報われるべき者が報われる話『勇者ジャクソンの物語』…今回、ちょっとシリアス風味ですわぁ☆
名ばかり領主、元勇者で今ニートの英雄ジャクソン。
今はダメでも昔はすごかった?
かつての勇姿(?)をご覧ください。
それでは開幕〜
勇者は神に選ばれた特別な存在である。
そして、どんな恐ろしい魔物も勇者には勝てない。勇者は聖女に導かれて戦う。勇者は魔物を倒して人々を守る救世主なのだ。
それは国中の誰もが認めていることだ。
すべてはあの日、単眼巨人のポリュペーモスが攻めてきたことから始まった。
ポリュペーモスは頭は良くなかったが怪力無双で、身の丈は大人のヒト族の7倍、体重に至っては360倍という、雲衝くような巨人だ。しかも、その巨体で人間並みに動けるという、とんでもない化け物だった。
そのポリュペーモスが黒妖犬、鬼巨人、妖巨人、鹿鳥、異形妖などの魔物を数多く従えてリュッダの街を襲ったのである。
その襲撃は執拗で何度撃退されてもあきらめない。繰り返し、繰り返し、襲撃してきて、ついには街の第三市壁が打ち砕かれる事態になってしまった。
南西の市壁に大きな穴が開き、なだれ込む魔物の群れと街を守る兵士との間に大規模な戦闘が起きた。なんとか撃退はできたものの、領主が負傷、そのまま引退してしまったのだ。
領主の一人息子も負傷して療養することになり、すぐに新しい領主として別の貴族が派遣されたが。
王都からリュッダに至る街道を移動中に魔物の群れに襲われてしまった。命は助かったものの、重傷を負い、領主は引き受けられそうもない。
そこで急遽、新たな領主として別の貴族が立てられたが、彼女も移動中に襲われて、ほうほうのていで逃げ出す羽目に陥った。
爵位はあっても領地のない、名ばかりの貴族が次々に手を挙げたが、皆、リュッダへの途上を魔物の群れに襲われてたどり着けない。
その後、『領地は欲しいけれど命が惜しい』と手を挙げる貴族そのものがいなくなってしまった。
そこで、名のある騎士やら裕福な商人、果ては野盗の頭領までが挑んだが、ポリュペーモスの包囲は厳しく、リュッダには領主が就任できなかった。
ペッリャ王国の第2都市には領主がいない、魔物の群れに手をこまねいて国王は何もできないという噂が立ち、ペッリャ王はほとほと困った。
そんな時に手を差し伸べたのが光明ブジュミンド教会である。
光明神ブジュッミを信奉する教会は信仰以外にも強力な武器を持っている。
人間でありながら人間を超える力を持つ存在、“勇者”である。
教会はこの戦力で問題を解決できると国王に提案したのである。
『勇者は神に選ばれた特別な存在である』
『どんな恐ろしい魔物も勇者には勝てない』
『勇者は聖女に導かれて戦う』
『勇者は魔物を倒して人々を守る救世主なのだ』
これら、きらびやかな謳い文句に嘘偽りはない。
吟遊詩人が高らかに勇者の活躍を歌い上げ、拍手喝采を受ける。
実際に王国を悩ませる魔物を退けた実績も複数ある。
だから、ペッリャ王は喜んで提案を受け入れた。
そして、教会の司教にリュッダ周辺で作戦行動する権限を認めたのである。
教会の礼拝堂で、町や村のつづうらうらで、勇者の偉業が謳われる。その成功と名誉と栄光が礼賛され、支払われた莫大な報酬がうらやましがられる。
おかげで勇者を志す若者は引きも切らず。
才能豊かな、覇気あふれる若者は数多く、今日も教会のドアを叩く。
教会はその中から有望そうな若者を選別して祝福する。
光明神ブジュッミの祝福を受けた若者は強い力を得て“勇者”と呼ばれるようになる。
後に聖女から言われたものだ。
『ほらねぇ、勇者は“神に選ばれた”、“特別な存在”でしょー☆』
なるほど、嘘偽りはない。
光明ブジュミンド教会によるリュッダ解放作戦は当初、冒険者パーティーによる奇襲から始まった。
街を包囲する魔物の群れは強力で数も多いが、首領であるポリュペーモスを守る魔物がいない。
特殊な例を除けば幻獣は群れない、助け合わない、力を合わせない。ポリュペーモス率いる魔物の群れは、リュッダ襲撃について協力するという約束で集まっただけの、烏合の衆に過ぎないのだ。
南西の森で暮らしていた単眼巨人ポリュペーモスはリュッダ襲撃を除けば本人一頭で過ごしていたから、寝ているところを襲われて自慢の一ッ目を傷つけられてしまった。
そのまま討ち取られるかと思われたが、棍棒を振り回して暴れ、それがたまたま勇者に当たったのでリーダーを欠いた冒険者パーティーは撤退。
目暗にされた怪物は泣き叫んだが、リュッダ襲撃ではなかったので他の魔物は助けに来なかった。
敵が盲の首領だけなら楽勝と思われたが、ポリュペーモスも然る者、引っ掻く者、巨体と怪力に物を言わせて暴れまわる。
また、ポリュペーモスの味方ではないが、南西の森にはさまようモンスターがいるので冒険者パーティーが遭遇すれば戦闘になる。少なからず消耗させられて、続く、第二回攻撃、第三回攻撃は失敗に終わり、更に3名の勇者が墓の下に潜った。
敵はポリュペーモス、只一頭と侮っていた司教はあわてて、増援を派遣を決定した。
“お色気聖女”マリリンである。
たった1人の増援だったが、その効果は絶大。
珍妙な二つ名にも関わらず、マリリンは有能で、素晴らしい聖魔法の使い手であった。何しろ、聖なる奇蹟でもげた手足がくっつくのだ。おかげで、勇者達は何度でも突撃できるようになった。
お色気聖女マリリンのおかげでほぼ損耗のない冒険者パーティーが実現したのである。
その結果、夜討ち、朝駆け、もちろん昼間も攻め込んで、のべつ幕無しの攻撃作戦が企画された。
奇襲、強襲、何でもありの連続攻撃である。
ポリュペーモスのリュッダ襲撃より遡ること数年前。
王国のある街で幼い赤ん坊が捨てられていた。
赤ん坊は男の子だったので“ジャクソン”と名付けられ、孤児院に預けられた。
ジャクソンに親はいない。
死んだのか、逃げたのか、定かではないが、いないことには変わりない。
子供は誰からも愛されずに育ち、長じるとそこそこ魔法に長けていることがわかった。
光明教会の運営していた孤児院だったので、ブジュミンド教に基づく教育が施されていたから信仰心は十分だった。
魔法と信仰、2つの条件を満たしていたから、ジャクソンが教会の扉を叩くと歓迎してもらえた。
「キミならきっと素晴らしい勇者になるだろう。アーメン」
司教は恰幅のいい、いかにも好々爺といった感じの老人だった。弁舌巧みで威厳があり、権威と父性の象徴のように思われた。
当時、14歳のジャクソンを優しく迎え、励ましてくれた。
だから、老人の中にまだ見ぬ父の面影を見つけたように思えて慕った。
司教に推薦されてジャクソンは冒険者学校へ入学した。
冒険者学校も教会の運営なので学費が免除された。
未来の“勇者”として嘱望され、多くの励ましと助けを得て、熱心に勉強した。学科はほぼ全部が魔法の実践と戦闘の実技だったので文字の読めないジャクソンも馴染みやすかった。
ひたむきに努力して一通り教練を修めて、試験を受けると見事に一回で合格した。
司教は大喜びして光明神ブジュッミに祈る。
そのハゲ頭まで頼もしく思えた。
そして礼拝堂に神が降臨し。
姿こそ見せてもらえなかったが、神から直に祝福された。
ジャクソンは特別な力を授かったのだ。
勇者専用の魔法剣を修め、大きな魔気容量を得て、今まで使えなかった強力な魔法が使えるようになった。
ジャクソンは晴れて一人前の勇者となったのである。
そして、15歳になった勇者ジャクソンはリュッダ解放作戦のために、光明ブジュミンド教会から呼ばれたのだった。
本部がある野営地までは馬車が用意されていた。
「はじめまして。勇者様ぁ☆」
軍事基地には似合わない、鈴の鳴るような声だった。
初めて出会った聖女は心ときめかせる艶やかさで、まだ見ぬ母を思わせて優しかった。同時に、ひょうきんで親しみやすく、気取ったところのない美女だった。大きな胸乳とお尻をぷるんぷるん揺らしつつ喋る姿は思わず喉をごくりと鳴らすほどだった。
ジャクソンを始め、多くの仲間達が“お色気聖女”マリリンを慕った。
二つ名の通り、マリリンは艶やかな女性だ。お椀のような巨乳で僧衣をふくらませ、蠱惑的な真紅の唇で語る。
「さぁ、行きましょう。神が勇者様を見守っていますぅ。アーメン」
どこか間延びする頭悪そうな、それでいて色っぽい、安心する喋り方だった。
男女の別なく、皆、魅了されてマリリンの言うことに従った。
不思議なことに聖女はマリリン只1人だけだったが、勇者は大勢いた。
他はカネで雇われた冒険者達だったが、彼らもまた光明神ブジュッミの信徒だったので使命感は劣らない。
誰もが神の威光を地上に示さんと情熱を燃やしていた。
仕事はかんたんで、南西の森に突撃するだけだった。
運良くさまようモンスターに出会わなければ、直に敵の首領だけを叩ける。それで退治できればよし、失敗したら損害が大きくなる前に撤退する。その後はお色気聖女マリリンの聖なる奇蹟で治療されて、また戦いに赴く。
この繰り返しだ。
本当にかんたんで馬鹿でもできる。
襲撃部隊の編成もかんたんで、冒険者パーティーは勇者を筆頭に物理攻撃が得意な戦士に魔法攻撃が得意な魔導師を加えた、合計6人。
これに聖女と従軍詩人と2人を守る護衛の6人が支援パーティーとして参加する。
従軍詩人は軍事作戦の記録と勇者の活躍を記す、文章力に長けた者がなるらしい。重要な役職なので聖女に次いで優先的に守られる。
戦闘は過酷だった。
幻獣は勝手気ままで、森を好きに歩き回るので、出くわさない方が稀である。出くわしてしまえば襲ってくるし、支援パーティーの護衛らは聖女と従軍詩人を守るのが仕事だから戦闘には参加してくれない。冒険者パーティーだけでさまようモンスターを処理しなければならず、それによる消耗も激しかった。
この頃には最初に斬りつけられた傷が治ってしまい、ポリュペーモスは目が見えるようになっていた。
そうなると、人間の360倍という体重と人間に劣らぬ動きができる怪力は脅威だった。
順当に考えればこちらも3個中隊360人の大部隊で攻めるべきだったのだろう。
それを魔法で強化された精鋭とは言え、実質、6人編成の冒険者パーティーだけで倒そうというのだから無理がある。
そうだ。
この6人だけなのだ。
冒険者を助ける支援パーティーは聖女と従軍詩人を守るためにあるのであって、例え、ボス戦の最中に他のモンスターが乱入してこようと一切手助けはしてくれない。
6人だけでボス戦を遂行しなければならないのだ。
それでも、勇者と仲間達は不死身である。聖女がいるからだ。聖女の奇蹟がどんな重傷も癒してくれる。
こうして治療された冒険者パーティーは何度でも再戦に挑めるのだ。
もっとも、いかに不死身とは言え、疲れは取れない。数回の挑戦の後は疲れ切って野営地に戻り、休むのが通例だった。
野営地は森の入り口にあった。粗末なものでろくな柵も設けられておらず、まともな陣地ではないので魔物の群れに襲われたらひとたまりもない。
しかし、モンスターが集団で襲ってくることはなかった。
幻獣という者はほんとうに協力とか作戦とか知らない。自分達の首領が人間に襲われているのに無視する。
敵の陣地に反撃するなどの発想そのものがないようだった。
野営地には大勢の冒険者がいた。
多くは教会にカネで雇われていたが、勇者は違う。強力で士気も高い。
聖女になれるのは女性だけだが、勇者は条件さえ合えば女でも男でもなれる。要は五体満足で、やる気と信仰心があって、いくらか魔法に優れていればいいのだ。性差による能力差はない。基礎体力の男女差は習得する強化魔法でどうとでもなるし、人種差の方がよほど影響が大きい。
皆、希望に満ち溢れていた。
勇者達は皆、神のため、国のため、民のために戦えると目を輝かせていた。
だから、命がけで戦った。
手足をもがれようと、腹を突き破られようと、聖女の奇蹟で治してもらえる。
文字通り、命を賭けて戦うのだ。
勝利すればリュッダの街を解放し、栄光と名誉と礼賛と報酬が手に入るのだから。
ジャクソンも他の勇者と話したことがある。
ある男勇者は平民の出だと言っていた。魔物のボスを倒したら叙勲されて故郷に錦を飾るのだ、と。
ある女勇者は貴族の末娘だと言っていた。無能なのに家督を継ごうとする兄とその兄を溺愛する父親を見返してやるのだ、と。
ある中年の勇者は破産して妻子に逃げられたと言っていた。莫大な報酬をもらったら事業を再開して家族を呼び戻せるのだ、と。
皆、希望に満ち溢れて、目をキラキラ輝かせていた。
夢もあった。欲もあった。野望もあった。
悪いこととは思わない。
ジャクソンも似たようなものだったから。
いや、他の勇者よりもささやかな望みだった。
司教に言われたのだ。
「ジャクソンや、勇敢に戦って死んだら天国へ行けるのだよ」
天国には優しくて美しい天使がいて、ジャクソンを歓迎してくれる、と。
いつでもどこでも着いてきてくれて、寒いときは抱きしめてくれる、と。
春は天国の花園で追いかけっこを楽しみ、夏は天国の海で遊び、冬は天国の山で雪と戯れ、秋は天国のごちそうをたらふく食べられる、と。
飢えも寒さも病も怪我もない、素晴らしい楽園だ、と。
自信満々、天国がいかに素晴らしいところか、とうとうと語る老人の言葉はどんな音楽よりも美しく聞こえ、どんな美酒よりも心地よく酔えた。
老人の言葉を信じた勇者ジャクソンは誰よりも勇敢だった。
夢は死ぬこと。
死んで来世で幸せに暮らすことだ。
だから、死ぬのが怖くない。聖女が治してくれるのだから、手足をもがれようと、腹を貫かれようと、かまわない。
怪我も死も恐れない。
只、条件を満たさずに逝くことだけが恐ろしかった。
『勇敢に戦って死ねば天国へ行ける』という話には『勇敢に戦ったら』という条件が着いている。
何がなんでもこの条件を満たさなければならない。
そのためには命がけで戦わなければならない。
だから、勇者ジャクソンは懸命だったのだ。
『勇気と無謀は違う』と言うが、ジャクソンは馬鹿なので何が違うのかわからなかった。
孤児院出身のジャクソンは文字が読めず、学がない、物知らずだ。他の多くの若者と同じように。
教会の崇める光の書は読むものではなく、読んでもらうものだし、それはおとぎ話と同じだった。
そもそも文字が読めるのは貴族か、学者か、役人くらいのものだ。
お色気聖女マリリンはジャクソンの戦いを見ていてくれた。
「勇者様の健闘は誰にも負けませんわぁ☆」
「俺には夢があるからな」
どんなに苦しいときでも、無様に倒されて引きずられたときでも、変わらぬ優しい笑顔で励ましてくれる。
聖女の笑顔は何よりも心ときめかせてくれた。
それでも、ポリュペーモスとの戦いはきつかった。
いつの間にか姿を消す冒険者も多く、顔見知りだった他の勇者達も失せていた。
だが、問題ない。
代わりの勇者も代わりの冒険者もたくさんいたから。
勇者ジャクソンは勇敢に戦った。
ボス戦に挑む前にさまようモンスターに打ちのめされてたどり着けない不幸も味わった。
巨大なポリュペーモスに挑み、二抱えもある棍棒になぎ倒されて全身を砕かれたこともあった。
泥水にまみれて草を噛み、そのまま背骨を砕かれたり。
アキレス腱に斬りつけたものの、蹴り飛ばされて頭を叩き割られたり。
死ぬほど痛かったが、なんとか耐えて聖なる奇蹟の力で再び立ち上がることができた。
昼も夜もない。強化魔法で視力を上げられば月夜の森くらい踏破できる。
睡眠は交代で取ればよい。休んだら突撃だ。ジャクソンが休んでいる間は他の勇者が挑んでくれる。
大勢の勇者が夜討ち朝駆けを繰り返した結果。
単眼巨人ポリュペーモスはすっかり疲れてしまっていた。
如何に巨大だろうと、如何に強かろうと、ポリュペーモスは並の幻獣だ。腹が減れば食わなければいけないし、喉が渇けば水を飲まなければいけないし、疲れたら眠らなければいけない。
無尽の体力を持つと思われた怪物もついには過労死しかけるほどに弱っていた。
結局、最後の頃は朦朧として襲ってくる人間の姿もまともに見えず、自慢の棍棒も地面を引きずるようになっていた。
そこを勇者ジャクソンが斬りつけたのだ。
勇者の専用魔法“魔法剣”で。
強化魔法で強くなった腕から繰り出される炎のロングソードはやすやすと巨人の手首を切り落とした。
棍棒を落として絶叫する怪物。
ポリュペーモスは馬鹿だったが、さすがに得物と利き腕を失う不利はわかった。
命の危険を感じて一目散に逃げ出したのである。
ここに魔物の群れを率いる首領が撃退されたのであった。
偉業を成し遂げて、なお、生きていた勇者ジャクソンは驚いた。
勇敢に戦死して天国に迎えられるはずだったのだが、予定が狂ってしまった。
まぁ、いい。
死ぬ機会は他にいくらでもある。
魔物はたくさんいて、泣き叫ぶ人々、悩む国々は尽きない。だから、勇者を呼ぶ声も尽きない。
そうだ。
死ぬ機会は他にいくらでもある。
今は幸運を受け入れようと思った。
街に戻ると司教から賞賛され、国中の人々から礼賛され、そして国王に歓迎されて叙勲された。
ジャクソンに感謝する祭りが開かれ、貴族も平民も奴隷も等しく彼を褒め称えた。
そして、只の勇者ジャクソンは姓を賜って、英雄ジャクソン・ビアズリー伯爵に叙爵されたのである。
自分は職業“勇者”を辞めるのかと驚いた。
その理解で正しく、まったくそのとおりだった。
英雄ジャクソンは自分の解放した街リュッダへ迎えられ、領主に取り立てられた。
国王はジャクソンの功績を大々的に発表し。
教会はジャクソンが示した神の威光を事更に強調し。
吟遊詩人はジャクソンの苦労と活躍と成功と名誉を高らかに歌い上げ。
ついでに、お色気聖女マリリンとジャクソンのロマンスを奏でて若い娘らの嬌声を買った。
うん。
この最後のひとつだけは嘘だ。
そして…英雄ジャクソンの最初の仕事は“墓参り”だった。
すべてが終わってから聖女マリリンが連れてきてくれた場所はポリュペーモスがとどまっていた森のほど近くにある墓地だった。
夕焼けが赤く照らす、粗末な墓場だった。
あちこちに石が転がっており、雑草もぼうぼうと生えていた。
只の空き地のようにも見えたが、こんもりと持ち上がった墓土が墓地であることを主張している。
名前を刻んだ木札がたくさん落ちていた。
木組みの正三角架が何十本となく刺さっていた。
「これは何か?」と問うと。
マリリンは「勇者様は48人目ですよぉ」と答えた。
馬鹿だからジャクソンは本数が数えられなかったのでマリリンに数えてもらった。
なるほど、正三角架は47本あった。
「この下に勇者達が埋まっていますぅ」
そう言われて最初はわからなかった。
「どんな重傷を負っても聖なる奇蹟で治るんだろう?」
「ちぎれた手足は繋いであげられますぅ。潰れた頭も突き破られた胴体も治せちゃいますぅ。でも、流れて地面に滲み込んだ血は戻せませんわぁ〜」
「えっ、それじゃ死んだら?」
「もうお終いですよぉ。聖女は傷を治せるだけ。死者を蘇らせられるわけじゃありませんわぁ」
「!」
この話を聞いて絶句した。
聖女の奇蹟には限界があったのだ。
たしかに手足の欠損も破壊された脳や心臓も治せる。ただし、死ぬ前ならという条件が付くのだ。
つまり、死んで魂が抜けた死体はどうにもならない。
また、失血死は防げない。
支援パーティーは戦闘で重傷を負った冒険者をひきずって戻り、そいつが死ぬ前に治していただけだった。
それも失血がひどければ治せない。
姿を見なくなった冒険者達は皆、こうして墓の中に納まっていたのである。
「それじゃ、勇者様。読み上げますわねぇ☆」
文字の読めないジャクソンの代わりにマリリンが墓碑銘を読み上げた。
その中にはジャクソンに夢を語った女勇者や中年勇者の名前があった。
それでもジャクソンは涙をこぼさなかった。
彼らを悼まず。
「先に逝って今頃は天国で思い通り気ままな生活かよ。功績を上げた俺が地上でこれからも働かなきゃいかんと言うのに…なんともはや」
そうつぶやいて嘆いた。
うらやましいと思っていた。
彼らは勇敢に戦って死んだのだ。
彼らは条件を満たしている。
教会の司教は『勇敢に戦って死ねば天国へ行ける』と言ったのだから。
今頃、彼らは天国で楽しくやっているに違いない。
自分もそうなるはずだったのに。
自分も負けないくらい死闘を繰り広げたのに。
不公平じゃないか。
本気で悔しがった。
ところが。
「ウフフ…天国なんて見たことありませんけどぉ?」
突如、マリリンが嘲り笑った。
誰もが憧れた大きな胸乳を突き出して、声を張り上げ、墓場のすべてに響き渡るように。
その笑い声はあまりに大きくて、目の前の正三角架が震えるほどだった。
「えっ!?」
ジャクソンは耳を疑った。
聖女は自分が見たことがないものについて語ってきたのか。
あれほど自信満々に。
「どういうことだ? 天国は勇者のものだって司教様も言ってたじゃないか?」
お色気聖女マリリンはひょうきんで楽しい女だから、よくジョークも飛ばす。
だが、今の言葉は冗談にしてもたちが悪い。
聖女が天国を見たことがないなんて。
気持ち悪い。
おぞましい。
胸を突く何かが喉を越えて湧き上がってくるような感覚だった。
「司教? あの爺さんだって“天国”なんて見たことありませんよぉー ほんと、頭の悪い奴は笑えるわねぇ。アハハハー」
マリリンはキャラキャラ笑った。
本当に楽しそうに。
「何を言ってやがる、馬鹿か? 司教様はお前よりエライんだぞ!」
無性に腹が立って、聖女を非難してしまった。
仕方ないではないか。『天国を見たことがない』なんて、不遜なことを話すからだ。
「あらぁ、馬鹿に馬鹿って言われちゃったわぁ。何? エライ人は間違ったこと言わないのぉ? エライ人の言うことは全部正しいのぉ? うふふ…」
事更に嘲って、一歩近づき、ジャクソンの顔を覗き込む。
服の上からでも巨乳の谷間がわかる。ふだんならドキドキしてしまっていたことだろう。
だが、今は発言の内容が内容だけに身体が震えてしまっている。
それは怒りか、それとも恐れなのか。
「ねぇ、おバカさん。あの爺さん、生きてるわよぉ?」
「当たり前だ。司教様は今朝だってためになる話をしてくれたんだぞ」
「ためになる話? 何それ? どんな内容?」
「えっ、そ…それは……」
「ホント、馬鹿だから一回聞いたくらいじゃ憶えられないのよねー まぁ、いいわぁ。おバカさんにもわかるように懇切丁寧に説明してあげるわよぉ♪」
「馬鹿って言うな! 馬鹿っていう奴の方が馬鹿なんだぞ!」
「ええ、そうねぇ。で、あの爺さん、今朝、生きてたでしょ?」
「もちろんだ!」
「じゃ、司教、死んでないじゃん。あははー、死んでない奴がどうやって死後の世界を見てきたのよ?」
「えっ、それは…その…司教様はエライから……」
「何? エライと死んでも生き返れるんだ。すっごいわねぇ〜」
ニヤニヤといやらしい目つきで笑いながら迫る。
「えっ? そ…それは……」
必死で考える。
司教様はエライ。
エライから死んでも生き返れる…わけではない。
ならば、聖女の奇蹟で蘇ることが…できないことは今、明言された。
だから、目の前に正三角架が47本あるわけで。
「あれ? どんな奴でも死んだら生き返れない…のか? だったら、司教様はどうして……」
頭が混乱する。
吐きそうだ。
それでは約束が保証されないではないか。
それでは条件を満たしても天国へ行けないではないか。
いや、そもそも天国はあるのか。
敬虔な信者が逝くという、死後の楽園は存在するのか。
湧き上がる疑問が若者の肺を、心臓を、魂を蝕んで止まらない。
そして疑問がひとつの思考に切り替わる。
司教は自分の目で見たこともない“天国”をさも見てきたかのように話してきたのではないか。
あり得ない!
何と言う非道!
疑問が非難に変わってきた。
「騙したのかっ!?」
怒りが湧き上がる。
殺したいとさえ思うくらいに。
しかし、聖女は動じない。
英雄に怒鳴られたと言うのに聖女は真っ直ぐに視線を返してくる。
「さふあれかし」
マリリンは答える。
それは祈りの最後に着ける、ありきたりな決まり文句。
言われたことすら気づかないくらい、自然な言葉だった。
「“アーメン”は古語よぉ。ねぇ、おバカさん。“さふあれかし”は『そうなったらいいな』って意味なのぉ。言ってたでしょ、司教の爺さんも。ふふふ…」
またしても笑う。
嘲り笑う。
「『勇敢に戦って死ねば天国へ行ける。アーメン』だから? はい!」
問われて。
「勇敢に戦って死ねば天国へ行ける。そうなったらいいな…」
答える。
馬鹿は馬鹿なりに必死で頭を使ってみたのだ。
言われたとおりに“アーメン”を言い換えた、その結果がこれだ。
「そうなったらいいな…だとっ!?」
ガツンと響いた。
頭ではなく魂そのものがぶち砕かれるような衝撃だった。
「嘘…じゃない…嘘…とは違う。これは…嘘じゃない…けど…何だ! 何だ、これは…こ…れ…は……」
膝から力が抜けて、くずおれた。
地面に膝が着いて、貴族らしくと整えた高価な装いが泥にまみれた。
「私は“天国”の存在を肯定できないわぁ。でも、見たことないからねぇ…否定もできないのよねぇ。だから、嘘は言ってないわぁ。私は民の希望を、そう、みんなの夢を言葉にして語っただけ。あーっはっはっはっ!!」
腰に手を当てて大笑いだ。
「『幸いなるかな、神のために戦う人よ、天国は汝のものなればなり。そうなったらいいな』って。あーっはっはっはっ!」
更に笑う。嬉しくて仕方がないとでも言うように。
「逆にアーメン言わない祈りの言葉もあるでしょう? 暁の女帝様がらみよ」
「あ…ああ…」
言われてジャクソンも気がついた。
中心教義よりも重要とされる文言、『ああ、唯一無二の、大いなるアストライアーよ。潰した国は百を下らず、殺めた敵は万を下らず』には“さふあれかし”が付かない。
なるほど、この文言は単に事実を記述しているだけであって、『そうなったらいいな』ではなく、すでに『そうなっている』から、付かないのだ。
ずっと、“アーメン”は祈りの最後に着ける、只の決まり文句だと思っていた。
大した意味などないと。
とんでもない。
もっとも重要な言葉だ。
マリリンが続ける。
「そしてねぇ…『神を信じて祈らば死した後、天国への門が開かれん。そうなったらいいな』ってね。まさに大衆が望む言葉でしょう?」
ズッと顔を突き出す。
「これが聖女の祈り。ねぇ、嘘は言っていないでしょう?」
満面の笑顔を突きつける。
「うわぁぁぁぁぁっ!?」
英雄ジャクソンはのけぞり、倒れ、地面を這って逃げた。
そこには真の恐怖があった。
麗しい聖女の笑顔が怪物ポリュペーモスよりも遥かに恐ろしかった。
それは肉体ではなく、魂そのものを侵す恐怖だった。
「な…何でそんな話を…どうして俺をここに連れて来たんだ?」
ジャクソンは泥だらけになって抗議した。
みっともない英雄である。
「うるせぇ! いい加減、気づけ! この馬鹿がっ!!」
聖女が変化した。
マリリンの声が吹雪のように冷たく。
マリリンの顔がまるで仮面を剥いだ悪魔のように。
今までの慈母のような優しさも、親しみやすいひょうきんさも消し飛んでいた。
「お前が馬鹿すぎるから教えてやってんだ! 今でもまだ死ぬチャンスを探してんだろ、この大馬鹿がっ!!」
大気が震えるほどの怒気だ。
ジャクソンは恐ろしくて凍りついてしまった。
「光明教会、聖女、司教、勇者…すべてがな、戦争なんかと同じシステムなんだ。昔から何も変わらねぇ、“冷酷な老人と愚かな若者”っつー組み合わせよ」
マリリンは語る。
教会は武力を持たない。
その代わりに言葉がある。
言葉は武器だ。
言葉が武器だ。
宣教師が、神父が、そして聖女が祈る。
教会に雇われた吟遊詩人が歌う。
その言葉一つ一つが若者を誘う。
愚かな若者が集まって神の言葉を聞き、冒険者を志す。
教会はその中から優秀な者を選び出して。
鍛え、学ばせ、魔法を修めさせ。
光明神の祝福を受けさせ。
戦わせる。
神の栄光のために、
国の繁栄のために。
民の幸福のために。
戦わせる。
教会のエライ人は冷酷な老人だ。
冷酷な老人は自分では戦わない。安全な場所から『あれをしろ』『これをやれ』と命令するだけ。
勇者は愚かな若者だ。
愚かな若者は学ばない。自分の頭で考えない。他人の言葉を鵜呑みにして信じ、他人が敵と決めた者に対して剣を振りかざすだけ。
冷酷な老人は愚かな若者がどれだけ傷つき、どれだけ血を流し、倒れようと気にしない。
愚かな若者は学ばず、疑わず、冷酷な老人の言葉に従うだけで、自分が傷つこうが、仲間が死のうが、気にしない。
「どっちも救いようがねぇ」
聖女は吐き捨てるように言った。
「お前ら、『はい』しか言わねーし」
告げる。
『単眼巨人がリュッダの街を襲ってるから、お前らが立ち上がれ!』→『はい』
『神のために戦え! 国のために戦え! 民のために戦え!』→『はい』
『勇敢に戦って死ねば天国へ行けるぞ!』→『はい』
『攻撃部隊は6人パーティーだ!』→『はい』
『支援パーティーは聖女を守るためにいるのだから、戦闘には参加してくれないぞ』→『はい』
『どんなにひどい傷だって聖女の奇蹟で治るから安心して戦え!』→『はい』
そして。
血を流しすぎて死に。
頭を潰されて助けられる前に死に。
全身を砕かれて治療が間に合わず死に。
おめでたい頭の、おめでたい死体が山となって積み重なり。
マリリンと支援パーティーは遺骸を引きずって埋葬していた。
これが軍隊なら部隊の損耗を憂慮する。新兵の補充にはカネと手間がかかるし、ベテラン兵の代わりはなかなか見つからない。
だが、勇者パーティーは軍隊ではないから、冷酷な老人は愚かな若者の犠牲を心配しない。
どれだけ死んでも代わりの勇者はいくらでもいるから。
死んだ勇者の分だけ新しい勇者を送り込めばいい。
何しろ、元手はカネじゃない。言葉だ。言葉はカネがかからない。
「ひどい……」
ジャクソンは泣いた。
初めて泣いた。
ボロボロになるまで痛めつけられた自分と犠牲になった勇者達のために。
「ひどい? 冷酷な神父どももたいがいだけどな、愚かな勇者達はどうなんだ? 若造達に罪はないのか?」
聖女は心底呆れていた。
そして、再び嘲りながら。
「勇者達、そろいもそろって1人も敵の首領と話し合おうとはしなかったな」
思いもよらない言葉を吐く。
「えっ、そんな…敵と話し合うなんて……」
敵とは命をかけて戦うものだ。
勇敢に戦って死ねば天国へ行けるのだから。
動揺するジャクソン。
そんなことは教わっていない。
冒険者学校で習ったことは如何にしてモンスターを倒すか、それだけだ。
だから、そこまで自分を愚かだとは思わない。
より素早く動けるよう工夫したし、より強く斬りつけられるよう鍛えたし、勇者専用の魔法剣が使えるように修行したし。
ジャクソンだって自分の頭でいろいろ考えたものだ。
「考えてその程度だからバカって言われるんだよ!」
つくづく呆れ果てて怒鳴る。
「冷酷な神父どもならまっさきに話し合うぞ。奴ら、怪我したくねーし、死にたくねーからな。ふぅ…」
ため息を漏らし。
「あの魔物の首領は叫んでたろ。『いたい』『くるしい』『ゆるさねぇ』『しね』ってな…あいつは人語が喋れるんだ。話し合おうと思えばできたろうが?」
腰に手を当て、ジャクソンを睨みつける。
「対話を放棄して殺し合いに突っ走ったのは勇者達だろうが!」
聖女が叱る。
「あっ!」
言われてみればそうだったと気づくジャクソン。
聖女の怒りは正当なものだと思い知った。
たしかにポリュペーモスは人語を解する。それなら『なぜリュッダの街を襲ったのか?』『どうすれば襲撃をやめるのか?』とか問えたはずだ。話し合っていれば、争い以外の解決策を見い出せたかもしれない。
平和な解決の可能性を潰したのは血気に逸り、言われたこと以外を考えなかった、愚かな勇者達だった。
歯噛みして。
「勇者達にも罪はあった…」
認める。
冷酷な老人がひどい加害者で、愚かな若者は哀れな被害者だ、そう思っていた。
だが、違う。
罪は等しく両方にあった。
それは認める。
しかし。
それならば、だ。
「どうして貴女は止めてくれなかった?」
聖女を非難した。
そこまで勇者と教会のシステムを理解している聖女なら止められたではないか。
わかっていて止めなかった聖女。
只、祈るだけで。
只、見守るだけで。
何もしなかった聖女。
聖女こそ、最悪の加害者だろうに。
なぜ、この墓場で、自分が責められるいわれがあるのか。
「聖女だって同罪だろう! 勇者達を見捨てたじゃないかっ!?」
滂沱の涙を流しながら泣き叫ぶ。
怒りと悲しみで身体が震えた。
「うるせぇっ!! こちとら、聖女だ! 舐めんな! こいつはそういうシステムなんだ! 教会のエライ人に騙された、哀れな、哀れな、勇者達のために流してやるような、安っぽい涙は涸れ果てちまってんだよっ!!」
聖女は動じない。逆に怒鳴り返してきた。
「いいか、勘違いするなよ。冷酷な老人はたしかに冷酷だ。冷酷だがな、悪じゃないんだ」
英雄を指差し、その考え違いを正す。
「聖女だからって無条件で衆生を救えるわけじゃないんだ。神を讃えて、国を富ませて、民を幸せにする、聖女の力でそれらをできる限り実現する。そのためのやり方を考えるのがエライ人の、冷酷な神父の仕事だ。いいか、英雄。よく聞け!」
一息入れて。
「奴らは正しいんだ」
言い切った。
「街の損害と勇者達の犠牲に対して、だ。民の資産、国の威信、教会の利益、光明神の栄光を考えて全体で黒字になれば、それでいい。それを実現できるような判断こそが…正義なんだよ」
聖女の声は底知れぬ深淵から響いてくるような、恐ろしさを秘めていた。
「あ…あぁ……」
ジャクソンはようやく理解した。
この女性は覚悟が違うのだ、と。
冷酷な老人が見捨てたものを愛して。
愚かな若者が見逃したものを見つめて。
聖女が、在るのだ。
それでも、まだ男の意地があった。
言われたままでは悔しくて。
せめて一矢報いたくて。
なんとか抗議してみる。
「そ…その判断が正義なんて、どうしてわかるんだ? 他にもっといいやり方があるかもしれないだろ……」
他の手段、頭の悪いジャクソンでもそれくらいはわかる。
冷酷な教会が考えた方法が偏っているかもしれない。もとより幸福を測る手段はないのだ。どうして教会のシステムがもっともよいと言えるのだ。
「じゃあ、勇者が考えろ」
聖女は一言のもとに切り捨てる。
「えっ!?」
ジャクソンは絶句した。
「……」
二の句が継げない。
マリリンは待たない。
「誰が考えたって偏るんだよ。自分、家族、恩人、友人、そういう連中のために考えちまう。その情愛を、偏りを全部捨てたのが、いや、捨てたからこそ“冷酷な老人”なんだ。そしてな……」
聖女はジャクソンを睨みつける。
「もしも、お前が自分で、だ。自分で教会よりもよいやり方、偏りのない公平で、平等で、利益の多いシステムを考えついたら、だ」
仮定の話だ。
馬鹿なジャクソンが利口になれるわけがない。
それでも、そう仮定すれば。
「お前は公平で平等で偏りのない人間になっていなくちゃならない。それはつまり、家族も友達も仲間も捨ててるってことだ」
一拍、置いて。
「お前が理想のやり方を見つけたらな、その時、お前自身が“冷酷な老人”になっているんだよ」
真実を告げる。
世界の真実を。
聖女の表情は冷たく、一欠片の情けも表してはいなかった。
「あ…あぁ…あああああ……」
どうすることもできない。ジャクソンは泣き崩れた。
物事には最善の方法があるのかもしれない。
最大多数の最大幸福を実現させる方法が。
だが、それは理想である。
個々の幸福を測る手段がない以上、それを見つけるのは不可能。夢物語だ。
ゆえに、最善の方法の代わりを探す。考慮すべき因子を制限して、それらを最大にする方法“最適解”を見つけて使うしかない。
誰もが幸せになれる最善の方法が決定できないから、考え得る次善の方法を選択するのだ。
だから、そのための役割分担である。
神と国と民、人類文明のすべてをよくする最適解を冷酷な老人が考え出して、その最適解を愚かな若者が命懸けで実現させる。
そんなシステム。
そんな世界。
老人が冷酷でなかったらあれもこれも救おうとして最適解を見失う。
若者が愚かでなかったら命を惜しんで逃げて最適解を実現できない。
だから、このシステムを円滑に動作させるために聖女が必要なのだ。
老人を冷酷なままでいさせるために。
若者を愚かなままでいさせるために。
「お色気聖女マリリン…頭悪そうな名前でしょ☆ ふふ…」
口調も表情も元のひょうきんで優しいものに戻したマリリン。
「愚かな勇者は思春期の未成年が多いわぁ。だからねぇ、色香で惑わしてぇ、母の慈愛で心をつかんでぇ…逃げられないようにするのよぉ☆」
前かがみで、僧衣をふくらませる巨乳を揺らして見せて。
「死地へ送るのよぉ…純真な勇者を、ねぇ。この場合は敵の首領を追い詰めるために、ねぇ☆」
その笑顔は壮絶で、壮麗だった。
いつもジャクソンが心躍らせ、胸を高鳴らせた憧れの女性の顔だった。
だが、今、その美貌はとてつもなく恐ろしいものにしか見えない。
そうだ。
どれひとつとして嘘偽りはなかった。
『勇者は神に選ばれた特別な存在である』
→正確には教会が選ぶわけだが、光明神自身も絡んでいる。
『どんな恐ろしい魔物も勇者には勝てない』
→多くの勇者達が夜討ち、朝駆けを繰り返し、間断ない波状攻撃でモンスターを弱らせる。トライ・アンド・エラー、際限なく続く試行錯誤で弱点を探り、疲労させ、時間がかかってもいずれ必ず倒す。このシステムが運用される限り、勝てる魔物は絶対に存在しない。
『勇者は聖女に導かれて戦う』
→主役が勇者ではないけれども、そのとおり。聖女は替えが効かなくて、勇者は只の消耗品だ。やたら腰の低い聖女だが、実際は彼女が勇者を操って戦わせる。
『勇者は魔物を倒して人々を守る救世主なのだ』
→さもありなん。モンスター討伐が終わって生き残っていた者こそが“勇者”なのだ。他の、先立った勇者達は冷たい墓の下に埋められ忘れられる。なるほど、勇者が“救世主”として評価されるに違いない。
これらが勇者を謳う言葉の真実だ。
なるほど、たしかにひとつも間違ったことは言っていない。
すべて真実だ。
そして、これこそがシステムの全容。
冷酷な老人が愚かな若者を操り、怪物を倒して世界を救う。
犠牲者は冷たい土の中に埋められ、忘れ去られる。
生き延びた若者だけが“勇者”と呼ばれる。
功績が讃えられ、名誉を与えられ、然るべき地位に取り立てられる。
これが“勇者”の物語だ。
「うぅぅ……」
不快感しか残らない。
吐き気を催す。
胃袋が裏返って食べたものを戻しそうだ。
そうしなかったのは墓石の下に勇者が眠っているからだ。
彼らに反吐を吐きかけるわけにはいかない。
「それで? これからどうするのですかぁ、勇者様☆」
マリリンはかつてそう呼んでいたようにジャクソンに語りかけた。
「やめてくれ」
ジャクソンはもう“勇者”ではないのだ。何より聖女の“勇者様”呼ばわりはおぞましい。
「これから…とは?」
質問の意味がわからなくて聞き返した。
今や、自分は“英雄”である。只、貴族として、リュッダの街の領主として生きてゆくのではないか。
他に何があるのだろう。
「お前には幸せになる義務がある」
口調を戻してマリリンが告げた。
「お前は幸せにならなくちゃいけねぇんだ。忘れんなよ。お前の前には47人の勇者達が歩いてたんだ」
義務と事実を告げる。
「救いようのないバカばかりだったから救われなかった奴らだ。だが、奴らの功績までバカにさせちゃいけないんだ」
わずかに顔が曇る。
「天下御免の聖女様だぞ。勇者達のために流す涙なんて持ち合わせちゃいねぇ。だから、英雄も泣くな。奴らの分まで幸せになって笑ってやれ」
聖女が英雄を睨む。
「勇敢に戦って死んでも天国に行ける保証はねぇ。あんなモン、司教の戯言だ。いいな、絶対に死のうなんて思うなよ」
背筋を伸ばして背を向けた。
歩き出す。
落ちる日差しの下、その姿は堂々としていた。
何者にも恥じず、何者にも悩まず。
覚悟と決意を秘めて歩いてゆく。
その美貌があまりに崇高なので。
「マリリン…」
呼んでしまった。
すがるような気持ちで。
すると、彼女は一瞬だけ立ち止まる。
「お色気聖女マリリンは光明教会の中でも一番の汚れ仕事を任される、ド腐れ聖女だ。これから幸せになる英雄が遭うことは二度とないから忘れろ」
聖女は振り返らない。
背中で語り、去ってゆく。
「……」
英雄は何も言えなかった。
これが世界だと理解したから。
これが勇者と聖女だと理解したから。
夕暮れの日差しが墓場を真っ赤に染める。
英雄ジャクソン・ビアズリー伯爵は泥だらけの装束のまま、いつまでもいつまでも立ち尽くしていた。
ポリュペーモスが退けられて数年後。
瓦礫街リュッダのドラゴン城を初夏の日差しが照らしている。
庭に立つ青年は可愛らしい幼女2人から慕われて幸せに浸っていた。
「パパー、パパはバカなのー?」
「パパはおべんきょうしないのー?」
ふわふわの金髪が並び、青い目が4つ、青年を見つめている。
「うん。パパはバカだなー…お勉強はしてるんだけど、やっぱりバカだなぁー」
そう言って、名ばかり領主ジャクソンは微笑む。
20歳の若者だが、仕事はない。実質、無職である。
「パパはおとなだからおりこうにならなくちゃいけないんじゃないのー?」
「おりこうになってママみたいにおしごとしなくちゃいけないんでしょー?」
愛娘達がキャラキャラ笑う。
「バカとハサミは使いようで切れるってね。バカにはバカの役割があるのさ」
満面の笑顔で娘達にキスする。
もう勇者でない、英雄ジャクソンは幸せだ。
そして、幸せであることが仕事だ。
名ばかり領主だ、無職だ、穀潰しだとも言われている。
実際、妻にも劣る。
しかし。
48人目として。
先に逝って忘れられた47人の勇者達の分まで受け取るつもりだ。
奴らが受け取るはずだった“幸せ”を。
幸せでいることが仕事。
そんな奴もいるのである。
「英雄」とか「勇者」っていろいろありますが。
欧米の感覚だと「勇者」は「英雄」の卵です。
恐ろしい敵と勇敢に戦うのが「勇者」で。
恐ろしい敵と勇敢に戦って倒したのが「英雄」ですwww
で、欧米の感覚だと「英雄」って基本的には悲劇的に死ぬんです。
ジュリアス・シーザーとか、大英雄が好例ですね。
他にも西欧&東欧の「英雄」について調べてみるとたいがい若くして悲劇的に死んでますね。
だいたい、強力な敵国に攻め込まれて、敵軍の脅威に国民が震え上がる。
それに対して、「勇者」が勇敢に立ち向かい、敵軍を翻弄して。
殺されます\(^o^)/
すると国民は「英雄の死を無駄にするな!」「勇気を持て!」「軍隊を組織せよ!」ってノリで蜂起するんです。
いつの間にか、「勇者」が「英雄」になってますね。
しかーし、実際のところ、「英雄」が勇敢に戦うから国の独立が守られるわけで。
そのへん、日本とはだいぶ感覚が違います。
こちとら、「英雄」なんて織田信長くらいしか思いつきませんし…
ヤマトタケルノミコト、たぶん、創作だし。いや、お話は名作ですけどね〜
有名なリアル英雄だと乃木希典や東郷平八郎でしょうが、ふたりとも畳の上で亡くっているんですよね〜
ふたりとも悲劇的な死とも「英雄、色を好む」なんて格言とも無関係ですし、おすし。
さて、そういうわけでこの暁光帝の物語にも「勇者」を出してみました。
「勇者」っていうか、「勇者というシステム」ですね。
ついでに「聖女」も出してみました。
こちら、「聖女」は『ドラゴンクエスト』になかったシステムなんで、おそらく光栄『アンジェリーク』でしょうか。
たしか、スーパーファミコンだったような……
「聖女」も小生なりに解釈して世界観に組み込んでみたんですが、どうでしょうか?
お色気聖女マリリン、えらい男前になってしまいましたが(^_^;)
しっかし、小生、「百合に出てくる男野郎は0.3秒で滅殺ぅぅッ!」なんて明言してるわりにはけっこう♂キャラ描いてますね。
しかも、今回、ハッピーエンドだし。
でも、ご本人自ら「続編はない」ってますから、ありません。
報われるべき者が報われてお終いです(^o^)
小生、ハッピーエンドじゃない話は絶対描きませんので。
次回、ようやく暁光帝が人化♀して街に潜り込みます。
お楽しみに〜




