第七十六話 負の遺産
「ライラ達は無事なようだな。だが、ゼラの奴が乗り物に乗っておらん」
グラガナン=ガシャの首に掴まった私の肩の上で、守護龍は親指と人差し指で作った両手の輪を覗き込みながらそう言った。
私には個人が特定できる程にはっきりとは見えないのだが、変貌した大聖堂の内部から車が出て来る所は確認出来た。
先ずは一安心という所だ。
「アトラナンが再起動するとはな。今代の水の巫女姫は何をしているのだ。それにこうやって身共が姿を晒しているというのに、殆どの人間は気づいていないようだ」
「気持ちは分かるが、人の世に無関心じゃったお主が何か言えることかグラガナン」
「ふむ、あれを知る者は少なければ少ないほど良い。そしてお前は禁を軽視し過ぎだシャール」
二体の龍が念話で言い争いをしているが、正直それどころではない。
可能な限り早く戻らなければ。
遠い足元の地面では、木々に遮られてパーマネトラの惨状を知らぬままでいる二人がこちらを見上げていた。
あの二人は連れて行けないな。
正直な所、完全には信用しきれなくなってしまった。
それに先ほどの戦いで激しく消耗しているままだ。回復が遅いのは、恐らく身体に潜んでいた邪血の欠片の所為だろう。
私は蚊帳の外に置くことを決めた二人を尻目に、心の中で龍達に問いかけた。
「何を置いても私はあそこに戻らなければならない。不測の事態に備えるため、可能な限り情報を頂けないだろうか」
それはきちんと伝わったようで、二体はそのサイズ差にも関わらず、しっかりと互いの顔を見合わせた。
「そうさな……。余から話すか?」
その提案をグラガナンは退けた。
話すつもりは無いという事かと諦めかけた私だったが、どうやら彼は自分の口から話すことに決めたようだった。
「あれは六百年程の昔、この大地に流れる魔力の流れを人為的に吸い上げ、頂点から噴出させる事を目的に作られた遺物だ。当時から霊峰と名立たかったアトラカナンに対して、如何なる思惑かは図りかねるが、アトラナンと名付けられた」
大地の魔力を吸い上げる? どうやら碌でも無い結果が待っていそうだな。
「事実そうなった。あれには人間が後になって呼んだ二つ名が有る。『悪夢の散水塔』だ。あれは大戦の原因の一つとなった遺物なのだ」
グラガナン=ガシャの語る所によると、ズヌバ打倒の後、各地に遺物と共に龍の英知が半端に残ってしまった事で人間は傲慢さを増していったのだという。
そこまでは以前にも聞いたことが有った話だった。
その後、人はその傲慢さが長じて、今の自分達にも龍と同じく大地の魔力の流れを操作する事が可能であると考えるようになり、その結果作られたのがあの天高く聳え立つ散水塔なのだった。
膨大な魔力を地下より吸い上げ地表に撒くことにより、その一帯の土地に肥沃さを齎す事を目的として建造された散水塔は、当初は確かにその思惑通りの性能を発揮した。
だが、歪められた大地の魔力は当然の様に別の場所に歪を生み出した。
その影響が露になるや否や、その不利益を被った地域、そして全くそれとは関係無く魔力が淀んだ地域までもが、豊かさを得た事に対する恨みや僻みによって文句を言い立て始めた。
それでもアトラナンは稼働し続けた。
豊かさを知った人は、それを手放すことなど出来はしなかったのだ。
結局、その原理を突き止めた他の人々もアトラナンの様な施設を創り出し始め、それは各地に存在するようになった。
「他にも生きている遺物として現存しているのか?」
その質問への返答は無かった。
シャール=シャラシャリーアも、流石に喋るつもりは無いらしい。
龍達にとっても、あれは存在自体を隠しておきたい遺物なのだろう。
そんな施設が各地で稼働を続け、遂に今私達がいる地域でその日が訪れたのだという。
歪が限界となって炸裂したのだ。
「パーマネトラの目の前に、現在は大瀑布と呼ばれる巨大な亀裂が存在するのはそのためだ。あれは大地の悲鳴の顕れなのだ」
そうなる前に止めたかったが、龍は人に手を出せず、そして人はそんな龍の事を軽んじていった。
それからは全てが歪んでいった。
吸い上げるべき魔力が乱れ、降り注ぐ魔力も穢れ、土地は汚染されていった。
魔物が蔓延り、木々は枯れ、作物は荒らされる。
施設を止めたところで全ては遅く、そこはもう人間の住める土地では無くなってしまった。
「事態を重く見た身共達は、影響が少ない範囲で担当の土地を変えなければならなかった。そして身共はこの山に居を移したわけだが」
それが最悪の結果を生んだ。
当然、グラガナン=ガシャや他の龍が悪いわけでは無い。
彼はアトラナンを封じる様に進言し、封印に必要となる力は、自らから流れる水と共に大地に溶け込ませた。
結局は当時の土地に最後まで残っていた人間の一人にそれが宿り、その女性こそが今の水の巫女姫の系譜としての初代なのだという。
本当ならば施設は破壊するのが望ましかったのだが、龍が直接それを行う、あるいは求めるのは人間に対する過干渉であると考えられたのだろう。
グラガナン=ガシャは最善を尽くした。今この土地がどうなっているか考えても、それは間違いない。
だが、彼がこの地に恩恵を与えれば与える程、グラガナン=ガシャが住んでいた元の土地の人間は激怒した。
自分達の土地に住む龍を奪われたと感じたのだ。
その考え自体が、龍が人の為だけに存在する生き物であると考えているような間違った認識から生じた物だったが、一度吹き出した感情というものは止める事が難しい。
更に、この事例はとんでもない事実の前例となってしまった。
人間の行動をもってして、龍の住処を変えることが出来るという前例である。
龍の住む土地。それは即ち極めて魔力の清浄な土地であるという事に他ならない。
龍を欲して人間は自らの住むべき大地を穢し始めた。
アトラナンのような施設は増え、それを嫌った人間はその施設を破壊した。
そして血は流れ、人間同士の間で憎しみが募り、乱れた魔力で土地は更に穢れる。
要因はこれだけでは無かったそうだが、そうやって積もりに積もった憎しみが引き金となって、遂に大戦と呼ばれる文明のレベルが下がってしまう程の人間同士の争いの火ぶたが切って落とされる事になったのだった。
「あれの存在を知る者は本当に少ないだろう。だが、国の重要文献などには当然それらの存在が残っているはずだ。ズヌバがそれを知る機会は無数に存在したのだろう」
私が話を聞いて思ったのは、何という悲しい歴史なのだろうという事だ。
前世では、これより酷い話はいくらでもあった。
それでも、私が争い合う歴史について知識を得るたびに思う事は同じだった。
あれは、今この時に確実に破壊せねばならない負の遺産だ。
人間が人間の手で清算しなければならない。
「最後に質問させて頂きますが、あの塔からばら撒けるというのは魔力だけですか?」
帰ってきたのは最悪の答えだった。
「龍の秘薬とやらが残っているのなら、その量にもよるが撒けるだろう。つまりは邪血をな。更に言うなら、塔が稼働した段階で土地の魔力は乱れ始める。あの一帯に魔物が生み出されるのも時間の問題だ」
私は彼の首を構成する岩を掴んでいた手を離すと地面に降りる。
肩に乗ったままのシャール=シャラシャリーアが慌てて私の頭を掴んできた。
「この台詞は何度目じゃ? 間に合わんぞ」
なら、言いたいことも分かるだろう?
「流石に今回は余には無理じゃ。じゃが、妙案が無くも無い」
そう言って彼女は小さな指をくいくいと動かし、上方でアトラナンを睨む龍を呼びつける。
「グラガナン。こうなっては様子を見に行くしかあるまい。この土地を担当するお主がな」
幼女はニヤリと笑う。
「その巨体じゃ、ちょっと重いだけのゴーレムが張り付いていたところで気付けまい。何しろお主はグレイプニルを掛けられた事にすら、直前まで気付けなかったのじゃからな」
グラガナン=ガシャは呆れたように溜息を吐くと、私をねめつけてきた。
「それは妙案では無く屁理屈と言うのだ。だが、そうだな、はあ、気付けないだろうな。前科があっては言い訳のしようも無いな」
その言葉を合図に、私は山の一部と見まごう彼の身体にしがみ付いた。
「余はここに残る。アダム。存分にやれよな」
彼女は手に持っていた、螺鈿の光沢を放つ鎖の輪をこちらに向かって投げ渡して来た。
その光景に、遺物の元々の持ち主であるカルハザール共和国の二人が小さく声を上げた
「これは駄目だろう。持って行きたいのは山々だが、一応カルハザールの遺物だからな」
「余が預かった物じゃ。余とは即ち、ミネリア王国の守護龍である。つまり、これは一時的にじゃがミネリア王国に属する遺物と言っても過言では無い。異論は無いな」
凄いな、完全論破だ。間違いない。
「ああそうだな。では、あれを瓦礫にしてくる」
そうして私は、世界最大規模のジェットコースターを、命綱無し、シートへの固定無しで楽しむことになった。
何が妙案だこら!!
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何れも土の下にいる作者に良く効きます