商人、危機一髪! いや、この「商人」さん、主人公じゃないんですけどね(^_^;)
はい、商人さんと坊やが大変なことになっています。ついでに赤毛の冒険者と犬も絶体絶命です。さぁ、どうなってしまうのでしょうか!?
「だ…め…だ……」
気合を込めればまだ指が動く、まだ息子を抱きしめられる。
我が子にはまだまだ先の未来がある。たとえ愚かな父親が死んでも子供が死んではならない。ゴマ粒でも生きることをあきらめてはならない。
その時、つぶやきが聞こえた。
「わがきみにであえたこううんにかんしゃを…わがきみにであえたこううぅぅぅんにかんしゃを……」
暗がりの中、宙に浮いて赤毛の男がつぶやいている。
それは抑揚がなく、声ではなく、機械的な音に近い。この冒険者はどこぞの怪しい宗教でもやっていたのだろうか。
「うぅ…」
さしものコボルトも闇の中で手足を掻くばかりだ。
またがっていた馬と一緒に、すでに御者台と同じ高さに浮いて。
「わぎゃきみにであえたこうぅーんにかんしゃを…わぎゃきみにであえぇたこうぅーぅぅんに……」
正気を失っているらしい。赤毛は呆けた口からよだれを垂らしながら祈っている。
「ふふ…」
大の大人が。
何とみっともない。
商人の口から笑みがこぼれた。
赤毛の冒険者のおかげか、笑う余裕が生まれていた。
「そうか!」
思いついた。
風前の灯火である、今の状況から逃れられるかもしれない。
「暁光帝は上機嫌だぞ!」
気づいた事実が口から飛び出す。
巫女、預言者、司祭、果ては背教者まで、あらゆる宗教者が口々に話していたことを思い出した。
暁光帝はそこにいるだけで、そこを通るだけで免れ難い死をもたらす、まさしく世界の破壊者だ。
それが常識、物事を考える上での大前提だ。
しかし、それと同時に暁光帝にとって人間は敵たり得ない。
暁光帝を怒らせることができ、かつ、殺されることもできたのは唯一、神々のみ。しかも、それすら集団で、更に言えばろうそく一本が燃え尽きるほどの時間もかからなかったという。
それほどの超存在なのだから、人間の個人を憎んだり、懲罰を下したことなどない。
つまり、悪意を抱いて人間を殺したことは只の一度もない。
だから、暁の女帝は商人を狙って降りてきたわけではない。
断言はできないが。
それでも一つ言えることがある。
地上に降りる時、あの超巨大ドラゴンの周りで物が軽くなる、重さがなくなる現象は。
機嫌のよい証拠なのだ。
少なくとも周りを傷つけたくない、いや、おそらくは地上を踏み荒らしたくない、それくらいの配慮を、あの暁光帝が考えてくれている証なのだ。
つまり、今、この瞬間も商人一家への殺意はないということだ。
「父さん、それ、本当!?」
ようやく息子も我に返ったらしい。声に感情が戻ってきているようだ。
「本当だとも。周りの物が軽くなって浮いているだろう。これは重さを失せさせる、暁光帝だけが使える魔法だ。そんな奇蹟をもたらすくらいだ、おそらくこっちのことも少しは考えてくれているに違いない」
そうだ、そのはずだ。
そうでなければ今頃、自分達はペシャンコの煎餅だ。暁の女帝が本来の速度であの高さを飛んでいれば風圧だけで街道と一緒に打ち砕かれいるはずなのだから。
そうなっていない理由は地上を潰さないよう、六翼に込める力を緩め、物の重さを打ち消す魔法を使ってくれているからに違いない。
「殺されずに済むかもしれないぞ!」
商人の声が弾んだ。
空元気だ。
それでも息子が答えた。
「そ…そうだね! うん、そうだよね! だって、暁の女帝様なんだ…雌だよ! 雌のドラゴンなんだよ! きっと優しい女の人に違いないよ!!」
とにかく“雌”を強調する。
頭の悪い考えだ。
だが、もう、そう考えることにした少年だった。
「ハハハ、なんて美人なんだ! 母さんの百倍きれいだぞ!!」
息子の空元気をつなぐ。
いや、妻と較べなくてもあの紫色の金属光沢は本当に美しい。国中の金銀財宝をかき集めてもあの美しさには及ばないだろう。
ドラゴンにオスメスの区別があるのか、怪しいものだが。
そもそも幻獣はふつうの動物と異なり、雌雄の別がない。人魚は女だけだし、人面獅子は雄だけだ。歳も取らないし、交尾して子を産むこともない。
それでも人々はこの超巨大ドラゴンを“暁の女帝”と呼んでいる。
何かしら女性の要素があるのだろう。
あるに違いない。
だからきっと息子の言うとおり、優しい女性なのだ。
だからきっと地べたを這いずり回る薄汚い人間風情にだってわずかな慈悲をくれるに違いない。
そうでなければみんな死ぬだけだ。
だから、そうであることに賭ける。
「おおっ、博打の神ズバッドよ! 命と金、すべてを暁光帝の慈悲に賭けるぞ! 全額勝負だ!!」
これが生涯最後の祈りになるかもしれない。
超巨大ドラゴンが優しく慈悲深い可能性に、全財産と息子と自分の命を、全額勝負だ!
「助かるぞー! 死なずに済むぞー!」
声を張り上げてみた。
すると、見よ。
天空を翔ける超巨大ドラゴンが速度を上げ、同時に高度も上げ始めたではないか。
「おおぉっ!」
そこにあるだけで大気が震えるほどの超巨体がゆっくりと街道から逸れてゆく…ように見える。
「父さん!」
息子が指差す。
見間違いではない。
そのように見えるだけでなく、実際に巨体が西へ逸れていく。
長大な尾が揺れて太陽が顔を覗かせた。
そして、光が差す。
闇が薄れる。
同時にゆっくりと物の重さが戻ってきた。
ずぅぅぅん!!
「うわぁ!」
愛息があわてた。
幌馬車が大地に車輪を再び着けたのだ。
「キャイン!」
コボルトが弱々しく鳴く。
「ああ、我が君に出会えた幸運に感謝を…我が君に出会えた幸運に感謝を…我が君に出会えた幸運に……」
赤毛の男の祈りにも感情が戻ってきたようだ。
ヒヒーン! ヒヒーン!!
幌馬車を牽くメヘルガル馬も四足を大地に着けていた。
「助かった…のか……」
商人は周囲を見渡す。
街道の左右に緑のさざ波が揺れている。
初夏の日差しに照らされた幌はいつもどおりだ。
馬も人間もぐったりしているが、何事もなかったようにすべてが落ち着いていた。
「く…臭いよぉ〜」
息子が鼻を摘まんでいた。
「ああ、やっちまったな…」
商人も苦笑いする。
父も息子もズボンの股間をぐしょぐしょに濡らしていた。
「くっ、ヒトの身ではやむを得ないか…」
同じく失禁した赤毛が悔しそうに顔をしかめる。
鞍から尿が滴っていた。
「……」
コボルトが肩を叩く。
無理ないよと言っているようだ。
馬たちも呆けて動かない。
こればかりはどうしようもない。
「瓦礫街の手前に小川がありますんで…まずはそこを目指しましょうや」
正気に戻った赤毛が北西を指差す。
「そうですね。そうしましょう」
商人は上機嫌で答えた。
“神殺しの怪物”と畏れられる超巨大ドラゴン、暁の女帝と邂逅して命が助かったのだ。
しかも愛する息子と積み荷が無傷で。
もはや、これ以上の幸運はないだろう。
商人はもう一度周囲を見渡す。
恐るべきドラゴンは空の向こうを悠然と飛んでいる。
「ああ、この世に恐れるものが何もないってのはどういう気持ちなんですかねぇ…」
すべてのドラゴンを従え、神々すらをもたやすく追い払い、大国を粘土細工のごとく踏み潰す。間違いなく世界最強の存在だ。暁光帝には恐れるものも敬うものも存在しない。
誰にもへりくだらず、何者も恐れず、只、自由に空を飛ぶ。
それに比べて自分は日々、客に頭を下げ、商売に頭を悩ませる商人である。へりくだるだけなら金がかからんと日に何度、自分に言い聞かせてきたことだろう。
「……」
もう一度、青空に舞う暁光帝を眺める。
商人からすれば何ともうらやましい存在だ。
「まぁ、飲まず食わず…息もしないって話ですがね、暁の女帝様は」
赤毛の冒険者も同じく空の向こうを眺めている。
「そうだな…」
超然と飛ぶドラゴンは何にも依らずに生きている。うらやむべきか、思いやるべきか。
感慨深く眺めていると。
ドバァーン!!
突如、目の前でその巨体が消え失せ、耳をつんざくような轟音が鳴り響いた。
そして、物凄い突風が吹き荒れる。
「ぶわぁっ!」
商人は帽子と息子が吹き飛ばされないよう押さえてしゃがみこんだ。
馬車の幌がちぎれんばかりに暴れ、車体が揺れる。
何という強風だ。
「うぼわぁっ!」
「キャイーン!」
コボルトと赤毛の冒険者は馬ごと吹き飛ばされていた。
「な…なんだ? 何が起きたんだ?」
商人は目を白黒させてドラゴンがいた空を見つめる。
何もない。
まるで初めから何もなかったかのように青空が広がっている。
しかし、それなら今の突風は何か。
「巨体が失せて空気がそこへ飛び込んだ…のか?」
理屈はわかる。
超巨大なドラゴンが消えたのだ。その膨大な体積の喪失で生じた真空に周囲の空気が押し寄せて突風を起こした、そして、ぶつかり合う空気が轟音を立てたのだろう。
だが、肝心の暁光帝はどうなったのか。
「うへぇ…もう勘弁してくれぇ……」
赤毛の冒険者は馬と一緒に倒れて地面を這っていた。
「暁の女帝様は…もう…やることなすこと常識のかけらもありゃしねぇ…“テレポーテーション”って奴ですかね、ほんと勘弁してほしいこって」
わずかに聞き覚えのある、稀少な魔法の名前を口にした。
時間のロスなく、離れた場所へ飛ぶ“瞬間移動”という魔法らしい。
あの暁光帝なら使えてもおかしくはないが。
そこまで考えたところで更なる事態が起きた。
バリバリバリ! バリーン!!
突然、何もない空間にヒビが走り、天頂部が割れた半球状のドームが現れたのだ。
大きい。
一見、城と見まごうほどの、半透明のお椀型だ。
それは初めからそこに存在していたかのように西の草原にそびえ立っていた。
「な…何なんだ…これは…いったい……」
もはや何が何やらさっぱりわからない。
商人は只、呆然として未知の現象を見つめていた。
「なんか多重魔法障壁…って奴ですかね……」
赤毛が倒れたまま、ドームを見つめている。
「砦や城を守るような強力な魔法の防御障壁を誰かが張ってやがったんでしょう。それに…暁の女帝様がぶつかった? でも、それであの女帝様が消える…の…かな?」
半透明のドームは天頂のヒビが広がってゆき、ゆらゆら揺れている。
「誰が何のために…いや、暁光帝はどうなったんでしょう?」
商人は立ち尽くしていた。
立て続けに起きた事件にもう頭が回らない。
「あー…まぁ、暁の女帝様についてはどうにもこうにも…少なくともあのお方をどうこうできる奴ぁ存在しやせん。俺は同情しますよ、ドームを張った奴の方にね」
赤毛の冒険者はなんとか立ち上がり、肩をすくめる。
「……」
それもそうかと商人も肩をすくめた。
暁光帝を傷つけられる者はこの世に存在しない。何千年、あるいは何万年かもしれないが、暁の女帝は傷を負ったことがないのだから。
わかっていることは世界を揺るがす超巨大ドラゴンが街道に沿って飛び、何故か、謎の草原ドームの前で消えたということだけ。
「さっぱりわからん」
謎だらけで頭が痛くなる。
「父さん……」
隣で小便まみれの息子が商人の袖を引いた。
「ああ、大丈夫だよ。父さん、暁光帝の秘密を暴こうなんてだいそれたことは考えていないからね」
にっこり笑って手綱を握り直す。
馬はショックで呆然としているが、しばらく休めば正気を取り戻すだろう。
「いやいやいや、剣呑、剣呑…勘弁してくださいよ」
赤毛の冒険者も相棒と一緒に参っている。
この世に暁光帝と関わるくらい愚かなことはない。商売でも、政治でも、学問でも、宗教でも、それは常識だ。
「一休みしましょう」
御者台にずっしり腰掛けながら、戻ってきた体重に感謝する。
「臭い…」
自分の尿に顔をしかめながら天を仰いだ。
当初、第1話〜第3話をまとめて“第一話”として発表する予定でした。
お話の区切りとしてはそれがもっとも適当だからです。
だけど、こちらの皆さんの作品を読んでいると少々、長いかな…と。
それで無理やり3つにぶった切りました\(^o^)/
ちなみにOSの異なるパソコン2台で執筆しているのでGoogleドキュメントで描いてます。
便利なんですが、あるていど大きくなると不安定になるんですよね…指定した書式が吹っ飛んで素のテキストデータになったり(涙)
小生、効果音を書き文字として色付きで表現したりすので非常に困る。
それはともかく、こちら『小説家になろう』はフリガナがありがたい。
“暁光帝”とか♪