第七十九話 理外に縛する失われた理の鎖
上階に向かった私が見た物は、奥に見える階段に向かって押し込まれつつあるゼラと、それを追う巨大な赤黒い肉塊だった。
肉塊の怪物は私が霊峰で見た物よりも数段大きく、複雑に絡まった触手に加え乱杭歯の歯列を備えた口のような器官が複数存在する形となっている。
「ゼラ!」
彼女は私の呼びかけにこちらを視認したが、怪物の執拗な攻撃に対しそのまま上階への後退を余儀なくされた。
それを追い、辺り一面に触手を叩きつけながら猛追する怪物の背後、と言っても良いのかよく分からないが、兎に角後ろから私は奴に向かって突撃を敢行する。
私の接近に際し、怪物の背面にその肉の内側から湧き上がる様に無数の眼球が生み出された。
「だめだめだめだめだめだめだめ――」
発せられた意味ある言葉に、怖気が奔る。
眼球を伴った肉が不格好な人間の形を急速にとりながら、怪物の背面から吐き出されるが如く次々に生み出されていく。
それらは両手を突き出しながら私に向かって群がって来た。
両手の甲から刃を展開する。
そのまま両脚のタイヤを接地させ、互いに逆回転させることによってその場で旋回しながら高速で両手を振り回す。
私に群がる肉人形共はそれで輪切りに切断されていくが、お替りが次々に前方よりやって来る。
輪切りにされ、撒き散らされた肉片の幾つかが階段に向かって這いずり、そこへ到着すると蜘蛛の巣のような糸状の物質に変質して行った。
拙い。
蜘蛛の巣に向かって、上の階からやって来るお替り共が飛びつき、それと一体化していった。
未だ私に群がる肉人形を掻き分けながら階段に辿り着くが、そこはもう肉の壁によってすっかり閉鎖されてしまっていた。
「だめだめだめだめだめだめだめだめ」
その合唱に苛立った私は、裏拳で背後に迫って来ていた肉人形の一体を粉砕する。
壁に切りつけるが、傷は直ぐに塞がってしまう。
ここに来るまでに、こんな行動を行った形跡は無かった。
あの怪物、何がどうしてかは分からないが、間違いなく小賢しい知恵を身に着けている。
余り考えたくはないが、取り込んだ人間のそれに比例しているのかも知れない。
私は右肩の巨大プロペラを回転させ、それを前に突き出しながらタイヤを併用して突進を行う。
それで私を肉壁に押し込もうとする輩共をミンチ肉に変貌させて行った。
極細かくなった肉片は乾いた砂の様に崩れていくが、大きさを保ったそれは互いに接合してその質量を増していく。
相手をしている時間は無い。
早く上に行かなければならない。
突進の勢いのまま、終点である壁に向かって前蹴りを繰り出すことで強引にブレーキを掛ける。
壁に大穴が空き、そこからパーマネトラの街の様子が見えた。
参った。
思いついたが、中々クレイジーなルートだ。
私は首元の鎖の輪に触れる。
さて、お前は言うことを聞いてくれるかな?
いや、是が非でも聞いてもらう。
私の意思に反応して螺鈿の鎖が右腕に絡みついて行く。
壁に空いた穴から身を翻す。
私は空中に投げ出された状態から、上の階の外壁に向かって右腕を振るった。
投網のように変化したグレイプニルがその先端を壁に食い込ませていく。
そこから更に、まるで生え広がる蔦の様に壁を侵食していった。
しっかりフックしたのを確認した私は、右腕に絡みついたグレイプニルを巻き上げる様にして両手両足のタイヤを外壁に押し付けた。
そのまま鎖の絡みつく外壁に向かって外の壁を垂直に駆け上がっていく。
凶悪な刃が生える膝をそこに叩きつけ、同時に鎖がそれで開いた穴に殺到しながら外壁を侵食し続ける。
右腕を振りかぶって鎖ごと外壁を引き剝がす。
外に向かって瓦礫と共に鎖の塊が宙を舞った。
その重量と慣性に身体を持っていかれながらも私は上の階に侵入することに成功した。
目の前には怪物に追いすがれ、身体の体積を減らしながら応戦するゼラの姿が有った。
右腕に魔力を集中させる。鎖と瓦礫が圧縮されて振り回しやすい形を取った。
私はそれを、力任せに怪物に向かって投擲した。
骨は無いが、硬質化した部位である乱杭歯が一度に大量にへし折れる音を響かせながら怪物は吹き飛ばされる。
「アダムよね!? どっから来てんの!?」
「気にするところが違う!」
引き戻した鎖付き岩石とも言うべき右手の武装を高速で振り回し、再度それを投擲する。
怪物は極太の触手でそれを迎撃しようとするが、質量差に抗いきれずそれは本体に着弾する。
「へぎゅあうぎゃああるりゃあ」
発音不能気味の悲鳴を上げながら、怪物は私達から遠く吹き飛ばされる。
奴の身体にめり込んだ瓦礫を纏め上げているグレイプニルが、枝分かれしながら怪物に絡みついて行った。
理屈の及ばない変化だが、私の意に沿った変化でもある。これはそういう遺物という事なので気にしないことにする。
「無事で何より」
「色々言いたいことあるけど、サーレインは!?」
「あの子も無事だ。今はライラ達といるはずだ」
琥珀色のゼラが安堵の息を吐く仕草をする。
このまま会話を続けたい所だが、今は戦闘中だ。
私はグレイプニルに拘束された怪物とゼラの間に移動する。
怪物は身動きを封じられ、鎖の隙間から伸ばそうとする触手は即座に小さな鎖に絡みつかれている。
「ゼラ、酸はどのくらい効果が有った?」
「酸も毒も、付着した部分を切り離されたから、どうだろ? 今なら行けると思うけど」
ゼラの身体を改めて見る。
身長などは変わっていないように見えるが、質量が減っているように感じる。
「私が何とかしてみる。駄目そうなら頼む」
ゼラはこくりと頷くと、私の後ろから怪物の様子を油断なく見つめた。
私は意識をグレイプニルに集中する。
絡みついた鎖がゆっくりと怪物の身体を締め付けていく。
「へやぎゃああじゃりゅああひゅああああ」
何が起きるのか気付いた怪物が暴れ狂うが、鎖はそれを許さない。
締め上げる速度が徐々に加速していく。
限界まで絞められたことで圧力で肉が破裂し、怪物の体液が噴出する。
「うわ、グロがもっとグロ」
それでも私は締め付けを緩めない。
汚らわしい液体が辺り一面に撒き散らされ、鎖の塊は遂にサッカーボール程の大きさになった。
これ以上は難しい。
私の右腕にグレイプニルが巻き取られるように戻る。
体液で汚れてはいないようだ。本当に良かった。
鎖が取り除かれ、そこに残ったのは一回り小さい赤黒い肉の塊だった。
その塊は、驚くべきことに未だ生きている様だった。
ぴくぴくと痙攣を行いながら、イトミミズの様な触手を伸ばすと、辺りに飛び散る体液を掬い取ろうと動かす。
私が何か言う前に、ゼラがそれに向かって酸を噴射した。
「ひゃぁぁぁぁぁ」
断末魔と言うにはか細い声を上げて、それは遂に活動を停止する。
辺りに散らばった体液は徐々に乾いてピンク色の結晶体がそこに残った。
「まじ、なんなのこいつ……」
「――成れの果てだ。もう、何者でもない、成れの果て」
ゼラはこれが何から変化し、何を喰ったかは見ていたはずだ。
隠すのは無意味だと感じた私は、慰めにはならないだろうがそう表現した。
「平気、まあ、それが一番心に来てるけど、私は平気」
私も平気だった。
悲しい気持ちはあるのだが、思ったよりもショックは受けていない。
霊峰で人間と知りながら、その頭を礫弾で吹き飛ばした時から分かっていた事だが。
二人で顔を合わせていると、突如建物全体が鳴動を始めた。
散水塔が動き出したのだ。
「拙い。ゼラ、私は最上階に行かなければならない。君は――」
サーレインの所に行かせるつもりだったが、彼女の瞳を見て私は二の句を告げなくなった。
「アダム。どっちがあの子のためになる?」
その判断基準が痛いほど理解できた。
「行こう。私にも、君が必要だ」
「初めから、そう言いなさい」
散水塔が、鳴動を強める。
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何れも土の下にいる作者に良く効きます