第百三十八話 エンカウント
飛行船に新たにトレト老とジャレル君を乗せた私達は、一路ゼラ達が現在滞在している都市『ストレイザ』へ向かって飛び立った。
飛行船自体は見知っていたトレト老も実際に乗るのは初めてだったようで、一緒に乗ったジャレル君共々感心しきりだった。
「畏れ多くも龍の視点を体験出来るとは、何とも奇妙な感覚ね。この歳になるまで生きて、世界はまだまだ新しい体験をさせてくれるね」
そういった光景を、私は船内の各所に設置されたレンズや照明器具から覗き見ていた。
進行方向側の操縦席に座ったナタリアが、目の前に置かれた伝声管に向かって声を掛けてくる。
「アダム。操作系に不備は無いかしら? 何かあれば落ちる前に言って頂戴ね」
今のところ問題は無い。
私の返事は、伝声管を逆に伝ってナタリアへ届けられる。
実は、別にこれを使わずとも、今の私と会話するだけなら船内の何処でも可能だ。しかしそれでは、他人から見た場合まるで独り言を喋っている様に捉えられかねない為、こういった装置を使用している。
「それにしても、こんな大きな機械も自分の身体の一部と出来るとはね。何でもありになってきたね」
そう。トレト老の言う通り、現在私はこの飛行船その物を身体として認識し、操っている状態なのだ。
私は飛行船後部、動力室内に備え付けられた専用の座席に身体を固定した状態で空の旅を楽しんでいる。
ここから自分の魔力を船全体に流すことで、プロペラの回転数や軸方向、船体の歪み調整など、飛行するにあたって必要な動作、調整系を全て賄っているのだ。
尤も、土属性以外の魔力はナタリアや魔石に貯蔵されたそれに依存しているわけだが、それにしてもこの飛行船が曲がりなりにも飛行船としての体を保てているのは私に拠るところが非常に大きかった。
前回英傑都市に赴いた際、私は私の原点としてのそれを魔窟に求めた。
魔物を倒して強くなる。
誰かを助けられる力を求めて行動する。それ自体は何も間違いではないと確信しているが、しかしそれを魔窟に求め、己の原点としたのは過ちだった。
私は確かに魔物の身体を持ってはいるが、その『私』とは即ち、前世での人間社会で生き、そして死んだ人間としての私なのだ。
生き方に迷った際、立ち返らなければならなかったのは、その私なのだった。
けれども私は、不甲斐なかった過去の自分から逃げる事でそれらの記憶を忘れており、強力な、人の役に立つ存在であるゴーレムとしての自分に縁を求めた。
単独で更に強くなり、最後には周りの人間を置いてきぼりにしてその前に立つことで、己の存在意義を固めようとした。
けれども、自分がちっぽけな一人の人間から地続きでしか無い事を鑑みれば、求めるべきは人間同士の助け合いであった。
魔物を倒して強くなり、そして得た力を他人に還元する事が肝要なのだ。
人同士の助け合いの中にこそ、己一人の力ではどうしようもなかった過去の私が求めるべき答えがあったのだった。
独りよがりではいけない。
ごく簡単に言えば、困った時は、もっと人に頼れという事である。
そもそも、パーマネトラの時点で既にゼラの力を借りなければ、事態の解決は出来なかったのだから。
そこで私は、兎に角沢山の人に相談することにした。
その際にマールメアが提案してきたのが、この飛行船だったのだ。
以前にも、私の新しい身体を考えるにあたって、他人を乗せることを前提とした巨大な身体を提案してきた研究者はいた。
それを私は、自分がゴーレムという存在であり強者であるが故に危険な位置に出る事を優先する心から、無意識的に除外していた。
今回はそれを意識的に理解している。だからこその今の姿なのだった。
もしもの時は、皆に大いに頼る事になるだろう。
「アダムさん! もう次の都市が見えてきましたよ! アダムさんにも見えていますか!?」
ライラ、そんな大声で伝声管に喋らなくともちゃんと聞こえているし、見えてもいる。
正面に配置された夜間飛行用の照明からの視界で、ライラの言う次の都市とやらは私にも見えていた。
ハバンの様に霊峰からの大河、その支流を内側に通した形の都市で、都市全体をぐるりと囲む外壁から離れた地点にいくつか丘陵を備えている。
それらの丘には、それぞれ物見台や建物が建設されており、都市に接近する危機を、その外壁に到達する前に察知するための備えである事見て取れた。
「あれがストレイザですね。あの物見台を上から見る事になるとは思いませんでした」
ジャレル君が、その見た目にそぐわない喜色ばんだ声を出す。船の縁取り付いたその身体から生える尻尾が、彼の意識外で大きく揺れていた。
私の眼下では、物見台に詰めている人間がこちらに向かって大きく、黄色い旗を振っているのが見て取れた。
飛行船には連合の徽章が描かれている。
敵だと誤解される心配は殆ど無いだろう。
ライラ達も、危険のない範囲で身を乗り出してそれに手を振って答えていた。
「おかしいね。黄色は『注意せよ』ね。こちらの事を指しているのでなければ、一体何ね?」
しかし振られた旗を目を細めて確認したトレト老がそんな事を言い出した。
その言葉で船内の空気が引き締められ、各々が別方向から周囲の確認を行う。
私もまた、上空からの視点を全開にして周囲の警戒を行った。
光学的には何も不審な点は見当たらない。
だが、魔力感知にそれは引っ掛かった。
都市上空、私達と都市の間の空にそれは存在していた。
「メルメル!」
「ん〜『魔物探査』〜」
彼女が放った魔法が私の指示した位置へと飛ぶ。果たしてそれは、空中で風を纏って透明となっていた存在を明らかにした。
それは、妖精だった。
金髪銀眼、パンクファッション風の若葉色の衣服を身につけ、背中に生える四枚の透明な薄羽を細かく振動させながら滞空するその妖精は、明らかに不機嫌そうにこちらを睨み付けていた。
「ゲリラライブの邪魔をすんじゃねえよ!!」
彼女の口から放たれたその怒号は、相当の距離があるにも関わらず、まるで指向性を持つかの様に私達に向かって飛んで来た。
ライラ達はその声量に思わず耳を塞いでしまう。
「こらあー! この俺の美声に対してなんて対応だ! ちゃんと聞いてろよな! この世界では他に存在しない、最高の音楽を聴かせてやるぜ!」
一方的にそう告げた妖精は、空中に浮かんだままその両手の間に紫電を迸らせた。
「『雷撃』!? いえ、違う!」
操縦席にいるナタリアが叫ぶ。
風魔法の使い手である彼女には、目の前の存在がやっている魔法が如何に規格外かが分かるのだろう。
本来物質でない筈の雷が、擬似的に質量を与えられ、それはまるで六本の弦の様に変化した。
その世界の法則に真っ向から反する力を発揮したことで、彼女が御同類だと理解した私にもその魔法は出鱈目に思えた。
それは正に、世界の一部を思いの儘に変化させていた。
「さあ、このアルペジオ様のロックをとくと聴きやがれ!」