魔族デルフィーナ、配下のゴブリンと悩んでみる。観察された事柄から仮説へ。
「北ゴブリン族の大移動」→「ゴブリン大戦」→「アールヴ森林の大虐殺」と続く一連の騒動が今回の物語にどう絡んでくるのか?
頑張って面白くしてみたのでご覧ください☆
ゴブリン族はヒト族とはひどく異なる。まったく別種の人間だ。
ヒト族と同じく脊椎動物亜門に属するが、哺乳綱ではない。有羊膜類ですらない。
卵生で、水場に卵を産む。卵は殻を持たないゼラチン質だが、少量の水に包むだけで孵化できる。幼生は水生で成長が早く、数日で変態して陸生となる。
稀に行われる有性生殖は体外受精なので外性器が発達しない。また、子供に授乳しないので乳房も乳腺もない。卵生で卵が小さく出産の負担は少ないので骨盤も発達しない。
緑色がかった灰色の皮膚と尖った牙、不快な濁声で喋り、動きは素早いが粗野である。
再生能力も高く、手足を失ってもすぐに生えてくる。そのため、不具者はいないか、いてもすぐ治るので大切にはされない。
ヒト族などの他人種から見れば、しばしば「ゴブリンは男しかいない」と誤解されるが、実際は逆であり、すべて女である。
ゴブリンは例外なく女であり、男はいないのだ。
正確には「いる」が「目立たない」。
ゴブリンの男は矮雄を起こしているので同族としてすら認識されないからだ。しばしば、身体に瘤をつけたゴブリンが見られるが、その瘤こそがゴブリンの男である。彼らはゴブリン女の体に癒合する形で寄生しているのだ。
ゴブリンの男は幼生の段階で女の体に寄生してしまうと手足や脳が退化、生殖機能だけ残してゴブリン女から栄養を吸うだけの肉塊に成り果てる。
単為生殖するゴブリンに男は不要だが、環境の激変に合わせて身体に寄生させた男を利用して有性生殖を行う。
多様性を増して絶滅を免れるためだ。
しかし、ふだんはそういう面倒なことをしていない。ふつうの日常では単為生殖だけだ。そのため、物凄い勢いで人口が増加する。
人口増加については多産の豚人族をも越えるのだ。
数の優位を生かして、しばしば他の人種を圧倒する。
戦争はゴブリンの常道である。
単為生殖による人口増加に頼り、多産多死の社会を構成するわけである。そのため、個人の概念が希薄であり、戦場では命知らずの兵士となる。
粗食に耐え、荒れ地や草原で狩猟採集生活を営む場合が多い。文字を持たず、歴史を記述することもない。彼らは未開の土人である。
こういったゴブリンの文明レベルは低く、不衛生な生活と病気の蔓延がその平均寿命を縮め、人口を抑えている。
稀に女王を頂点とする、強力な中央集権体制の国家を持つ。その場合は大陸標準のリザードマン文字を用い、官僚制を敷く。
かつて、大陸の西端に興ったゴブリン王国はまたたく間に勢力を伸ばして碧中海沿岸の北西部を支配した。しかし、中興の祖である女王が没すると内乱が起こり、北ゴブリン王国と南ゴブリン王国に分裂し、地域の不安定化を招いた。
そんな時勢に起きた事件が“暁光帝のマラソン”である。
超巨大ドラゴンが日の出とともに起きて発ち、日の入りとともに帰って眠る場所として北ゴブリン王国が選ばれた。
たちまち大恐慌が起きた。
全国民が国を棄てて難民となるに十分なインパクトであったのだろう。
そして、アールヴ森林の大虐殺に繋がる悲劇となった。
ここに北ゴブリン王国は滅亡したのである。
だが、北ゴブリン族は絶滅していなかった!!
かの大虐殺に至る少し前、一部の部族が分かれて逃げ出したのである。
彼らはエルフ族とアプタル=オルジア帝国の戦力を見て敗色濃厚と判断したのだ。そして、険しいアルヴン山脈を越えて、暮らしやすい南国ペッリャ半島へ逃げ込んだ。
ヒト族に狙われていると信じる北ゴブリン族の生き残りは都市を避けて半島を南下、瓦礫街リュッダに近い草原に身を潜めたのである。
幸い、ゴブリンは背が低い。高い草に紛れて暮らし、近くの森で狩猟採集生活を営んだ。街道から離れ、頑強な外骨格の蟻人族の畑に近づかなければ、まず見つかることはない。
彼らは火を使わず、煙も出さず、採ったものを生で食べ、夜陰の中で密かに暮らしていた。
永く永く。
ヒト族の襲撃を恐れながら。
誰にも見つからずに。
しかし、秘密というものはいつまでも保てるものではない。
隠遁生活を嫌う若者の一部が近隣の街に出奔して冒険者になったのである。
彼らのことが知られるようになると“北ゴブリン族の生き残り”が噂されるようになった。
これに目をつけたのが宗教国家“暗黒ゲロマリス魔界”である。
多産多死の社会を築くゴブリン族は有用である。戦争となれば死を恐れずに戦い、しかも戦死者の損失を補うくらい新生児が生まれる。しかも北ゴブリン族の生き残りは文明を知っており、大陸標準のリザードマン文字がわかるのだ。
これを利用しない手はない。
暗黒ゲロマリス魔界は個人主義を標榜し、闇の神ゲローマーを信奉する、いわゆる“暗黒教団”である。
そのため、集団の協調と血統に基づく身分制度を重んじる国々からは白眼視され、光の神ブジュッミの信者からは目の敵にされている。今でも邪教扱いされている地域もあるのだ。
その教義のため、少数精鋭の方針を取らざるを得ない教団は多産のゴブリン族を信者として大量に獲得できれば大きな力になるだろうと目論んだ。
何としても北ゴブリン族の生き残りを保護し、暗黒神ゲローマーへの信仰を布教したい。
そのために教団は戦場の最前線から上級魔族デルフィーナを呼んだ。
「ハァハァハァ……」
息が荒い。肺が焼けるようだ。
あまりの緊張に心が押し潰されそうになっていた。
先ほどまで対峙していた童女“アスタ”はあまりにも規格外の存在で、敵対することすらできなかったのだ。
いや、それでよかった。
もしも敵対していたら自分も配下のゴブリン達もすべて殺されていただろう。
そう考える。
南国ペッリャ半島は潮風のかおる、さわやかな草原に無粋な陣地が設けられていた。
不格好な分だけ頑丈だ。敵の歩兵中隊なら10日は持ちこたえられる。
草が刈り払われ、石と岩が剥き出しの荒れ地を上級魔族の魔力で拓いていた。
光魔法のマジックアイテムで周辺の草原と同じように偽装したので、外から見れば他と変わらぬ只の草原である。また、防御結界魔法で多重魔法障壁を設え、上級の冒険者が攻めてきても対抗できる。
守るべきは北ゴブリン族の生き残り。
ヒト族とエルフ族を激しく恨む、彼らを保護して暗黒教団に捧げる。これが陣地を構築した、この上級魔族デルフィーナの役目であった。
彼女は今、さわやかな青空の下、破壊され尽くした多重魔法障壁の残骸を眺めながら膝を着いていた。
「ハァハァ……」
まだ駄目だ。
心臓と肺が悲鳴を上げている。両手も大地に着けたままつっぷし、顔を上げることすらままならない。
童女アスタの前では平気なふりをしていたが、実際は恐怖で震え上がっていた。
心臓が早鐘を打つように鼓動している。
だから、緊張が解けても身体が震える。
ショックで頭がしびれ、胸がむかつく。
腹いっぱいに芽殖孤虫が巣食ったら、こんな気分になるのだろうか。
恐ろしい。
胸に手を当てて動悸を押さえ込みたいところだが、自慢の爆乳が邪魔をする。
この時ばかりはセクシーボディが悩ましい。
しばらくして。
「ふぅ…」
一息吐いた。もうだいじょうぶだ。
ようやく上体を起こすことができた。
「ふんぐっ!」
膝を起こして何とか立ち上がる。
「デルフィーナ様、アノ小娘ハ一体何ダッタノデショウカ?」
野蛮なゴブリン族の中では比較的なマシな方である、側近のゴブリン魔導師が尋ねてきた。
もともと粗末な長衣が更にボロけてしまっている。先ほどの暗黒魔法で蝕まれたのだろう。
それだけ脅威だったということだ。
「…」
自分の魔法で部下を危険にさらしてしまったことは悔やむが、やむを得ないとも思う。
「お前らがドワーフで…私がエルフだって? どこをどう見ればそう判断できるのだ……」
デルフィーナは自分の身体を観る。
輝く銀髪と尖った耳だけが人間だった頃の、エルフだった頃の、昔の名残である。だが、上級魔族になって、暗黒神ゲローマーの加護を受けた時から肌は黒くなり、ヒツジのような曲がりくねった角が生えた。そして、コウモリを思わせる漆黒の翼、先端がスペード形になっている尻尾を持つ。
これらは魔族の証。
誰もが一目でそうとわかる、魔族らしい魔族である。
自分の姿を見た光のブジュミンド信者どもは悲鳴を上げて逃げ惑うのだ。
光の側に与する者から嫌われ、憎まれ、恐れられる。
それが魔族の誇りである。
だが、先ほどの子供、童女“アスタ”は羽虫ほども恐れなかった。
そればかりか、無害なエルフと思い込んでいた。
「グゲゲ…何トイウコトダ」
「ヒト族メ、ドコマデ我ラヲ追イ詰メルノダ?」
「ギャヒ、ギャヒ、畜生、畜生…俺ニモット力ガアッタラ…」
あちこちからゴブリン達のうめき声が聞こえてくる。
「けが人がいないか、確認! いれば、然るべき処置を! それと、無事な者を集めてアスタの行方を調査するように!」
檄を飛ばす。
ようやく部下を指揮する余裕が生まれたデルフィーナだった。
「ハッ!」
ゴブリン魔導師が走る。
「…」
彼女はそれなりに有能だから仕事は果たしてくれるだろう。
しかし、アスタの行方を探るのは荷が重い。ゴブリンには無理だろう。
デルフィーナは暗黒教団の幹部であり、世界征服の野望をいだく魔王の配下である。
魔族の中でも珍しい超武闘派で、討伐と戦闘だけで功績を上げて出世してきた。数多の勇者を叩きのめし、聖女すら退け、危険な幻獣を討ってきた。
その戦闘能力は暗黒教団でもトップクラスであり、大いに期待されてきたのだ。
もっともそれが理由でここにいるわけでもある。
戦闘だけで上級魔族に採用されたデルフィーナはそれ以外が心もとない。そこで一般職の経験も積むべきと判断された。
そして、北ゴブリン族の生き残りを保護し、暗黒教団の信者にするべく送り込まれたのであった。
信者の保護と育成、そして布教。
宗教団体らしい、戦いの絡まない、もっともふつうの業務である。
赴任したデルフィーナはペッリャ半島の草原に陣地を敷いた。散り散りになっていた北ゴブリン族をかき集めて保護し、布教と教育の両方にはげんだのである。
得意の防御結界魔法はやり過ぎと思えるほどの強力な多重魔法障壁を構築した。それはヒト族を憎み恐れるゴブリン達から大いに好評であった。
おかげで信頼を勝ち得たと言えよう。
「ええーっと…まず、整理してみないと」
デルフィーナは今までのことを思い返してみた。
早朝の教練を終え、先ほどまで麗人は掘っ立て小屋のひとつでゴブリン達とともに寝ていたのである。
デルフィーナは魔族であり、只でさえ、悪魔のような恐ろしい姿をしているので、せっかく保護してやったゴブリン達からも恐れられてしまう。しかし、それでは困る。目的は北ゴブリン族の信用を勝ち得て布教することなのだから。
何としても、暗黒教団が信頼できる温かな組織であると理解してもらい、自分は優しくて頼りになる指導者だと思ってもらわねば。
そこで、部下に向かっては親しみやすさを覚えてもらうべく、寝所をともにしているのだ。
好戦的で超武闘派の割に細やかな気遣いのできるデルフィーナであった。
そんな時、とてつもなく強大な魔力を感じて飛び起きたのである。
それははるか上空から急速に接近してくるように感じた。
不死鳥か、ドラゴンか、いずれにせよ、脅威だ。
その威圧感は今までに感じたものとは比較にならない。魔王と謁見した時のそれすらも凌駕するほどだった。
あまりのことに小屋から飛び出すことをためらっていると、今度はいきなりその圧倒的な魔力が消滅した。
異常な出来事に思考が止まってしまい、何が起きたのか、さっぱりわからず。
とりあえず、着替えて起き上がり、眠っているゴブリン達を叩き起こしていたら、外の騒ぎに気づいたわけである。
あわてて飛び出したその目に映った光景はゴブリンの群れに襲われて灰色の塊になった何かであった。
狂気のような怒りを見てすぐにゴブリンの宿敵であるヒト族の侵入を疑ったが、陣地は強力な防御結界で守られているはず。
あわてて確認すると見事に叩き割られていた。入念に張り巡らせた多重魔法障壁が天頂から破壊されて大穴が空いている。
光魔法のマジックアイテムが施した偽装も剥がれて、陣地は丸見えになっていた。
「何だ、これは…」
動揺したが、覚悟を決める。
何者かの襲撃かもしれない、と。
それはゴブリンの群れにたかられて灰色の塊になっている何かではないか、と。
そこで銃声を響かせて土人どもを追い払ってみれば、中から出てきたのは目を見張るような、とんでもない美少女だった。
任務中でなければ心躍らせたかもしれないが、仕事に色恋を差し挟まないのが信条である。
冷静に観察してすぐに異常がわかった。
まず、アスタが絶世の美少女であることだ。
それの何がおかしいのか。
髪が乱れていないのである。
今、櫛を入れて入念に梳かしたばかりのように見えるから、美少女なのだ。
更に肌が綺麗すぎる。
汚れてもいないし、傷がない上にシミひとつない。だから、社交界にデビューしたての令嬢にさえ見える。
しかし、それはおかしい。今、怒りに燃えるゴブリン集団に襲われて石斧やナイフで斬りつけられたのだ。
どうして髪が乱れない?
どうして無傷でいられる?
武闘派の勘が告げている。
こいつはヤバい、と。
ヒト族の童女にしか見えないが、見た目通りの存在じゃない、と。
警戒しつつ注視していると、アスタは銃について語り始めた。
動作原理と種類について。
しかも見事に当ててみせた。
そこで確信した。目の前の童女が陣地の防御結界を破ったのだ、と。
見た目に惑わされてはならない。
このアスタは強敵だ。それもとびっきりの。
そう確信して行動することに決めたのだった。
そこまで思い出したところで。
「デルフィーナ様、ケガ人ハオリマセンデシタ。ソコデ6人ニアノ小娘ノ行方ヲ探ラセテオリマス」
配下のゴブリン魔導師が戻ってきて報告してくれた。
彼女は野蛮なゴブリン族には珍しく敬語も使える。期待した以上に優れ者かもしれない。
「ああ。ご苦労」
魔族は配下をねぎらった。
デルフィーナは人種差別をしない。人種に基づく偏見も抱かない。
人種差別を愚かしいと一言の下に斬って捨てる。
だが、それは彼女が善人だからではなく、単純に実力主義者だからだ。
暗黒教団は独自の教義と価値観を持つ。それは徹底した実力主義であり、地縁、血縁、人種、性別、出自に依らない。来世での救済を謳う点では光明ブジュミンド教会と同じだが、現世の救いはあくまでも克己によるものとされる。
その教義のために過剰な競争を招いてしまいがちであり、邪教とみなされることさえある。しかし、同調圧力を嫌い、個人主義を尊ぶ者からは受け入れられている。
「アノ小娘ハ何者ダッタノデショウカ?」
このゴブリン魔導師はそんな教義も気に入って信者になったのだ。そして、この優れた上司を敬っている。
その問いに対して。
「うぅぅ…」
童女アスタを思い出してデルフィーナは身震いする。
「何もかもがおかしかった!」
凶暴な侏儒と愛嬌のある小人を間違える、そんなことがあるだろうか。いや、あるはずがない。
人間を辞めた魔族と穏やかで美しいエルフを間違える、そんなことはもっとあり得ない。
「何より、あの紫色の髪! 聖甲虫のように輝いていた、まるで金属みたいに! それにあの虹色の瞳は……」
腰を越えて流れる紫の長髪を思い出す。世に金髪、銀髪と言われる、美しい髪がある。だが、どんなに綺麗でも言ってしまえばしょせん動物の毛だ。金属光沢などあり得ない。
そして虹色の瞳。
その輝きの鮮やかさときたら金属光沢のロングヘアーにも劣らない。
エレーウォン大陸の全土を回って強敵と戦ってきたデルフィーナでも見たことがない。断言できる。あのような容姿の人間には一度も出会ったことがないのだ。
「それにあの紫の髪、動いていた。妙ちきりんなカーテシーを決めてたけど、たしかにあの髪が動いてワンピースの裾を摘まんで持ち上げていた!」
恐ろしい。
身震いする。
人間ではありえない動きだった。
「イヤ、ソレハ…ダッテ、魔法デ動カシテイタノデショウ?」
ゴブリン魔導師は考える。
精霊魔法の基礎として観念動力がある。何でも動かせるわけではないが、対象を限定すればいろいろなものを意思力で動かせる。土魔法で岩石をぶつけたり、炎魔法で火炎を操作するのもそれによる。
髪の毛などを対象にするサイコキネシスは珍しいが、存在しないと言い切れるものでもないだろう。
ずいぶん面倒なことをするものだとは思った。
しかし、それ以外に説明がつかない。
アスタは自分の髪をサイコキネシスで操っていたと考えるの妥当だ。
「いや、全然。あいつからは1gdrの魔力も感じなかった。あいつの、あの髪の毛は筋肉で動いていた! あの髪の毛の一本一本に筋肉があるんだ!!」
デルフィーナは思い出して、あまりの気色悪さに震えている。
「ナ、ナントッ!?」
これにはゴブリンも目を見張る。
魔力で動かしていなければ筋肉で動かしていることになる。
たしかに、トビムシなど一部の六脚類であれば触覚に筋肉があり、その全体を動かせる。
だが、人間の、しかも少女の、あの細い髪の毛一本一本に筋肉があるなど信じられるだろうか。
ゴブリンが眉根を寄せていると。
「人間じゃない」
デルフィーナがはっきりと言い切った。
「あのアスタって子供には恥じらいというものがまったくなかった。少なくとも裸を恥ずかしいと感じる感情そのものがなかった」
それも異様なことであった。
せめて男の子なら、それも常夏の地方ならばわからないでもないが、女の子が素っ裸を他人の目にさらして平然としているなどあり得ない。
「あの反応は…ふだんから服を着ていない者が飾りか何かと勘違いして服というものをまとっていた…と考えるのが妥当だ」
「ナルホド…ソウ考エレバボロボロニサレタ服ヲ嬉シソウニ示シテイタコトモ説明ガ付キマスネ…アレハ攻撃サレテ服ガ破レタコトガ予定通リデ…嬉シカッタ?」
「うん、その推測がおそらく正鵠を射ている……」
ゴブリンの考えを肯定する。
童女アスタはゴブリンの襲撃でワンピースをずたずたに引き裂かれて喜び。
デルフィーナ自身の暗黒魔法でワンピースを完全に消滅させられてもっと喜んだ。
それはつまり、服の破損、それ自体が珍しく、それを喜んだということになる。
逆に言えば、ワンピースの耐久性を上げて攻撃魔法に耐えられるようにも加工できたということにもなろう。
「この私の最強魔法だ、正直言って期待していなかったわけじゃない。殺せずとも…苦痛に顔を歪ませるくらいは行けるか、と……」
ショックを隠しきれない。
先ほどの最大級暗黒球体爆轟波、大層な名前の通り、暗黒精霊魔法の最上位に位置する。膨大な魔力を消費するため、超特級魔導師でも使える者が少ない。しかも、魔術式の構成に時間を食うので魔法の起動が難しい。悠長に呪文を唱えている間に魔術師が叩かれればかんたんに中断させられてしまうからだ。
だから、言葉でアスタを油断させて避けないよう、防がないように誘ったのだが、無意味だった。
暗黒球はこの世のあらゆる物質を腐食させ、猛毒の瘴気を発生させてあらゆる生物を抹殺する。
あのアスタはそれを受けて喜んでいた。苦しむどころか、上機嫌で魔法理論の講釈を垂れていた。
「私はあの子供が陣地の多重魔法障壁を破った、と思う」
陣地を守るべき防御結界が崩れてゆく。まるでステンドグラスで造られたドームが割れて砕けてゆくように。
破片がキラキラ輝きながら落ちてゆき、着地する前にかすれて消える。
超特級魔導師であり、上級魔族であるデルフィーナが膨大な時間を費やして構築した多重魔法障壁だ。それが一瞬で破壊された。
「あの子供は最強の暗黒魔法を叩き込まれて笑っていた。それどころか、自分が攻撃されたとも理解していなかった……」
アスタは珍しいものが見られたと喜び、デルフィーナに魔法の指導まで行ったのだ。
屈辱以外の何物でもない。
悔しさに歯噛みしたが、得られたものは大きい。
情報である。
「あいつは…あの少女アスタは脅威。それもとびっきりの。敵に回しても味方に取り込んでも重大な結果をもたらしかねない」
「シカシ、ソウナルト奴ノ行方ガ知レナイトイケマセンガ…」
ゴブリン魔導師はアスタのいた方向に目をやるとゴブリンの群れが活発に動いている。
「……駄目デス。見失イマシタ」
耳に手を当てて首を振った。
風魔法の通信は芳しい成果を送って来なかったようだ。
「あ奴らには荷が重い」
期待していない。
上級魔族の理解をすら越えるアスタが、野蛮なゴブリン達の追跡で何かつかめるとは思えなかったのだ。
「アノ小娘ハ瞬間移動ノ魔法ヲ使ッタノデショウカ?」
ゴブリン魔導師は風のうわさに聞いたことのある、稀少な魔法の名前を口にした。
「いや、違う」
スタスタと歩き、デルフィーナはアスタが消えた場所を調べる。
「これを見ろ」
「オオッ、コレハ!?」
ゴブリン魔導師は目を見開く。
暗黒魔法で溶けた地面が固まって一枚の岩盤になっていた。
それに無数の亀裂が走り、表面が砕けている。
「なんてこと…魔力を使った形跡がまったく存在しない。あいつは…単純に地面を蹴って跳んだのだ」
息を呑んだ。
「ウウ……瓦礫街ニ向カッタトスルト馬車デ3日カカル距離デスヨ」
デルフィーナの言葉にゴブリン魔導師がひるんだ。
最強の精霊魔法がまったく効果を見せず、馬車で3日掛かる距離を跳ぶ。
間違いなく人間ではない。化け物だ。
膂力だけでこの陣地はおろか、城塞を落とせるほどの。
「奴が消える時の轟音…たぶん、足で地面を蹴った音だ。ああ、何の魔力反応も感じなかったから魔法じゃない。速すぎて…見えなかっただけなのだ」
懐から計算尺を取り出した。
「…馬車の一般的な速度から瓦礫街までの距離を…として、仰角を4分のπrad…とすれば完全弾性衝突と仮定して……」
童女アスタの体重をヒト族の子供と同じと考えて、変位から運動方程式を立てる。
「ば…馬鹿げてる……」
計算尺の示す数値に絶句した。
およそ生き物の出し得る力ではないし、魔法で出力するとしても厳しい。
しかも、あのアスタは魔法を使っていなかったのだ。
「そうか!」
ひとつ仮説を思いついて、懐からひとつのマジックアイテムを取り出す。
「ソレハ…」
「妖女サイベルの呼び鈴」
「聞イタコトモアリマセンネ」
「魔界の兵器廠が開発した最新のマジックアイテム…言わば、秘密兵器だから。見たことがなくて当然なのだ」
「ナルホド…」
ゴブリン魔導師は当惑の表情を浮かべる。
単純に見たことがないだけでなく、刻まれているだろう魔術式がさっぱり読めないのだ。
それは手に持って鳴らす、ハンドベルのたぐい。
持ち手は木製で未知の金属が使われている。ベル部分に精緻な彫刻が掘られているが、おそらくこれが魔術式なのだろう。
「これはな…」
掲げてベルを鳴らす。
チリーン
小さく乾いた音がした。思ったほど大きくはない。これで呼び鈴としての機能を果たせるのか。
ゴブリン魔導師が訝しんでいると。
「こういう効果がある」
デルフィーナが変身していた。
見事な爆乳は影を潜め、漆黒の翼も捻くれた角も消え失せていた。もちろん尻尾もない。尖った耳はそのままだが、肌の色が白くなってふつうのエルフ女性になっていた。
いや、美貌はそのままなのでだいぶ目立つが。
「オオッ、コレハ!? モシヤ敵地ヘ潜入スルタメノマジックアイテムデハ!」
「その通り」
デルフィーナは部下の言葉を肯定する。
「シカシ、光魔法ニヨル幻デハアリマセンネ。翼ヤ角ハドコヘヤッタンデ?」
ゴブリン魔導師は思いつく限りの方法を考えたが、今、目の前にいる上司の変身は説明がつかない。
光魔法は意図した位置で光の屈折率や反射率を変えて幻を作り出す、もっとも基本的な幻術である。光をいじるだけなのでいきなり敵の目の前にドラゴンや砦の幻を出して脅かすことができる。風魔法で音を付加すれば更に本物らしくできる。
しかし、当然、触れることはできないし、光魔法特有の魔気反応を感知されてしまう。
今のデルフィーナにはそのような反応は感じられない。
「いや、それがさっぱりわからんのだ。サイベルという妖女…まぁ、幻獣だな。そいつが創った、幻獣を人間に化けさせるマジックアイテム、その劣化コピー品なのだ」
暗黒ゲロマリス魔界、大層な名称の宗教国家ではあるが、信者はすべて人間である。ドラゴンやフェニックスに布教しても仕方ない。暗黒神ゲローマーだって人間の祈りがほしいのだから。
人間を辞めた魔族がいようと、兵器廠の技術レベルがいかに高かろうと、しょせんは人間。幻獣を真似するのが精一杯で、本物のドラゴンや魔女が使う魔法を再現できるわけではない。
妖女サイベルの呼び鈴、完全にブラックボックスであり、その動作原理も魔法の種類もわかっていないのである。
単純に幻獣のドロップアイテムを複製しているに過ぎない。
どうやら人間にはまったく適性のない魔法らしく、こうしてマジックアイテムとして利用するしか、術がないのだ。
「ソンナ物ガアルトハ……デモ、ソレガアルトイウコトハ!」
「ご名答。あいつはこれで人間に化けた幻獣だ」
そう考えれば辻褄が合う。
最強の精霊魔法を食らっても無傷だったり、恥じらいのない行動だったり、アスタはおかしな行動が目立つ。それは彼女がもともとが人間ではないからだ。
「ムゥ…スルト、アイツノ正体ハ不死鳥ヤ巨人デショウカ?」
あり得そうな幻獣の名を挙げてみる。
フェニックスなら高い魔法抵抗力で上級魔族の攻撃魔法に耐えられるかもしれない。ギガースならあの異常な怪力も羞恥心のなさも説明が着く。
「可能性はありそうだが…」
麗人はエルフの姿のまま考える。
「あの子供は見栄えが良すぎる」
アスタは腰を越えて流れる金属光沢のロングヘアーと虹色に輝く瞳の美少女だ。
果たして独特のセンスを持つフェニックスや野蛮なギガースが思いつく姿だろうか。
「それに…フェニックスもギガースも髪の毛に筋肉はない」
「ソレハタシカニソウデスガ……」
ゴブリン魔導師は不満そうだ。
そもそも髪の毛に筋肉がある幻獣などいただろうか。
「髪を自由自在に操る幻獣…いそうではあるけれど、すぐには思いつかないな。でも…そうだ! 人魚とか動かせそうじゃなかろうか?」
「ウ、ウ〜ン……」
デルフィーナの問いにゴブリンは頭を抱えた。
人魚なら髪の毛を動かせそうではあるが、そうだと断言もできない。
たしかに人魚ならもともと全裸であるから羞恥心も人間とは違うだろう。
「だって、人魚なら美的センスから言っても紫の髪とか虹色の瞳とかデザインしてもおかしくな……」
そこまで考えて突如、思いついた。
デルフィーナは暗黒教団のエリートであり、教典である“闇の書”の内容はしっかり理解している。
その中で基本的な教義以上に繰り返し警告される最重要事項は何か。
「金属のように輝く紫の髪…虹色の瞳………ええっ、そんな!?」
ある存在が引っかかった。
およそあり得ない、もっとも恐るべき超存在が。
「だけど、妖女サイベルの呼び鈴…人化の術がどんな幻獣にも使えるのなら…それこそ、古龍やあの孤高の八龍にも使えるのなら……」
可能性が出てきた。
すると、もう思考が止まらない。
アスタという童女。
“アスタ”は何かの略称ではないか。
金属光沢で輝く紫色のロングヘアー。
瞳に星を散らす虹色の瞳。
ゴブリンとドワーフを間違える、非常識ぶり。
明らかにふだんから服を着慣れていないとわかる態度。
この新たな仮説ならいろいろなことに説明が付く。
そして、もし、この仮説が真実であるなら非常に大きな成果が期待できる。
「知は力なり」
自然と口を衝いて出た言葉。
「ハッ? ソレハ一体…?」
只ならぬ上司の様子にゴブリン魔導師が訝しむ。
「いえ、何でもないわ。お前もアスタの行方を探しなさい」
命じて、側近を向こうへやる。
体よく追い払う形だ。
「承知シマシタ」
ゴブリンは従順に従う。
「……」
何も言わずに従った側近を眺めて考える。
知は力なり。
デルフィーナが座右の銘だ。
情報は何よりの力となる。戦略レベルでも戦術レベルでも。
そして、童女アスタの正体、これほど貴重な情報は他にない。
今のところ、それはひとつの仮説でしかないが、デルフィーナには確信に近いものを感じている。
「ならば…」
情報の使い途について考える。
「たしか注意書きに…人化の術で変化した者はすべからく弱まる故、身の危険を警戒すべし…とか、あったな」
妖女サイベルの呼び鈴、人化の術を使えるようにするマジックアイテムには重大な欠陥がある。
実際に使ってみて理解したが、魔力も筋力も著しく弱まるのだ。上級魔族であるデルフィーナさえもそのへんの雑魚モンスターに負けかねないほど弱まる。
もし、そうであるのならば。
「彼女を殺せる!」
世界の破壊者を討つ。
麗しき魔族の中で新たな野望がむくむくと育ちつつあった。
転生しない異世界ファンタジーできついところに度量衡が使えないってのがあります。
さらば、我らがMKSA単位系\(^o^)/
さすがに円周率は3.14159365358…でしょう。
では、角度は? 角度は一周360°なの!? なの!?
ないわー
円周率が既知なら角度も弧度法であるはず!
…なので角度の単位は“ラジアン”に決定☆
じゃあ、運動方程式は? 運動量保存の法則は? そりゃ、あるでしょう。
岩石を飛ばす土魔法があるんですからどのくらいの力を加えたらどのくらいの距離を跳ぶか、それは知っていなければいけませんし。
土魔法の達人は自軍の陣地から敵軍まで距離を光魔法で測定してどれくらい魔力を込めれば命中するのか計算するんですよ!
そこで万能の「やってみる」とか使えませんしw 味方の攻撃がバレちゃいますからww
異世界の軍隊、大変そう…o| ̄|_
**********************************************************************
その教義のため、少数精鋭の方針を取らざるを得ない教団は多産のゴブリン族を信者として大量に獲得できれば大きな力になるだろうと目論んだ。
何としても北ゴブリン族の生き残りを保護し、暗黒神ゲローマーへの信仰を布教したい。
そのために教団は飛騨の国から仮面の忍者を呼んだ。
その名は…
「赤影、参上!」
**********************************************************************
…という、ギャグを思いつきましたが、本文ではできなかったのでこちらへ。
ほら、暗黒ゲロマリス教団も金目教と同じ宗教団体ですし、おすし。
あれくらい面白い物語を描きたいものですwww
歴史やら生態やら、ゴブリンについて長々と描写しました。
さすが、最初の雑魚モンスターとして人気のゴブリン! いろいろ使いやすいんですよね。
今後もいろいろ出番がありそうなのできちんと設定しておかねばとがんばってみました。
「ヒト族とエルフ族の敵である」「繁殖力が強い」「野蛮で凶暴」などの要素を実現できた…かな?




