第八十五話 家族を守る仕事の話
天より睥睨する大筒が、嚇怒の咆哮を解き放つ。
吐き出された水流は無理やりに形を変えられた散水塔の先端で狭められ、高圧のジェット水流さながらに目標へと襲い掛かった。
耐えられるものなら、耐えてみるが良い。
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ズヌバは自らに襲い掛かる暴威を見た。
惚けた思考が身勝手な怒りに満ちる。
「舐めるなああああ!」
身の内に取り込んだ装置を稼働させ、半端ながらも大地の魔力を己の身に向かって集めたズヌバは、それを逃げに使おうとして、それが不可能なことを瞬時に悟った。
距離が離れているが故に、攻撃側が照準を合わせる方がどうやっても早い。
比較すれば己が遅いという三次元空間の常識にすら、ズヌバは憤った。
「たかが、水など! 貴様ら如きの魔法など、糧にしてくれる!」
龍の権能、その全てを奪われたわけでは無い。
世界の魔力という大きな流れを変えることは出来無くなっていても、たかが魔物、たかが人間の放つ魔法如きに干渉出来ない筈も無い。
そう判断したズヌバは、鱗もまばらなその腕を持ち上げ障壁を張ると共に、水流と呼ぶには殺意が有りすぎるそれを待ち受ける。
その瞬間、全ては決着した。
水流を受け止めた障壁が、一瞬の間も持たせることが出来ずに粉砕される。
驚愕と共に即座に再展開を行うズヌバだが、それは先代と全く同じ末路を辿り続ける。
魔力量に物を言わせた速度で張りなおし続けるそれは、しかし徐々に水流を彼の身体に近づけつつあった。
「な、なんだああああああ!?」
廃龍は混乱の極みの中に在った。
己が、龍たる自身が扱う魔法が、一方的に蹂躙されている。
魔法ならば、世界の法則に沿った現象ならば、それは法則に従わざるを得ないはずだった。
存在位置を固定しなければならない代わりに絶対の防御と吸収効果を発揮する、彼が編み出し、絶対の自信と共にその名を冠した『絶対障壁』が、砕け、削られ、霧散していく。
「龍の! 遺物の力では無い! 何故! 何故こんなことが起きる!?」
だがやがて、水流の勢いが減じる。
それを察知したズヌバは、自身の不気味な蜥蜴の頭部を愉悦に歪ませる。
しかし、結末は変わらない。
極細かい粒子状に加工された大量の土砂を研磨剤として混ぜ込ませた新たな一撃が、更に細く、激しく、捩じり上げられ噴出孔が更に狭まった散水塔だった物から音速を超えて射出された。
それは、世界その物を捻じ曲げて撃ち出された一撃。
ほんの数秒の射出だったが、それは目標に一切の抵抗を許すことなくその全身を飲み込んだ。
「ばっ!」
彼の身体を構成する魔力が、怒涛の如く押し寄せるそれによって物理的に粉砕されていった。
撃ち込まれたそれは、魔法にして魔法にあらず。
法則それ自体を生み出した力で作り出された濁流は、目標にこの世界での最小単位を超えて破壊を齎した。
魔力が、砕かれていく。
「あ、り……えな……」
断末魔すら霧散させるそれによって、ズヌバの身体は、そして持ち出された装置もまた、文字通りこの世から欠片も残さず消失したのだった。
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私達は垂直に切り立つ嘗ては床だった壁に辛うじてへばり付きながら、あのクソ蜥蜴の消滅を見届けていた。
床のあちこちが攻撃のための材料として剥ぎ取られ、今や見るも無残な存在に成り果てている。
ふう。何とか、なった。
「あのさー。ぎりぎりじゃん。マジでぎりぎりだったじゃん」
手乗りサイズのオーソドックスなスライム姿まで縮んだゼラが、小さな身体を器用に動かして私の頭をぺしぺしと叩いて来る。
融合は、完全に解けていた。
そんな私と言えば、もう胴体から下はすっかり残っていない有様だった。
今となってはどうでも良いが、核も完全にむき出しの状態となっている。
両腕も根元から無くなっているので、正直達磨と呼んだ方が適切な状態だ。
それでも、床だった物と背中部分を物理的に接合させる事で、私達は落下を防いでいた。
首元にぶら下がるグレイプニルを使う余裕は全く無かった。
「そんなに叩くと、私ごと地面に真っ逆さまになるぞ」
「こんなんノ一ダメージでしょ? ノ一ダメよ、ノ一ダメ」
なおも私を叩き続けるゼラ。
それにしても、私達に宿る、根源たる元素の力は凄まじい。
意識して使ったのは初めてだったが、効果は抜群、そして代償も抜群に大きかった。
多くの人の助けを借りてなお、この有様だ。
自信満々にカッコつけて、自爆オチにならなくて本当に良かった。
「二人とも、無事か?」
がらくた同然になった私と、名実ともに雑魚キャラになったゼラの前に二人の龍が姿を現した。
シャール=シャラシャリーアは幼女形態のまま、グラガナン=ガシャの頭に乗っている。
「なるほどのう。神ども、変化を付けてきよった訳か。これにはあ奴もたまらんじゃろうて」
まじまじと私達を見つめる幼女龍。
どうでもいいけど、助けとか、はい、禁ですね分かります。
「お前達に魔力を大量に持っていかれたからな。身共の下にいる人間が動けるようになるまでもう少し掛かるだろうな」
無理のない範囲で魔力を集めるつもりだったが、彼等は自分の意思で鎖を手放そうとしなかった。
愚か愚かと人間を馬鹿にしていたズヌバだったが、結局は愚かな人間に負けた結果となったようだった。
「しかし、あれは分体。本体ではない。バイストマに現れた際のそれを大幅に更新する最大の痛手を負わせたじゃろうが、奴はまだ滅びてはおらん」
守護龍の忠告は、勿論把握していた。
これで奴は、より一層表舞台に立たなくなるだろう。
何せ、自分と言う存在を確実に殺すことの出来る手段がこの世に存在することが判明したのだから。
殺すのが難しくなった反面、びびって隠れてくれる分にはこの世界にちょっかいを出されずに済むという利点も存在する。
だが、兎に角今は戦い終わって休息が必要だった。
疲れない身体だが、今回も本当に疲れた。
私はゼラの様子を伺うために頭を動かす。
彼女は何時の間にか、私の首元に移動していた。
「ねえアダム」
「ん?」
彼女が言葉を投げかけてくる。
「――お疲れ様」
「ああ、お疲れ様、ゼラ」
互いに触れる、首元から垂れ下がった異彩の鎖が、きらりと輝く。
こうして、遺物を求めて始まった私のとんでもない出張劇は、一先ずの終わりを告げたのだった。
次回、第二章エピローグ。