第八〇話 ぱわー!
ご意見を頂き、第十七話部分を改稿しております。
爆弾の存在など大筋の内容的には全く変化しておりませんが、先にちょっと安心してもらえるように
加筆修正しておりますので、よろしくお願いいたします。
地面の下から、巨大な気配が昇ってくる感覚がする。
散水塔内壁の幾何学模様が輝きを増し、その光が上方に向かって流れて行った。
「起動した! ゼラ! 急げ!」
「アダム、壁、そこら中の壁に嫌な気配がするんだけど……」
魔力が流れて活性化したのか、私にもはっきり分かった。
この塔の内部には既に先ほどの怪物に類する何かが蔓延っている。
このままでは汲み上げられた魔力が更に汚染され、最悪のシナリオが現実となってしまう。
「外の事は皆に任せるしかない!」
ライラ達だけでは状況を打破するのは到底不可能だろうが、今この都市の上空にはグラガナン=ガシャが来ている。
彼に職責を持って踏ん張ってもらうしかない。
時折現れる人間一人大の肉塊を一蹴しながら私達は階段を駆け上る。
塔は鳴動を続けていた。
やがてその振動の正体の一端が窓の外から見えるようになる。
花が開くように、今まさに向かっているこの塔の天頂部が次第に大きく開いて行くのが、その長さ故にここからでも見えた。
その花弁の側部に、幾つもの穴が開いた金属製の筒が何本も立ち並び生えている。
「あれ何!?」
「スプリンクラーか! 思っていたよりも範囲が広すぎる!」
悪夢の花が完全に花開く。
次の瞬間、筒の先端とその途中の穴より薄くピンク色に付いた水が下方に向かって噴射された。
間に合わなかった。
その事実に打ちのめされるよりも先に、まだ私達にはやるべきことが有る。
だが、諦めていないのは私達だけでは無かった。
「うむう……!」
グラガナン=ガシャが花弁の下にその長大な身体を割り込ませる。
大地に降り注いでいた水が止まるのと引き換えに、彼の身体に生える木々が急成長し始める。
それは次第にその面積を広げ、彼自身の身体と共に汚染された水を受け止めた。
水に触れた植物は急速に水と同色の結晶と化し、それらは互いに粉々に砕け散っていく。
グラガナン=ガシャの身体にも同様の現象が起きていた。
それによって地表に零れる水は最小限に抑える事に成功していたが、どう考えても長くは持たない。
強引に吸い上げられた大地の魔力が乱れ、降りしきる雨には邪な血が混じる。
時間が明確に敵になって私達を苛み続けていた。
「あのでっかいの! 私達ごとここを吹っ飛ばせないの!?」
「最悪はな! だが、まだそこら中に避難出来ていない人が居る! サーレインも近くに居るはずだ!」
今になって気付いたが、散水塔が起動した段階でこの塔を破壊すれば全体に内包された魔力が炸裂し、周囲には甚大な被害が出る仕組みになっている様だった。
悪夢の散水塔とは良く言ったものだ。
ゼラは歯噛みした表情を見せるが、焦りが故に正常な判断が出来ていないのは私も同じだろう。
だが、ここに至っての最善とは、先ほども言ったように信じる事それだけでしかない。
「最上階へ!」
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「サーレインちゃん!」
ライラ達は避難誘導を続けるサーレイン達との合流を果たす。
だが、彼女達のそれは傍目から見ても有効に働いているとは言えない状況だった。
「皆さん! 早く街の外へ! ここは危険です!」
サーレインの必死の呼びかけは群衆のどよめきに掻き消え、彼らは皆目の前で起こる大スペクタクルの観客と化していた。
龍に身守れられた清浄な水の都パーマネトラ。
それが人々の心理に楔の様に撃ち込まれていた。
「ライラ~! まずい~! 『魔物感知』が効き始めた~!」
メルメルの持つ遺物から放たれる立体図に赤い光点が生まれ始める。
「サーレインちゃん!」
水の巫女姫の姿を、殆どの人々は知らない。
プレキマス・ボイボスティアが、自身の思惑によって彼女を外に出すことを滅多に行わなかったからだ。
だが、少女の必死さとその可憐な容姿によって、その周囲には物見遊山が如き人々が集まったいた。
サーレインはそんな人々に向かって尚も呼びかけ続ける。
「サーレインちゃん! もう時間が無い! 一緒に来て!」
「何故!? 皆さん聞いて下さい! ここはもう危険なのです! 水の巫女姫の名において、皆さんを守る義務が私にはあります!」
ライラは聞く耳を持たないサーレインと共に連れ立っていた他の人間に視線を送る。
「にゃ~。梃子でも動いてくれないにゃ~」
「ライラ。私達は彼女と心中するつもりは無い。イーヴァ殿には了承を取った。いざという時は、気絶させてでも連れて行く」
イーヴァもまた道々の人々に避難を呼びかけているが、サーレインとも違い老女である彼女の声に耳を貸す人々は皆無だった。
「ライラ、私も賛成よ」
ナタリアもライラもメルメルも、連合支部の人間は皆こういった光景を見たことが無いわけでは無かった。
人間は賢しく愚かな生き物であると、折に触れて自覚させれられていた。
人里にほど近い場所で魔窟が生まれた際、その利益を求め、連合職員の静止や警告を聞かず無断で立ち入り、結果としてその命を散らせる人々は少なく無いのだ。
人は人であるが故、何事も思い通りに進むことなど決してないのだと理解していた。
ライラには分かっていた。
サーレインが今、この人々の対して何も為せない事は分かっていた。
それでも彼女はサーレインの行いを無駄だとは思わない。
何故なら、それはライラ自身の願いにも通じる行いなのだから。
「サーレインちゃん」
「ライラ先輩、邪魔をしないでください。私は……」
パシンと、乾いた音が響いた。
サーレインの左頬が赤く染まる。
「落ち着きなさい。サーレイン・ボイボスティア」
ライラの右手が、彼女の頬を強かに打っていた。
その様子をイーヴァが申し訳なさそうにしながら見つめていた。
己のやるべき行いを代行させてしまった事に対する慚愧の念が、そこには込められていた。
「貴女の皆を守りたいという想いは決して間違いではありません。でも、今の貴女にはその力はありません。無いのです」
頬の痛みによるものでない涙がサーレインの瞳を濡らす。
「私、私は水の巫女姫のです! 水の巫女姫なんです! 今こうなっているのも、私があの時失敗したからで! 折角、折角こんな立派なお仕着せを着て、街の皆の役に立てるような力があって、それで、今は、捨て子で役立たずのサーレインじゃないのに!」
聖浄化で魔力を大量に損ない、今の今まで声を張り上げ、ふらつく身体で少女は嘆いた。
吐き出される言葉と共に彼女の両の眼からも涙が溢れる。
辺りでその様子を眺める人々はそれを遠巻きに眺めるだけで、やはり何も動こうとはしなかった。
だが、その様子も次第に変化していく。
街の各所から悲鳴が上がり始めたからだ。
ほの赤い雨が、龍の守りとを越えて都市に滴り始める。
人の傲慢が生み出した地の底の乱れが、魔なる物を生み出す。
「時間切れよ」
「お願いします。必ず後で行きます」
僅かな逡巡の後、ナタリアはレン達を含めた連合職員に指示を行う。
他の支部の人間であるレンやミレは二人組で動いてもらう事となった。
やがて、周囲の人間達も事態に気付き始め、千々に乱れていった。
「サーレイン・ボイボスティア」
ライラは名前を呼んだ小さな女の子の肩に手を置くと、その身体を強く抱きしめた。
「力が、あるのは、辛いですよね」
この世界で才能が有るというのは呪いにも似ている。
この過酷溢れる世界で人間は弱く、生きるには様々な存在と戦い続けなくてはならない。
そして力持つものが、力なきものを守らねばならない。
それは親が子を守るのにも似て、ライラはそれこそが世界の真理であると信じていた。
そうでなくては、耐えきれなかった。
自身のおぼろげな記憶に存在する皆が、ずっとそうしてくれた記憶が、それの否定を許さなかった。
守られてきた自分が、怯え、震えて引きこもり、誰かを守らないままただ生きるなど有ってはならなかった。
それでは、何のために父親も、そして顔も知らない母親も死ななければならなかったのか。
人を守るために死んだ人の命を、無駄にするというのか。
ライラは、目の前の少女もまた、自分と言う存在が生きるための理由を強く握りしめて離そうとしない事に気付いていた。
そして、それは、ひどく悲しくて辛い生き方である事にも気づいていた。
「でも、一人で何でもかんでも上手く出来るわけないんですよ。私達は、魔法が使えたり、槍や剣がすっごく上手かったり、特別な才能がありますけど、人間なんです」
赤く腫れた目で、サーレインはライラの強く輝く瞳を見つめた。
「貴女のやりたい事を、もう一度教えてください。サーレイン・ボイボスティア」
サーレインは豪奢な衣装の袖で乱暴に涙を拭う。
「ま、街の皆を、助けたい。それしか、分からないの。それ以上言えない、やり方も本当は分からないの」
それを聞いたライラはにっこりとほほ笑んだ。
「では、やりましょう。今なら簡単です」
その返事を聞いたサーレインはきょとんとした顔で二の句を告げないでいた。
いつの間にか、傍にはイーヴァが控えている。
「魔物は倒す! 逃げている人には安全な方向を伝える!! 魔物は倒す!!!」
得意げな顔で、サーレインには伝わらないことを失念しながら、ライラは自分達の隊長の真似をして大声を出す。
「力をどかんと見せれば、結構皆言う事を聞いてくれます。言葉だけじゃ人は動かないものです。イーヴァさんも勿論手伝ってくださいね」
「ええ……そ、そうなのですか?」
「アダムさんから教えて貰った言葉を今こそお教えしましょう! 『力こそぱわー』! さあサーレインちゃんも一緒に!」
意味は良く分からないが、深く考えずに力でごり押せば物事はどうにかなるぐらいの感覚で、ライラはその言葉を捉えていた。
実際、難しく考えすぎると物事は立ち行かない物だ。
自分達には力が有る。
それを、己の意思で振るうのだ。
それが、状況を打破する術であると、ライラは確信していた。
「ち、ちからこそ、ぱうわー?」
「力こそぱわー!」
「ちからこそ、ぱ、ぱわー!」
「ぱわー!」
「ぱわー!」
逃げる人々が、不思議な鳴き声を放つ生き物を見つめる目で二人を見た。
「魔物は、倒す! 人を救う! ぱわー!」
「ぱわー!」
少女達と老婆は駆ける。
「ぱわー!!」
ぱわー!