第五十四話 深夜の密会
ライラ達が大浴場でゼラの闖入に混乱していた頃、私はロットに別行動中の詳細を聞いていた。
そしてその後、大浴場での出来事を風呂上がりのナタリアから聞いた私は、正直なところ呆れかえってしまっていた。
確かに余人の入る余地が無い場所ではあるが、いくら何でも酷過ぎる。
しかしこちらに信用して貰う気が有るのか疑問に思えるほどだが、まずは向こうの言い分を聞く事も大事だろう。
それに一度二人きりで話したい事もある。
また正直な所ライラ達にこれ以上ゼラを近づけるのを避けたい気持ちもあった。
そして私は、大聖堂が静寂の帳に包まれるその日の深夜に、小さな噴水のある中庭で彼女と一対一で会う事にした。
今夜の月は満月に近い。
魔石灯の明かりが届かないこの場所であっても、互いの姿を見失うという事は無い。
また、私の知覚能力において、近くに潜んでいる人間を見落とす心配も無かった。
都市に持ち込んだ武装の中から幅広の長剣を一本持ち出し、左腰に取り付けた状態で私はゼラを待った。
ベンチはあったが、残念ながら座るには不十分なそれを尻目に、私は名前を知らない草花が茂る植え込みを眺めながら待ち続ける。
待ち合わせの時間から暫くすると、足音は一切しなかったが、ゼラがこちらに近づいて来るのが見えた。
エナメル質のローブが月光に照らされて、彼女により一層蠱惑的な印象を与えている。
「ごめんなさい。待った? 抜け出すのに手間取っちゃって」
「そうだな。今来たところだと返すべきかもだが、実際そこそこ待たされたよ」
私のその言葉に、ゼラは自らの体色と変わらない色の舌をぺろりと出す。だが、その行動とは裏腹にしっかりと申し訳なさは感じている様だった。
私は彼女にベンチに座る様に勧めたが、彼女はそれを固辞する。
私同様に、疲労などは一切しないとの事だったが、少なからずこちらへの気遣いが含まれているのだろう。
「お風呂場ではごめんなさいね。やましい気持ちはあったけど、あの話を切り出す場所が他に思いつかなくてね」
やましい気持ちあったんかい。
「それで、呼び出したって事は前向きに考えてくれるのかしら?」
フードを被ったまま、ゼラは探るような眼差しをこちらに向けた。
実際の所、ゼラの提案はこちらにとってそう悪い話でもない。
元々のこちらの目的は、パーマネトラの思惑なぞ関係ない所にある。こちらは会議で承認を得て、遺物を手に入れる事が出来ればそれで良いのだ。
独立だの、国内での地位向上だの、経済だの、そういった部分は全てノイズでしか無い。
そこれもこれも、ゼラという『勇者』がここに存在することが前提の話だった。
彼女がいなくなれば、パーマネトラ改革派が強気になっている要素が一つ減る。
そうすれば、必然的に現状維持を求める勢力が強まり、かつ両者共に国の意向を無視してまで意見を言うことは出来なくなるだろう。
その後は気勢が削げた大聖堂側の意見は無視する事が出来、純粋に四か国間で餅の奪い合いとなるだけだった。
ナタリアやリヨコの意見も概ね一致していた。
だからこそ、聞いておきたいことがあった。
「ゼラ、君は私の事を報告書で知っているようだ。だが、私は君のことを良く知らないままでいる」
私は植え込みを向いたまま、ゼラに話しかけた。
「私は君の話をもっと聞いてから、判断したいと思っている。良かったら君のことを教えてくれないか?」
その私の発言に、ゼラはフードの下にある表情を変えないままだ。無表情とも違うが、取り繕った仮面のような表情だった。
「……良いけれど、スリーサイズ何かは簡単に変えられちゃう身体だから無意味よ」
「確かに、私も同じようなものだ。少し前はマスコットのような小さな身体だったこともある。ゼラは生まれた時、どんな姿だったんだ?」
私は慎重に会話を試みた。そうすると、やがてゼラはぽつぽつと会話に応じてくれるようになった。
「初めの頃は多分、人の頭位の丸っこいゼリーだったわ。混乱しかなかったわね。それで同じ湖にいた魔物を我武者羅にやっつけていったら、最終的にはこの形になれるようになったのよ」
「それで、サーレインとはその頃に会ったのか」
「ええ、そう。そうよ。私、あの子に、会っちゃったのよ」
ゼラは最後の言葉を、噛み締めるような、後悔しているような面持ちで小さく繰り返した。
「ゼラは昔の記憶を私よりも多く覚えているようだが、辛くはないか? 私は、あまり良い思い出が無くてね」
「あの時はマウント取りに行っちゃったけど、そうね、私も嫌な思い出の方が多いかも。そういう意味ではアダムの方がましなのかもね」
「そうかもしれないな。だが、それでも記憶を持っているというのは、正直言って羨ましい気持ちもある」
そうかしら、とゼラは軽く頬を緩めた。
植え込みを眺める私の隣に、ゼラが並ぶ。
かなりの身長差があるため、頭部の視界からではゼラの表情が見えなくなった。
「アダムは、ライラでしょ?」
そして彼女の口から出たのは、知らない人間が聞いたら全く意味不明な問いかけだった。
だが、私達の間ではそれだけで充分伝わる言葉だった。
「やはり、分かるものなのか」
「ええ。何て言うか彼女に対する雰囲気が、そう、雰囲気が……優しい、お父さんみたいなんだもの」
その発言を聞いて、自分の心の中で笑みが浮かぶのが分かった。表情や態度には一切出ないはずだが、恐らくゼラには伝わっているだろう。
「そう、やっぱり娘さんなのね」
「ああ、そうだ。君は、サーレインの……そうだな、きっと『姉』だろう」
私の指摘に、ゼラは顔を上げて私の顔を見上げた。半分は驚いた様な、もう半分は気づかれているのを予想していたような顔だった。
ゼラは自分のフードを外し、透明な膜で覆われた粘性の液体の塊である自分の頭を、完全に露にした。
「分かっちゃう?」
「ああ、顔もそうだが、特に笑い方が似ているよ。そっくりだ」
ゼラは心底可笑しそうに、自分の口元を長い袖で覆った。そしてそんな自分の行動に気付くと、更に笑う。
「可笑しいわよね。丸っこい身体のままだったら、気付かれなかったかしら。でも、この姿になっちゃったのよね」
「そうだな。結局、私達はこの形になってしまうんだろうな」
そして私達は暫く二人で笑いあった。
何故だろうか。
私も不思議と可笑しな気持ちで一杯だった。
「私、あの子に初めて会った時、驚いたけど、それ以上に嬉しかったの。だって、一目見て気付けちゃったんだもの。顔は今の方が可愛くなっているけど、妹に本当に似ていたから」
ゼラは語り続けた。
今の顔は昔の自分の顔を模した物だが、サーレインは何も言わなかったため、初めの頃は自分の勘違いかと思っていたこと。
だが、傍で暮らすうちに、ふと自分の中の記憶と重なる場面が多く、次第に疑念は確信に変わって行ったこと。
しかし、何度か質問して確認してみた所、どうやらサーレインには自分と違って前世の記憶など全く何一つも残っていないこと。
それでも、彼女を前世の妹と同一視してしまう事をどうしてもやめられないこと。
「アダムは街の方で『龍泉の霊水』って見かけたことある?」
ロットから話だけは聞いていた。お土産品にしては実際に効力があるということだったが。
「あれを作らされてるのがサーレインなのよ。龍泉が笑わせるわよね。元はそこの河の水よ」
水の巫女姫の修行の実態とは、そういうことなのだという。力を持っているのは事実でも、今やそれは都市の観光業に大きく割かれている。
「私、戦うのなんて嫌よ。サーレインが禿共に仕事を押し付けられて、こんな場所で暮らしているのも嫌。お節介でしか無いのなんて分かってる。けれどどうしても、嫌なのよ」
感情論でしか無い話だった。
逃げてどうするというのか。
サーレインはどう考えているのか。
後先を考えていない、自分の感情だけを優先した話でしかなかった。
だが、それでようやく私は彼女を信じる事が出来るようになった。
何故なら、『人間』とはきっと何処まで行っても感情の生き物なのだろうから。
「ゼラは……強いな。私ならきっともっと早くに短慮を犯していたよ」
私は自分の顔なんて覚えていない。覚えていたとしても、ライラの前でそれを晒すことは絶対に出来ない確信があった。
「――同じ存在である君にだけは白状する。私は臆病で嘘つきな男だ。私だってライラの事を娘とは違う存在だと自分にずっと言い聞かせているが、心の底では未だに割り切れていない。君と違ってライラに前世の記憶を語って確かめる事もしていない。忘れられている事を認めるのが怖くて堪らないんだ」
息を吐く暇もなく、私は心情を吐露した。
ゼラはそんな私をじっと見つめている。
「そうだとしても、彼方は娘だけじゃなく皆のために戦ったわ。でも私には無理。戦って勝てる勝てないじゃない。私、強いわ。きっと大聖堂の人間をこの場で皆殺しにだって出来る。でも、無理。やりたくないの。私はあの子と一緒に今度こそ暮らしたいだけなの」
自分勝手すぎるわねと、彼女は呟き、フードを目深に被りなおした。
「誘拐も考えたけど、あの子本当に箱入りで、人の悪意なんて気にしない子で、この街が、暮らしている皆が大好きなんだって、そう言ったから……。アダム、私こそ臆病な女なの。どうしても、あの子にだけは嫌われたくないの」
そう言ってゼラは私から離れて行く。
その後ろ姿に私は声を掛けた。
「私もだ。ライラにだけは嫌われたくないな」
冗談めかして言った言葉に、ゼラは袖で口元を隠したようだった。
「父親ね」
「君は姉だな」
そしてゼラは振り向くと、私と彼女は向かい合った。
その瞳には懇願ではなく、決意の色が灯っている。
それを見た私は深く頷いた。
「約束する。君達は私が責任を持ってここから逃がす」
それを聞いたゼラが深々と頭を下げた。
そして頭を上げたその時、そこに現れた彼女の魅力的な表情を見て、私は未だ思い出せない妻の顔を必死に思い出そうとしていた。
妻よ、これは断じて浮気じゃないから。
「じゃあ契約成立ね。お礼にちゅーしてあげようか? ちょっと、冗談よ。」
そう言ってゼラは右手を差し出して来た。
私はそれを取ろうとし、籠手を嵌めたままな事に思い当たりそれを外して握手を行う。
果たして彼女の手は冷たいのだろうか、それとも暖かいのだろうか。そんなくだらない事をほんの少し思った。
「あっ! ちょっと! 砂みたいなの身体に混じっちゃった! もー。あれ? 体の一部が入る。これって実質セッーー」
妻よ。これは本当に浮気じゃ無いのです。信じて下さい。
やっぱり協力するのやめようかな。
ふふふ……手ックス!
ごめんなさい。