第四十一話 エピローグ
「うおおおおお!!」
両刃剣を切りつめた片割れと片手剣の二刀流で、グレースは襲い来る魔物達を切り伏せ続ける。
魔物達は、既に見る影もない、入り口を囲っていた塀を超え、堀に落ちた他の魔物を踏みつけながら進み、その勢いは留まることを知らなかった。
「グレース隊長! 後一〇〇匹はぶった切ってください!」
即席の壁の向こうから小気味よい弓の音を連続させながら、無事に要救助者を助け合流していたフレンが叫ぶ。
「山猿! 後一〇〇〇匹は切れ!」
グレースの背中側に常に立つように立ち回るセルキウスが即座にそれに被せてきた。
カロワ山脈魔窟での攻防戦は膠着していた。
押すも引くも出来ていない。
流れてくる魔物の波を水際で留めている。
彼らは既に都合三度目の波を押し留める事に成功していたが、当然ながら疲労は蓄積していた。
だが魔物達はそんな彼らの都合など考慮しない。
「次が来るぞ。魔法斉射準備!」
次の一団が襲来することを告げる、地響きのような魔物の足音が鳴り響く。
「来るぞ! 構え! 放て……!?」
だが、その出口を求めて殺到した一団は、外に出て来ることは無かった。
瞬間的にすべての足音が途絶え、代わりに吐き出されてきたのは大量の光の粒子だった。
地面に転がる魔物の死体で原形を留めている物も、次々と同じ光の粒子に変わっていく。
「……終わった?」
誰かがそう呟く。
やがてその呟きは周囲に伝染して行った。
ボロボロの姿の冒険者達が歓声を上げる。
勝利の雄たけびが木霊する只中で、グレース達連合職員たちは荒い息を整えながらその様子を眺めていた。
グレース、フレン、セルキウスの三人はそれぞれに顔を見合わせる。
目を閉じたセルキウスが沈痛な面持ちで頷いた。
それを合図に、フレンはその場に腰を下ろす。
項垂れたままのその表情は、誰にも伺い知る事が出来なかった。
ただ、歯ぎしりの音だけが、彼の口元から小さく鳴り続けていた。
グレースは息を整えると、最後に天を仰ぎながら長い息を吐いた。
「アダム……」
その声は、光の粒子と共に舞う歓声の中、ただ静かに零れ、消えて行った。
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私は光の中に居た。
最後に覚えているのは、私がズヌバの宿った魔窟核に、ロットの槍の穂先を突き立てた場面だった。
眩しいと感じる事は無いが、私を包む光は濃密で、自分の手すら見えない。
いや、身体を感じる事自体が出来ない。
私に与えられた極光の舞台の中、全ては夢だったのではないかと思う程に現実感が無かった。
前を向いているのか、後ろを向いているのか、それすらも分からぬ光の中、それらは唐突に現れた。
現れたという表現は誤りかも知れない。
光の中、視覚的には何も変化は生まれていないのだから。
だが、私にはそこに三つの何かが現れたという事を把握出来ていた。
それらは、私にはその全容をまるで知覚することが出来ない程の存在感を発している。
そこに或る。
その事実だけを一方的に叩きつけられているような感覚だった。
なるほど。
いよいよをもって退場の時間らしい。
満足は、していないな。
だが納得は出来た。
こんな自分にやれる事を最大限、やり切れた。
もっと上手くやれたのかもしれないが、そうもいかないだろう。
結局姿形が変わっても、記憶が殆ど無くとも、私は私のまま、何も変わらなかったのだから。
何者かが頷く気配がする。
当たり前だが感謝はしない。ムカつくからな。お前らが何者だろうと感謝はしない。
ただ――もし、もう一度生まれ変われるなら、あの世界にしてくれ。
今度は昔の記憶が無くても構わない。
どうせやることは変わらない。
参考程度でいいから考えておいて欲しい。
言いたい事は、本当に笑える事に、死ぬ程あったが、それで勘弁してやった。
苦笑が伝わってくる。
何だ?
一つが、私の後ろを指差した気がした。
それでようやく自分の向きが分かった。
光の中、自分という輪郭が形作られる。
次の瞬間、急速に光が前方に流れていく。
違う。
私が後ろに引っ張られていく。
あっ、と思った時には、全ては闇の中だった。
……。
…………。
ダム……さ……。
ア……ムさん……。
「アダムさん!!!」
唐突に入った電源の様に、私の感覚が開かれた。
「アダムさん~!」
「アダム!」
コバルトブルーの空が見えた。
そこに彩られる橙色の髪を見た。
ウサギの耳をした少女と、赤色の髪の少年を見た。
まるで寝違えたように痺れる自分の腕を持ち上げ、それを見た。
そこには土くれの腕があった。
殆ど人間の形を保っていない私の身体を、沢山の人間が囲んでいる。
そんな私にライラ達は縋りついていた。
脱力して、持ち上げた腕を地面に落とす。
「アダムさん! 身体が維持できないんですね!? みんな魔力を分けてあげてください!」
「これ、ライラよ。その必要はないぞ」
その幼い声に、周囲の人間が顔を向け、驚愕と共に声の主に道を空けた。
シャール=シャラシャリーア。
幼女体じゃないか。
龍の姿で来られても困ったが。
「まあ、随分な様じゃな。勇者というのはどいつもこいつも無茶をしよる」
ズヌバはどうなった?
「いきなりそれか。ふむ、ここにいた『分体』は消し飛んだ。残念ながら本体は生きておろうが、ヒヒイロカネの穂先に貫かれては、そちらも無事では済まないじゃろう。痛み分けじゃな」
遺物には屠龍の力が込められている。
独り言が役に立ったよ。
「はて? 知らぬ。ほれ皆の者、早く戦果を伝えてはどうじゃ? ……それに、埋葬も必要じゃな」
そう言って彼女は寂しげに目を伏せた。
その言葉に私を囲んでいた人間達が行動を開始する。
一先ずの危機は去った。バイストマの住民もこれで大丈夫だ。早く安全な街の中に戻してあげたい。
「シャ、シャール=シャラシャリーア様。アダムさんと先ほどから何をお話ししているのですか?」
ライラが緊張でしどろもどろになりながらも質問する。
ついテレパシー会話のまま話を進めてしまっていた。
だが、残念ながら今の私ではこの方法しか採れない。
「おお、そうじゃな。アダム、横着せずにきちんと喋らんか。余が本当に独り言を言っているようではないか」
いや、だから
「それは出来ない相談だ」
そのやたらと低くて渋い声に、ライラ達が私を驚愕の表情で見つめる。
けれでも、一番驚いたのは私だろう。
声が、出た。
思わず喉に手をやる。
そこにはゼブル爺さんから貰った試作の発声装置が、奇跡的に無事な姿のままで埋まっていた。
だがこれは――。
「これは独り言じゃが、まあ、なんだ。お主をここに捨てる時に、ほんのちょっと力の加減を間違ったかもしれん。それで、偶然にも、余分に込めた力が、上手い事どうにかなって、そういう事も起きるのかもしれんな。じゃが、余は何も知らぬ」
そうか。
「ありがとう」
「知らぬと言うとるじゃろう」
ぷりぷりとしながら、目の前のお人好しの龍はそっぽを向いてしまった。
漏れ出るような笑い声が、自分の喉から発せられるのが分かる。
それにつられて、ライラ達の顔にも笑顔が生じた。
瓦礫ばかりの荒涼とした平原に笑い声が響いた。
ああ、本当に、笑える。
「そういえば、何故アダムさんは……魔窟核が別の場所の物だったのでしょうか?」
「それは~ない~。わたしたちがみたの~まちがいなく~あそこの~」
「あれだ! 気合いだろ!?」
それは、あれだ。
なんでだ?
全員でシャール=シャラシャリーアを見つめる。
その様子に、龍は呆れたように溜息を吐いた。
「確かに独り言じゃったが、余の言ったことを忘れるとは……。良く覚えておるのは戦いや武器に関する事だけか? これじゃから男子は……」
やれやれと、首を振られる。
流れ弾に当たったロットと共に、私達は図星を突かれ動揺する。
だって男は何歳になっても男子だから、仕方が無い。
ライラ達からもちょっと変な目で見られてしまう。
くそ! あれだ! 恐らく気合いだな!?
意図的に声には出さなかったものの、シャール=シャラシャリーアには伝わってしまっていたらしい。もう一度長い溜息を吐かれた。
「はあ……。本当にお主は……やはりお主は、本当に、愚かな――人間じゃな」
それだけ言って優しく微笑むと、彼女はその場を離れて行った。
そしてその言葉を聞いた三人は、笑顔のまま私に抱き着いてきた。
「知ってます!」
ライラがそう叫ぶ。
その言葉が届いたかは分からないが、遠く離れたシャール=シャラシャリーアは、その身体を光に包むと巨大な龍の姿となり、その場から飛び立っていった。
結晶を纏った龍が、晴れ渡った空を横切っていく。
軌跡が、白い雲となって白線を描いた。
土で汚れることも厭わず私に抱き着いていた三人は、それを見上げている。
そんな彼女らを眺めていた私は、ふと、自分が横たわる場所から少し離れた地面を見た。
綿毛に覆われた小さな白い花が、そこにはあった。
荒れた地面の上で、ひっそりと咲いている。
私はその花に見覚えがあった。
エーデルワイス。
だが、きっとそれは私の知っている花その物では無いのだろうと思った。
あれはもっと高地に咲く花だ。
でももしかしたら、込められた言葉は同じなのかもしれない。
吹き抜ける風に揺られる小さな花を見て、私は漠然とそう思った。
天に雲、地には花。
変わらぬものが、そこにはあった。
人は死ねばみな土に還る。
それが当然のことであるし、自然の摂理に沿った現象である。
結論から言えば私はその摂理に則り、死後、土くれと成った。
だが、まだ生きている。
そう。
――この世界で、生きていく。
了
皆様の応援のおかげで、なんとかここまで書ききることが出来ました。
本当に、ここまで読んでくださって誠にありがとうございます。
構成的には、第一部完、ということになりまして、一先ずの物語の区切りをつける
ことが出来ました。
これも皆様のおかげでございます。
この作品が望外に皆様の支持を頂けたことに感激しております。
続きの第二部の執筆について、本音を言えば書き始めるのが怖い気持ちもございますが
拙作を読んでくださった皆様のためにも、その気持ちを振り切って
皆さまと一緒に頑張らせて頂こうと存じます。
頂いた感想、評価、ブクマなど、全て作者の力となっております。
貴重なお時間を頂きまして、誠にありがとうございました。
もしよろしければ、今後もお付き合い頂ければ幸いです。
2020年6月23日 どといち