第五〇話 談話室での楽しいお話し
談話室というから、私の頭の中ではソファーが沢山ある部屋を想像していたが、実際に部屋に辿り着いてみると、幾分か質素に感じられる調度品が並ぶ部屋に机と椅子が置いてあるだけの場所であった。
石造りの建物の内装として、大きな窓にレースカーテンが備え付けられており、それが外からの光を程よく室内に満たしていた。
明かりとして、壁に架けられたランプも設えてあるのだが、今はその用を為していない。
だがそんな室内も、目の前の少女の前では途端に謁見の間に早変わりだ。
私達の入室に気付き、窓の外を眺めていた少女が振り返る。
彼女は修道服ともまた違う、帯で留めているだけの簡素な貫頭衣の上から、それと不釣り合いな布を首から掛けていた
こちらを認めると、ふわりと微笑みを投げかけてくる長い水色の髪の少女は、形の整ったその唇から音を発する。
「王国中央からお越しいただいた皆様、この度は私の我儘を聞いて下さりまして、誠にありがとうございます。私が今代の水の巫女姫を務めさせていただいております、サーレイン・ボイボスティアと申します」
両手を軽く体の前で合わせた姿勢で、少女は名前を名乗る。
それを合図に、それぞれこちら側も自己紹介を始めた。
その後席に着いた我々と対面になる様にサーレイン達も移動する。ゼラとイーヴァさんは椅子に座ることなく、サーレインの後ろ側両端にそれぞれ立っている。
因みに私も席に座ることはしていない。
向こうに合わせたのでは無く、椅子の耐久面を考慮してのことだ。静謐なこの場の空気の中で、突然座ろうとした椅子を破壊して尻持ちをついたら、その空気が間違いなく死ぬ。ゼラの爆笑する姿が、短い付き合いだというのに目に浮かぶようだ。
よって、サーレインと正対しているのはナタリアであった。彼女との会話もナタリアに基本任せることにする。
会話は互いに簡単な社交辞令から始まり、途中イーヴァさんがお茶などを用意して下さった。色が茶色な所を見ると麦茶に近いのかもしれない。
まずサーレインが口を付ける。それを見たナタリア達も一旦お茶で口を潤した。
「サーレイン様、本日はどの様なご用件でしょうか」
そして二言三言と他愛も無い会話をした後、ナタリアが切り出した。
「用件……すみませんナタリア様。今回の事は、ええ、本当にただ私が皆様にお会いしたかっただけの事なのです」
その発言をどう捉えればよいのか、ナタリアは考えている様だった。
「私は皆さまも知っての通り、自由に街に出る事も敵わぬ身ですから。こうして大聖堂にいらっしゃった方々のお話を聞くのが趣味なのです。最近はイーヴァだけでなくゼラが私に付いてくれているので、余り退屈という訳でもなかったのですが」
ほんの少しだけ、その頬に赤色を挿しながら少女は語った。
「最近は『異世界』についての話をよく聞いております。それで、アダム様。貴方もゼラと同じく異世界の人間としての意識があると聞き及んでおります。もしよろしければ何かお話を聞かせていただけないでしょうか?」
正直に言って、目の前の少女にそこまでサービスするのは気が乗らない話だった。
会議に向けてまだまだやらねばならない事は沢山ある。時間は有限だった。
私に、余り人に聞かせるほどの前世の記憶が無いという事もあった。
だが、ここで否を突き付ける意味も無い。打算的で好ましくは無いが、ゼラが明らかにサーレインを気にしている以上、彼女との仲は深めておくに越したことはないはずだった。
「サーレイン様、申し訳ありませんが私には人に話せるほどの異世界での記憶が残っていないのです。個人的な記憶の多くはあまりに断片的で、私は人間だった頃の顔や名前も思い出せていないのです」
その私の発言にサーレインは驚いている様だった。
「まあ……! ゼラとは大分違うのですね。彼女は自分の顔は覚えているようです。今の顔も人間だった時の顔そのままなのだとか」
突然かなり重要そうな情報が飛び込んで来た。私達は思わずゼラに顔を向ける。
「いやん。急に皆して私の顔を見つめないでよ。言っておくけど、これマジで私の顔だから。化粧した後の私の顔。男共、化粧してたら素顔じゃないとか抜かしたら、この世界の人間半分敵に回すからね」
怖いよ。
少女衆はあまり反応を示していないが、ナタリアとマールメアが静かに頷いているのも怖い。
まあ、ゼラの表情は余りにも自然だからそこは疑っていない。
ゼラに他に覚えている事について話を聞こうとしたが、その前にサーレインから私の名前の由来についての質問が飛んできたため断念した。
因みにこれにはライラ達も食いついてきた。そういえばはっきり言った事は無かった。
にやつくゼラを無視しながら、私は簡単に由来を説明する。
「アダムさん達は、確か昔の勇者さん達もそうでしたけど、名前に意味を込めるんですね」
ライラが口をぽけっと開けながらそんな発言をする。
何やら聞き捨てならない話にシフトしてきたぞ。
「――私達は生まれてきた子供に名前を付ける際、その子を『どんな音で呼びたいか』という判断基準で名付けます。――これは龍の方々のそれと同じ決め方で、一説によれば彼らにあやかって成立した文化だとか」
そして、固有の名前を持つのは、言語を持つ人と龍だけなのだとか。
私達が奇妙と呼ばれる理由の一端が明かされたな。
「そう言えば、ゼラからもその名前の由来を聞いたのですが、私には良く分からなかったのです。どうやら二人とも同じ異世界に住んでいたようですから、もしかしたらアダムさんなら理解できますか?」
サーレインが期待を込めた眼差しでこちらを見つめる。
いや、ゼラ、ゼラだけでは難しいな。
「ゼラが言うには、自分には『チン』が無いから『ゼラ』なのだとか。分かりますか?」
お茶を飲める身体だったら噴き出していたところだ。
恐ろしい事に現地民の皆様には今の下ネタが通じていないようで、皆首をかしげている。
ロットにも通じていない辺り、翻訳関係で問題があるのかも知れない。
おい神! 翻訳機能バグってないか!?
恐らくはアメリカンジョークを日本語訳出来ていない吹替映画みたいになっているんだろうな。
「分かりましたが、教えられません。取り敢えず、ゼラはイーヴァさんに殴られろ」
「も、も、も、もしかして……えっちなやつですか……?」
サーレインよ、ワクワクしているところ悪いが、小学生レベルの下ネタでしかない。
「いいえ、凄くバカなやつです」
「ゼラ、こっちに頭向けい」
イーヴァさんが拳を固めながらゼラを手招きする。
「はあー!? 違う違う! ちょっとアダム! ちゃんと説明してあげてよ! 皆にも分かるようにさー! 名前を聞かれた一瞬で考えたにしてはかなり良い線いってると思うんだけど!」
この女、マジに良い性格し過ぎだ。
結局私は詳細については口を割らなかった。子供の考えるような下品なギャグであることは伝えたが。
「そう言えば、ゼラとアダム様のお歳は、実際の所おいくつなのでしょうか? ゼラは十七歳と八十四か月とのことでしたが……異世界では変わった歳の数え方をするのですね」
サーレインの後ろで婆さんに殴られているゼラは、どうやら二十四歳だったらしい。
ゼラの奴、誤った知識を伝来させ過ぎだ。ある意味間違っていないが。
「それは一年を十二か月で計算して下さい。そうですね、私は……恐らくは四十代後半か……まあその辺りではないかと」
復活しつつある断片的な記憶から推察するに、私は恐らくアラフィフだ。
いいオッサンという訳だ。
断じてお爺ちゃんではない。
こうして歳をとったと自覚してから思うのは、人間いつだって心は若いままという事実だ。
子供の頃、地域の青年団の人達を見て、一体どこが青年なのかと思っていた時期もあったが、年を取って理解した。彼らは間違いなく青年団だ。
私だって、今はゴーレムだし、身体は老化と無縁になった訳だから、実質若者判定でもいいのではないかと最近思うようになった。
「マジ!? アダム、アラフィフ!? あ! 私分かった! アダムが記憶飛んでるの、歳の所為でしょ! だって私の方が自分の顔とか色んな事覚えてるもの! ウェーイ! アダム、アラフィフウェーイ!」
この女、イーヴァさんに殴られた事根に持ってやがる。
どうせスライムだからダメージなんぞ皆無だろうに。
ライラ、皆も、こんなスライム娘の言う事なんか真に受けては駄目だぞ。
「え~それ~。ありえる~かも~。うぷぷぷぷ」
「そうね、比較対象が少ないとはいえ、一つの仮説として考察の余地はありそうね。……っふふ!」
「アダムはオッサンなのは分かってたけど、そうか、なるほどな!」
「アダムさんゴーレムで……ですから、あ、あまり気にしない方が、あ、ちょっとすいません」
「――ぐっ! ――くっ!」
どうした皆? 地震かな? 急に震えだしたりして。
なあライラ?
――チクショウ! デカい地震だなおい!
机の上のお茶の表面が特に揺れていないのは見なかったことにした。