んだドラゴンがブレスを吹いたら、たまたま敵の主力をこんがり焼き尽くしてくれた、とか。
たまたま、地上に降りてきたドラゴンが将軍とお喋りしたら、たまたま上機嫌で、たまたま将軍と気が合って、たまたま上手く説得できて、敵を焼き尽くしてもらえた、とか。
いや、これらの例は自軍に都合のよい話だが、何もかも偶然であるから、当然、その逆もあり得る。
たまたま、ドラゴンが敵に回ってしまえば、勝利は望めなくなってしまうどころか、貴重な精鋭部隊が全滅して惨敗などという悪夢も考えられるのだ。
つまり、ドラゴンは敵に回るも味方に着くもさっぱりわからない不安定要素なのだ。
だから、戦争の準備として戦場の周辺にドラゴンがいないことを確認するという面倒な作業が必要になるのである。
『敵を知り己を知れば百戦殆うからず』など言われるが、エレーウォン大陸では『敵を知り己を知って更にドラゴンも知っておけば百戦殆うからず』となるのだろうか。
2国の間で戦争が起こりそうになると互いに偵察隊を派遣してドラゴンの動向を探るのが国際的慣習になって久しい。
お互いに険悪な状況下であるにも関わらず、そんなドラゴン偵察隊同士が遭遇しても戦闘にはならない。それは火山の噴火や嵐に対応することと同じであり、人間同士で諍うことではないのだから。
たとえば。
赤の国の兵士:「むっ、黒の国の軍隊か!?」
黒の国の兵士:「おぅ! そういう貴様らは赤の国の軍隊だな!」
赤の国の兵士:「そうだ。赤の国のドラゴン調査隊だ」
黒の国の兵士:「なんだ、ドラゴン調査隊か。俺らもそうだんだよ」
赤の国の兵士:「そうか。お互い、大変だな。山の向こうにはドラゴンの巣はなかった」
黒の国の兵士:「ありがたい。それじゃ、山の向こうは調べずに済むな。こっち側、川の向こうにもドラゴンの巣はなかった」
赤の国の兵士:「すると、このあたりはかなり安全そうだな。まぁ、海側の崖も調べないといけないが」
黒の国の兵士:「そうか。じゃあ、そっちは任せる。俺らは沼地をさらうわ」
赤の国の兵士:「沼ドラゴンか…それは失念していたな。ありがとう。留意する」
黒の国の兵士:「お互い、宮仕えは大変だな。がんばれよ」
赤の国の兵士:「そっちもな」
黒の国の兵士:「おぅっ!」
偶然の遭遇もこんな感じで互いの健闘を祈って終わる。
こういう場面で嘘の吐き合い、騙し合いは起きない。ドラゴンがいることを隠して戦争になったとしても別に自軍の有利にはならないからだ。
ドラゴンを前にすれば敵対していても人間同士で手を結ぶ。
争っているのに、意外と仲のよいことだ。
そして、戦場の予定地のそばにドラゴンがいたら話し合って予定地を変えるか、戦争そのものを避けるようになった。もっとも話し合っている時点で両国の険悪な状況が和らぐので最終的に戦争が回避されることもしばしばある。
戦は竜を呼ぶ。
じゃあ、戦を止めて話し合おうか。
そんな具合にドラゴンは戦争抑止力になっているのかもしれない。
皮肉なことに警戒すべき幻獣が人間同士の争いを諌めてくれているとも言えるのだ。
しかし、何事にも例外はある。
かつて、遠い昔、疫病の世界的な大流行で各国が疲弊し、衰退したことがあった。
その猛威は凄まじく、ヒト族ばかりか妖精人族や小人族など、ほとんどの人種に感染して甚大な被害を招いた。当時、多くの国々を巻き込んだ大戦で大勢の流民が生まれ、それが疫病の蔓延を促したと言われる。皮肉にも疫病が人々を殺していったので戦争どころではなくなり、大戦は勝者なく終了した。しかも、それは戦争を遥かに越える被害をもたらし、人口の半分を失って運営が成り立たなくなる国やほとんど全滅して滅びる国が続出した。
そんな中、戦を嫌って沿岸を離れた半魚人族と大戦からいち早く離脱して北の母国へ逃れた獣人族は少ない被害ですんだ。
やがて疫病禍が収まる頃には有力諸国のほとんどが滅びたり、衰退したり、エレーウォン大陸は惨憺たる有様だった。
しかし、他が弱ったことで獣人族とマーフォーク族が相対的に強くなった。そして、陸と海という、諍いの起こりづらい、この2つの人種は手を組んで勢力を伸ばしたのだ。
最初は只の海賊だった。
獣人とマーフォークが組んで北方のスエビクム海の沿岸を襲ったのだ。
航行の難しい海域はマーフォークが水先案内して、上陸すると獣人が剣を振るう。速度に優れ、喫水の浅い櫂船“ロングシップ”を駆り、沿岸の町や村を襲う。襲撃が終わると戦利品を積み込んで速やかに海上に撤退した。迎撃しようにも街の兵士達がやって来る頃にはもう沖へ逃げてしまっているのだ。
この協力体制は非常に強く、疫病で衰えた沿岸諸国は大いに苦しめられた。
やがて、沿岸地域で知らない者がいなくなり、“獣人海賊”と呼ばれるようになって恐れられた。
獣人族とマーフォーク族は海洋で大きな勢力となり、ついに“ノアシュヴェルディ海上王国”が興った。陸に拠点を持たない、世界初の海上勢力である。
獣人達は故郷でロングシップを量産し、驚くべき速度で勢力を伸ばしていった。
彼らは自分達のスエビクム海だけでは満足せず、大陸文明の中心である碧中海へ侵入した。
そして、まだ“瓦礫街”ではなかった頃の港湾都市リュッダを襲ったのである。
それは『獣人戦争』と呼ばれる、世界の命運を賭けた戦いの始まりであった。
疫病で疲弊していたリュッダの街はろくな抵抗もできずに占領されてしまった。その後の展開は早く、リュッダを擁するペッリャ王国そのものがノアシュヴェルディ海上王国に呑み込まれるまで大した時間はかからなかった。
ペッリャ半島には大勢の獣人達が乗り込んで来て植民地化が進んだ。
そして、勢いに乗った獣人海賊は碧中海の最大勢力である“後ムツズ朝オルジア帝国”に挑んだのである。
ヒト族の民族国家である帝国は膨大な人口を背景に技術力、軍事力、経済力で優れ、碧中海の中心だったが、疫病禍で人口が半減して国力の衰えは隠しようがなかった。それは同時に大陸におけるヒト族の勢力が衰えることを意味しており、帝国が海からの脅威におののくことは一大事であった。
すなわち、ヒト族の優勢が失われ、世界の中心を獣人族とマーフォーク族が占めることになるかもしれないのだ。
それだけは避けたいと帝国はヒト族の結束を訴えて制海権を取り戻そうと図った。
これに碧中海の南方、沿岸の小国家が集まってできた“ポイニクス連合”が応えた。
今、ノアシュヴェルディ海上王国を放っておけば獣人族とマーフォーク族の勢いは更に増すだろう。ここで叩かねば、異人種の軍勢はヒト族の優勢を覆すに違いない。
普段は碧中海の制海権を巡ってライバル同士であるオルジア帝国とポイニクス連合だったが、事ここに至ってヒト族同士でいがみ合っている場合ではないと手を組んだ。
『獣と魚に我らの海を渡すな!』のスローガンの下、碧中海沿岸に住むヒト族が集まり、帝国海軍に合流して大艦隊が編成されることになった。
帝国にとって陸戦は初めから考えられなかった。高速のロングシップで沿岸部への一撃離脱戦法を繰り返す獣人海賊に対応していては領土を守りきれない。派兵の負担に国庫が耐えられず、いずれ、国土は疲弊し、皇帝の権威が地に落ちる。そうなれば内乱が起きて帝国は滅びる。
獣人海賊は海上で叩かねばならぬ。
だから、沿岸諸国の協力を取り付けてまでの大艦隊であった。
それはヒト族の生存と未来を賭けた一大事であり、海上決戦だけが帝国の生き延びる道だったのである。
しかし、この時点で疫病禍からの復興は不十分であり、艦隊の戦力は敵ロングシップを上回るとは言い難かった。
そこで帝国は決戦兵器として隠匿していた“オルジアの火”の使用に踏み切る。これは魔法に頼らない、純粋に化学的な火炎放射器と火炎擲弾発射機だった。魔法使いが稀少だった当時、本物の火炎魔法には劣るものの、木造の軍艦には十分な効果が期待できた。
さらに、敵のロングシップに対抗すべく、巨大な三段櫂船が投入された。それは漕ぎ手の座る席が上下3段になっていて、それぞれに一本ずつオールを握る漕ぎ手が着く。漕ぎ手は1段に50人以上、片側で80本以上のオールが漕ぎ、更に専門の兵士と水夫がいて、一隻に総員200人を越える大所帯だ。
短時間であれば帆船に出せない速度で航行し、数多くの水兵を乗せられて、白兵戦に特化した軍艦である。
疫病による兵員不足に苦しむ帝国だったが、市民権の付与を条件に奴隷を水兵として取り立てることでこれを補ったのだ。もはや、国家の存亡を前にして帝国は手段を選ぶ余裕もなかったのである。
更に兵士の士気を鼓舞するため、オルジア皇帝が自ら、旗艦に搭乗したのであった。
それは決意の表れであった。
ヒト族は大陸を獣人と半魚人に明け渡すか、それとも、踏み留まって先祖の土地を守り抜くか、その決断を迫られていたのである。
対する獣人族もこの機会を逃がすわけには行かなかった。
体力も繁殖力もヒトに劣らない獣人は容姿もヒトとあまり変わらない。せいぜい、尻尾と獣の耳が生えているくらいだ。多少、毛深くて体臭がきついとも言われるが、入浴の習慣があればわからないだろう。
彼らはかつて碧中海の沿岸、暖かい土地で暮らしていたが、不幸な災難に遭って追い出され、その後、北の荒れ地に押し込められてしまったのだ。
獣人はヒトと比べて体力に優れ、知力で劣る。大した違いではないものの、まともに競っていれば五分五分だったであろう。かつての不幸な災難さえなければ、今でもヒトと大陸の覇権を巡って争っていたに違いない。
もしも、ここで帝国を攻めきれなければ、ヒト族は復興して再び数の優位を背景に大陸を席巻するだろう。半魚人族はともかく、それは獣人族が北の痩せた土地に閉じ込められることを意味する。青く輝く碧中海の美しさに魅入られた獣人達にとってそれはすでに耐え難い理不尽になっていた。
『ヒトから太陽の海を取り戻せ!』をスローガンに獣人族とマーフォーク族は戦意を高めた。
普段は劣勢だったが、今、疫病禍のおかげで軍の規模は自分達が優勢だ。帝国を倒せば沿岸諸国のヒト族も従わざるを得なくなる。
マーフォークはともかく、獣人は北の痩せた土地から脱出できさえすれば人口でもヒトを圧倒できる。その野望が獣人海賊を奮い立たせた。
ヒト族に対する優位はロングシップの数と性能だけではない。マーフォーク族がいるのだ。
ヒト族を中心とした民族国家である帝国はその成り立ち故にヒト至上主義に囚われており、哀しいかな、指導者の思考もそれに縛られていた。だから、敵の主戦力である獣人しか見えておらず、半魚人を軍艦を牽く馬車馬程度にしか考えていなかったのだ。
だが、マーフォークも人間であり、組織立った作戦行動ができる兵士である。
決戦の前夜、マーフォーク達がポイニクス連合の軍港に文字通り潜り込んで、破壊工作を行ったのだ。衰えたりとは言え、ポイニクス海軍はヒト族の艦隊の3分の1を占める。それが決戦に間に合わなくなれば戦の勝敗が傾く。
更に兵士の士気を鼓舞するため、獣人海賊の指導者、ノアシュヴェルディ大王の宮殿艦を旗艦として祭り上げたのである。
それは獣人族とマーフォーク族による、ヒト族に対して『一歩も退かない』という意思表示であった。
長寿の半魚人族は海中で暮らしながら、あるささやかな野望を抱いていた。
大陸制覇とか、世界征服とか、そんなだいそれた望みではない。
そもそも、世界の海がマーフォークのものなのだ。今さら、陸まで支配しようなどとは思わない。
上陸したい。
上陸して陸の人間達と豊かな交流を持ちたい。
それがマーフォークのささやかな野望だ。
その中心は上陸推進派。海の改革を標榜する革新的な派閥である。
侵略や略奪ではなく、平和的な交流を志向する集団だったので、マーフォークの地上進出は順調に進むと思われた。
ところが、このささやかな望みはなかなか叶えられなかった。
陸が混乱しているからだ。
やれ、戦争だ。
やれ、不況だ。
やれ、内乱だ。
やれ、洪水だ。
やれ、地震だ。
やれ、盗賊だ。
やれ、飢饉だ。
陸の人間達は四六時中、ああだ、こうだと騒いでいる。少しは落ち着いたかと思えば、大戦争を引き起こして世界中で殺し合いを始めた。しかも、その挙げ句、大量の戦争難民が感染経路となって疫病の大流行を生み、大勢の人間が死んだ。
それで国が滅んだり、消え失せたり。
ついには陸の人間と接触したマーフォークまでが疫病に罹ってしまい、沿岸から撤退する羽目に陥った。
おかげで上陸を志向する派閥の面子は丸つぶれである。
陸と関わるから疫病などもらうのだと批判されてしまった。
そこで、マーフォーク上陸推進派は考えた。
陸の人間と豊かな交流を持ちたいが、陸の人間国家が安定しない。ならば、力ずくで安定させてしまえばいいではないか、と。
そこで疫病禍を免れた北方の獣人族と手を組んだ。
疫病禍で主要な勢力が衰えた。蜥蜴人族も妖精人族も小人族も心もとない。数の優位を誇った侏儒族も豚人族ももともとの不潔な生活が災いして疫病の猛威に耐えられず、死体の山を築いてしまい、ほとんど滅びかけている。
最大勢力のヒト族が衰退した今、世界の主役が交代されようとしていると思えた。
だから、獣人族を選んだのだ。
今回の決戦でヒト族のオルジア帝国を圧倒できれば、獣人族が主体となって、より安定した陸上の国家を築き上げることが可能かもしれない。それこそがマーフォーク上陸推進派にとって望ましい世界であることは明らかだ。
マーフォークはロングシップとともに泳ぐ。
陸は獣人、海はマーフォーク。
海と陸が協力して平和な国家を繁栄させる。
それこそが碧中海の正しい版図であるに違いない。
世界を制するのはヒト族か、それとも獣人族とマーフォーク族の同盟か。
天下分け目の大合戦、ここにあり。
参戦する人間は誰しもが意気軒昂に必勝の決意を叫んでいた。
両軍とも知略を駆使して作戦を練り、国力の限りを尽くして艦隊を集め、全力で勝利に向けて邁進していたのである。
いかがだったでしょうか。
最近は帰省したり、臨時の仕事が入ったりで執筆の時間が取れず、ずいぶん遅れてしまいました。
いや、一番、時間を費やされたのは設定なんですけどね〜
こちら、『人化♀したドラゴンが遊びに来るんだよ』は惑星ヴォイデの物語でして。
興が乗ったので、“エレーウォン大陸の歴史”みたいなものを設定してしまったのですよ。
で。
これが終わらない、終わらないwwww
それと、重大な問題が2つ。
“緑龍テアル”の扱いと“スキル”の問題です。
緑龍テアルは暁光帝の親友というポジションでして、とても重要な役どころなんですが、人間の間でどれくらい有名なのか、悩んでいました(^_^;)
孤高の八龍の1頭ですからね〜 あんまり有名なのも問題あるかな、と。
それから“スキル”の問題ですが。
これは「小説の表現をどれだけコンピューターゲームに近づけてよいのか」ということに尽きます。
これは迷いますよね。
実際、小生の世界設定はコンピューターゲームに近い。
暁光帝の全長と体重、腕力、魔気容量、魔気の回復速度、人化した後のプロポーションとかすべて数値化しています。
「ステータスオープン!」とか、やったら全キャラ分、すでに作ってある状態wwww
いや、やりませんけどね(^_^;)
小生のキャラ設定って基本的に数値化なんですよ。
そういう意味ではもともとこちら『小説家になろう』作品の傾向に近い。
きちんと数値化しておけば「改心した敵が仲間になったとたん弱くなる」ってゆー、作家的ズルができなくなりますからね。
あ〜ゆ〜展開、ホント嫌いなんですよ。
コンピューターゲームの戦術シミュレーション・ゲームによくある展開ですがね。いや、アニメや漫画でもよくある展開です。作者だけが使える表現上のズルですね。
非常に不愉快です。
描き手は最低限、読者に対して誠意ある対応をすべきであって、その辺のルールを無視すると安易な矛盾がポコポコ生まれてしまい、結果として作品の価値を貶めてしまう。
そういうズルって結局、自分が損するんです。
小説は嘘です。
嘘の塊です。
主人公も仲間も強敵も救うべき世界も本当は存在しません。
嘘っぱちです。
だけど、読み手も描き手もそれを納得ずくで読んで描いているわけで。
だからといって「はい、全部ウソですよ〜ん」とヤるのが悪名高い夢オチですね。
夢オチがムカつくのは最後の最後で読み手と描き手のエチケットを破るからです。
小生はそういうズルが嫌いでして。
だから、キャラクターの能力値とかはあらかじめ数値化して設定しておきます。
後で、「実はボスってLv100でメッチャ強んだよ〜」「ほら、読者ども、絶望しろ」「でも、負けて改心したボスが仲間になってくれるよ」「あ、ボスってあんまり強くなかったね。Lv50くらいでした。残念!」とかね…非常に不愉快。
描き手と読み手が馴れ合うのも不愉快ではありますが、こういうズルはもっと許せない質です。
だって、自分もまた自作品の読者ですからwwww
自作品が自分で読んでつまらないと校正作業が地獄になりますからね。それは何としても避けたい。せめて複数回読んで面白い出来でないと絶筆コースへ一直線ですわ。
でも、ですね〜
やっぱり違和感があるんですぉww
自分でそういう設定にしておきながら、キャラクターの「レベル」「魔力」とか数値を公開したくはない。
いや、だって、ですよ。
007ジェームズ・ボンドがエルンスト・スタヴロ・ブロフェルドを見て「奴がラスボスだな。レベルは55か。高いな」とか言ってるシーン、想像できますか。
何か、違うでしょう。
だから、「レベル5デス」みたいなレベル判定の魔法とか、ないわーと思ってしまいます。
「自分よりもレベルの低い敵を威圧して追い払うスキル」とかも「えー!?」って想いが拭えません。
だけど、創作上のキャラクター設定では小生、数値を使ってるんですよね…矛盾してるわー
しかし、まぁ、とりあえず、作中でキャラクターの数値を明示するのは避けようと決めました。
だから、スキルは無しです\(^o^)/
なので、コンピューターゲーム的な数値表現はしません。
何か興ざめしそうなので。
ところで、小生、こちら“小説家になろう”というWebサイトには今年の3月あたりからアクセスさせていただいたんですよ〜
それまで、えらい悪評がきつくて、正直、敬遠していました(^_^;)
何しろ、友人達の曰く、「文章がなってない」「イキり太郎がイキり倒すだけの話だ」「チートな俺様キャラが無双するだけのゴミ小説」と散々でして。
うん、偏見ですね。
実際、読んでみると宝の山でした(^o^)
小生、欲しいものを探すときは検索機能を使います。ランキングとか見たことありません。
そこで「吸血鬼」「サキュバス」「人外」「TS転生」などの検索ワードで調べると出るわ出るわ、小生の好みの作品がうっじゃうじゃと♪
何が嬉しいって除外ワードも使える点です。
「男主人公」を除外ワードに入れれば、「ハイ、お待ち!」ですよ、奥さん☆
おかげさまで面白い作品にたくさん出会えました(^o^)
友人達の指摘は当たりません。
「文章がなってない」→「正しい文章で描かれててもつまんなきゃ意味ないんだよ」
「イキり太郎がイキり倒すだけの話だ」→「爽快でいいじゃないか」
「チートな俺様キャラが無双するだけのゴミ小説」→「斬新だな」
まぁ、なんですね。
友人達にはこう言っておきました。
「文句あるんならテメェがもっと面白いものを描いてから言え」
オタクが自作品ではなく言葉で批判するようになっちゃおしまいです。
いや、批判動画とかは作品になっていてめちゃくちゃ面白いんですけどね(^_^;)
某クソラノベレビュー動画が大好きでした……けど、終わっちゃいましたね(>_<)
あの動画、何が楽しいってクソラノベ批判と一緒に自作の物語を紙芝居にしてセットしてたのが素晴らしい。
「批判するだけじゃないぞ」「批判される自分(作品)もセットだぞ」って態度がステキです。
まぁ、もっとも、こちら『小説家になろう』の作品にも不満がないわけではありません。
小生、人間がドラゴンにTS転生する物語が好きなんですが……
最初に気に入った一本目は…途切れてましたー 作者、行方不明で絶筆ですぉwww もったいない!! アイェェェ! 作者、失踪! ナンデ!?
まぁ、仕方ありません。次に生きましょう、次。
次に気に入ったドラゴンTS転生の物語は物凄く面白いんですよ。文句なしにいい。魅力的なキャラクターと面白い展開で読者をグイグイ引っ張ってくれます。これはたまらない!……けれども、最新話に追いついてしまいました(ToT)
この方、遅筆でしてね。いや、よそ様のこと言えませんが。なかなか続きがやって来ません。
そこで更に探して見つけたドラゴン転生の物語。
主人公がドラゴンに転生して母ドラゴンに導かれて少しずつファンタジー世界に馴染んでゆく…なかなか面白い。
面白いんですが…こちら、ドラゴンが弱い(ToT)
何か冒険者に討伐されそうになってる(>_<)
ドラゴンなのにー
まぁ、この辺も仕方ありませんね。その辺の世界観は作者の胸先三寸ですわ。読者が文句を言っていいことじゃありません。
なので!
自分で描くことにしましたwwwww
それで描き始めたのがこちら『人化♀したドラゴンが遊びに来るんだよ〜暁光帝、降りる〜』です。
プロットの方は最後まで組んであるので途中で投げ出すことはないでしょう、たぶん。
もしも、小生が投げ出していたら校正作業に疲れたのだと思ってください。
さて、ドラゴンTS転生が好きなのにどうしてやらなかったのか…と問われそうなので。
小生、個人的な好みは…「ふつうの少年、もしくは青年がドラゴン♀に転生して人化したら美少女になる」…ってゆー展開が一番好きです。
なんて書かなかったのかと言うと、単純に小生の筆では書きづらいからですね。
小学生の時分から空想の世界にのめり込む質でして、とにかく現実世界、とりわけ日本が大っ嫌い。
理由? 平凡だから、ふつうだから、です。
『ふつう』とか『ありきたり』とか『平凡』が嫌いだからSFとかファンタジーが好きなんですよ。
どうしてせっかくのオリジナルファンタジー世界にリアル現代日本を紐づけ結びつけてやらないといけないんですか。
おことわりですわぁー、おことわりですわぁー、おことわりですわぁー、おことわりですわぁー………
よそ様のTSドラゴン転生♀×♀作品を読んでいるとワクワクするんですが、自分で書こうとすると駄目ですね〜
自分でTSドラゴン転生♀×♀物語の設定とか世界観を考えても「うはっwww超絶wwつまんねwwwww」としか思いません。
不思議〜〜
そういうわけで、異世界転生ファンタジーを読むのは大好きですが自分で描くのは苦手です。
もともと『野獣王ターザン』とか、『火星のプリンセス』とか、『アーサー王宮廷のヤンキー』とか、『スターキング』とか、異世界転生ファンタジーは大好きなんで。
まさか、このジャンルがこの現代日本で復活するとは…意外!
現代日本、すげぇ\(^o^)/
なので、今の、この『小説家になろう』界隈はとても好みです。
ちなみに上の方でさんざんけなしてるコンピューターゲーム的な表現、キャラクターの数値化もよそ様の作品を読む分にはけっこうハマります。
最初は『なにこれ?』感が強かったんですが…
「♀主人公は強敵を叩き切った! 65536のダメージ!」
…とか、慣れちゃうと面白いんですね。
小説表現の可能性を感じました。
まぁ、結局の所、描き手の力量だと思います。
悪名高い夢オチだって描く人が描けばメッチャ面白くなることは証明済み。
たとえば、『うる星やつら2〜ビューティフルドリーマー〜』、夢オチの名作ですね。
さて、今回、暁光帝はお休みです。
次回も多分出番はなさげ…
次の次ですね〜
次回は決戦に向けて神々と幻獣、悪魔と天使が関わってきます。
ご期待ください。




