第二十九話 一方そのころ
「リヨコ様、こちらの書類に決裁印を頂けますか?」
「リヨコ様、冒険者達から宿泊施設の増築について要望がございました」
「リヨコ様」
「リヨコ様」
ライラ達が休暇で故郷に帰っていた頃、リヨコ・ブロンスは激務の日々を過ごしていた。
伯爵領に新しく発見された魔窟が採算が取れるものと判明し、その経営を委託されるところまでは良かった。
だが、その責任者となり日々の業務量にリヨコは目を回していた。
「――セルキウス隊長。大変遺憾ながらお手伝い頂き本当にありがとうございます」
「何、あの山猿ではこういった仕事は難しいでしょうからな。年若い者を助けるのも先達の務めであれば」
連合からセルキウスが助力に回っていなければ、リヨコは、もしかすれば潰れてしまっていただろう。
連合のミネリア王国支部において、実働面での要がグレースであるならば、事務方での要はセルキウスに他ならなかった。
勿論、彼は他の隊員と比べて戦闘能力も優れていた。そうでなければ、調査隊の隊長には抜擢されていない。
文武両道。
それがセルキウス・バルトールという人物なのだった。
仕事が一段落付き、手づから準備した紅茶をリヨコに振る舞い、二人は軽い休憩をとる。
「返す返すも、あのゴーレムが連合預かりとなったのは惜しいですな。ここで働いてくれていればリヨコ殿には大いに助けになったでしょうに」
「――意外です。セルキウス隊長がそんな評価をされていたなんて」
自分の隊員の命を救ってくれたというバイアスがかかっているだろうグレースの前では、建前として厳しい意見を出すこともあったが、早い段階から彼はアダムに一定の信頼を置いていた。
実は、事務作業に高い能力を示していたアダムを最も評価していたのは彼だった。
第三層で研究者達の意見を聞きながら、自分なりの意見をまとめていた時期から、彼はアダムに対して明らかな知性を感じ取っていた。
女性に受ける姿になった際は、少し敵意を持ったこともあるが、総じて彼はアダムに好意的だった。
「初めから言われていたことではありますが、彼は非常に奇妙な存在でした。実際に交流を持ってみて分かったのですが、彼は何かしらの教育という物を受けたことがある様に思われます」
「――教育? 魔物がですか?」
セルキウスは手に持ったカップを静かに皿の上に戻す。
「ええ、そうです。彼は疑いようもなくゴーレムです。ですが、その中に存在する意思は、まず間違いなく人間のそれです」
「――それは」
「勿論、私がそう感じたところで魔物扱いをせざるを得ませんでしたがね。そこに異論はありませんでした。ですが、私が不思議に思ったのは、彼が人間でありながら、この世界を知らなすぎるという点でした」
セルキウスの言葉を受けて、リヨコは思い当たる節がある様に考え込んだ。
「似ていると思いませんか。貴女のご先祖である『勇者』に」
ブロンス伯爵家の人間は、その多くが黒目と黒髪をしている。
リヨコも持つそれらは、千年の昔、廃龍ズヌバを打ち倒すためにこの世界に神から遣わされた勇者の一人から、代々受け継がれて来たものだ。
勇者達はズヌバを倒すために戦いを挑み、その多くは斃れていったが、生き残った人物はこの世界に根付き子孫を残していた。
ブロンス伯爵家はその血を受け継ぐ名家なのだった。
「似ているというだけで確証はありません。ですが、もし勇者に類する存在だと仮定して、では何故今この時代に現れたのかという疑問が残ります」
「――考えすぎでは、と言いたいところですが――彼に関する報告書に目を通している以上、否定できないのが難しい所です」
「そうでしょう。報告書は全て王都にも送っております。ですから、恐らくはあの御方も同じ疑問にたどり着くでしょう。我らが守護龍シャール=シャラシャリーア様もね」
守護龍シャール=シャラシャリーア。
ミネリア王国によって、遥か昔より崇められている、この世を支える龍の中の一体。
神の定めた禁の下、政には一切関わらず、魔物を積極的に倒すこともしない『彼女』だが、その存在は王国、ひいては世界中の人間にとって絶対の価値を示していた。
王国では彼女の存在は国の象徴として扱われ、国法に則り定められた国王の選定の際、それを承認する役目を担うなど、その地位は一段高い所に置かれている。
また余談ではあるが、その名前は王国における通貨単位にもなっている。
リヨコにとっては先祖を手助けし、世界を救う力を与えた存在であり、彼女には絶対に頭が上がらない。
「――そうすると、アダムさんは――あの御方の興味を」
「惹きます。間違いなく」
飲み終わったカップを下げると、休憩時間は間もなく終わろうとしていた。
「彼は王都に召集されるでしょう。あの御方の独り言に逆らおうとする人間はあそこにはおりませんから」
「――大丈夫でしょうか」
「問題ないでしょう。一番の問題は、手続きが煩雑過ぎるという点だけです。まあ、それも彼なら平気でしょう」
その言葉を最後に休憩は終わった。
二人は山積みになった書類の前に戻ることになる。
目の前にある問題はそれだけで、他は何もないはずだった。
「リヨコ様、本日午後からの面会予定者のリストです。再度確認をお願いします」
だが、災いとは期せずして目の前にやってくるものでもある。
リヨコは、面会希望者のリストをめくっていく。
ふと、甘いような、苦いような匂いを嗅いだ気がした。
だがそれは、先ほどまで飲んでいた紅茶の香りの前に消え、彼女の意識の隅からも消えていった。
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「アダムさん、王都ですよ! 王都!」
私の目の前には格式ばった様式の書類が置かれている。
ライラが騒いでいるように、それは王都からの召集命令を記した物だった。
「ごめんなさいねアダム。まだ休みも残っているのに」
態々この書類を渡すために、遥々王都からやって来たナタリア女史が申し訳なさそうに言った。
確かに休暇は残り一週間残っているが、それは問題では無かった。
これから記入しなければならない中々分厚い申請書と、誓約書の束も問題では無かった。
一番の問題は
「王都ですよ! 何着て行けばいいんでしょう!?」
それだ。
王都に来ていく服が無い。
今着ている鎧は、貴人の前に出られる格好ではとても無い。
こちとらゴーレムであるので、最悪儀礼用の鎧を着て行けばいいのだが、素体が九十九骨の百足と戦った時のままであるので、普通のサイズでは身に着ける事が出来ないのだ。
「お爺ちゃーん!」
すまないゼブル爺さん、本当に助けてくれ。貴方の鍛冶屋としての助けが切実に必要だ。
あと、ライラ。行く気満々のところ悪いが、君はお留守番だ。
観光ではなく、召集なのだ。
城下町ならともかく、王城には付いて来れないし、行き帰りの日数を考えると君はこの街に残って、支部からの次の指令を待たなくてはならない。
それでも、もしどうしても付いて来る気なら、君もこの面倒な手続きをこなさなくてはならない。
「お爺ちゃーん!!!」
それは残念ながらゼブルにも助けられない。
諦めてくれ。
孫娘のおねだり攻撃という猛攻を受けながら、ゼブルは素体状態の私の身体のサイズを図っていく。
ライラ、鎧の下に隠れて付いてくる作戦はまた何れ、切羽詰まった時にやろうな。
流石にバレたらただじゃ置かないだろう。
騒ぎを聞きつけたロットやメルメルも集まってくる中、私達の様子を見ていたナタリアは楽し気に笑うのだった。