第百四十三話 大集結地点
空旅を続ける中でアルペジオを囲むナタリア達は彼女の警戒を続けていたが、それを間断なく続けるのは、さしもの連合職員であっても流石に限界があった。
監視を始めた頃は監視対象の身じろぎ一つに反応していたナタリアやトレトも、今は大きな動作を除いてそれ程注意を払っている気配は無い。
一人にさせる事だけは決してしなかったが、アルペジオが思いのほか大人しくしている事もあり、当初の険悪な雰囲気が多少なりとも緩和されてきていたのも理由の一つだろう。
必然、場に存在していたアルペジオとの会話すら憚られる空気が薄くなった訳で、私はナタリア達に、改めて情報交換も兼ねた彼女との会話を提案した。
「私には、初めの頃の貴方程、彼女が協力的には思えないけど」
「あれは君達が私を理解する努力をしてくれた事が大きい。確かに、いきなりやらかしたアルペジオに対する印象は悪いかも知れないが、まだまだ私達は彼女の事を知らな過ぎる」
アルペジオは、以前に英傑都市ヴァルカントで出会った不死鳥のふぇに子とは逆に、魔物寄りの思考となっている節があるように思える。
理性よりも本能的な欲求に従っている感じだ。
そもそも、魔窟で目覚めて、アルペジオと同様に記憶の殆どが無かった私だって、最初の頃は、それを拒否しながらも魔物の本能に沿って動いていた場面もあった。
ライラと出会ってからは、人間であった頃の骨子を朧気ながらでも思い出し、そんな事も無くなったのだが。
アルペジオはそれが薄いのかも知れない。
それはつまり、『人間でいようとする意思』の事だ。
彼女以外の私も含めた三人が、それぞれの理由で人間性に固執しているのに対して、彼女が演奏のみを目的としているのならば、自在に風魔法が使える魔物である事こそが彼女の望みに能うのであって、必ずしも人間の心は必要ない。
しかし、その肝心の演奏には人間としての感性が必要な筈だ。芸術こそは、実に人間らしい文化であるからだ。
ここで、今後の彼女の待遇について、少し考える。
初対面での印象が最悪だったのに加えて、アルペジオの中に存在するその揺れ動く心の部分、魔物側に傾きつつあるそれを、魔物との戦闘経験豊富な連合職員であるナタリア達は鋭敏に感じ取っていたのかも知れなかった。
それでも、人に対して迷惑行為を行った彼女に対して、魔物として処理をする事を前提とせず、人間枠で刑罰を与える事から考えてくれているのは大きい。
私はアルペジオには、人間として生きて欲しいと思っている。
初めに言っておくが、これは決して、彼女の今後を想っての考えだけという訳ではない。
風の属性を操る妖精。
これで当初の予想通り、属性別の勇者が四人が揃った訳でもあるし、それは神が画策した廃龍を倒す計画には必要な人材であると思われた。
つまり、手前勝手な言い分だと理解しているが、ズヌバを倒し、ライラ達の生きる世界を正常化するためには、どうしても彼女の協力が必要だった。
そんな大事を為すには、ただ強いというだけでは足りない。嘗て呼ばれた勇者達の様に、自分以外の何かを大切に思う心が必要だった。
そしてそれは、恐らく魔物には到底持ちえない心だ。
神々は、私達を思い通りに動かすために、御しやすい人間のままでいさせるための『楔』をこの世界にそれぞれ用意している。
アルペジオと交流する中で彼女にとってのそれが何であるか判明すれば、彼女が短慮を起こす事も少なくなるだろう。
有体に言えば、アルペジオの心を人間側に引き寄せるために、神が用意した人質を利用させて貰おうという訳だった。
褒められた考えで無い事は重々承知している。
しかし、パーマネトラやヴァルカントの事件の際、ズヌバが人々に対して行った、人を人とも思わぬ所業を鑑みれば、どうしても焦りが先に来てしまうのは無理からぬことではないだろうか。
兎に角、まずはもっと本人と話してみないことには始まらない。
私はナタリア達に頼んで、アルペジオを伝声管の前まで連れてきてもらう事にした。
「な、なんだよ……」
彼女は明らかに虚勢を隠し切れなくなっていた。その声色からは、はっきりと恐怖が感じ取れる。
無理も無い。敵意むき出しの監視の中で、最初に出会った際に、いきなり鎖で雁字搦めにしてきたゴーレムが呼び出しをしてきたのだから。
「アルペジオ。魔法で私と君の声を、お互いだけに聞こえる様にしてくれないか?」
私のその提案に、彼女は怪訝な顔を浮かべるが、自分に特に害は無いと考えたのか私の提案通りに、文字通り会話を二人だけのものとした。
「はっきり言わせてもらうが、君の状況は良くない。演奏は見事な物だったし、それを聞かせたいと願うのも分からなくはない。だが、冷静になった君にももう分っていると思うが、正直あれは迷惑行為以外の何物でもない」
私の言葉に、アルペジオは反論を行う。やはりそれは、自分が出会った龍、パルジャミラン=ヌンの言葉についてだった。
あれほどの存在に口出しをしないと言われたなら、誤解しても仕方が無いという意見だ。
「確かに、それについては私も同意見だ。私も全員は知らないが、面識のある龍はどれもこれも大層な威容を放っていたからな。誤解するのも無理はない」
だが、知らなかったでは社会で通用しない。
この世界は、成熟した社会性を備えた異世界なのだ。
尤も、流石に無知を考慮に入れ、恩赦によって罪が無くなったこともあり、アルペジオは現在監視されている状態に留まっている。
「こうして音を遮断しているとはいえ、あまり人前でぐちぐち言われたくも無いだろう。飛行船が目的地に着いたなら、君の身柄は私の権限で預からせてもらう。君自身の事や、今後の事についてはそれから話し合うとしよう」
「……」
有無を言わせぬ私の一方的な発言に、アルペジオは理屈を飲み込むも、納得は微妙に出来ていない顔のまま、その言葉を了承したのだった。
アルペジオが遮音の魔法を解除し、私はナタリア達に彼女について任せて貰えるように、事後承諾ではあったが、報告を行う。
幸いにして、予想していた事ではあったが元々彼女らもそのつもりだった為、その辺りについてはスムーズに話が決まったのだった。
そして暫く後、いよいよ私の視界には目的地らしい人工物群が見えてきたのだった。
「あそこに行くのか? 俺も最初あそこに行こうと思ったけど、なんかヤバい雰囲気がしたから行くのをやめたんだ。本当に平気なのか?」
私同様、目の良さは人間の限界を超えているアルペジオが、進行方向に見える目的地を指して言った。
「出来れば、その危機察知をもっと発揮してほしかった所ね」
トレトが、アルペジオに向かって呟く。
そうしている内に飛行船は、乗船している皆の目にも、目的地が朧気ながら見える位置までたどり着いた。
「話には聞いたことがありましたが、あれがレストニア大戦時に建造されていた、主力陸上戦艦ですか……凄いですね」
「もう、残っているのはガワだけだけどね」
マールメアが呼称した、その剣呑な響きを持つ人工物達。巨大なクレーターを取り囲むようにして円形に配置されたそれらが、古びた外壁に陽光を照り返しながら私達の前に姿を現した。
陸上戦艦の呼び名の通り、それらは巨大な無限軌道を備えた、大きな船の様に見えた。
元々、恐らくは砲が設置されていたであろう場所は、それが撤去されたためにぽっかりとスペースが開いてしまっており、そこには仮設テント類が建てられ、人々が忙しなく行きかう様子が見て取れた。
「あれが、『大集結』開催地。レストニア大戦、大集結戦場跡地ね」