第百四十六話 P(ピー)
「ギターを初めて何年だい?」
「は?」
トレト老に指示された部屋。
壁に一つだけある十字格子の丸い窓に簡単な椅子と机、それ以外は内容の分からない木箱等が積まれた部屋に、私とアルペジオはやって来ていた。
座るのを勧めたが、アルペジオはそれを拒否し、腕を組んだまま壁に寄りかかって私の話を待っていた。
そして、私が最初に行ったのが、先ほどの問いかけだった。
「ギターだよ。ストレイザ上空で披露しただろう? 見事な演奏だった。私もかじった身だから多少は分かる。あれだけの演奏は相当な練習が必要だったろう?」
怪訝そうな表情をしたアルペジオが腕を組んだ状態から片方の手を動かし、自分の頬を軽く掻いた。
「俺を叱るんじゃなかったのかよ」
「勿論、叱る。だが、今の君はこの世界の人々に触れ、それを知り、冷静になる事が出来ている。何が悪かったなど、多少なりとも自分で分かっているだろう? それを態々、滔々と語ったりはしない。時間の無駄だ」
訝しげな表情を更に深めたアルペジオに、さっきのは時間の無駄じゃないのかよ、と皮肉を言われるが、それは勿論、無駄などではない。
「ここに来るまでの君の様子から、人間だった頃の記憶は無くとも、人間であった事は自覚しているのが分かる。感性の問題だ。何に共感し、喜び、何を不快に思い、恐れるか。そういう部分はきちんと人間的だった。だから知っておきたい。君の事を」
私は、自分の顔の正面をきちんと彼女に向けて話した。
対する彼女はこちらに一瞥をくれるが、その視線は即座に外され、長い金髪を片手で弄り始める。
「今回の件。無知故とは言え、君に問題は確かにあった。だが、恩赦とは別に、情状酌量の余地などいくらでもあると私は考えている」
私は彼女に、私とゼラ、そしてここにはいないがふぇに子という、アルペジオとその存在を同じくする元地球人が、彼女本人も含めて全員で四人存在する事を伝えた。
そして、彼女以外の何れもが、程度の差こそあれ人間に接触するまでにある程度の期間が開いている事実を知らせた。
「生まれて直ぐパルジャミラン=ヌンと出会い、それなりの強さを身に着けてストレイザに着くまでに何日だった? 出会った頃の君の口ぶりでは三日と経っていまい。君の移動手段の速さが裏目に出たな」
何せ彼女は空を飛べるのだ。
転生直後に当然あったであろう混乱と、強さを身に着け、あのギター演奏を可能にする望み通りの力を手に入れた高揚感が冷めきらぬまま、彼女は人里に突撃してしまえた。それが互いにとって何よりの不幸だった事は言うまでも無い。
「君は私達に記憶など殆ど無いと言っていたが、今はどうだ? この世界に生きる他人の姿、声、会話を耳にして、それに対する『自分』という判断基準が蘇って来ているんじゃないか? 君は初見時の有様からは想像できない程に、本来は理性的な筈だ」
あのロックンロールがフリだとは言わない。
だが、少なくともロールプレイの一種であるのは間違いなさそうだった。
どうしても、意識的に『ロックギタリストのアルペジオ』を演じているように感じられるのだ。
それは、これまでに行って来た彼女の虚勢や、今この部屋に居る彼女が、彼我の戦力差を理解してか大人しくしている事実からも伺い知れた。
「では、一言だけ叱る。『次は気を付ける様に』。ここからは君の話を聞かせてもらうだけの時間だ。もしくは君が興味があるなら、私の話から聞いてもらっても構わない」
私から視線を逸らし続けていたアルペジオだったが、しばしの沈黙の後、その口から小さな声が漏れた。
「中二の頃から始めたから……今年で八年目。ギターやってんのは……くそっ。さっきから芋蔓式に浮かんできやがる」
やはり、それが望む望まないに関わらず、私達の記憶は人と関わり合う事で刺激される様だ。記憶は無くなったわけでは無く、忘れている状態な訳だから、それも当然かもしれなかった。
「でも悪りーけど、話せるほど思い出せてねえよ。ギターの事ばっかだ、思い出してんのは」
「いや、そういう物だ。私も初めの頃はそうだった。君より悪かったかも知れない」
私なんてサブカルの事ばかりだったからな。今でこそ年長者ぶっているが、当時はアニメの真似をして場面を乗り切っていたのだ。会話が困難だったあの頃にフォークギターの事を思い出していたら、それでコミュニケーションを図った可能性すらある。
それで事態の怪傑……いや解決は相当難しかっただろう。
「アルペジオ。率直に聞くが、昔の事を思い出すのは辛いか?」
その返事は、彼女の苦虫を嚙み潰したような表情で返された。
だがそれでも、何とか話そうとして、その言葉を探す様に口を開きかけてはそれを止める事を繰り返している。
私はそれを待つ事にした。
何度目かの口パクの後、アルペジオは絞り出すように、難しい、とだけ答えた。
「そんな事ねえって言いたかったんだけどよ。なんか胸の奥に譜面が束で重ねられてて、それを開こうとすんだけど、石でも乗っかってるみたいに上手く開けねえ」
「苦しいか?」
「きつい」
相当に前世での事を思い出したくないらしい。
けれど、話をする限り懸念していたほど魔物であるわけでは無いようだった。それでも、四人の中では一番魔物寄りなのかもしれないが、少なくとも今後は、考え無しに事件を起こしたりはしないと思える程度には理性があるように感じられた。
私はまずアルペジオに、彼女も出会った事の有る、この世界における『龍』の存在と役割について話して聞かせた。そして、それから外れた存在である廃龍ズヌバの存在と、その対処の為に神によって呼び出された『勇者』達の話を行う。
その後訪れた世界規模の大戦によって人間の文明は後退し、今の世に復活したズヌバによって再度脅かされている事実を伝えた。
「じゃあ何か? 俺達でその……鼻水啜ってるみたいな名前の奴をぶっ殺せって事かよ!? クソが! デスメタルに転向したくなってきたぜ」
ここが問題だった。
神に中指を立てたくなる気持ちは良く理解できるが、アルペジオにはその神の思惑通りに言いなりになってズヌバと戦うだけの動機が未だ存在していない。
だが、それの獲得を待っていては奴の行動に対処する事が難しくなってしまう。
これまでは運良くそれぞれの事件を解決することが出来ていたが、実際の所、私達は奴について最も重要な情報を欠いてしまっているのだ。
「アルペジオ」
私は情報を投げつけられる形となって混乱をしている彼女に声を掛けた。
どうしてもこれを聞いておく必要があった。
私の呼びかけに彼女が顔を向ける。
「どうしたい?」
行動原理だ。
アルペジオも、そしてズヌバも、その行動原理が未だ判明していない。
アルペジオについては見当自体は付いているが、その詳しい動機についてまでは不明だった。
そして肝心のズヌバだが、これが全く理解不能だ。
永く生きる。
勇者に倒されるまでは、それが奴の行動原理だったのは間違いない。
しかし今は状況が異なる。
カロワ山脈の魔窟核強奪。そして魔導戦車暴走事件。
何故あんなことをした?
ただ長生きしたいのなら、昔の様に隠れて命を集めるのが正解だった筈だ。
先手を打って勇者である私を倒そうとした訳でも無い。
何故なら、あの時私がバイストマに間に合うかどうかなど、奴には知りようも無かったのだから。精々が嫌がらせ目的のつもりだっただろう。
また、己の復活を知らしめて、邪血で手足となる信者を増やすにしても、これによってその存在が明るみに出て、私の知らぬ所で教団は壊滅的な打撃を受ける事になった。
パーマネトラ襲撃。
その結果として、あそこでは龍の姿と権能を、僅かばかり取り戻したことに狂喜していた。
だが、やはりこれも長生きを目的にするなら実は意味が無い。
何故なら、龍の時代にその命が尽きようとしていたからこそ、禁を侵してその任を廃されたのだから。つまり、世界の魔力を操作出来ても、それを自分の命を長らえさせる方法として扱える訳では無い。
そして直近の、ヴァルカント騒乱。
奴はカロワ山脈の魔窟同様に、覇者の塔の魔窟核を求めた。目の前で要求していたのだからこれは間違いない。
もう一度魔窟爆弾にするためか?
だが、その効果を考えれば、超大型魔窟の核で無くとも良い筈だ。過剰効果過ぎるし、周辺の魔力を乱す事がズヌバの寿命の延長に繋がる事を示すデータは存在しない。
皇帝として権力を握る事を目的としていたならば、とっくの昔にジルギリス=エクターラの名前を知っていた奴ならば、それも可能だっただろう。
そもそも、奴が長生きを望んだところで、それを良しとしない神々が手を変え品を変え妨害してくる事を、奴こそは把握しているのだ。
何を目的に動いているのか。
今この状況において、双方共に知るべきはそれだった。
そして現在、私はその質問をアルペジオに行った。
ごく簡単な質問を装って行ったそれに、彼女は考え込んでいる様子だった。
「難しく考えなくても良い。兎に角、今頭に思い浮かんだことを言ってくれれば良い」
私の助け舟に、アルペジオはそれならとばかりに答えを口にした。
「変な龍? は正直関わりたくねえな。やるならやっぱり、ライブだな。俺のギターを、ロックを出来るだけ大勢に聞いて欲しい……うわ、はっきり言うと、なんか恥ずいな」
照れたように頭を掻くアルペジオだったが、その答えはやはりというか私の予想通りだった。
そもそも、そうで無くては記憶の比重が偏ったりはしないだろう。
「正直に言う。ズヌバの対処には、アルペジオ。君も手伝って欲しいんだ。だが君の言う通り、進んで関わり合いに何てなりたくないのは理解出来る」
そこで、と私は人差し指を立てた。
「ライブに関しては全面的に協力を約束しよう。私が何とかして見せる。だから、それが叶った暁には私にも協力してもらえないだろうか?」
その言葉にアルペジオの目の色が変わった。
彼女も薄々感づいていただろうが、今のままではライブなど夢のまた夢だ。何せ彼女には、人に聴かせるだけギターのテクニックはあっても、会場を用意する金もコネも、信用も何もかもが無い。
「もしかしてアダムって、そのすげえ見た目からそうなんじゃないかって思ってたけど、偉い人?」
偉くは無いが、君に足りない部分を補うには充分な力があると自負している。
「そうだな、言うなれば私は君のプロデューサー……『P 』だな! これからはアダムPと呼んでくれて構わない!」
「ぷ、ぷろでゅーさー!? P! アダムP! 分かったぜ! ライブが出来るなら喜んであんたに協力するぜ!」
伸ばした私の右手を、アルペジオが両手でしっかりと掴む。
口頭だが、これで契約成立だな。
幸いにして、ライブに向けて必要な物について当てはある。
こうしてアルペジオと良いコミュニケーションを行う事に成功した私は、機嫌の良くなった彼女と連れ立って部屋を出ていくのだった。