第四十六話 霊峰と大瀑布と水彩都市
水彩都市パーマネトラはミネリア王国最東端に位置する都市である。
他の国との境には、守護龍シャール=シャラシャリーアと同じく龍である、山抱龍グラガナン=ガシャが住む霊峰が存在しているという。
既に遠目に見えている山脈を指して、皆から説明を受けた私はその威容に圧倒されていた。
前世で富士山は見たことがあったが、これはまた格別の風景だった。
不自然なほどジグザグに切り取られた稜線が続く山脈は、しかしその山肌を覆う強烈な草木の色によって命の気配を濃密に漂わせている。
人の手が入っていない原生林によって彩られた山々は、自然が造り出した芸術品そのものだった。
その中で、唯一草木の姿が見えない突出部が存在した。
捻じれたような形のその岩山は、山脈の中で最も高く、直観的にあそこが龍の住処なのだと理解できた。
「あの山脈一帯を指して、『霊峰アトラカナン』と呼びます。グラガナン=ガシャ様はあの霊峰から世界を見回しておられるそうです。それ故に、霊峰は全てが禁足地に指定されています」
やはりナタリアは運転させていない方がずっと良いな。きちんと教師面しててくれ。
今はリヨコが運転している。隣に座るライラがしきりにはしゃいでいるのを、ちょっと迷惑そうにしながらもはにかんで対応していた。
「禁足地か。シャール=シャラシャリーアとはやはり違うな」
「あの御方はそういう御方ですので。ですが、グラガナン=ガシャ様も随分人間寄りの龍ですよ」
そう言ってナタリアが指さす先を眺める。
何かをなぞるかのように山肌を下っていく指先の先には山の麓の湖があった。
「霊峰から流れ出る霊水の溜まる湖の立ち入りや利用は禁止されていません。街の一部として塀で囲むことは出来ませんが、霊峰近辺では魔物が現れる余地がありませんから同じことですね」
シャール=シャラシャリーアがやりすぎなだけか。
「あー! 見えました! ロット! メルメル! あれ!」
助手席から興奮して立ち上がったライラが叫ぶ。危ないから座りなさい。シートベルトの概念は、次回の作成までにはちゃんと持ち込まないとな。
二人も立つな立つな。リヨコを信用するのは分かるが危ない。
とは言ったものの、私もライラが興奮するのに共感できた。
目の前に見えてきた光景は中々凄い。
先ほどの湖から程離れた位置で、突如として大地が大きく、そして長く、切り取られた様に落ち窪んでいた。
霊峰から流れる河川がその切り取られた崖に向かって流れ、大瀑布となっている。
そのまま崖下を南に流れていく大河の対岸に、拡張を重ねたことを示す三重の壁を持つ都市が見えた。
中心に尖塔を持つ大きな建物が存在するその都市は、大瀑布によって掛かる大きな虹を背にそこに存在していた。
あれが、水彩都市パーマネトラか。
「因みにあの滝の水も霊水とやらか」
「そうですが、霊峰から距離があるのと、滝になっているため空気中に魔力が拡散してしまっています。崖下の河川は、普通の水と殆ど変わらないという結果が出ています」
だが、人が住むには充分過ぎる程に魔力が清浄な土地という訳か。
それにしても美しい景色だ。
ライラが言っていた人生で見るべき百景というのも、あながち間違いでは無かったな。
運転しているリヨコも、その表情を緩めている。
運転していない組の興奮具合は推して知るべきだった。
マールメアも、普段はゴーレム分野以外ではあまり見せない満面の笑みだ。
この二週間、長いようでいて短かったな。
帰りもあることを忘れてはいないが、それよりもまずは目の前の仕事からだ。
あの荘厳美麗な都市で一体どんな会議を行うのやら。
私は視線を街の中心にある最も高い建物に向けた。
ゴシック建築の教会に似ているそれを眺めていると、ふと誰かと目が合ったような気がした。
「アダムさん? どうかしましたか?」
「いや、ゼブル爺さんにお土産買って行かないとなと思ってね」
「もー。気が早いですよ! 因みに銘菓霊水饅頭は日持ちがしないそうなので、お爺ちゃんには食べた事内緒にしておいてください」
気が早いのは君の方だ。
シャール=シャラシャリーアに贈る袖の下を選ぶ際、ライラに味見をお願いしてきたのだが、その所為か最近食い気が増してきている気がする。
あの幼女龍の呪いかなんかではあるまいな。
私とゼブルが甘やかし過ぎという意見は認めない。
「『木刀』かお~。りょこうしたら~かうのが~せおり~」
「メルメル、また勇者の何とやらかよ。あれ? でもリヨコん家も確か木刀作ってたよな?」
「――ロット、残念ながら勇者の血を引く家としてあれは義務なので……。――しかし我が家の木刀はパーマネトラのような観光地の土産物とは一線を画しております。――実戦にも耐えうるように、職人の手によって一本一本手作りで作られ――」
色々と良いたい事が脳内に噴出して来たが、言わないことにした。
何はともあれ、ようやく到着だ。
一体何が待ち構えているのやら。
*********
水彩都市パーマネトラ。
その中心に位置する大聖堂尖塔の吹き抜けとなった窓に、エナメルの質感を持つ白いローブを頭からすっぽりと被った女性が、だらしなく横たわっていた。
「あれ~。もしかして気づいた? 何か目が合ったかも。やばいわね、あいつ」
その蒼く透き通った右手の親指と人差し指で輪を作り、そこに張られた水の膜を覗いていた女性は独り言ちた。
そして、その指の輪を崩すと共に、張られていた膜もパチンと音を立てて消失した。
「ゼラ? ゼラ? ああ、やはりここに居ましたか。探しましたよ」
「あらー。サーレイン。ばあやを寄越せばいいのに、また態々こんな所にまで」
自分を呼ぶ声に窓から尖塔の中を覗き見れば、そこには飾り気の無い貫頭衣を身に纏う、水色の髪色をした少女の姿があった。
それを認めたゼラは音もなく窓から降りると、やはりまったく音もなく、地面に降り立った。
「ゼラ。街の様子はそんなに面白いですか?」
「山側は見飽きちゃったけど、反対側はもうちょっと見てても良いかもね。異世界ってやつは、面白いわ」
おどけた様子で口にするゼラの様子に、サーレインは自分の口を手で隠しながらくすくすと笑う。
「私はそんな貴女を見ていると飽きません。最近は毎日が楽しいです」
「あらもー。サーレイン。嬉しい事言ってくれるわ。でもそれは私が面白いんじゃなくて、あなたが禿を見飽きたせいよ。」
そんなゼラの発言に、サーレインはより一層笑った。
「やっぱ、似てるわー……笑い方とか同じなんだものねー」
「そんなに似ていますか? 『妹さん』に」
「激似。サーレインの方が可愛いけどね」
ゼラは事も無げにそう告げると、出口へと歩いて行く。
その足は裸足であったのだが、やはり足音はしなかった。
石畳の上に足跡すら残っていない。
「いつか、会ってみたいです。異世界のゼラの家族に」
そのサーレインの発言に、ゼラは一瞬だけその歩みを止める。
だが、すぐに何事も無かったかのようにその足を動かし始めた。
「会えたら、良かったんだけどねー」
「また異世界のお話聞かせてくださいね」
「ええ、勿論、良いわよ」
トコトコと早足で背後から自分に並んできた少女の屈託の無い笑みに、ゼラは自分もへらへらとした笑みを返す。
そうして彼女達は尖塔の外へ出て行った。
彼女達が去った後、出口近くの石畳の上には数歩分だけの濡れたような足跡が残っていた。
だがそれもやがて乾いて消えると、もう誰も、そこにそんな物があったことには気づかないのだった。
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何れも土の下にいる作者に良く効きます