第七十五話 アトラナン起動
私達は相手の狙いがサーレインちゃんである事を確信すると、しっかりと彼女を守る配置を取ります。
ですが、強行突破して車に乗り込む選択肢が難しくなりました。
敵の能力が未知数な以上、撤退をしにくいこちらが不利かも知れません。
「皆さん、相手の狙いは私なのですよね。ここは私を引き渡して……」
「それ結局こっちを殺そうとするパターンだからダメ。ていうかダメ。とにかくダメ」
ゼラさんが有無を言わせぬ勢いでサーレインちゃんの発言を拒否します。
私も同感です。
こちらが警戒して何も行動を起こさないでいると、プレキマス導師の後ろに居た二人組は顔を見合わせます。
「この男では、ダメか」
「数の問題では」
「なるほど」
突然、進路を塞いでいた衛兵達が頭を押さえて苦しみ始めました。
同時に、プレキマス導師が激しく痙攣しながら泡を吹き始めます。
「水の巫女姫」
「さあ」
卑劣です。
サーレインちゃんの顔がみるみる青白くなっていきます。
「ライラ、視線を切らないように」
ナタリア先生は冷静に相手を見つめ続けています。
結果として包囲の人数が減ったため、もしもの時は、恐らく先生が全員を薙ぎ倒してでも突破を図るつもりでしょう。
「巫女姫」
「『聖浄化』を」
「さあ、そこからでもかまいません」
「力を」
罠です。
話に聞く限り、今までも彼女は『浄化』の魔法を何度も使ってきたはずです。
ですが、聖浄化という魔法は聞いたことが有りません。
相手の狙いがその魔法を使わせることにあるのは間違いありませんでした。
「サーレイン」
イーヴァさんが、私の記憶違いでなければ初めて彼女の名前を呼びます。
「おやめなさい」
私からは見えませんが、その言葉と共にサーレインちゃんは息を呑んだ気配がしました。
「嫌です。私は水の巫女姫。この街の人のために力を使う義務が有ります」
説得は無理かもしれません。彼女は、優しい人なので。
「うしろ~! ベルナがくる~! ガルナおきざり~!」
その声に即座に反応したロットが背後から強襲を掛けてきたベルナさんを迎撃します。
隊列が乱れ、ゼラさんが覆いかぶさるようにサーレインちゃんを守ります。
ベルナさんは、前方の人達の様に正気には見えません。
「あぐ、あ。に、逃げ……」
ですが、僅かに自分の意識というものが残っているようです。
隊列の崩れた私達に向かって、苦しみ悶えながら前方の人間達が歩を進めて来ます。
「ごめん。ベルナ」
ロットはベルナさん相手に手加減をしながら無力化するのは難しいと判断したのでしょう。
その意思を固めてしまいました。
この場に居る全員がそれを察知しました。
そう、サーレインちゃんも。
彼女は覆いかぶさるゼラさんを魔力を纏った状態で無理やりに押しのけると、立ち上がり大きく両手を広げました。
それを近くに居たゼラさんとイーヴァさんが止めるよりも早く、身に纏った魔力を大きく周囲に広げながら口を開けました。
それは、歌でした。
膨大な水の魔力を乗せた歌声が、辺り一面に響き渡ります。
瞬間、その声に呼応するかのように爆発的な魔力がサーレインちゃんからあふれ出しました。
それは石柱や石畳に伝播すると、幾何学的な模様を描きながら広がって行きます。
「成功です」
「成功しましたね。素晴らしい。これで起動します」
魔力の波動が私の体を貫きました。
それは私に不思議な感覚を齎します。
ひどく、怖い程綺麗な清流によって、身体の芯に至るまで隅々に洗い流されて行く様な感覚。
戦闘中であるというのに心が凪いで行きました。
歯を食いしばって戦意を保たせていると、私たちに迫ろうとしていた人達が全員苦しみ悶えています。
そして例外無く嘔吐し始めました。
「ーー邪血?」
リヨコちゃんの口から咄嗟に言葉が溢れます。その言葉で、私にもそれらの気配を感じ取ることが出来ました。
魔力の波動は広がり続け、遂には大聖堂全体に浸透して行く様でした。
一瞬の静寂の後、突如として地面全体が激しく振動し始めました。
地面の石畳が波打ちながら、一定の方向に向かって動いて行きます。
突然足元が動き始めたことで、私達はバランスを崩しそうになりながらも何とか持ち堪えました。
「我らが主人よ!」
「やりました! これで私達人間はさらなる高みにーー」
口から吐瀉物を零しながら、主犯格の二人は高らかに声を上げーー。
「どうりゃああああ!」
マールちゃんが運転する車に横から盛大に轢かれました。
大きな衝突音と共にその身体が宙に舞い、遠くに吹き飛ばされます
「早く乗るね!」
座席と荷台にはレストニアの亀お爺ちゃんやミレちゃん達が全員載っています。
彼等が伸ばした手に捕まり、私達は急いで車に飛び乗っていきます。
ゼラさんは膨大な魔力を消費して気絶したサーレインちゃんを抱えており、急いで彼女を車に乗せようとしています。
ロットもまた、目の前で倒れたベルナさんを車に乗せました。
「うしろ〜!」
その言葉にゼラさんは瞬時に反応して、右腕を鞭のように背後に向かって振り抜きました。
剥き出しの筋肉の様な触手がそれによって切断され、石畳の上で跳ねています。
全員がその根本を見ました。
触手は倒れ伏した首謀者と思わしき二人の身体から伸びています。
「キモい物向けてんじゃないわよ!」
触手はなおも向かって来ます。
それは、その場に倒れていた私達以外にも向かって行き、彼等の身体に突き刺さると何かを吸い上げて行きます。
筆舌に尽くし難い凄惨な光景が生まれていました。
正視するに絶えない光景ですが、目を逸らせば自分たちも同じ目に合うかもしれません。
激しく動く地面の上で必死に触手に対抗する私達ですが、その数は増える一方でした。
私達の中で唯一車に乗り込んでいないゼラさんが叫びます。
「先に行って! なーに、全力出せば余裕よ、余裕!」
ハンドルを握るマールちゃんはそれを聞いて、ですが躊躇しています。
横合いからナタリア先生がハンドルを握ります。
それを見たゼラさんが微笑むと、車は急発進しました。
「掴まりなさい!」
私達は必死になって互いに互いを掴み、同時に身体を車になんとか固定しながら遠くなって行くゼラさんを見つめます。
彼女の身体から煙が上がり、足元の石畳と共に着ていた服が溶けて行きます。
同時に彼女の身体の色が琥珀色に変化して行きました。
「ゼラさん!」
私の呼びかけに右手の親指を上に向けて応えたゼラさんの姿は、車が角を曲がったことで見えなくなりました。
「こうなっては最早門は封鎖されているはずね!」
トレトさんが叫びます。
大聖堂内は至る所で魔力の流れを示す線が幾何学模様を作り出していました。
「メルメル! 壁の向こうに人がいないのは何処!?」
運転を代わったナタリア先生の質問に、メルメルはページを壁に向かって飛ばします。
張り付いたページが壁をなぞる様に素早く進むと、ある一点で止まりました。
「ライラ!」
その呼びかけに私は自分がやるべきことを行います。
「石壁!」
示された地点を中心にして壁から車が余裕を持って通れる大きさの筒を形作る様に、可能な限り連続で魔法を発動させます。
全員が、自身が瞬時に使える攻撃魔法をメルメルのページ目掛けて発動させます。
壁に罅が生じます。
そのまま車は壁に向かって突撃すると、ものすごい衝撃と共にそれを突き抜けました。
ロットやジャレルさん、それにレンさんが車のフレームを掴みながら私達の上で瓦礫の盾となってくれました。
壁を抜けた先では、パーマネトラの住民や観光客の皆さんが突然現れた私たちに驚愕しつつも、殆どの人は皆上を指差しながら興奮状態にありました。
壁からかなりの距離を取り、ようやく後ろを振り向いた私の眼に彼等が見ているものと同じ光景が飛び込んできます。
「ああ、やはり、なんて事ね」
「老師! 何が起きているのですか?」
突き抜けて来た壁の内側、大聖堂全体がゆっくりと回転しながらその全長を伸ばして行きます。
尖塔がその高さを増し、中心の聖堂が階段状に更に上へ上へとその形を変貌させています。
「これが、悪夢の散水塔『アトラナン』なのね……」
トレトさんが呟いた、大聖堂と同じ名前のそれを聞きながら、私達は眼に前で巨大に聳え立っていくそれを見上げるばかりなのでした。