第三十六話 力の到来
ちょい長めです。
後、グロ注意かもです。
王都クリスタリアへの連絡がなされた頃、魔窟核を盗まれたカロワ山脈の魔窟は喧騒に包まれていた。
魔窟から魔物が溢れだしてくる『波』が起こる事が確定し、その対応に追われているためだ。
「バイストマへの冒険者ギルドには連絡がついたのか!?」
「避難勧告は出すことが出来ましたが、魔導戦車については向こうでも理解し切れていないようです!」
「兎に角、街の外へ全員逃げるように念を押しましたが、流石に現実的に考えて難しいと思われます……!」
セルキウスは次々に指示を出し、職員からの報告を受けている。
バイストマ側の状況は芳しく無かった。
魔窟側では、宿泊施設として用いられていた長屋が解体され、即席の防御壁として使用されているなど、今も着々と準備が進んでいた。
魔窟入り口を囲う塀の、唯一の出入り口である受付は撤去されていた。
また、現在は橋を渡してあるが、塀から出た先には深い堀が魔法で作成されつつあった。
魔窟内に取り残されていた隊員や冒険者達の撤退も完全ではないが進んでいる。
「セルキウス、早馬を出す必要がある」
「まだ休んでいろ山猿。お前には魔物の波を薙ぎ払ってもらわんと困るのだ」
ズヌバによって壁に叩きつけられていたグレースは、一見して回復している様に見えるが、セルキウスはそれがやせ我慢であると見抜いていた。
リヨコを幻惑しようとした『邪血』とやらの効果は、肉薄したグレースにも僅かに届いていたのだ。
抵抗力があったというリヨコが未だ倦怠感が抜けきらず、上手く動けないでいるところから察するに、グレースにも同様の症状はあるはずだった。
それをおくびにも出さない友人の姿に、セルキウスは呆れるやら、感心するやらといった面持ちだった
「今ここにいる我々がバイストマに出来ることは全てやり終えた。我々に出来る事は、目の前の波に対処する事だけだ。信じるしか無い。神ではなく、仲間をな」
リヨコから聞いた魔導戦車の性能を考えると、現在使用可能な移動方法では、どれを使おうともバイストマに戦車が到来するまでは間に合わない計算だった。
ブロンス伯爵家が封印していた機体は、元々がバイストマ侵攻中に何らかの理由で動きを止めた戦車の内の一機だったのだ。
自走させることが不可能だったため、その重量や大きさから遠く離れた位置に運搬するのが難しく、結局は近くの山側まで引っ張り、その山中に隠したのだという。
リヨコは明言しなかったが、その場所に詰めていた人物達は既に無事で無いだろうとセルキウス達も理解していた。
グレースは唇を噛み締めると、職員から手渡された水薬をあおった。
誰の事を考えているのか、セルキウスにも痛いほど理解できた。
勿論、彼もグレースも街の人間全員の命を心配をしている。
それでも彼らが人間である以上、親しい人間の事を優先して考えてしまうのは無理からぬことだった。
そしてその人間達は、街の人達のために危険から逃げ無い事も、二人とも痛感していた。
間違いなく街の人間のため、魔導戦車の足止めを行おうとするだろう。
同じ立場なら、グレース達も全く同じ事を考えるからだ。
やがて、もう何度目かの魔窟の階層が消えていくことを示す振動が、その場にいる全員に響いた。
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「緊急避難が発令されました! 住民の皆さんは慌てずに、荷物を持って街の外の森まで避難して下さい!」
冒険者ギルドに届けられた警告からほどなくして、バイストマでは街の自治体の主導により避難勧告がなされた。
強力な魔物の襲来が予想されるという名目で出されたそれは、街の人間を混乱の渦に陥れるには充分な物だった。
誰もが慌ただしく動き、街の外で必要となる食料などの物資確保の為、小競り合いが起きている光景も見られる。
そんな中、ライラ達の様な連合所属の人間は有志の冒険者達と共に、街の人間の避難が終わるまでの間必要となる防衛線構築についての説明を、冒険者ギルド内で受けていた。
「土魔法使いの皆さんは予想される進路上に可能な限り障害物や、防御壁の設置をお願いします。火魔法は遠距離からの制圧魔法射撃を、風魔法は広域への連絡、または住民の移動の補助を、そして水魔法の皆さんは治療と、街に向けた攻撃への防御膜をお願いします」
急ごしらえの防衛線では相手の都市到達を防ぐことが出来ないのは殆どの人間が理解していた。
だが、この世界の人間を魔物の脅威から守る事を組織の方針としている連合職員も、この街に大切な家族や友人がいる冒険者達も、時間稼ぎに過ぎないと分かっていてそれをやめようとする者はいなかった。
「ライラ、メルメル、今回俺はお前たちの壁にもならねえ。最悪お前達は俺が的になっている間に、這ってでも逃げろ」
魔導戦車という存在について、曲がりなりにもエリートとして教育を受けていたロットは、自分が逆立ちしても勝てる相手ではないことを理解していたが故の発言だった。
「ロットがやられて~それでわたしたちが~いきのこるのは~む~り~」
「ロット、戦う前から諦めるなんて、とは言いません。私も分かってます。でも、必ず皆で生き残りましょう」
防衛のため各自行動を開始する中で、少年少女達は会話を行う。
彼女達に諦めの色は無かった。
ただ己の職責と信念のため、これから襲い来る魔物に可能な限り対処するだけだった。
それが如何に絶望的でも。
「ライラ……」
「お爺ちゃん! 早く逃げないと駄目じゃない!」
街の外へ向かおうとするライラ達を呼び止めたのはゼブルだった。
「何を言われても、私は……」
「分かっておる。分かっておる……。ライラよ、儂の様に魔法を戦いに使う事が不慣れな者が、この街には沢山おる。そういう者達に出来るだけ儂の方で声を掛けておいた」
その発言の意図するところが読めず、ライラは首をかしげる。
「教えたじゃろう。この街を囲む石壁は魔法で作られたと。じゃから、魔力を注ぐことで一時的にではあるがその性能や機能を高めることが出来る。出来る範囲で、皆には外に出るときに魔力を注いでもらうようにお願いしておる。それを可能な限り広めて欲しいともな」
真剣な眼差しで見つめる自分の祖父言葉に、ライラは深く頷いた。
「魔導戦車……儂も伊達に年を食っているわけでは無い。都市に来る戦車の目的が何がは見当が付いておる。じゃが、街を囲む石壁の機能を高めておけば、最悪突破され、街に入られても起爆するまでの時間が稼げる。壁からある程度は離れなければ、その機能が阻害されるからじゃ」
祖父もまた、時間を生み出そうとしていた。
戦っているのが、守ろうとしてくれているのが自分達だけだと考えていた事に、ライラ達はその時気づかされた。
ゼブルはライラを強く抱きしめると、最低限の荷物を持って、戦車の到達が予想される方角とは真逆の門へと向かう。
「必ず生きて儂の所へ……」
「私は生きて帰るよ。お爺ちゃん。約束する」
そしてライラ達は、それとは逆方向、即ちこれから死地となるであろう方角へと足を進めたのだった。
街の外では既に防御陣地の構築が始まっていた。
ライラ達は街の壁からほど近い位置に配置されていた。
ライラは魔法を駆使し、石壁や溝を作り出す。ロットもまた、土嚢を運び、他の人間の防塁となる陣地の構築に勤しんでいた。
メルメルは広域の『地図』と『魔物探査』を組み合わせて発動させることで、相手の接近を監視している。
やがて、陣地の構築が七割ほど完了した頃だった。
メルメルの持つ本のページ全体が唐突に赤く染まり、けたたましい警告音が周囲に鳴り響いた。
――WARNING。
英語で表示されたその言葉の意味を、読めずともメルメルは理解できた。
そしてそれは、物見台から風魔法で望遠を行っていた人物の一人が、猛烈な勢いで接近するそれを発見したのと同時だった。
「きた……!」
「魔導戦車発見! 繰り返します! 魔導戦車こちらに接近してきます!」
他の人物にも、立ち上る土煙によってその存在が認知された瞬間、一斉に様々な大きさの火球が目標に向けて投射された。
「撃て撃て! 撃ちまくれー!」
頭の上を飛び交う火球の熱が、戦場の熱気として一気にライラ達に襲い掛かった。
石壁の上から風魔法の援護を受けた矢や、魔導支援火器の光なども飛び交う。
傍から見れば、或る種美しい光景に見えたかもしれない。
だが、その目標となった存在は、その全てを無にしていた。
四本の脚を動かしながら、まるで生き物の様に進む金属の塊は、自らに向かう攻撃全てを、その身に受ける事すらせず猛進している。
「魔導障壁……!」
その戦車は、自分に魔法や矢などが当たる前に、透明な六角形のガラスを組み合わせたような曲面の障壁を展開していた。
その障壁に魔法が命中するも、威力が足りないためか、それとも障壁が強靭過ぎるためか、その全てが掻き消されてしまっている。
物理的な矢などは、その威力を完全に相殺されているのか、綺麗な形を保ったまま地面へと落ちていた。
戦車はそんな矢や魔法を小雨程にも気にせず、地面を踏み散らしながら進む。
やがて石壁が立ち並ぶ区画まで到達した戦車は、それに向かって突撃を仕掛ける。
勢いの付いたそれを、一瞬だけ止める事に成功した壁は、その代償として粉々に打ち砕かれ、その上を通る脚によって粉砕されていく。
その速度が落ちた僅かな隙を見計らって、前線に出ていた重装の冒険者がその脚に切りかかった。
だがその攻撃は、直前で障壁によって防がれる。
それによって体勢を崩した冒険者は、続く戦車の脚によってその重装ごと、弾き飛ばされ、踏み荒らされてしまった。
もう彼がそこにいたことを示す証拠は、土に混ざって分からなくなってしまった。
その光景に激昂した他の冒険者達も、様々な方法で攻撃を仕掛けていく。
多方面から攻撃を受ける事で、いくつかのそれが障壁の隙間を抜けて戦車本体へ僅かな傷を付けた。
その瞬間、戦車はその歩みを緩める。
攻撃が効いていると、彼らが笑みを見せた瞬間、四本の脚の側面がその装甲の一部を開いた。
そこには、一つの脚につき八つの小さなレンズが見て取れた。
だが、それを理解できたのは距離が離れている人間だけだった。
瞬間、レンズから感覚の短いパタパタとした音と共に、光線が連続して目標に向けて奔った。
魔力耐性の低い者は一撃で、そうで無い者もニ撃、三撃と喰らった本人も気づかぬ程の速度で襲い掛かる純魔力光に身体を突き抜かれ、得体の知れない物体になるまでそれは繰り返された。
その光景に、少なく無い者が嘔吐した。
「壁に身を隠せ!」
そう叫んだ男も次の瞬間にはバラバラにされていた。
人間がいる石壁をどのようにしてか判別している戦車は、ゆっくりと歩みを進めながら、その壁に向けて光線を連射する。
人間の身体とは違う分厚い石壁は、多少の時間それに耐えるが、やがてはその用を足さなくなる。
当然そこに隠れていた人間も、そうと呼ぶのが難しい物体に変わっていった。
「撤退! 撤退ー!」
誰かがそう叫んだ。
その指示を出せる立場の人間では無かったが、もしくはその存在は既にこの世にいないのかも知れなかったが、どちらにせよその指示は大方の人間の意見と合致していた。
ライラは地面に手を当てると、逃げてくる人間のために可能な限り『石壁』の魔法を発動させる。
後方にいる人間達も、その攻撃を可能な限り脚に集中させることでレンズを割ろうと試みていた。
威力はあるが、射程はごく短い事が、胃の中身を空にしていない人間には理解出来ていた。
後方に撤退しながらも、援護射撃と合わせて投擲などで攻撃を続けている者もいる。
「この~やろ~!!」
メルメルは自分のフードを荒々しく外す。そしてその手に持つページが猛烈に輝き出し、捲れ始めた。
輝き出したページは本から外れ、次々に宙に舞い始めた。
それらが一斉に戦車に向かって飛んで行く。
ページ達は、撤退中の人間に襲い掛かる光線と、その目標となった人間の間に滑り込むとそれを弾いた。
五発も受ければ光の粒子となって掻き消えてしまうが、それは貴重な時間を生み出し、多くの人間がライラの生み出した石壁の森の中に入ることが出来た。
光線を掻い潜ったページ達は戦車に張り付くと、その魔力回路を阻害し始めたが、効果は一瞬のことで瞬く間に形を崩していった。
「む、ぐ、ぐ、ぐうぐ」
分厚かった本がその厚みを失っていく中、戦車は自分に最も損害を与えている人物を割り出していた。
本体上部の左右が大きく開く。
そこから、二メートルほどの長い筒がせり出して来た。
そしてその先が、二本ともメルメルを向く。
張り付いたページからその動きを感知したメルメルは、咄嗟にページを自分の前に幾枚も張り合わせるように配置した。
その動きを見たライラも可能な限り石壁を生み出す。
ロットは携えていたスリングを捨てて、彼女達の前に躍り出た。
数秒の収束音の後、その暴威が放たれた。
二条の光はライラの石壁をバターの様に溶かしながら、正確にメルメルに向かって行く。
身体の中心を狙うとヤマを張っていたロットは、自分の槍に魔力を流すとその穂先を予想した照準に重ねていた。
それはメルメルに到着する前の二条の光の内一本を正確に捉えることに成功した。
穂先に当たった光線は、緋色の光を火花の様に散らすその金属を溶かす事は出来ず、ロットは光の圧力に全身の力を込めながら対抗していた。
残る一条の光も、即座に追加され続けるライラの石壁によって減衰され、メルメルの手元から飛び出し続けるページによって、彼女の目前で押し留められていた。
やがて照射が終わると、戦車は赤熱した砲身を本体に格納した。
なんとか死への一撃を防ぎ切った三人だったが、最早抵抗する力を殆ど失ってしまっていた。
ロットは玉のような汗を全身から流し続け、メルメルはその手に持つ本のページを全て使い切ってしまっている。
ライラは、限界まで魔法を使ったためか、目や鼻の血管が切れ、各々から血を流しながらへたり込んでいた。
戦車は自分に纏わり付くページが無くなると共に、周囲の人間から戦意が失われつつあるのを知ってか知らずかその歩みを速めた。
最早、戦車の進路上には戦う意思を持った人間は残っていなかった。
ロットは魔力を使い過ぎたせいで這う事すら困難になっている二人を、自身も限界を迎えた身体を無理やりに動かしながらその場から離れようと試みていた。
メルメルに照準を向けた戦車は、その進行方向も同様だったのだ。
頭のどこかで間に合わない事を理解しながらも、彼は最後まで諦めることをしなかった。
その脳裏に、アダムの姿が思い浮かぶ。
彼ならば、きっとあの時の様にライラを助けることが出来るのではないか。
なぜここに居るのが彼では無く自分なのか。
だがそれは甘えた考えだと、ロットは即座に否定した。
ここに居るのは、自分の過ちを許し、まるでグレース達の様に自分を見守ってくれたゴーレムではない。
自分しかいないのだ。
ロットは渾身の力を込め、二人を引きずり続ける。
身体の筋肉が断裂する悲鳴のような音と痛みを無視しながら、亀の様に歩んだ。
そして最後の力を振り絞って二人を放り投げた。
それで二人は戦車の進路から外れた。
だが、ロットは迫りくる戦車のその脚に轢かれるであろうことを、他ならぬ本人が自覚していた。
彼は限界を迎えた身体をそれでも必死に動かす。
だが、やがてその耳に、戦車が石壁を粉砕しながら間近まで接近している事実が、無慈悲な現実となって届いた。
その音に掻き消されてしまっているが、ロットには二人が彼の名を叫んでいるのが分かった。
最後の瞬間に目を閉じたくないとロットは思った。
自分の初恋の女性の顔を眺め続けていたかった。
そして間もなく戦車が、その意図は無しに彼を殺そうと迫った時だった。
ロットの背後で、何かが連続して地面に当たる音が聞こえた。
彼には見えなかったが、ライラとメルメル、他の逃げている人間の何人かにはそれが何なのか目視出来た。
拳大の魔石が、街の壁から戦車までを繋ぐ点線の様に一直線に地面にめり込んでいる。
それらが次の瞬間、一斉に『泥濘』の魔法を発動させた。
魔石が飛んできた方向を目で追った人間は、しかし次に投射された黒い塊にしか見えない存在の余りの速度に、今度はそれを目で追うことすら出来なかった。
ライラにもそれは見えなかった。
だが、確信があった。
突如吹きすさんだ強烈な突風がロットをライラ達の方へ吹き飛ばす。
その後泥濘の道に着弾したそれは、その勢いを殆ど減じぬまま、泥を撒き散らしながら滑る様に戦車へと突撃した。
轟音。
金属同士が激しい勢いでぶつかったにしても剣呑な爆音が、戦場に鳴り響く。
その衝撃に、脚の一本を大きく歪ませた戦車が、初めてたたらを踏むようにして後退した。
それは黒い物体も同じで、その身体の一部を剥落させながら斜めに弾かれ、戦車から大きく距離を開ける事になった。
「ア、ダ……ムさん……!」
黒い身体を泥に塗れさせたそれの名前を、ライラは辛うじて口にする。
ゴーレム。
落ちてきたそれは魔導戦車と同類であるはずの魔物。
だが、ライラには分かった。
心優しいあの人が。
頼もしい仲間が、やって来たのだと。
遅かったじゃないか……。