第五十三話 サービス回
水彩都市パーマネトラは水資源が特に豊富な都市である。
どれほど水が豊富かと言うと、一般各家庭にも風呂桶に湯を張るタイプの風呂場が置かれているのが珍しくないほどである。
元々水に関しては魔法が存在するためにそこまでシビアな世界ではない。
だが、それでも大規模な上水道を設ける事が難しいために、風呂と言えば蒸し風呂が基本とされていた。
それを踏まえて考えれば、如何にパーマネトラが水を文字通り湯水のごとく使用しているのかが分かろう物である。
そしてアダム達が逗留している大聖堂にも、それは存在した。
男性用と女性用に分かれたそれは、日本における大浴場に極めて近い構造をしており、大聖堂建立の時期を鑑みても間違いなく異世界文化の影響が感じられる施設であった。
なぜ今その話をするのかと言うと、都市での調査を終え大聖堂に戻って来たライラ達が、今まさにその大浴場で一日の疲れを癒しているからに他ならなかったからだった。
「あ~しみる~」
「メルメル。防水カバー付けた耳が湯船に浮いてる~。面白~い」
彼女達が使用している浴場は、来客のために用意された大浴場の内の一つであった。そのため、大聖堂に住み込みで働く他の職員とは鉢合わせになることは無い。
これを贅沢と見るか、気遣いと見るかは人それぞれだろうが、今回に限って言えばライラ達にとってありがたいのが事実であった。
「リヨコちゃん、今日はアダムさんとお仕事お疲れ様。次は一緒に街に行こうね」
ライラが湯船の端に身体を預けながら、髪を洗うリヨコに声を掛ける。リヨコは一度髪に付いた洗浄液の泡を洗い流すと簡単に髪を絞りながらそれに応える。
「――いえ、アダムさんと二人きりというのは初めてでしたが、中々興味深い経験でした。――色々と配慮をして頂いて、実年齢が私の父よりも上であるというのも頷けます」
その言葉に首まで湯船に浸かっていたメルメルも同意を返す。
「まえから~アダムはずっとおとな~。わたしたちを~きづかってくれてる~」
彼女の頭には耳カバーが付いた入浴用のヘアキャップが被さっていた。その湯船に大きな耳が浮かんだ姿は、ライラが指摘した様にかなりシュールな光景を生み出していた。
身体を洗い終わったマールメアが、年齢の割には幼い身体を隠すことなく湯船に向かって歩いて来る。その桃色の癖毛は湯船に入らない様にタオルで纏め上げられていた。
「そうですね。あの人は魔窟の第三層に居た時からずっと、やりすぎなくらいに私達に配慮していましたから。私も含めて研究員はすぐに打ち解けてしまいましたし。なんというか、傍にいて下さると安心出来ます」
そのままマールメアは湯船に入ると、その身を軽く振るわせながら息を吐いた。
「マールメア、皆もちゃんと身体は洗った?」
大浴場という物が初めての人物もいたことで、予めゼラ達から使用するにあたっての注意点を聞いていたナタリアが他の女性陣に声を掛ける。
彼女は洗い場の椅子に腰かけ、小さなタオルで自分の身体の前を隠していたが、泡の流し忘れが無い事を確認すると器用にその長い髪を纏め、身体を隠していたタオルでマールメア同様にそれを留めた。
普段は眼鏡を掛けている彼女も、風呂場では湯気のためにそれを外している。
近視である彼女は、それによって覚束なくなった視界をゆっくりとした歩みで動いた。
歩くたびに揺れる豊満な女性の部分を認めたライラが、自分のそれと比べ憮然とした表情を浮かべる。
リヨコもまた、ちらりと横目でそれを確認すると、一切の感情を表に出さないという感情をその無表情で表現した。
マールメアとメルメルは特に気にもせず、二人とも湯船浮かぶ生首と化している。
「アダムがいてくれて、本当に助かってるわ。私一人じゃ、貴方たち全員の面倒は見切れないもの」
気安い間柄だからこそ言える軽口を言うナタリアに対して、他の女性陣も心の中で、彼女に対して運転面に関して同様の意見を返しながら視線を向けた。しかし当の本人は気付く気配すらなかった。
「そう言えば今日一緒に街を回って、ロットが凄く大人しかったですけど、何かあったんでしょうか」
ライラの言葉に、ナタリアはアダムが特に彼に対して言付を行っていたのを思い出す。
彼は、誰かに何かを忠告する時は、極力人前で行うのを避ける振る舞いをしていた。ナタリアがそれを見かけたのも偶然だった。
ロットに対して、彼の槍とメルメルの本を狙う人物が近づいてくるかもしれない旨と、自分がいない間男手として女性達をしっかり守る様に言い含めていたアダムは、また彼に一人の男性としての信頼を預ける言葉を送っていた。
初めは、初対面の行動に起因する敵愾心を持っていたロットだったが、今ではすっかりアダムに対してグレース達に向けるような尊敬の念を抱いている様だった。
それでもまだ、素直になれない部分がどうしてかあるようだったが、その理由については未だにナタリアは今一つ掴めていない次第だった。
「ロットも成長したという事よ。勿論、貴方たちもね。さっき言った通り、まだまだだけど」
「ちえ~。ぶくぶく……」
会話を続けていると、湯船に入る準備を終えたリヨコがいよいよ湯船につかり、湯が与える感覚にその身を委ねながら両目をゆっくりと閉じた。
「リヨコちゃんの実家にも大きなお風呂があるんでしょ? いいなー」
「――はい。――ですが、ここまでの大きさではありません。――残念ながら、リョーコ・ブロンスが探し求めたという『温泉』については、ミネリア王国内には確認できていませんし……」
「おふろ~いいな~」
全員が湯船につかり、それを満喫していたが、少しすると今日あった出来事の共有に話は移っていった。
「それで、リヨコ。大聖堂側は何か独自に要求がありそうなの?」
「――はいナタリア教官。――ですが、大聖堂側は予想されていた通り一枚岩ではありません。――導師達四人の派閥ごとに異なる思惑が有り、完全には纏め切れていないようです」
「まちでも~いろんないけんがあった~。かげきなのだと~どくりつとか~」
「そうそう、あの土産物屋のおじさん。シャール=シャラシャリーア様を王都びいきの龍だとかなんとか。王都在住の身としてはあの御方がそんな方ではない事が分かるのですが、やはり距離の問題が大きいようですね」
マールメアが自分の肩に手を添えながら捕捉を行う。
街で得た話を纏めていく内に、パーマネトラには大きな考え方として二つの勢力がある事が確認できた。
一つは現状維持派。
特に現状に不満を持っていない多くの人間はこれにあたり、寧ろ変化を嫌ってすらいる。争いを望まないというよりも、争い自体を他人事として捉えている節が見受けられるというのが、ナタリアの言だった。
そして二つ目が改革派。
古くから都市に住む住民に多い考え方で、王国の一都市に過ぎない現状を不服としている人物の多くは、積極的に行動を起こすつもりは無くとも、潜在的にこの勢力だと考えても良さそうだった。
そして最も重要なのが、都市の人間は誰もゼラの存在を全く知らないという点だった。
ライラは、自分の地元であるバイストマにおけるアダムの在り様を例に出して話す。
「バイストマの場合は、戦車に対して街を守ったというのが大きいのでしょうけど、アダムさんが本当にしっかりしてる人ですから、街の皆もあの人を信頼してくれています。でもこの街ではそういうのが無いにしろ、ゼラさんの話は一切無いんです」
「まちにまものは~ふつうは~ぱにっく~。アダムがとくべつすぎ~?」
「――そうですね。――知らせないのが普通でしょう。――ですが、街の人間と大聖堂側で情報の共有がなされていないというのは確かなようです……え?」
話の途中、突然リヨコが怪訝な顔を浮かべる。
そしてそのまま湯船の隅に顔を向けると、突如として視線の先のお湯がまるで生き物の様に盛り上がった。
「誰!」
ナタリアがそれに向かって人差し指を向ける。指先には瞬間的に魔力が凝縮し、魔法の形を取った。
「ちょっと、タンマ! タンマ! 私! ごめんごめん!」
透明な水の塊が色を持つ。
果たして現れたのは豊かな肢体の輪郭を露にしたゼラだった。
「ゼラ! 彼方どういうつもり!?」
魔法を解除せず、ナタリアは油断なくゼラを見据える。
「ちょっと話を聞いてから脅かそうと思っただけよ! そしたら凄い真面目な話してるから出るに出られなくなっちゃって! マジでごめんなさい!」
「お~ゼラ~のぞきは~はんざい~」
「水中からの景色は最高でした。ちょっと! ごめんなさい! 撃たないで!」
愚かな行為ではあったが害意が無い事を判断したナタリアはその指先の魔力を収める。
彼女がそのつもりなら、この場にいる全員を害することは極めて容易だったからだ。
ナタリアはアダムと同類である彼女の事を過小評価する事はしていなかった。
この場にいる全員が一斉に正面から戦っても、恐らくゼラは勝利出来るだけの実力を秘めているだろう事が、ナタリアには経験則から理解出来ていた。
「ゼラさん。どうしてこんなことをしたんですか?」
「ん~。ぶっちゃけるとスパイなんだけど、スパイって分かる? えーと、諜報。諜報活動の一環なんだけどね」
ライラの質問に対するその言葉に、彼女達が色めき立つのを感じたゼラは慌てて弁明を続けた。
「禿げ頭四人衆のためじゃないわ。私が気にしてるのはサーレインだけ。皆サーレインとは仲良くしてくれそうだから、ちょっと様子を確認したかったのよ」
サーレインの敵か味方か、そういう事だとライラ達は理解したが、それとこれとは話が違っていた。
「ゼラ。これは信用の問題よ。こんなことをして、それを信じられると思う?」
「ナタリア、そう怖い顔しないでよ。大きいおっぱいが台無しよ。ちょっと! 指やめて! 取引しましょう!」
両手を前に出して嫌々の手振りを行いながら、ゼラは場が落ち着くのを待って話を続けた。
「もし、あなた達がサーレインの味方になってくれるなら、私が集めて来た情報を全部あげる。あの子には味方が本当に少ないの。だからこれは取引の提案というかお願いかも。私はサーレインの味方がどうしても欲しいのよ」
必死に訴えるゼラの姿に、ライラは初めて会った時のアダムの様子を思い出していた。
彼ほどの信頼を会ったばかりのスライムに向ける事は出来ないだろうが、アダムを知っているが故、他の女性陣もゼラに対して多少なりとも話を聞く姿勢が備わっていた。
「私はどうしてもサーレインを、あの子をここから逃がしてあげたいの」
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何れも土の下にいる作者に良く効きます