第十四話 我が名はア〇ム!
どうも皆さま、ゴーレムです。
現在、私の周囲はまるで時が静止してしまったかのような静寂に包まれております。
尤もその理由は、概ね私にあるといってもいいでしょう。
ゴーレムなので、岩なので、喋れませんし、私の直前の行動によって、目の前の人物は腰やら度肝やらが抜けていることは想像に難くありません。
眼前には、先ほどの投擲により吹き飛ばされたのか、土ぼこりを全身に浴びた少女が一人、唖然とした表情でこちらを見上げております。
少女の宝石の様な瞳が、文字通り水晶で出来た私の両の目を捉えております。
顔にある目を逸らしたところで、全身に配置された水晶が彼女の姿を捉え続けてしまうため、それは無意味な行為です。
状況を打破する戦略を求めて、私の意識はこの場にいながら過去へと向かいました。
現実逃避ではないです。決して。
そもそもの発端は、私が彼女の悲鳴を聞いたことだった。
女性の悲鳴という、魔窟内においてただの一度も聞いたことの無い存在。
それが響いた瞬間、私の脳裏には様々な予測が駆け巡っていった。
女性型の魔物? 魔物でないなら、まだ見たことはないが人間? 罠か? 近寄るべきではない?
しかし、瞬間を超えて、刹那を超えて、根源から放たれたイメージが、それらを考慮する時間を私に与えなかった。
尊く、切なく、愛おしく、だが顔も思い出せない誰かの顔が、私が魔物であることを些事とした。
激走。
私の身体は、紛れもない私の意志によって行動を開始した。
声の主は自分に襲い掛かる何者かから、魔力を使いながら逃げている。
ゴーレムの感覚器官が、振動、魔力波、そういった、はるか前方の壁越しから伝わる情報を基に、そんな状況を伝えてくる。
同時に、その場にたどり着くころには全てが終わっている事も。
それを理解するや否や、私の身体は状況打破のための行動を開始した。
身体を保てる限界まで、いや、予備動力の各魔石内の魔力をも総動員して、ただ一つの攻撃を放つ。
私は、右手に保持していた岩石の斧を、身体の後方へと流し、走る勢いと、左手の膂力を併せて前方へと解き放った。
全力投擲された斧は、その恐るべき重量に、凄まじい速度と縦回転を与えられ、壁に向けて飛来する。
着弾点を見送った私は、ほとんどの余剰魔力を使い切った影響で投擲姿勢から数秒間動けないでいた。
そして間抜けなことに、壁を突き破って、その先の魔物を粉砕するほどの攻撃が、悲鳴の主に影響を与えていないはずがないことに、ようやく思い至ったのだった。
急いで駆けつけ、私が通るにはやや狭かった穴をこじ開けるように通り抜ければ、土塗れの少女がそこにいたというわけだ。
混乱した。
その一言に尽きるが、少女にとっては一言で済まされる状況ではないのだろう。彼女は呆然とした面持ちで私を見上げていた。
私自身が落ち着くため、目の前の斧を修繕、回収しようとしたはいいが、魔力の回復が完全でなかったため、思わず地面へと先端を落としてしまった。
やべえ。
この女の子、ちょっと地面から浮かなかったか?
そんなミスもあり、非常に気まずい状況が繰り広げられているのが現在の状況というわけだ。
さて、どうしたものか。
私を爆走状態にさせた先ほどまでの感覚は、未だ燻る様に残っていた。
だが、それを差し引いても目の前の少女を攻撃しようという気持ちは微塵も湧いてこない。
今まで周りに魔物しかいなかったので確信は持てなかったが、やはり私の『前世』は人間に近い存在だったのかもしれない。
しかし、どうにも奇妙なのが、少女の風貌だった。
オレンジの髪色の人間は、私の常識の残りかすから判断して、染色でもしなければあり得ないはずだった。
だが、どうやら地毛の様に見える。
そうか、つまりこれが『異世界である』という事か。そうすると、コミュニケーションを取るのは困難かもしれない。
言語や、常識がまるで違うのを覚悟しなければならないからだ。
一先ず、自分の知る言語で声を掛けようとしてみたが、結果は失敗だった。
声は即ち、空気を振るわせる『振動』であるわけだ。
そこで、喉辺りの金属部品を操作することで、発声が出来ないか試してみたのだが、如何にもゴーレムな感じの唸り声しか出なかった。
細かく振動させようとすると、魔力がまるで足りない。
さてどうしたものか。
こうなれば、頼りになるのは前世の知識だ。
言語に頼らず、ボディーランゲージを多用せず、異質な存在が女性と心通わせるにはどうすればいい?
色褪せた写真が多い心の引き出しを、私は次々に開いていった。
そして一つの可能性を見出す。
天空の城のロボットよ! エビ型宇宙人よ! そして怪盗の三代目よ! 私に力を貸してくれ!
左手で覆い隠した右手で『それ』を形成しながら、私は両手を少女の前にそっと差し出していった。
幸いなことに、少女は私に敵意がないことを察してくれているのか、その行為をまんじりともせず眺めていた。
私は両手を可能な限り少女へ近づけると、隠していた右手を露にした。
果たして、そこに現れたのは水晶で出来た薔薇の花だった。
鎧の背部に付けていた水晶をこっそり移動して作り上げたのだ。
暇なときに金属に細工をして遊んでいたのが役に立った。
これでどうにもならなかったら、私にはもう引き出しが無い。
今はこれが本当に、マジで精一杯なわけだ。
少女は、私の差し出した薔薇の細工を見て、ハッキリそうと分かるほどに驚きに目を開いた。
そして、見開かれた目が、ゆっくりと細まると同時に、小さくだが確かにほほ笑んだ。
少女はおずおずと薔薇に手を伸ばすと、一瞬躊躇った後、それを受け取ってもう一度、私に向かってほほ笑んだ。
いやったあああああああああああああ!!!!
汗をかかない身体で本当に良かった。
生身だったら引くほど冷や汗でびっしょりだっただろう。
さて、最悪の初対面からの初交流は何とか成功を収めたわけだが、結局のところ次はどうするという問題は常に存在するのだ。
私が頭を悩ませている中、先手を打ったのは目の前の少女だった。
「××××××××××?」
話しかけてきたのだ。目の前のゴーレムに。
そして、やはりというか何と言うか、私にはその言葉の意味が全く理解できなかった。
イントネーションとしては、恐らく英語がかなり近いが、全くなじみのない言語だった。
叩きつけられた現実に、更に頭を悩ませていたところ、何の前触れもなく、久方ぶりの感覚が私の魂を襲った。
それは私が私として自我を得た時以来の感覚、情報を無理やり自明の物として流し込まれる感覚だった。
人間種、どんな存在がいて、社会的な常識を持っていて、どういった言語を操り、生きているのか。
どうにもありがたい話だが、私はここで確信した。
私が前世の知識を持ってこの世界に存在するのは、何者かの意志が介在している。
どう考えても都合がよすぎる。
必要な情報だったのは確かだが、タイミングが恣意的すぎる。
ゴーレムとして覚醒した時とはわけが違う。
知識を得るための、何かしらのスイッチの様なものが存在するというわけでもない限り、明らかに、状況を見て知識を与えられている。
だが今は、少女を無視して深く思考している場合でもない。
この知識を使えというのであれば、有難く使わせてもらおう。良く考えれば、今更な話でもある。
そして言語に関する知識を得て、先ほどの言葉の意味も分かった。
「助けてくれたのですか?」
そう少女は問うたのだった。
私はその問いに、やや遅まきながら首肯で返す。この世界でも、この行為の意味するところは前世と同じだった。
私の声なき返答に、少女は驚きと共に破顔した。
「言葉が通じるのですか!?」
ええ、ついさっきそうなりました。
再び首肯する。
軽い興奮状態にある少女を手で制すと、私は壁に空いた穴を指し示した。
話の続きは、一旦ここから出て比較的安全な場所へ移動するのがいいだろう。
私はこのあたりの魔物に負けたりはしないだろうが、狭い通路の中では動きが制限されてしまう。
私の意図を理解したのか、周囲の安全を確認した私に少女は続いた。
その際に、彼女の右足にわずかな動きの違和感を感じた私は、それを指差しで訪ねた。
その問いに、彼女は気づかれたことに驚きながらも、現在ここにいる経緯を含めて説明を行ってくれた。
そうか、仲間がいるのか。
そもそもこんな少女が一人で魔窟に入る訳もないか。
彼女は合流を目指しているようだ。
彼女の護衛を行い、仲間との合流を手助けするのは容易だろう。
しかし、奇跡的に上手くいった彼女との交流を基準に考えてはならない事ぐらい理解している。
遭遇後、魔物として討伐されるぐらいは考えてしかるべきだろう。
リスクを取るなら、上の階への階段まで送って、退散するのが吉だろうか。
だがここで、彼女が落ちた通路は、私が以前掘った通路だったことに今更ながら気づいた。
本来、魔窟の床が抜けるという事は、そういった罠以外ではほとんど見られないといった彼女の言葉から考えるに、この状況の原因の大部分は私にあるとしか考えられない。
そう考えれば、多少のリスクを負ってでも最後まで責任を取るべきだろう。
私は左手に彼女を座らせるように抱え込んだ。
小さな悲鳴を上げた彼女だったが、私の行いが彼女の足を鑑みての行動だと気づくや感謝の意を示す。
どうか彼女の仲間が、いきなり問答無用で襲い掛かってくるような輩でありませんように。
私は、上の階を指差し、彼女を送る旨を何とか伝える。
すると彼女は、今までも何度か見た驚きの表情を浮かべた後
「そう言えば、自己紹介が遅れて申し訳ありません。私はライラ。ライラ・ドーリンと言います。助けてくれて、本当にありがとうございます」
そう言って、自分の名前を伝えてきた。
原因が自分にあると気づいているので、感謝の言葉は別の意味で心に刺さる。
だが、名前。そうか、名前か。
私は、ゴーレムとして生まれてこの方自分以外のゴーレムを見たことが無い。
だからだろうか、今まで自分という存在を示す特定の名前に頓着はしてこなかった。
寧ろ、前世が人間であるというのに、自分の名前に気が向かないという事が、今になって奇妙に思える。当然、前世での名前など記憶には残っていない。
ここで一つ、名前を付けるのも良いのかもしれない。
私はライラを左手に抱えながら少し考えて、思いついた名前を指で壁に記す。
文字についてもバッチリだ。仕組みで言えば、アルファベットとほとんど同じだった。
でもこれは、どうなのだろうか。まあ、思いついてしまったのだから仕方がないか。
壁に記された文字を読んだ彼女はそれを言葉に出す。
それを聞いた私は頷きながら、自分を指で指し示した。
「もしかして……名前、お名前があるんですか!?」
首肯する私を見て、ライラはこれまでにない驚きを表した。思わず腕から落ちかける程だ。
そんな彼女を余所に、私は自分が壁に記した文字を心の中で読んだ。
アダム
それは、神の作った泥人形。
土壁に記したこの名前を、これから私は自分の名として名乗っていくと決めた。