第十六話 分岐点
ライラの言葉に、油断なく直剣を構えていた壮年の男が、訝しげな顔をする。
気勢を削いだ形となった隙に、彼女は私について語り始めた。
階下に落ち、ジャイアントゴブリンに襲われていた自分を助けてくれたこと。
意思疎通が出来、自分をここまで案内してくれたこと。
そういった話を、彼女の仲間たちは驚きと疑念が入り混じった顔で聞いていた。
当然のことながら、そんな御伽噺のような話を聞いている間、彼らの私に対する警戒心は毛ほども解けてはいなかった。
私は、私の手と地面に挟まれた少年がジタバタともがく様を尻目に、彼女の説得が終わるのをただ静かに待ったのだった。
そうして話が一段落ついた頃を見計らい、私は最初に突撃を行ってきた少年、ロットと言う名前らしいが、彼を開放し、からめとっていた槍を返却していた。
そして今や、私はライラとその仲間たち六人と、階段を中点にして対峙していた。
ライラは不安げな顔をこちらに向けているが、仲間たちは決して彼女を再度私の側に近づける気は無いようだった。
ロット少年はと言うと、彼はすさまじい形相でこちらを睨め付けていた。その様子を見たライラが彼を諫めるような言動をとっているが、それが一層の逆効果を生んでいる。
「それで……アダム、といったかな? 本当にこちらの言葉が理解できるのなら、首の動きで示してほしい」
一団のリーダーであるグレースという男性が代表して、私とコンタクトを取るために声を掛けてくる。
表面上は友好的な様子の彼の背後では、ライラの周囲を固める形で仲間たちがこちらを伺っている。
ライラ以外は全員、私と会話を試みているグレースも含めて、何か不穏な動きをしでもすれば一気呵成に攻撃を仕掛けてくるだろう。
私は慎重に、イエスの意味を返す。
「君に会話の意志があるのなら、こちらの言う通りの体勢をとってほしい」
彼の指示は、両膝と両手の甲を地面に付けろ、というものだった。
私は、不意を打って攻撃された際に対応できるだけの充分な距離があることを確認した上で、その指示に従った。
大人しく指示に従った私を見た向こう側の、明らかな驚きと共に始まった会話はゆっくりと、だが確実に行われていった。
この魔窟の魔物か。
イエス。
彼女を助けたというのは本当か。
イエス。
こちらに危害を加える意思はあるか。
ノー。
主はいるのか。
主という単語に対しては首を傾げつつ、少し後にノー。
これまでに自分の身体の『予備』を作ってきたか。
その質問には僅かに動揺してしまった。
体の動きには現れてはいないが、返答が遅れたことで何かを察されたようだ。
ゆっくりと、イエス。
会話は、行われているのが剣呑な場である魔窟とは思えぬほど淡々と進んでいった。
私が文字を理解できると知ってからは、やや複雑な返答を交えた会話となり、彼らの状況を朧気ながら知ることが出来た。
やらかしていたか。そうか。
ありふれた魔窟において、私という存在の残した痕跡が、彼らの興味と警戒心を最大限引き出してしまっていたようだ。
だがこちらとしても、出会ってしまった以上興味を惹かれているのは同じことだ。
特に、ライラ。
私が助けた(崩落の遠因を考えるとマッチポンプだが)少女に関して、私には今後彼女の事を忘れて生きていくということが出来そうになかった。
視線を向けてこそいないが、常に視界に捉えられた彼女の姿を確認するたびに、えも言われぬ感覚が私の核の深い所、即ち心の底から湧き上がるのを止められないでいたのだ。
私はすっかり、彼らの信頼をどうにかして得よう、という一心で応答していた。
あるいは、ライラへの渇望以外にも、魔物として惹かれる、強さを求めた最奥への旅路よりも、人間としての残滓が求める地上への興味が勝ったのかもしれない。
潜っていたときは、地上のことなど殆ど考えもしなかったというのに、不思議なものだった。
何にせよ、私はここで次の目標を定めたのだった。
すなわち『彼らと共に地上へ出る』という目標を。
彼らを振り切り、なりふり構わず魔窟の外へ出るという選択肢は、確かに未だ存在するであろうし、可能なのかもしれない。
だがそれでは、組織だって魔物や魔窟に対処する組織が存在する以上、何れ人に仇為す魔物として外の世界で対応されるであろう事は目に見えていた。
だからこそ、ここで彼らの信頼を勝ち取り、どれだけ時間がかかってでも合意の下でこの魔窟を出ることにしたのだ。
私は慎重に会話を進め、調査対象として彼らの指示に従って着いて行く旨をなんとか伝えた。
結論として、私の提案は、彼らの警戒をさらに強める結果となった。
道理だろう。
いかに仲間の命を救った存在とはいえ、目の前に鎮座しているのは紛れもなく、巨大な岩の『怪物』なのだ。
安全性が確認できる何かしらの証拠も無く快諾する程、考えが足りていない訳がない。
私の失意が伝わったのか、あるいは落ち込むゴーレムという珍事に彼らが戸惑ったのかは分からないが、一団には困惑と動揺が走っていた。
「皆さん、あの、では逆にどうしたら彼を連れていくことが出来ますか?」
助け舟を出してくれたのは、やはりライラだった。
「ライラ、貴女が肩入れするのも理解できるけど、事はそう単純じゃないのよ」
女教師然とした女性が、その言を窘める。
「でも~わるいひと~、ひと~? じゃ~なさそう~」
「自分は絶対反対っすね。調査に協力したいのなら、ここで待っててもらうのが良いと思うっす」
「あ! えーと、俺は……フレンさんに同意! こんな魔物なんか信用できないぜ!」
思い思いの意見を述べた仲間たちの言葉を聞き、目の前の男、グレースと呼ばれていた男は、こちらへの警戒は緩めず、だが何かを思案しているようだった。
そして暫くして。
「では、アダム。君が我々と同行したいというのだったら、君にも命を懸けてもらう」
静かな口調だった。
だが、口調とは裏腹に強い覇気の籠ったその瞳が、真っすぐ私を見据えていた。
「君の核を見せてくれ」
核。
その位置を知られるという事は、私ゴーレムにとっては正しく致命的だ。
一度確認してもらい、その後別の場所へ動かすという行為はもちろん考えたが、それは避けるべきだろう。
現在私の核は、人間でいうところの心臓に当たる位置に存在しているのだが、それは最早動かすことが困難だった。
物質的、魔力的な問題で、ではない。
不思議なことに、人間の骨格や体型を真似て行くにあたって、核を心臓の位置以外に置くという行為が耐えがたく不快になってしまっていたのだ。
自分の核が胸に無いという感覚は、私に抑えがたい違和感と虚無感を生じさせた。
だが、もしそれらを感じることが無く、核の移動が容易であったとしても、それは間違いなく不誠実な行為に当たるだろう。
そもそも、核の位置を変えていないかどうか再度確認されないとも限らない。
移動が露見したならば、後は只の一匹の魔物として処理される事だろう。
その時、彼らと戦えるのか。
勝ち負けでなく、意思を疎通した『人間』と命のやり取りを行うことが出来るのか。
出来ない。
私は、私という存在は、それをやりたくなかった。
心から。
その事実は、私に安心と、覚悟を齎した。
ゆっくりと、危害を加える意思がないことを示しながら、私は自分の右手を左の肩口へを持って行った。
そして力に任せて、鎧の胸当てに当たる部分を剥ぎ取っていく。
排除したそれを地面へと落とすと、私は両手を下げた状態で自分の身体に意識を集中させる。
向こう側から、複数の息を呑む気配がする。それが誰のものなのかはよく分からなかったが、驚いているのは確かだろう。
幾重にも重なっていた胸の装甲版が、窓を開くように順番に両側へと押し広げられていく。
その下に存在する弾力を持った土砂が、渦を巻くようにして外側に向かって除去される。
その先に見えるのは金属製の骨格、胸骨だった。
そこに繋がっていた左のあばら骨が、わずかに金属の軋む音を立てながら外れ、開いていく。
そして心臓に位置する場所には、金属で出来た複雑な模様を描く、四角い箱の様な物体が存在していた。
箱の背部には金で出来た導線が幾本も伸びており、彼らからは見えにくいが、それは背骨を通して全身に広がっていた。
箱が、寄せ木細工を思わせる動きで解体されていく。
瞬間、魔窟に光が溢れた。
青い、青い、輝きが、薄暗い魔窟の闇を払っていく。
脈動するかのように光を放つ球体。
これこそが、私の核だった。
彼らは皆、信じられないものを見たような顔をしていた。
もしかしたら次の瞬間、その顔に戦意が宿り、私は命を散らすのかもしれない。
だがそれでも、私は後悔しないだろう。
私は彼らに信じて欲しかった。
だから、私は彼らを信じたのだ。
そうしなければならなかったのだ。
どうか、どうか信じて欲しい。
私はこの思いが、彼らを照らす光の如く、その心に届くことを願ったのだった。