第三十一話 謁見と面会と甘く苦い香り
「もぐもぐ」
もうお分かりだろう。
まだ食ってる。
私達はあの後、タレで汚れた指を、私や周りの人間の衣類でさり気無く拭こうとする守護龍様と戦いを繰り広げたり、道行きで食べ物を催促する守護龍様に注意をしたり、実は、それで気に入って貰えたら売り上げが上がるのですなどといった裏話を聞いたりしながら王城へと連れ立って歩いて行った。
入城には更なる手続きが必要なはずだったのだが、守護龍様の
「あー、また上で待つのめんどいのー! 面倒じゃのー!」
という非常に喧しい独り言によって、明らかにそれが短縮されたのが分かった。
それで良いのか。
良いんだろうな。
守護龍様の後を追う我々は、彼女が本来の謁見予定場所だった水晶の塔の大広間では無く、自分が城に貰っている一室で謁見を行うつもりらしい事を知った。
もう既に謁見とは何なのかという疑問が生まれているのは、無視することにした。
辿り着いた先に待っていたのは。私が余裕をもって入ることの出来る程の巨大な扉だ。
それを、先を歩く幼女は事も無げに、勢いよく開けた。
広がっていたのは、豪奢な客間と寝室とが混然一体になっている印象の大部屋だった。
客間とは言ったが、ソファーとテーブルがあるからそう思えるだけで、現状、人を出迎えるという体を成していない荒れ方をしている。
一番奥には部屋の持ち主である幼女が百人乗っても大丈夫に思える大きさの天蓋付きベッドが置かれてり、部屋の主は迷うことなくそちらへと歩いて行った。
幼女はベッドサイドに用意されていたフルーツバスケットの中からマスカットの様な果物を手に取ると、房に付いたままのそれを皮ごと食べ始める。
そのままベッドに腰掛け、私達にも何処かに座る様に手で促すが、それは非常に困難な申し出だった。
私には、この姿のままで座れる強度の座面が無く、ナタリア他、城勤めで今回の謁見のために付き人として同行した者達は、物置の様になったソファーに座れる隙が無い。
「すまんすまん、これでいいじゃろう」
幼女が指を鳴らすと、小気味の良い氷が張る様な音と共に、青い水晶で出来た長椅子が部屋の床から生えるように現れた。
何をどうやったのかは全く分からないが、これは実に守護龍だ。
「さて、アダムよ。余が確かめたいことはもう済んだのじゃが、まだもう少しだけ話をしようではないか」
私と一体何の話をしようというのか、実はある程度の見当は付いていた。
「おー。勉強しているようじゃの。関心関心」
驚いた。
特に文章を表示させていた訳では無かったのだが、目の前の幼女に今、私が考えていることが伝わったように思えたからだ。
「余は龍ぞ。心の内など、まあ、言葉にしようとしていることぐらいは、読める」
得意げな顔を見せる幼女は、少しだけ顔を真面目な物に変えると話を続けた。
「お主が思っておる通り、異世界人であるお主がこの世界に現れた事には理由がある。これは恐らく『神の采配』じゃろう」
やはり。
そうすると、かなり不味い事態になっているのではないだろうか。
「シャール=シャラシャリーア様、発言をお許しください」
「良い良い、皆も好きに余に問うて来い」
「では、お言葉に甘えまして、その『神の采配』とは……?」
ナタリアが少し腰を浮かせて質問をする。
私と幼女だけの会話では、第三者からは向こうが一方的に話しているようにしか聞こえない。
必然的に他の人間からは理解できない部分が生まれるため、こういった質問は生まれて当然だった。
「嘗て、我々の中から禁を冒した存在が生まれた。そう、『ズヌバ』じゃ。同質の存在に堕ちる事が危惧されたため、我々龍は自ら戦う事を選ばず神に誓願したのだが、その結果として神は勇者を差配された。今回もそういう事なのじゃろう」
幼女は果物にまたかぶりつく。
「尤も、もう我々は誰も祈ることなどしておらんがな。……お主らも、結果を知っておろう。あれを退ける事は出来たが、それだけじゃった」
メルメルから聞いた昔話だ。
暴れまわるズヌバを倒すために龍は勇者に力を与えてそれを倒したが、その過程で生まれ、世界に広がった過剰な力はその後の人間世界を破壊してしまった。
「では……! アダムがその、異世界人? 勇者だったとして、もしや今の世に新たに禁を冒した龍が……!」
「おらん。我々は互いに監視をしておる。間違いなく新たに堕ちた龍はおらん」
幼女は食べ終わり、房だけのなった果物だった物を、籠に戻す。
「それは、今も昔も只の一匹だけじゃ」
その言葉の意味を理解して、部屋の中の人間達は皆息を呑んだ。
「奴が今どこにいるのかはまだ分からん。じゃが、アダムを見て確信した。如何様にしてかは分からんが、奴は生きて、この世に戻って来ておる」
苦虫を嚙み潰したような表情のまま、今度は籠の中から林檎に似た果物を手に取り、それに齧り付く。
「前に上手く行った方法を何度も採るのは、あ奴らの癖じゃ。しかし今回は、余計な工夫までしおって……」
その言葉に疑問を呈する前に、幼女は私を指差しながら言い放つ。
「前回は、神が意図的に与えた禁の抜け道を利用することで、我々龍は全面的に協力が出来た。じゃがアダム、お主は確かに『異世界人』であって、この世界の存在ではないが、同時に『魔物』という、この世界の存在でもある」
その言葉に、皆が私を見つめる。
「今回は、我々龍の過剰な手出しを禁ずる、ということなのじゃろうて」
それはつまり、チートはなし、という事か。
話の途切れたタイミングで、幼女が不意に入り口の扉に目を向ける。
その少し後、私は部屋の外から慌ただしい足音が近づいてくるのを感じ取った。
荒いノックの後、扉が少々乱暴に開かれた。
「謁見中申し訳ございません! 緊急事態です!」
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「――ご提案につきましては、頂いた資料を基にこちらでご検討させていただきます。本日はご足労いただきましてありがとうございました。」
リヨコは、見送りに下げた頭を戻すと、執務机に戻り、少し冷めてしまった紅茶を口にする。
最近は、甘い蜜を吸おうとする輩も増えた。
連合の後ろ盾があるにせよ、伯爵家という、前者に比べれば相手取りやすい看板を前に、魔窟の利益に一口噛もうとする存在への対応にリヨコは疲れていた。
あるいは、先祖より伝わる作法に則ったリヨコの態度がそうさせるのかも知れなかったが、彼女はそれを変えるつもりは無かった。
自分が勇者の子孫であるという事を、彼女は誇りに思っていた。
もっと幼いころは、話に伝わる勇者の力と比べて、今の自分に遺っている物が髪と目の色だけに過ぎないことにコンプレックスを感じていた。
自分と同い年なのに、特別な生まれでもないのに自分よりも才能がある人間たちを羨んだこともあった。
だがそれは、やはり同い年の友人達との交流によって、時間をかけて解消されていった。
リヨコは、一番才能があるのに、一番バカな赤髪の少年の顔を思い出すと、自覚なく一人微笑んだ。
紅茶を飲み干し、隣の部屋に控えている従者へ、次の面会相手への対応準備を促す。
次の面会相手の再確認のため、準備された資料を読み返すと、リヨコはそれに記載された名前に見覚えがあった。
それは、数日前にセルキウスが手伝いに来てくれた際に面会した相手だった。
リヨコの鼻腔に、甘いような、苦いような香りが蘇る。
魔窟核の魔力分配における攻略用魔物の有効活用。
香りと共に、相手が提案してきた内容も蘇って来る。
それは、今回の魔窟攻略の際にアダムが齎した結果を受けて、再燃してきた概念だった。
以前から何度か計画だけは立ち上がり、その度に実現困難であるとされてきたそれは、言うなれば、人間の言う事を忠実に守れるようにした魔物による魔窟攻略という物だった。
前回の提案では、魔窟核の魔力をバイパスすることで、恒常的に服従の魔法をかけた魔物を使用する計画書を出されたが、正直に言って夢物語の枠を超えない話だった。
アダムという前例が生まれてしまったため話を聞くことになったが、あれは本当に例外中の例外であるとリヨコは考えていた。
今回の資料も急いで作り直して来ただけで、細部は変わらないだろう。
そう考えて表題を見たリヨコの眼に、ある言葉が飛び込んで来た。
その言葉に驚愕の顔を浮かべるリヨコをよそに、執務室の扉がノックされる。
「この度は、再び面会の機会を頂きまして誠にありがとうございます。今回は、その提案書の草稿に協力して頂いた者もお連れいたしました」
部屋に入って来たのは、前回同様、年の割には瘦せすぎと感じられる初老の男と、もう一人。
黒いフード付きのマントをすっぽりと頭から被った、まだ年若い、妖艶な雰囲気を醸し出す女性だった。
リヨコの鼻に、はっきりと匂いが届く。
それは、甘いような、苦いような。