第百四十七話 甲板にて
「という訳で、プロデューサーをやる事にした」
「脳味噌が壊れる程の暑さじゃないでしょう? 分解してメンテした方が良いかしら?」
甲板まで戻って来た私はゼラに事の次第を軽く説明した所、辛辣な台詞を吐かれる羽目になっていた。
ゼラと私は甲板上にいくつか設置された簡易テントの中で陽を避けていた。
鉄パイプで作られた、大分座り心地の悪そうな椅子に座りながらゼラは前方を眺めている。
視線の先には、サーレインを含むライラ達子供組があちこちを指差しながら楽し気に話している様子が見える。
それを眼で追っていたゼラは、先ほどの発言の後から明らかに不機嫌になった様子で、前かがみになり頬杖を付いていた。
まあ聞け、ゼラ。
私はゼラの傍まで近づくと、屈みこんで彼女の耳元に顔を近づける。
「アルペジオには無駄な行動力がある。それを放置していては何をしでかすかは分からない。だからこそ、方向性を定める役割が必要な訳だ」
「それでプロデューサー? そもそもライブなんてさせなきゃいいでしょ」
それは一理ある。
が、アルペジオはライブに対してかなりの執着がある。放っておけば、これからこの場に現れるというパルジャミラン=ヌンに対して再度直談判しかねない。
現在彼女の身柄はトレト達に渡してある。パルジャミラン=ヌンに関する事情聴取のためだ。
そもそもこの場に連れて来たのは、彼女の言った龍との遭遇を立証するためである。厳密に言えば、彼女のへ恩赦は未だ保留中なのだ。
それを確定させるために、恐らくは直接会ったことのある人物しかわからないような質問を行うのだろうが、まず間違いなくこの件に関してアルペジオに嘘は無いだろう。
綺麗な身になり自由になったアルペジオによって、衆人環視の中ライブの許可に関する言質を万が一でも引き出されたら、レストニアの人々は彼女を止める術を失う恐れがあった。
「龍は人々の営みに口を出さない。だが、人々は龍の言葉を尊重するだろうな」
「流石に考えすぎじゃない? 龍もそんなにバカじゃないでしょ?」
やはりそれについても同感だが、リスクヘッジのためにもアルペジオには枷を嵌めておきたい。
風の魔力の塊である彼女を物理的に捕らえるなぞ、グレイプニル以外では見当も付かない。
アルペジオの記憶は、先ほど少し話した程度だが、それでも戻る兆しが見えていた。
彼女が徐々に人間的になりつつあるのを考慮して、ここは利で縛っておくべきだ。
「まあ、貴方に考えがあるなら私は止めないわよ。……サーレインも喜ぶんでしょうね、はあーあ」
そんなに嫌か?
「嫌。でもやっぱり、お姉ちゃんの言う事を――とは言えないし、言いたくない訳よ。思春期に、ああいう耳に新しい音楽とかに傾倒するのはよくある事だけど、どうせ後で黒い歴史になるよね。給食の時間に良く分からない曲流してたあの子達、今どうしてるかしら?」
何とも全世代的にぶっ刺さる忠言だな。
アルペジオもギターを始めたのは中二の頃と言っていたから、その類いなのかもしれない。
まあ尤も、彼女の場合一度死んでからも傾倒しているのだから、筋金入りと言えるだろうが。
話に一区切りがついたので、私は甲板で元気一杯に騒いでいるライラ達の様子に目を向けた。
皆、この魔物溢れる世界においても失われることの無い、年相応の無邪気な笑みを浮かべている。
その表情を見て、身近に危険があるからこそ、それらが猶の事尊いように感じられると思う自分の心を認め、私はその考えを自重した。
平和な世界のそれと、この世界のそれらは間違いなく等価の筈だ。それは断言出来る。
そして、正直に言ってアルペジオに対して、彼女を下に見ている心がある事を認めざるを得なかった。
願う心に貴賤を問うてはならない。少なくとも、それが周囲へ危害を加えるもので無いのならば。
アルペジオのライブに対する熱量が何処から来るのか、それは分からないが、プロデューサーとしてその開催に責任を負ったのならば、私は彼女の願いを多くの人の喜びに繋げる努力をしよう。
そんな事を考えていると、後ろ側から件の妖精を連れたトレト老とナタリア達がこちらに向かってやって来ていた。
「綺麗な身体になったみたいだな」
特に縄を打たれた様子もないアルペジオの姿を見て、私は一団に向かって声を掛ける。
「なー!? だから言ったろ!? 嘘なんかいってねえって!」
ニコニコと満面の笑みを浮かべているが、アルペジオ、君がそれを言った時、それを聞いていたのは恐らく私だけだ。
上機嫌な彼女の様子を見て、トレト老はいつも通りの、表情が読めない皺まみれの亀の顔を突き出していたが、隣で歩くナタリアは軽く額を抑えてしまっていた。そのナタリアの物言いたげな瞳が私を射抜く。
どうやらついでに、プロデューサー就任の件についてもアルペジオから聞いたらしい。
だが、彼女の処遇に関しては任せてもらう事になっている。勘弁してもらいたい。
「アダムP! トッシーから聞いたぜ! ここ! ここでオリンピックやるんだろ!? 俺、どうせなら開会式とかでバーッと演奏してえんだけど!」
オリンピック? 四年に一度の部分でそう判断したのだろうが、実際の所まだ私も『大集結』については詳しく知らない。
早速愛称で呼ばせて、しっかりと相手の懐に飛び込んでいる老亀に私は視線を送る。
「アルペジオ。『おりんぴっく』が何かは知らないけどね。それは勘弁ね。捻じ込むには時間が足りないね。しっかり社会貢献活動をして、次の四年後に備えるね」
トレト老は私の視線を意に介さず、アルペジオに向かって微笑みながらそんな言葉を送っていた。
この亀、何を話して来たのかは知らないが、抱き込む気満々になってやがる。操縦可能と判断したのかも知れない。
明らかに社会経験が足りないギタリストが、キラッキラした目でこちらを見つめてくる。
元々ライブの開催についてはトレトに頼る所が大きかったが、事こうなっては仕方ない。思いっきり巻き込ませてもらうから覚悟しておいてほしい。
「ちょっとだけ良い? まあ、演奏がお上手なのは認めるけど、ギターだけ? それはいくら何でも寂しすぎじゃない?」
肩越しに視線を送るゼラがそんな事を言い出した。
それを受けたアルペジオがムッとした表情を浮かべるが、その指摘が至極真っ当である事は、音楽に関してこの場で最も長じている彼女だからこそ認めざるを得ない様子だった。
因みに私も同意見だ。
そこを指摘して時間を稼ぐ算段でもあったのだが、アルペジオにその意見を受け入れる土壌があるのはかなり嬉しい誤算だ。
少なくとも、今今直ぐにとライブを急かされる心配が少し減った。
私達がテントに集合しているのを見て、遠くではしゃいでいたライラ達がこちらへ戻って来る。
スペースを開ける意味でも、私は日陰から出て彼女達を出迎えた。
それぞれ、その肌にじっとりと汗をかいている。テントに詰めていた職員達が簡素なタオルを準備してくれていたので、日陰に入った彼女達はそれを受け取って肌を拭っていた。
ゼラなどは椅子から立ち上がってサーレインの世話を焼こうとするが、同年代の手前あまり子ども扱いされるのを嫌がったであろうサーレインによって、それは断られていた。
そう、しょんぼりするな。以前私もライラに同じ様な事をしようとして、断られたのを思い出す。
「ゼラ。私だって汗くらい一人で拭けます。それよりも、アルペジオさん。先ほど聞こえてきたのですが、また演奏会を開かれるのですか? 私、あのような音楽は初めて聴きました。また直接お聴きする機会があるのは、嬉しく思います」
「うえええええ!! マジ!? そうかー! いや、そうかー! やっべえ! アダムP! めっちゃ嬉しい! やっぱロックは最高だよな!」
顔面をフニャフニャに破顔させながら、アルペジオが私の背中をバシバシと叩いて来る。
それとは反対に、サーレインの肩に手を置いたゼラが思いっきり冷めた瞳でこちらを見つめてくる。
「そうだ! どうせなら今ここで……」
流石にそれは一旦止めてもらう。アルペジオは不満げな顔をするが、プロたる者、安売りは良くないとかなんとか言いくるめる事で渋々言う事を聞いてくれた。
「直接……? ああそうか。メルメルはあの演奏を保存していたものね」
サーレインの言葉を聞いていたナタリアが、少し考えた後に兎耳の少女へ話しかける。
メルメルは一つ頷くと、大きな本を構え『音楽』の魔法を唱えた。
開かれた本から、魔力で構築された光線が乱舞し、それが様々な装置を形作る。
そして彼女がスイッチ上のそれを一つ押すと、本の上からノイズ交じりのギターサウンドが流れ出した。
情報魔法。
ライラは以前、自分では理解不能な魔法体系だと零していたが、こうやってその効果を見るとそれも無理は無いと思える。
少しだけの間その音を流したメルメルは、片手でその大きな本をパタリと閉じる。それに伴って音楽の再生も終了した。
いつもならここで金銭を要求してきたりするのだが、流石に録音元を目の前にしてそれはしないようで、メルメルはその眠たげな瞳でぼーっと佇んでいた。
「す、すげえ……!」
私の後ろで、アルペジオが震えている。
「録音できんのかよ!! 他に何できるんだ!? さっきの、鍵盤とかターンテーブルとかあったよな!? もしかしたらこれで、色々解決じゃねえか!?」
なあアダムP、と彼女は私を揺さぶろうとサーコートを掴んで力を込めている。まあ、小動もしない訳だが。
私はこちらを見上げるメルメルと目が合う。
彼女は眠たげな瞳のまま、その本を抱えていない右手をこちらへ向かって伸ばした。
「まほう、ていきょうりょ~。おやすくしとく~」
なるほど。